ジェノアCFC

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ジェノアCFC
原語表記 Genoa Cricket and Football Club s.p.a
愛称 Rossoblu(Red-Blues),
Grifone(Griffon),
Vecchio Balordo(Old Fool)
クラブカラー 赤と青
創設年 1893年
所属リーグ セリエA
ホームタウン ジェノヴァ
ホームスタジアム スタディオ・ルイジ・フェッラーリス
収容人数 41,917
代表者 イタリアの旗 エンリコ・プレツィオージ
監督 イタリアの旗 ジャン・ピエロ・ガスペリーニ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ジェノア・クリケット・アンド・フットボール・クラブGenoa Cricket and Football Club s.p.a)は、イタリアジェノヴァを本拠地とするサッカークラブチーム。

概要[編集]

クラブ名の「ジェノア」とはジェノヴァの英語名である。1897年、イギリスの船会社に医師として赴任した英国人のジェームズ・リチャードソン・スペンスリーがサッカー部門を創設し、自らも選手としてプレー。セリエAの前身となるイタリアサッカー選手権の初期には7年間に3連覇を2度果たした古豪である。日本人初のセリエAプレイヤー三浦知良も所属した。同じくジェノヴァを本拠地とするUCサンプドリアとはライバル関係にあり、デルビー・デッラ・ランテルナ(灯台ダービー)と呼ばれるダービーマッチは白熱する。 セリエA優勝回数ではユヴェントスFCインテルACミランに次ぐが、現在ではなかなかセリエAに定着できずに入れ替えの憂き目にあっている。

歴史[編集]

創設[編集]

クラブはジェノア・クリケット・アンド・アスレティック・クラブとして1893年9月7日[1]に創設された。最初期は陸上競技クリケットのみの活動だった。クラブが在外イングランド人を代表して創設されたので、当初はイングランド代表チームと同じ白色のシャツを使用し[1]、イタリア人の加入は認めていなかった[1]。ジェノアの活動は都市北西部のピアッツァ・ダルミにあるカンパッソ地域で行っていた。

クラブのサッカー部門はジェイムズ・リチャードソン・スペンスリーによって1897年4月10日[2]に公式に開設された[3]。これはイタリアサッカーにおいて最古の部類であり、他にはトリノに二つのクラブが存在するだけだった[4]。クラブのサッカー部門開設にあわせて、イタリア人の入会も許されるようになり、ポンテ・カッレガには新グラウンドが建設された。最初のフレンドリーマッチはインテルナツィオナーレ・トリノFBCトリネーゼの混合チームとの間でホームで開催され、ジェノアが1-0で敗れた[1]。その後行われたフレンドリーマッチにおいて、ジェノアはアウェーでUPSアレッサンドリアを2-0で下して最初の勝利を記録した。フレンドリーはまたイギリス戦艦リヴェンジの乗員をはじめとした、色々なイギリス人海兵たちとの間でも行われた[1]

選手権を席巻(1898年-1900年代)[編集]

イタリアのサッカーはイタリアサッカー連盟の発足とイタリアサッカー選手権の設立によってレベルが向上した[2]。1898年にジェノアはトリノのヴェロードロモ・ウンベルト・Iで開催された最初のイタリア選手権に参加した[2]。彼らは5月8日の初公式戦でジンナスティカ・トリノを2-1で降し、その後、同日内にあった決勝戦でインテルナツィオナーレ・トリノを延長戦の末3-1で破り、最初の選手権に優勝した[5]

ジェノアは翌シーズンにも優勝したが、このときは既にクラブ名からアスレティックを削って、ジェノア・クリケット・アンド・フットボール・クラブ (Genoa Cricket & Football Club) に変更していた。変更はシャツの色にも及び、青と白が交互のストライプに改められた。ジェノアは1899年4月16日に行われた、このワンデー・トーナメントの決勝で、再び3-1のスコアでインテルナツィオナーレ・トリノを破って優勝した。3連覇を果たした1900年には、地元のライバル、サンピエルダレネーゼに7-0で勝った試合があったが、これはリーグの最多得点差記録として1910年までどのチームにも破られなかった。決勝ではFBCトリネーゼを3-1で退けた[5]

クラブのキットは1901年にまた変更があり、このときにジェノアは有名な赤と紺が半々になったものを採用し、ロッソブル (rossoblu) と呼ばれるようになった。1901シーズンはミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブに次ぐ準優勝だったが、1902シーズンはチャンピオンの座に戻り、4度目のタイトルを手にした。1903年以降、ジェノアの王位に対してユヴェントスが有力候補として浮かび上がってきた。ジェノアは1903年から全国決勝において2年連続でユヴェントスを降した[5]

フランスを訪れ、1903年4月27日にFVCニースと対戦したジェノアは国際試合を行うイタリアで最初のサッカーチームとなった。試合結果は3-0でジェノアが勝利した。1904年はイタリア選手権に優勝したのみならず、最初のリーグシーズンが実施されたIIカテゴリア(トップレベルの下に位置するセリエBの原型)の初代優勝チームにもなった。準優勝に終わった1905年以降は、イタリア選手権におけるかつての地位を失い、タイトルはユヴェントス、ミラン、プロ・ヴェルチェッリといったクラブが獲得した。[5]

外国人選手の起用を禁じるという体操連盟の主張にFIGCが合意した1908年からジェノアは凋落した。ジェノアにはその誕生以来、常にイングランド人たちの強い存在があった。ミラン、トリノ、フィレンツェなどの有力クラブは同意しようとせず、彼らはこの年の公式なFIGC大会から脱退した。連盟側は翌年に決定を取り消し、そしてジェノアはルイジ・フェッラーリス[6]スイスから来た数人の選手によって建て直された。チーム再建にあわせてマラッシ地区に新たなグラウンドも建設された。スタジアムは当時のイギリスのそれに匹敵する25,000人の収容能力を持ち、1911年1月22日に公式に開場した。

ガーバット監督の下での復活(1910年代-1920年代)[編集]

1924年、イタリア選手権で最後に優勝したジェノア

イタリア代表チームの発足にあたってジェノアは重要部を担った。レンゾ・デ・ヴェッキ(何度かアッズーリのキャプテンを務める)、フェドアルド・マリアーニエンリコ・サルディが招集を受けた[7]。イングランド人ウィリアム・ガーバットはクラブ復活のためのヘッドコーチとして招かれた。イタリアにおける初めてのプロ監督だったガーバットは強烈なカリスマ性により尊敬を集め、しきりにパイプ煙草を吹かしていた[1]。彼は選手達から「ミステル (Mister)」と呼ばれたが、イタリアサッカー界において、この単語はやがてどの監督についても用いられるようになった[1][8]

1914-15シーズン、ジェノアは北部地域の決勝ラウンドに勝ち、北部イタリアのトップクラブという地位を取り戻した[5]。しかし第一次世界大戦勃発により南部イタリアの決勝大会は開催されず、従って全国決勝は行われなかった。戦争終結後の1919年になってから、ジェノアはようやくこの11シーズンぶりのタイトルを贈られた[9]。 戦争では兵役に就いていたルイジ・フェッラーリスアドルフォ・ニェッコカルロ・マラッシアルベルト・スッソーネクラウディオ・カザノヴァの5選手が死亡し、ジェノアは多大な犠牲を被った。サッカー部門創設者のジェイムズ・リチャードソン・スペンスリーはドイツで戦死した[9]

戦終直後でもジェノアは依然として北部地域の強豪だった[9]。ガーバットは1922-23シーズンもジェノアを成功に導き、決勝では2試合合計6-1でラツィオを破った[5]。翌シーズン、ジェノアは北部決勝においてボローニャに勝ったが、ボローニャでの2ndレグ試合中に観客による暴動が起きたため試合は取り消され、FIGCはジェノアに2-0の勝利を与えたため、議論を引き起こす[9]。このシーズンの全国決勝ではジェノアはサヴォイアに2試合合計4-1で勝った。これがジェノアにとって9回目の、そして現時点では最後のイタリアチャンピオンシップである[10]。この2回の選手権獲得チームにはジョヴァンニ・デ・プラオッターヴィオ・バルビエリルイジ・ブルランドレンゾ・デ・ヴェッキがいた[1]。その後の1920年代は選手権には優勝できなかった。トリノに次ぐ2位となった1927-28シーズンが最も高い順位である。

ジェノヴァ1893時代(1920年代-1940年代)[編集]

コッパ・イタリア優勝時の選手たち(1937-38シーズン)

ジェノアはその強くイギリス的な名前のせいで、ファシスト政権下の1928年にジェノヴァ1893チルコロ・デル・カルチョ ( Genova 1893 Circolo del Calcio) に改名を強制された[11]。クラブはヨーロピアンカップの前駆ともされるミトローパ・カップに1929年に参加し、準々決勝でSKラピード・ウィーンに敗れた。1929-30シーズンは、アンブロジアーナ(インテル)に次ぐ2位でシーズンで終えた。これが現在に到るまでジェノアにとってトップレベルの選手権での最後の準優勝になっている[5]

1930年代前半のジェノヴァのリーグ順位は激しい浮き沈みを見せた。1933-34シーズンにジェノヴァはセリエB(イタリアサッカーの2部)へ初めての降格を経験した。クラブにとっては幸運なことに、ヴィットリオ・ファロッパの指導の下で立ち直り、ノヴァーラを上回ってグループ首位で昇格を果たした。1936年、野心的なフアン・クリオーロがクラブの会長職を引き継いだ。1936-37シーズンはリーグで6位となり、コッパ・イタリアにおいては決勝でASローママリオ・トルティのゴールによって1-0で降して初優勝した[12]

翌1937-38シーズンのセリエAでジェノヴァは3位となった。このシーズンはとりわけ接戦で、優勝したアンブロジアーナとの勝ち点差はわずか3だった。1938年のFIFAワールドカップに優勝したイタリア代表には、ジェノヴァの選手からはセルジオ・ベルトーニマリオ・ジェンタマリオ・ペラッツォーロが名を連ねた[13]クラブは高いレベルでこの10年期を終え、イタリアリーグのトップレベルにおける五指の一つという地位を保った。[5]

第二次世界大戦はイタリアのサッカー界にあまねく劇的な影響を及ぼしたが、しかしジェノヴァは他のクラブと同じように復活できなかった。1945年にクラブはイタリア選手権のごく初期に用いていたジェノア・クリケット・アンド・フットボール・クラブ (Genoa Cricket and Foot-Ball Club) という名前に戻した[14]。戦争が終わった翌年からは、オッターヴィオ・バルビエリウィリアム・ガーバットといったかつてクラブを支えた人々が代わる代わる監督を務め、依然としてクラブはファンから人気があった[15]。ジェノアにはまたサンプドリアという形での新たなライバルが生まれた。彼らは1946年にほかのふたつのクラブの合併によって創設され、スタディオ・ルイジ・フェッラーリスをジェノアと共同使用した。

戦後(1940年代-1960年代)[編集]

セリエA上位に位置していたジェノアの力は第二次世界大戦後に明らかに衰え、1940年代後半は常に中位でシーズンを終えた。1948-49シーズンのジェノアには、インテルに4-1、有名なグランデ・トリノに3-0、パドヴァに7-1という3つの重要な勝利があった[16]。1950年代は悲惨な始まりだった。1949年にボカ・ジュニアーズから獲得したアルゼンチン人マリオ・ボジェはわずか1シーズンでクラブを去り、1950-51シーズンのジェノアはセリエAで最下位となり降格した。しかし2シーズン後にセリエBに優勝して、復帰を果たした[17]。この時期の有名選手にはノルウェー人ラグナー・ニコライ・ラルセンがおり、1950年代の残りは一貫してリーグ順位表の中央でシーズンを終えた[17]

1959-60シーズンに降格を喫し、1961-62シーズンにセリエAに再昇格したが[17]、それでも1960年代前半のジェノアにはカップ戦におけるかなりの成功があった。1962年にコッパ・デッレ・アルピに優勝した。決勝戦ではフランスのクラブ、グルノーブルをナッタのゴールにより1-0で破った[18]。ジェノアはその2年後の大会にも優勝した。そのときの決勝はスイス・ベルンヴァンクドルフシュタディオンで開催され、ジャンパオロ・ピアチェリの2ゴールによってカターニアを2-0で破った[19]

しかし祝賀は長くは続かず、最後のカップ成功があった1963-64シーズンのリーグ戦では16位となり、再びセリエBに降格した。このセリエB降格は過去の降格時よりはるかに長い在籍になり、クラブは落ち着きなく毎シーズンごとに監督を挿げ替えた[15]。さらに1970年には初めてのセリエC降格すら経験した。クラブは財政的に苦境に陥り、所有権が何度か移った[20]

悲喜交交(1970年代-1980年代)[編集]

1970年代を通して、ジェノアは大半を2部で過ごした。アルトゥーロ・シルヴェストリの監督下で1973-74シーズンにセリエA復帰を果たしたが、1シーズンで降格した。ジェノアがまたセリエAに復帰するのはその2シーズン後、今度はロベルト・ロザートブルーノ・コンティ、若きロベルト・プルッツォを擁していた。2シーズンのあいだセリエAにとどまり、1977-78シーズンに降格した。この降格はジェノアとの1ゴールの得失点差でフィオレンティーナの残留が決まるという無情なものだった。両チームは最終節で直接対決があり、0-0で引き分けていた[21]

降格によって、迅速な復帰のためには欠かせないトッププレイヤーたちを失った。例えばロベルト・プルッツォはローマに移籍し、大きな成功を手にした[22]。2度にわたってセリエBの中位となった後、ジェノアはルイジ・シモーニを監督として、1980-81シーズンに前シーズンのトトネロスキャンダルで強制降格させられていたACミランに次ぐ2位で昇格を果たした[23]

依然として監督の座にあるシモーニの下、セリエA復帰初シーズンを降格圏内のACミランから勝ち点差わずか1で残留を決めた。最終節ナポリ戦では、残り5分まで2-1でジェノアが追いかける側だったが、85分にマリオ・ファッチェンダのゴールが決まって必要な勝ち点を獲得した。これが両クラブファンによる友好関係の始まりだった[24]

それから2シーズン後の1983-84シーズンには、最終節でスクデットのユヴェントスを破ったが、残留したラツィオと勝ち点の数では並びながらも降格を余儀なくされた。これはラツィオがジェノアとの直接対決でより良い試合結果だったことによる[25]

近年[編集]

フェッラーリ広場でセリエA復帰を祝うジェノアファン。2007年6月

2003年、低迷と財政難に苦しむクラブを玩具王エンリコ・プレツィオージが買収し、以来積極的な補強を行ない、名門復活に取り組んでいる。

2004-05シーズンではセリエBで優勝した(本来ならトップディビジョンのセリエA復帰が決まるはずだった)が最終節での試合の不正操作が発覚し、ペナルティとして順位が最下位扱いになり(2位以下は順位繰り上げ)、セリエC1(3部リーグ)に降格した。その後は好成績を収め、2006-07シーズンにセリエB3位となり、セリエAへ復帰した。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

1898、1899、1900、1902、1903、1904、1914-15、1922-23、1923-24
1934-35, 1952-53, 1961-62, 1972-73, 1975-76, 1988-89
1970-71
1937-38

国際タイトル[編集]

1962, 1964
1996

過去の成績[編集]

  • 1946-47 セリエA 10位
  • 1947-48 セリエA 12位
  • 1948-49 セリエA 7位
  • 1949-50 セリエA 11位
  • 1950-51 セリエA 20位 降格
  • 1951-52 セリエB 5位
  • 1952-53 セリエB 1位 昇格
  • 1953-54 セリエA 12位
  • 1954-55 セリエA 11位
  • 1955-56 セリエA 10位
  • 1956-57 セリエA 16位
  • 1957-58 セリエA 13位
  • 1958-59 セリエA 11位
  • 1959-60 セリエA 18位 降格
  • 1960-61 セリエB 13位
  • 1961-62 セリエB 1位 昇格
  • 1962-63 セリエA 15位
  • 1963-64 セリエA 8位
  • 1964-65 セリエA 16位 降格
  • 1965-66 セリエB 5位
  • 1966-67 セリエB 12位
  • 1967-68 セリエB 15位
  • 1968-69 セリエB 6位
  • 1969-70 セリエB 20位 降格
  • 1970-71 セリエC 1位 昇格
  • 1971-72 セリエB 8位
  • 1972-73 セリエB 1位 昇格
  • 1973-74 セリエA 16位 降格
  • 1974-75 セリエB 7位
  • 1975-76 セリエB 1位 昇格
  • 1976-77 セリエA 11位
  • 1977-78 セリエA 14位 降格
  • 1978-79 セリエB 12位
  • 1979-80 セリエB 11位
  • 1980-81 セリエB 3位 昇格
  • 1981-82 セリエA 13位
  • 1982-83 セリエA 12位
  • 1983-84 セリエA 14位 降格
  • 1984-85 セリエB 6位
  • 1985-86 セリエB 7位
  • 1986-87 セリエB 6位
  • 1987-88 セリエB 14位
  • 1988-89 セリエB 1位 昇格
  • 1989-90 セリエA 11位
  • 1990-91 セリエA 4位
  • 1991-92 セリエA 14位
  • 1992-93 セリエA 13位
  • 1993-94 セリエA 11位
  • 1994-95 セリエA 15位 降格
  • 1995-96 セリエB 7位
  • 1996-97 セリエB 5位
  • 1997-98 セリエB 9位
  • 1998-99 セリエB 12位
  • 1999-2000 セリエB 6位
  • 2000-01 セリエB 12位
  • 2001-02 セリエB 12位
  • 2002-03 セリエB 18位
  • 2003-04 セリエB 16位
  • 2004-05 セリエB 1位→22位 降格(八百長事件のペナルティ)
  • 2005-06 セリエC1 2位 昇格
  • 2006-07 セリエB 3位 昇格
  • 2007-08 セリエA 10位
  • 2008-09 セリエA 5位
  • 2009-10 セリエA 9位
  • 2010-11 セリエA 10位
  • 2011-12 セリエA 17位
  • 2012-13 セリエA 17位
  • 2013-14 セリエA 14位

現所属メンバー[編集]

2014年7月26日現在
No. Pos. 選手名
1 イタリアの旗 GK マッティア・ペリン
3 イタリアの旗 DF ルカ・アントニーニ
4 フランスの旗 DF セバスティアン・ドゥ・マイオ (Flag of Italy.svg)
5 イタリアの旗 DF アルマンド・イッツォ
8 アルゼンチンの旗 DF ニコラス・ブルディッソ (Flag of Italy.svg)
9 チリの旗 FW マウリシオ・ピニージャ (Flag of Italy.svg)
10 アルゼンチンの旗 MF ディエゴ・ペロッティ (Flag of Spain.svg)
13 イタリアの旗 DF ルカ・アントネッリ
14 アルゼンチンの旗 DF ファクンド・ロンカリア
15 イタリアの旗 DF ジョヴァンニ・マルケーゼ
16 ベルギーの旗 FW マクシム・レスティエンヌ
18 ギリシャの旗 MF ヨアンニス・フェトファツィディス
19 イタリアの旗 MF レアンドロ・グレコ
No. Pos. 選手名
21 ブラジルの旗 MF エデニウソン
23 イタリアの旗 GK エウジェニオ・ラマンナ
24 スペインの旗 MF イアゴ・ファルケ
32 イタリアの旗 FW アレッサンドロ・マトリ
33 スロバキアの旗 MF ユライ・クツカ
37 イタリアの旗 FW ジュゼッペ・パニーコ
38 イタリアの旗 MF ロランド・マンドラゴーラ
39 イタリアの旗 GK ダニエレ・ソンマリーヴァ
69 イタリアの旗 MF ステファーノ・ストゥラーロ
87 イタリアの旗 DF アレアンドロ・ロージ
88 ベネズエラの旗 MF トマス・リンコン
91 イタリアの旗 MF アンドレア・ベルトラッチ
92 アルゼンチンの旗 MF フランコ・ムッシス

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

レンタル移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
14 アルゼンチンの旗 DF ファクンド・ロンカリア (フィオレンティーナ)
16 ベルギーの旗 FW マクシム・レスティエンヌ (アル・アラビ)
21 ブラジルの旗 MF エデニウソン (ウディネーゼ)
No. Pos. 選手名
32 イタリアの旗 FW アレッサンドロ・マトリ (ミラン)
69 イタリアの旗 MF ステファーノ・ストゥラーロ (ユヴェントス)
92 アルゼンチンの旗 MF フランコ・ムッシス (コペンハーゲン)
out
No. Pos. 選手名
2 イタリアの旗 DF マリオ・サンピリージ (ヴィチェンツァ)
14 ガーナの旗 MF イサーク・コフィー (キエーヴォ)
27 イタリアの旗 MF アントニオ・ラグーサ (ヴィチェンツァ)
47 ウルグアイの旗 FW セバスティアン・リバス (カルタヘナ)
52 ガーナの旗 MF モロ・アルハッサン (ヴィチェンツァ)
77 イタリアの旗 FW リッカルド・インプロータ (ボローニャ)
-- イタリアの旗 GK アントニオ・ドンナルンマ (バーリ)
-- チェコの旗 GK ルカシュ・ジマ (ヴェネツィア)
No. Pos. 選手名
-- フランスの旗 DF アラン・ブレイズ (マントヴァ)
-- イタリアの旗 DF アルベルト・マルキオーリ (マントヴァ)
-- イタリアの旗 DF ニコラ・パシーニ (ピストイエーゼ)
-- ウルグアイの旗 DF ディエゴ・ポレンタ (ナシオナル)
-- ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 MF エニス・ナダレヴィッチ (トラーパニ)
-- ギリシャの旗 MF パナギオティス・タフツィディス (エラス・ヴェローナ)
-- パラグアイの旗 FW ダニエル・ハーラ・マルティネス (サンマリノ)
-- ブラジルの旗 FW ゼ・エドゥアルド (コリチーバ)

共同保有[編集]

No. Pos. 選手名
-- イタリアの旗 GK ディエゴ・マンゾーニ (シエナ)
-- イタリアの旗 DF フランチェスコ・アチェルビ (サッスオーロ)
-- イタリアの旗 MF アンドレア・ベルトラッチ (ローマ)
-- イタリアの旗 MF アントニオ・ラグーサ (ペスカーラ)
No. Pos. 選手名
-- ガーナの旗 FW リッチモンド・ボアキエ (ユヴェントス)
-- イタリアの旗 FW ルカ・ミラコーリ (ヴァレーゼ)
-- イタリアの旗 FW ヴィンチェンツォ・トンマソーネ (インテル・ミラノ)
-- イタリアの旗 FW ミケル・ヴェントレ (インテル・ミラノ)

リザーブ[編集]

No. Pos. 選手名
-- イタリアの旗 GK アンドレア・トゥファーノ
-- イタリアの旗 MF グイド・ベンナーティ
-- モロッコの旗 MF ダニアネ・ジャワド
-- アルゼンチンの旗 MF マリオ・サンターナ
No. Pos. 選手名
-- チリの旗 MF フェリペ・セイムール
-- シエラレオネの旗 MF ロドニー・ストラッサー
-- ブラジルの旗 FW ウィリアム・ラセルダ

14/15移籍[編集]

歴代監督[編集]

以下はジェノアがサッカークラブとなった1896年以降の年代順の監督一覧である。ジェノアにはこれまで多くの監督・トレーナーがおり、いくつかのシーズンには共同監督がチームを率いた。[15]

 
名前 国籍
ジェイムズ・リチャードソン・スペンスリー イングランドの旗 1896–07
技術委員会 イングランドの旗 1907–12
ウィリアム・ガーバット イングランドの旗 1912–27
レンゾ・デ・ヴェッキ イタリア王国の旗 1927–30
セーカーニ・ゲーザ ハンガリーの旗 1930–31
ルイジ・ブルランド
ギジェルモ・スタービレ
イタリア王国の旗
アルゼンチンの旗
1931–32
カール・ルンボルト オーストリアの旗 1932–33
ナジ・ヨージェフ ハンガリーの旗 1933–34
ヴィットーリオ・ファロッパ
後にレンゾ・デ・ヴェッキ
イタリア王国の旗
イタリア王国の旗
1934–35
オルト・ジェルジ ハンガリーの旗 1935–36
ヘルマン・フェルスナー オーストリアの旗 1936–37
ウィリアム・ガーバット イングランドの旗 1937–39
オッターヴィオ・バルビエリ
ウィリアム・ガーバット
イタリア王国の旗
イングランドの旗
1939–40
オッターヴィオ・バルビエリ イタリア王国の旗 1940–41
グイド・アーラ イタリア王国の旗 1941–43
オッターヴィオ・バルビエリ
後にヴィオラ・ヨージェフ
イタリア王国の旗
ハンガリーの旗
1945–46
ウィリアム・ガーバット イングランドの旗 1946–48
フェデリコ・アッラージオ イタリアの旗 1948–49
ジョン・デイヴィッド・アストリー
後にジョン・デイヴィッド・アストリーおよびフェデリコ・アッラージオ
後にマニーロ・バチガルポ
イングランドの旗
イタリアの旗
イタリアの旗
1949–50
マニーロ・バチガルポ イタリアの旗 1950–51
シェンケイ・イムレ
後にヴァレンティーノ・サラおよびジャチント・エッレーナ
ハンガリーの旗
イタリアの旗
1951–52
ジャチント・エッレーナ イタリアの旗 1952–53
シャーロシ・ジェルジ
後にリーノ・ボニラウリ
ハンガリーの旗
イタリアの旗
1953–55
レンゾ・マーリ イタリアの旗 1955–58
アンニバレ・フロッシ イタリアの旗 1958–59
アントニオ・ブジーニ
ジポ・ポッジ
後にジェシー・カーヴァー
後にアンニバレ・フロッシ
イタリアの旗
イタリアの旗
イングランドの旗
イタリアの旗
1959–60
アンニバレ・フロッシ イタリアの旗 1960–61
レナート・ゲイ イタリアの旗 1961–63
ベニアミノ・サントス アルゼンチンの旗 1963–64
パウロ・アマラウ
後にロベルト・レリチ
ブラジルの旗
イタリアの旗
1964–65
ルイジ・ボニッツォーリ イタリアの旗 1965–66
ジョルジョ・ゲッツィ
後にパオロ・タバネッリ
イタリアの旗
イタリアの旗
1966–67
リヴィオ・フォンガロ
後にアルド・カンパテッリ
イタリアの旗
イタリアの旗
1967–68
アルド・カンパテッリ
後にアルド・カンパテッリおよびマウリツィオ・ブルーノ
イタリアの旗
イタリアの旗
1968–69
フランコ・ヴィヴィアーニ
後にマウリツィオ・ブルーノおよびリーノ・ボニラウリ
後にアレディオ・ジモーナおよびリーノ・ボニラウリ
イタリアの旗
イタリアの旗
イタリアの旗
1969–70
アルトゥーロ・シルヴェストリ イタリアの旗 1970–74
グイド・ヴィンチェンツィ イタリアの旗 1974–75
ジジ・シモーニ イタリアの旗 1975–78
 
名前 国籍
ピエトロ・マローゾ
後にエットーレ・プリチェッリ
後にジャンニ・ブイ
イタリアの旗
イタリアの旗
イタリアの旗
1978–79
ジャンニ・ディ・マルツィオ イタリアの旗 1979–80
ジジ・シモーニ イタリアの旗 1980–84
タルチジオ・ブルニチ イタリアの旗 1984–86
アッティーリオ・ペロッティ イタリアの旗 1986–87
ジジ・シモーニ
後にアッティーリオ・ペロッティ
イタリアの旗
イタリアの旗
1987–88
フランコ・スコーリオ イタリアの旗 1988–90
オスヴァルド・バニョーリ イタリアの旗 1990–92
ブルーノ・ジョルジ
後にルイジ・マイフレーディ
後にクラウディオ・マセッリ
イタリアの旗
イタリアの旗
イタリアの旗
1992–93
クラウディオ・マセッリ
後にフランコ・スコーリオ
イタリアの旗
イタリアの旗
1993–94
フランコ・スコーリオ
後にジュゼッペ・マルキオーロ
後にクラウディオ・マセッリ
イタリアの旗
イタリアの旗
イタリアの旗
1994–95
ジジ・ラディーチェ
後にガエターノ・サルヴェミーニ
イタリアの旗
イタリアの旗
1995–96
アッティーリオ・ペロッティ イタリアの旗 1996–97
ガエターノ・サルヴェミーニ イタリアの旗 1997
クラウディオ・マセッリ イタリアの旗 1997
タルチジオ・ブルニチ イタリアの旗 1997–98
ジュゼッペ・ピッロン イタリアの旗 1998
ルイジ・カーニ イタリアの旗 1998
デリオ・ロッシ イタリアの旗 1999–00
ブルーノ・ボルキ イタリアの旗 2000
グイド・カルボーニ
アルフレド・マーニ
イタリアの旗
イタリアの旗
2000–01
ブルーノ・ボルキ イタリアの旗 2001
クラウディオ・オノフリ イタリアの旗 2001
フランコ・スコーリオ イタリアの旗 2001
エドアルド・レヤ イタリアの旗 2001–02
クラウディオ・オノフリ イタリアの旗 2002
ヴィンチェンツォ・トッレンテ
リーノ・ラヴェッツィーニ
イタリアの旗
イタリアの旗
2003
ロベルト・ドナドーニ イタリアの旗 2003
ルイジ・デ・カーニオ イタリアの旗 2004
セルセ・コスミ イタリアの旗 2004–05
フランチェスコ・グイドリン イタリアの旗 2005
ジョヴァンニ・ヴァヴァッソリ
後にアッティーリオ・ペロッティ
後にジョヴァンニ・ヴァヴァッソリ
イタリアの旗
イタリアの旗
イタリアの旗
2005–06
ジャン・ピエロ・ガスペリーニ イタリアの旗 2006–2010
ダヴィデ・バッラルディーニ イタリアの旗 2010–2011
アルベルト・マレザーニ イタリアの旗 2011
パスクアーレ・マリーノ イタリアの旗 2011-2012
アルベルト・マレザーニ イタリアの旗 2012
ルイジ・デ・カーニオ イタリアの旗 2012
ルイジ・デル・ネーリ イタリアの旗 2012-2013
ダヴィデ・バッラルディーニ イタリアの旗 2013
ファビオ・リヴェラーニ イタリアの旗 2013
ジャン・ピエロ・ガスペリーニ イタリアの旗 2013-

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]



MF[編集]



FW[編集]



永久欠番[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e f g h Genoa Cricket & Football Club – Short Historical Overview 1893–1960”. RSSSF.com. 2007年8月閲覧。
  2. ^ a b c Storia del Genoa”. EnciclopediaDelCalcio.com. 2007年8月閲覧。
  3. ^ Genoa”. Channel4.com. 2007年8月閲覧。
  4. ^ Edoardo Bosio and Football in Turin”. Life in Italy. 2007年8月閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h Modena, Panini Edizioni (2005). Almanacco Illustrato del Calcio – La Storia 1898–2004. 
  6. ^ Genoa All-Time XI”. Chanel4.com. 2007年8月閲覧。
  7. ^ Club Profiles – Genoa”. Forza Azzurri. 2007年8月閲覧。
  8. ^ http://www.sportsjournalists.co.uk/other-bodies/football-writers/the-man-they-called-mister-garbutt/
  9. ^ a b c d Il Genoa leggendario”. La storia del Genoa. 2007年8月閲覧。
  10. ^ Campionato Serie A – Albo D'oro”. Lega Calcio. 2007年8月閲覧。
  11. ^ Storia del Genoa – Part 4”. EnciclopediaDelCalcio.com. 2007年8月閲覧。
  12. ^ Italy – Coppa Italia History”. RSSSF.com. 2007年8月閲覧。
  13. ^ Genoa – Contributions to the Italian nationa team”. Forza Azzurri. 2007年8月閲覧。
  14. ^ Genoa”. Weltfussballarchiv. 2007年8月閲覧。
  15. ^ a b c “Mister Genoani”. Genoa1983.org. (2007年8月27日). http://genoa1893.altervista.org/mister.htm 
  16. ^ Italy 1948–49”. RSSSF.com. 2007年8月閲覧。
  17. ^ a b c I campionati”. GenoaDomani.it. 2007年8月閲覧。
  18. ^ Cup of the Alps 1962”. RSSSF.com. 2007年8月閲覧。
  19. ^ Cup of the Alps 1964”. RSSSF.com. 2007年8月閲覧。
  20. ^ “Presidenti Genoa”. Genoa 1893. (2007年6月23日). http://genoa1893.altervista.org/presid.htm 
  21. ^ Italy Championship 1977–78”. RSSSF.com. 2007年8月閲覧。
  22. ^ Roberto "Bomber" Pruzzo”. ASR Talenti. 2007年8月閲覧。
  23. ^ Totonero: Le foot italien retient son souffle”. LexPress.fr. 2007年8月閲覧。
  24. ^ Genoa – Napoli Nuvola-inspired File Icons for MediaWiki-fileicon-doc.png (DOC)”. FootballData.it. 2007年8月閲覧。
  25. ^ Italy Championship 1983–84”. RSSSF.com. 2007年8月閲覧。

外部リンク[編集]