ミゲル・ヴェローゾ

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Kiev-St (9).jpg
名前
本名 ミゲル・ルイス・ピント・ヴェローゾ
Miguel Luís Pinto Veloso
ラテン文字 MIGUEL VELOSO
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 1986年5月11日(28歳)
出身地 コインブラ
身長 180cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム ウクライナの旗 FCディナモ・キエフ
ポジション MF (DH) / DF (CB / LSB)
背番号 4
利き足 左足
ユース
1994-1999 ポルトガルの旗 ベンフィカ
1999-2000 ポルトガルの旗 ポンティーニャ
2000-2005 ポルトガルの旗 スポルティング・リスボン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2010 ポルトガルの旗 スポルティング・リスボン 98 (4)
2005-2006 ポルトガルの旗 オリヴァイス・モスカヴィデ (loan) 28 (7)
2010-2012 イタリアの旗 ジェノア 49 (2)
2012- ウクライナの旗 ディナモ・キエフ 50 (4)
代表歴2
2001-2002 ポルトガルの旗 ポルトガル U-18 10 (0)
2002-2003 ポルトガルの旗 ポルトガル U-17 25 (3)
2004-2005 ポルトガルの旗 ポルトガル U-19 9 (2)
2006 ポルトガルの旗 ポルトガル U-20 2 (1)
2006-2008 ポルトガルの旗 ポルトガル U-21 18 (5)
2007- ポルトガルの旗 ポルトガル 52 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月25日現在。
2. 2014年11月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミゲル・ルイス・ピント・ヴェローゾ(Miguel Luís Pinto Veloso, 1986年5月11日 - )は、ポルトガルコインブラ出身の同国代表サッカー選手ウクライナ・プレミアリーグFCディナモ・キエフ所属。ポジションはミッドフィールダーディフェンダー

経歴[編集]

SLベンフィカから同じリスボン拠点のライバルであるスポルティング・リスボンのユースに14歳の時に移籍。しかし2005-06シーズンは下部リーグのCDオリヴァイス・イ・モスカヴィデに1年間レンタルに出されたが、そこで活躍しチームの昇格に貢献した。2006-07シーズンからはスポルティングに戻りUEFAチャンピオンズリーグも経験、国内リーグの試合でもレギュラーを確保して活躍。2010年7月30日イタリアジェノアCFCへ移籍した。

2012年7月4日、ウクライナの強豪FCディナモ・キエフへ4年契約で移籍した[1]

代表歴[編集]

2007年8月22日に行われたUEFA EURO 2008予選アルメニア戦でA代表に初招集。しかしこの時は出番はなく、10月13日アゼルバイジャン戦で、怪我で離脱したプティの代役で招集されA代表デビュー。2009年10月14日W杯予選マルタ戦で代表初得点を記録。2010 FIFAワールドカップのメンバーにも選出された。2014 FIFAワールドカップのメンバーにも選出された。

トリビア[編集]

  • 美形であり「ポルトガルファッション」という2007年10月に行われたファッション・ショーに同国のデザイナー、ファティマ・ロペスのショー「ファティマ・ロペス・メン」にファッションモデルとして出演した。また11月には彼女が経営する芸能事務所「FACE MODELS」の新設されたスポーツ選手のマネージメント部門「FACE SPORTS」のイメージキャラクターとして起用されている。しかし彼のサッカー以外のこのような行動には、まだ実績もろくにないのにベッカムみたいになりたいのかという批判も出ていた。その行動に当時のポルトガル代表監督ルイス・フェリペ・スコラーリイタリアとの親善試合の前に「サッカー以外のものに気を取られている者はポジションを失うこととなる」と名前を挙げずに警告し、実際2008年2月6日のイタリア戦に彼は実際に代表に招集されなかった影響か、それ以降はこのような活動は行っておらず監督が変わっても代表で定着している。

私生活[編集]

  • 父のアントニオ・ヴェローゾ1957年1月31日 - )は、元ポルトガル代表でSLベンフィカの主将を務めていたディフェンダーだった。
  • アントニオの婚外子でありミゲルの1歳下の異母弟ルイス・ヴェローゾもアマチュアのサッカー選手だった[2]。2011年にアントニオ達が離婚する前の15年間はルイスは父親から軽蔑されていたと報じているメディアもある[3]
  • 2013年5月27日に以前所属していたジェノアCFCの会長エンリコ・プレツィオージの娘のパオラ・プレツィオージと結婚した。

親子の確執[編集]

  • 2013年にミゲルは「金を盗んだ」として自分の名義で借金をした父親を裁判所に訴える事態にまで発展している。その額は約20万ユーロとされており、UEFA EURO 2012の時期から代表・クラブ共にユニフォームの背中の名前を「M.VELOSO」から「MIGUEL」に変更したのは父親との確執の影響とポルトガルメディアによって報じられた[4]。詳細はかつてアップロードされていたミゲルの公式Facebookのコメントによると父のアントニオは当時失業中に関わらず投資等で借金を負いミゲルの金を無断で使っただけでなく9歳下の妹ラクエルの将来の為の預金なども使い込んでいた事が判明した。そして母親のテレサが働き両親は2011年に30年間の結婚生活を終え離婚、ミゲルとラクエルは母について出て行った。借金の事以外でもかねてから母を見下していた事、3人子供がいるのに子供は2人しかいないように振る舞って弟を助ける事もなく気にもしていなかった事などを批判し「父はいない」と書かれていた[5]
  • その後もアントニオはミゲルの結婚の事も直接知らされていなかったなど険悪な状態は続いた。2014年1月に放映されたドキュメンタリー番組「FORA DE JOGO- António Veloso」ではアントニオの現役時代の写真や借金が原因での離婚後に金銭に困る様子、もう一人の息子ルイスと会っている様子が映し出された。放映後にはミゲルのFacebookにディナモ・キエフに移籍後は月40万ユーロの給料があるにも関わらず父親を援助しない批判のコメントが殺到したが同年5月にインタビュー番組「Alta Definição」に出演した際にミゲル自身は父親への批判を改めて口にした。

所属クラブ[編集]

ポルトガルの旗 CDオリヴァイス・イ・モスカヴィデ 2005-2006

個人成績[編集]

クラブでの成績[編集]

クラブ シーズン リーグ カップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
CDオリバイス・イ・モスカビデ 2005–06 28 7 0 0 - - 0 0 28 7
スポルティング・リスボン 2006–07 22 0 0 0 - - 5 0 27 0
2007–08 29 1 0 0 7 0 11 0 47 1
2008–09 21 0 0 0 1 0 7 1 29 1
2009–10 25 3 2 2 3 2 12 4 41 11
ジェノアCFC 2010–11 20 0 0 0 0 0 0 0 20 0
2011–12 29 2 0 0 0 0 0 0 29 2
通算 118 10 2 2 11 2 35 5 165 19

代表での得点[編集]

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 2009年10月14日 ポルトガルの旗 ギマランイス マルタの旗 マルタ 3–0 4–0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
2 2011年11月15日 ポルトガルの旗 リスボン ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ 5–2 6–2 UEFA EURO 2012予選プレーオフ

タイトル[編集]

クラブ[編集]

代表[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]