カルロス・ケイロス

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カルロス・ケイロス Football pictogram.svg
Iran vs. Montenegro 2014-05-26 (008).jpg
名前
ラテン文字 Carlos Queiroz
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル fanpage in instagram:http://instagram.com/carlos_brito_queiroz
生年月日 1953年3月1日(61歳)
出身地 モザンビークの旗 モザンビークナンプラ
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・ケイロス(Carlos Queiroz、1953年3月1日 - )は、モザンビークナンプラ出身でポルトガル国籍のサッカー指導者。

来歴[編集]

若くして現役を退き、指導者の道に進む。「黄金世代」と呼ばれたU-20ポルトガル代表を率いて1989年と1991年のFIFAワールドユース選手権を連覇した。その実績を買われてポルトガルA代表監督に就任したが、1994年FIFAワールドカップ出場を果たせず解任された。

1996年後半、アーセナルに移籍したアーセン・ベンゲルの後任として名古屋グランパスエイトの監督に就任。翌年のセカンドステージ途中まで率いた。

1999年、南アフリカ代表監督に就任。日韓ワールドカップのアフリカ予選を突破し出場権を獲得したものの、大会直前の2002年2月に解任された。2002年の秋にマンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチに就任。途中、2003年から2004年までレアル・マドリードの監督に就任したが、リーグ戦4位という成績と無冠に終わり解任される。解任後はマンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチに復帰した。

2008年から再びポルトガル代表監督を務め、南アフリカワールドカップではベスト16に進出した。しかし2010年5月、同チームへのドーピング検査に反発したことでポルトガルサッカー連盟およびアンチ・ドーピング機構からベンチ入り禁止処分を受け、処分期間中の同年9月に解任された[1]

2011年4月、イラン代表監督に就任。ブラジルワールドカップのアジア予選を突破し出場権を獲得した。2014年までの契約でイランのメヘル通信によると、推定年俸は約170万ドル(約1億4000万円)[2]

エピソード[編集]

2005-06年シーズンに限って、ルイス・フィーゴと共にモータースポーツであるA1グランプリのポルトガルチームのオーナーでもあった。

指導歴[編集]

関連項目[編集]

脚註[編集]

  1. ^ ポルトガル、ケイロス監督を解任 後任は未定 共同通信 2010年9月10日閲覧
  2. ^ 前ポルトガル代表監督のケイロス氏がイラン監督に スポーツニッポン 2011年4月4日閲覧