カルロス・ケイロス

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カルロス・ケイロス Football pictogram.svg
Iran vs. Angola 2014-05-30 (131).jpg
名前
ラテン文字 Carlos Queiroz
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 1953年3月1日(62歳)
出身地 モザンビークの旗 モザンビークナンプラ
選手情報
ポジション FW
ユース
チーム
1968-1974 モザンビークの旗 フェロヴィアリオ・デ・ナンプラ
監督歴
チーム
1989-1991 ポルトガルの旗 ポルトガル U-21
1991-1993 ポルトガルの旗 ポルトガル
1994-1996 ポルトガルの旗 スポルティング・リスボン
1996 アメリカ合衆国の旗 NY/NJメトロスターズ
1996-1997 日本の旗 名古屋グランパス
1998-1999 アラブ首長国連邦の旗 UAE
2000-2002 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
2002-2003 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド (アシスタントコーチ)
2003-2004 スペインの旗 レアル・マドリード
2004-2008 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド (アシスタントコーチ)
2008-2010 ポルトガルの旗 ポルトガル
2011-2015 イランの旗 イラン
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・ケイロス(Carlos Queiroz、1953年3月1日 - )は、モザンビークナンプラ出身でポルトガル国籍のサッカー指導者。

来歴[編集]

若くして現役を退き、指導者の道に進む。「黄金世代」と呼ばれたU-20ポルトガル代表を率いて1989年と1991年のFIFAワールドユース選手権を連覇した。その実績を買われてポルトガルA代表監督に就任したが、1994年FIFAワールドカップ出場を果たせず解任された。

1996年後半、アーセナルに移籍したアーセン・ベンゲルの後任として名古屋グランパスエイトの監督に就任。翌年のセカンドステージ途中まで率いた。

1999年、南アフリカ代表監督に就任。日韓ワールドカップのアフリカ予選を突破し出場権を獲得したものの、大会直前の2002年2月に解任された。2002年の秋にマンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチに就任。途中、2003年から2004年までレアル・マドリードの監督に就任したが、リーグ戦4位という成績と無冠に終わり解任される。解任後はマンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチに復帰した。

2008年から再びポルトガル代表監督を務め、南アフリカワールドカップではベスト16に進出した。しかし2010年5月、同チームへのドーピング検査に反発したことでポルトガルサッカー連盟およびアンチ・ドーピング機構からベンチ入り禁止処分を受け、処分期間中の同年9月に解任された[1]

2011年4月、イラン代表監督に就任。ブラジルワールドカップのアジア予選を突破し出場権を獲得した。2014年までの契約でイランのメヘル通信によると、推定年俸は約170万ドル(約1億4000万円)[2]

2015年3月20日、イラン代表監督を辞任した[3]

エピソード[編集]

2005-06年シーズンに限って、ルイス・フィーゴと共にモータースポーツであるA1グランプリのポルトガルチームのオーナーでもあった。

指導歴[編集]


関連項目[編集]

脚註[編集]