モンペリエHSC

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モンペリエHSC
原語表記 Montpellier Hérault Sport Club
愛称 MHSC, La Paillade
クラブカラー 青と橙
創設年 1919年
所属リーグ Ligue de Football Professionnel (LFP)
所属ディビジョン リーグ・アン
ホームタウン モンペリエ
ホームスタジアム スタッド・デ・ラ・モソン
収容人数 32,950
代表者 フランスの旗 ルイ・ニコラン
監督 フランスの旗 ローラン・クルビ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

モンペリエ・エロー・スポール・クルブMontpellier Hérault Sport Club)は、フランスモンペリエを本拠地とするサッカークラブチーム。

歴史[編集]

スタッド・デ・ラ・モソン

1919年、Stade Olympique de MontpellierSOモンペリエ)として創設。1927年にSports Olympiques Montpellierainsと名称を変更する。1929年にカップ戦で初優勝、1932年にプロチームとなる。1937年に発足当初のチーム名に戻している。

1969年、プロチームが廃止され、翌年Montpellier-Littoral FCとして再出発する。1974年、AS Pailladeと合併し、Montpellier La Paillade SCと改名する。1978年に再びプロチームとなり、1989年に現在の名称に変更された。

1980年代後半から1990年代の全盛期にはクラブ歴代最多得点者のローラン・ブランが在籍し、1989-90シーズンにはクープ・ドゥ・フランス優勝、1991-92シーズンにはクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝を果たした[1]。1989-90シーズンには1シーズンだけエリック・カントナが在籍し、1988年から1991年にはカルロス・バルデラマも在籍していた。また、2003-04シーズンには日本人の廣山望が所属していた。

2008-09シーズン、ローラン・クルビ監督に導かれたチームは5シーズンぶりのリーグ・アン昇格を果たした。昇格初年度の2009-10シーズンには、エミル・スパヒッチアルベルト・コスタなどリーグ・アンでは無名の選手たちが躍動し、シーズンの半分以上の期間をUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位以内で過ごすなど、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得する5位という好成績で終えた。2010-11シーズンには年間シーズンチケットの購入者数がクラブ史上初めて1万人を超え、ホームゲームでの平均観客数は2シーズン連続で1万5000人を超えた[1]。リーグ戦では14位に終わったが、クープ・ドゥ・ラ・リーグでは準決勝でパリ・サンジェルマンFCを破り、決勝でオリンピック・マルセイユに敗れたものの準優勝を果たした。2009年に就任したルネ・ジラール監督は若手を積極的に抜擢し、就任後にユネス・ベランダカリム・アイ=ファナアブデルアミド・エル・カウタリ(いずれもモロッコ代表)やマプ・ヤンガ=ムビワ(フランス代表)をA代表に送り出している。

2011-12シーズンの年間予算はわずか3500万ユーロ(約38億5000万円)であったが[2]、ジラール監督はジャメル・サイヒ、ヤンガ=ムビワ、ベランダなど下部組織出身の若手と、ジョフリー・デルニスイウトンなどのベテランと巧みに融合させた[3]。守備時は4-1-4-1もしくは4-4-1-1、攻撃時は4-3-3フォーメーションを基調とし[4]、手数をかけないサイドからの速攻を徹底[3]。2節でリーグ王者LOSCリール・メトロポールを撃破すると、開幕3連勝(8得点1失点)で首位に立ち、その後も1節を除いて2位以内をキープし続けた[5]。年明けにはパリ・サンジェルマンとの一騎打ちの様相を呈し[4]、2012年2月19日に行われた直接対決は引き分けに終わったが、29節のASサンテティエンヌ戦の勝利で同勝ち点ながら首位に浮上すると、37節のリール戦(1-0)は94分の決勝点で勝利し、前シーズンの王者相手にダブル(ホーム&アウェーともに勝利)を達成して優勝に近づいた[6]。引き分け以上で優勝が決定する最終節は20分にAJオセールに先制されたものの、ジョン・ウタカの2得点で逆転勝利して優勝を決めた。1990年のクープ・ドゥ・フランス以来のタイトル獲得であった。オリヴィエ・ジルーは21得点で得点王に輝き、ヤンガ=ムビワを中心とした守備陣はリーグ最少失点に抑えた。また、ベランダが選手組合(UNFP)選出の最優秀若手選手賞を受賞し、ジラール監督が最優秀監督賞を受賞した。

クラブ名遍歴[編集]

  • Stade Olympique de Montpellier (1919-1927,1937-1970)
  • Sports Olympiques Montpellierains (1927-1937)
  • Montpellier-Littoral FC (1970-1974)
  • Montpellier La Paillade SC (1974-1989)
  • Montpellier Hérault Sport Club (1989-現在)

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

2011-12
1945-46, 1960-61, 1986-87
  • DH Sud-Est: 3回
1928, 1932, 1976
1929, 1990
1992

国際タイトル[編集]

1999

過去の成績[編集]

  • 2000-2001 ディヴィジョン・ドゥ 3位 昇格
  • 2001-2002 ディヴィジョン・アン 13位
  • 2002-2003 リーグ・アン 16位
  • 2003-2004 リーグ・アン 20位 降格
  • 2004-2005 リーグ・ドゥ 8位
  • 2005-2006 リーグ・ドゥ 12位
  • 2006-2007 リーグ・ドゥ 15位
  • 2007-2008 リーグ・ドゥ 8位
  • 2008-2009 リーグ・ドゥ 2位 昇格
  • 2009-2010 リーグ・アン 5位
  • 2010-2011 リーグ・アン 14位
  • 2011-2012 リーグ・アン 1位 優勝
  • 2012-2013 リーグ・アン 9位

現所属選手[編集]

2014年7月13日現在
No. Pos. 選手名
1 フランスの旗 GK ローラン・ピオニエ
3 フランスの旗 DF ダニエル・コングレ
4 ブラジルの旗 DF ヴィトリーノ・イウトン (Captain sports.svg)
5 コートジボワールの旗 DF シアカ・ティエネ
6 フランスの旗 MF ヨリス・マルヴォー
7 フランスの旗 FW アントニー・ムニエ
8 フランスの旗 MF ジョナス・マルタン
9 フランスの旗 FW ケヴィン・ベリゴー
10 パラグアイの旗 FW ルーカス・バリオス
11 コロンビアの旗 FW ビクトル・モンターニョ
13 フランスの旗 DF ディラン・ギッシ
14 フランスの旗 MF ブライアン・ダボ
16 フランスの旗 GK ジェオフレ・ジュルドラン
17 フランスの旗 MF ポール・ラスン
18 モロッコの旗 FW カリム・アイ=ファナ
No. Pos. 選手名
19 セネガルの旗 FW スレイマン・カマラ
20 フランスの旗 MF モルガン・サンソン
21 モロッコの旗 DF アブデルハミド・エル・カウタリ
22 フランスの旗 DF ベンジャミン・スタンブリ
23 チュニジアの旗 MF ジャメル・サイヒ
24 ペルーの旗 FW ヘアン・デサ
25 フランスの旗 DF マチュー・デプラネ
26 モロッコの旗 DF ヤシン・ジェブール
27 フランスの旗 FW スティーヴ・ムニエ
28 フランスの旗 FW ジャメル・バカル
29 フランスの旗 MF ジャンニ・セラフ
30 フランスの旗 GK ジョナサン・リガリ
31 フランスの旗 FW カンタン・コルネット
32 フランスの旗 DF ニコラ・サン=ルフ
33 フランスの旗 MF アントニー・リベリン
監督

ローン移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
10 パラグアイの旗 FW ルーカス・バリオス (スパルタク・モスクワ)
out
No. Pos. 選手名

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「ハンドボール、ラグビーの町を変えつつある快進撃。今やサッカーが地元の誇り」、footballista、ソルメディア、2012年3月14日号、19頁
  2. ^ 『2011-2012 EUROPA SOCCER TODAY』、日本スポーツ企画出版社、2012年、92頁
  3. ^ a b 「”良い独裁者”の下で納得のクラブ戦略。今季は若返りにも成功」、footballista、ソルメディア、2011年11月23日号、14頁
  4. ^ a b 「モンペリエってどんなチーム?」、footballista、ソルメディア、2012年2月22日号、11頁
  5. ^ 「ノーマーク組の健闘 『金の卵』出現でモンペリエが上位維持」、footballista、ソルメディア、2012年1月4・11日合併号、16頁
  6. ^ 「決勝点は94分! モンペリエ劇的に、現王者下す」、footballista、ソルメディア、2012年5月23日号、29頁

外部リンク[編集]