ビクトル・モンターニョ

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ビクトル・モンターニョ Football pictogram.svg
Victor Montano.jpg
名前
本名 ビクトル・ウーゴ・モンターニョ・カイセド
Víctor Hugo Montaño Caicedo
ラテン文字 Víctor Montaño
基本情報
国籍 コロンビアの旗 コロンビア
フランスの旗 フランス
生年月日 1984年5月1日(29歳)
出身地 コロンビアの旗 サンティアゴ・デ・カリ
身長 177cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム フランスの旗 モンペリエHSC
ポジション CF, 右WG
背番号 29
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2004 コロンビアの旗 ミジョナリオス 44 (6)
2004-2005 フランスの旗 イストル 33 (2)
2005-2010 フランスの旗 モンペリエ 159 (43)
2010-2013 フランスの旗 レンヌ 71 (16)
2013- フランスの旗 モンペリエ 9 (4)
代表歴
2003 コロンビアの旗 コロンビア U-20 6 (0)
2011 コロンビアの旗 コロンビア 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年10月8日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ビクトル・ウーゴ・モンターニョ・カイセドVíctor Hugo Montaño Caicedo, 1984年5月1日 - )は、コロンビアサンティアゴ・デ・カリ出身のサッカー選手。元コロンビア代表リーグ・アンモンペリエHSC所属。ポジションはセンターフォワード及び右ウィング

経歴[編集]

クラブ[編集]

初期[編集]

サンティアゴ・デ・カリで生まれ、18歳の時にボゴタミジョナリオスFCでプロキャリアを開始したモンターニョは、大きな期待を背負って2004年6月26日に弱冠20歳でフランス1部の昇格組FCイストルと1年契約を締結[1]。欧州初上陸となった2004-05シーズンは中心選手として33試合2得点を挙げるも、チームの2部降格を防ぐことが出来なかった。

モンペリエ[編集]

イストルの降格に伴い、同僚と共に同2部のモンペリエHSCへと売却されたモンターニョは、強力な右足と素晴らしい能力で名前が知れ渡るようになり[2]、4季後の2008-09シーズンに首位のRCランスと勝ち点差2で昇格を果たした。また、個人としては得点王のグレゴリー・ティル英語版から3点差の15得点7アシストを記録する[3]活躍をみせ、ベストイレブンに輝いた。

昇格1季目ながらも、チームはUEFAチャンピオンズリーグ圏内まで勝ち点差2の勝ち点69で5位と躍進。個人としては共に昇格したランス、USブローニュとのアウェーで得点、2009年11月22日のLOSCリール・メトロポール戦(2-0)で2得点、さらに、12月23日には強豪オリンピック・リヨン戦(2-1)で長距離から先制点を挙げる[4]等、84本のシュートを放ち11得点3アシストを記録した[5]

レンヌ[編集]

モンペリエでの成功を収めた5季を過ごした後にステップアップを目指していたモンターニョと、ジミー・ブリアンをリヨン、アサモア・ギャンサンダーランドAFCへ売却したことで前線の補強が急務となったスタッド・レンヌFCの思惑が合致[6][7]したため、移籍金650万ユーロで同クラブと4年契約を締結した[8]。2010年8月14日にASナンシーとの2010-11シーズン開幕戦(3-0)で移籍後初出場を飾ると、同試合で先制点を挙げ、さらにヤシン・ブラヒミの得点をアシストをして勝利に貢献[9]と加入してすぐさまに衝撃を与えた。2011年1月9日に3部ASカンヌ戦(7-0)で2得点を記録した[10]

2011年1月29日のFCソショー戦(1-5)で大敗する場面があったものの、トップ5位圏内を維持する好調なチームの中にあって、モンターニョ自身も3試合連続得点を挙げるなど非常に尽力していた。まず、2月13日のOGCニース戦(2-0)で降格の危機にあえぐ相手に得点を挙げ、次のトゥールーズFC戦(2-1)で88分に決勝点となるペナルティーキック、2月26日のランス戦(2-0)でラザク・ブカリの得点に続いて得点を挙げた。この勝利によりLOSCリール・メトロポールを抜きリーグ戦首位となった[11]ものの、以降は5月15日にジェローム・ルロワ英語版でのASサンテティエンヌ戦で決勝点、5月29日の王者リール戦と残り13試合で2得点と不振に終わり、また、チームも下降線を辿っていき最終的にUEFAヨーロッパリーグ予選圏内の6位で終わった。しかしながら、同2010-11シーズンのモンターニョは攻撃陣の要としてリーグ戦で31試合出場9得点4アシストを記録した[5]

2季目も同様に多くの試合で先発出場をした。UEFAヨーロッパリーグ予選3回戦でグルジア1部FCメタルルギ・ルスタヴィ英語版との第2戦で75分にシーズン初得点を記録、その10分後にジュリアン・フェレ英語版が追加点を挙げ、2試合合計7-2で勝利した。また、リーグ戦の方では、昇格組のディジョンFCOとの開幕戦で(5-1)1得点1アシストを挙げている[12]

2011年8月18日にセルビア1部レッドスター・ベオグラードとのUEFAヨーロッパリーグ・プレーオフ第1戦で75分に決勝点を挙げると、第2戦では試合開始10分に先制点を挙げ、後半途中にステファヌ・ダルマと交代するまでプレーした。第2戦目は4-0で勝利し、2試合合計6-1で本大会進出が決定。9月18のASナンシー戦(1-1)でコンビを組むジョナサン・ピトロイパのパスから19分に先制点を決めた。2012年5月20日のシーズン最終節では、既に降格が決定しているディジョン戦(5-0)で9分に先制点を挙げている。

過去2季に渡り定期的にプレーしていたものの、3季目ではメブリュト・エルディンチに定位置を明け渡してしまうと、さらに、初先発を飾った2012年9月16日のFCロリアン戦で試合中に右足を骨折してしまった[13]。負傷により3ヶ月の間でプレー出来ない日々が続く中、2012年12月22日のACアジャクシオ戦でついに復帰を果たすも、2013年1月3日の練習中に同じ箇所を負傷したことで再発してしまい離脱が決定[14]。この2度の負傷の影響もあり、最終的に出場10試合中で先発出場は僅か3試合にとどまった。

モンペリエ復帰[編集]

2013年8月7日に古巣モンペリエと契約したことが発表された[15]

代表[編集]

U-20時代には、アラブ首長国連邦で開催された2003 FIFAワールドユース選手権の中心選手として6試合2得点を記録し、チームを3位入賞の躍進に貢献。ただし、U-20アルゼンチンを破った3位決定戦には出場していない[16]

2008年12月29日にFIFA非加盟であるカタルーニャ選抜との親善試合に出場。2011年2月9日のスペイン戦に向けてエルナン・ダリオ・ゴメスen)監督の下で初招集されるも、後に負傷により一員から外されている[17]。同年3月末のエクアドルチリとの親善試合で再招集され[18]、エクアドル戦(2-0)でA代表初出場にして初先発を飾った。

私生活[編集]

主婦である母親と数学教師の父親の下で5人兄弟の末っ子に生まれたモンターニョは、2004年からフランスに移住して以降で結婚して一人娘を持ち、2012年11月29日にフランスの市民権を取得。なお、コロンビア国籍を所持したままのため二重国籍となっている[19]

タイトル[編集]

個人

脚注[編集]

外部リンク[編集]