モンペリエ

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モンペリエ
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フランス
地域圏 (Région) ラングドック=ルシヨン地域圏
(地域圏首府)
(département) エロー県
(県庁所在地)
郡 (arrondissement) モンペリエ郡
(郡庁所在地)
小郡 (canton) 10小郡庁所在地
INSEEコード 34172
郵便番号 34000, 34070, 34080, 34090
市長
任期
エレーヌ・マンドロー
2004年-2008年
面積 56,88 km²
人口 244 300 人
(2005年)
人口密度 4 291 人/km²
Carte de localisation de モンペリエ
Image:Transparent3x3.gif

モンペリエMontpellier)は、フランスの南部に位置する都市で、ラングドック=ルシヨン地域圏首府であり、エロー県県庁所在地である。 モンペリエ大学の所在地として、中世からの学園都市である。 モンプリエと発音、記載する例もある。

目次

[編集] 地理

 地中海から10km、ガール県の県庁所在地ニームから54km、マルセイユからは168km、トゥールーズから248km、パリからは750kmである。  旧市街西端のペイルー公園の海抜は57m。

[編集] 気候

 典型的な地中海性気候である。雨は少なく、夏は乾燥する。ただし降雨の際はまとまって強く降る。

 1日の平均日照時間は7h22min.であり、フランス平均の4h46min.を大きくしのぐ。

--最高気温--

1月~5月 : 10°C ~ 22°C

6月~9月 : 25°C ~ 29°C

10月~12月:10°C ~ 20°C

--最低気温--

1月~5月 : 1°C ~ 9°C

6月~9月 : 15°C ~20°C

10月~12月: 0°C ~14°C

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[編集] 歴史

985年にMelgueil (Mauguio)の伯爵の記録に初めてMontpellierの表記が表れる。近隣のニームナルボンヌベジエなどがローマ時代から都市として成立していたのに対し、モンペリエの領地としての登場は遅い。中世初期には領主Guilhemとマグローヌ(Maguelone)の司教のもとで人口を増やした。また、サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の通り道としても栄えた。

1220年に成立した医学校は、1289年に法学部とともにモンペリエ大学として教皇ニコラウス4世の承認を受ける。医学部は現在もカテドラル(w:fr:Cathédrale Saint-Pierre de Montpellier)に隣接した校舎を使用している。 婚姻などによりアラゴン王、マジョルカ王などの支配下に入った後、1349年にフランス王国に売却、併合された。このころはかなり繁栄していたが、疫病により一旦衰退の時期を迎える。15世紀に入ると天才商人ジャック・クール(w:fr:Jacques Cœur)が、隣接するラット(w:fr:Lattes)の港を活用したため貿易拠点として隆盛を極める。

16世紀には宗教戦争の戦乱のなか、プロテスタントが多数を占め、カトリックの教会はカテドラル以外のほとんどが破壊された。その後アンリ4世によるナントの勅令によりつかの間の平和を享受したものの、ルイ13世の治世以降は、プロテスタントは衰え、カトリック勢力が支配的となった。大革命にかけての平穏な時期に、水道橋、凱旋門、コメディー広場などが建設されていった。19世紀にはワイン栽培や織物業などのブルジョワ文化が栄え、裁判所、駅など旧市街のほとんどの建物が今の姿になる。 第2次世界大戦では1944年に5回にわたりアメリカ軍の爆撃を被った。しかし旧市街は今でも19世紀の姿を良く留めている。

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[編集] 外部リンク

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