ダヴィデ・バッラルディーニ
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | ダヴィデ・バッラルディーニ | |||||
| ラテン文字 | Davide Ballardini | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1964年1月6日(49歳) | |||||
| 出身地 | ||||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ダヴィデ・バッラルディーニ(Davide Ballardini, 1964年1月6日 - )は、イタリア・ラヴェンナ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。
経歴 [編集]
選手としてACチェゼーナで主にキャリアを過ごし、オズワルド・バニョーリ、アリゴ・サッキらの影響を受ける。引退後、ボローニャFC、パルマFCなどで経験を積んだ後、2004年にセリエC1のサンベネデッテーゼ監督に就任。
2005年にはセリエAのカリアリ監督に就任するが成績不振のため数試合で解任される。
2007年12月28日にネド・ソネッティの後任として再びカリアリ監督に就任すると、ロベルト・アクアフレスカを軸にチームを建て直し、残留を果たす。
2008年9月5日、ステファノ・コラントゥオーノの後任としてパレルモの監督に途中就任すると、エディンソン・カヴァーニ、ファビオ・シンプリシオらを主軸に優れたチームを作る。シモン・シェアーら若手も台頭したものの、結局8位に終わって1シーズンで退団。
2008-09シーズン終了後、デリオ・ロッシの後任としてラツィオの監督に就任した(後にロッシは入れ替わる様にしてパレルモの監督に就任)。スーペルコッパでインテル・ミラノを破り優勝を果たす。しかし、クラウディオ・ロティート会長と対立するゴラン・パンデフ、クリスティアン・ダニエル・レデスマらが出場を禁止されたために戦力が限られ、苦戦が続いた。第23節カルチョ・カターニア戦にて、ホームゲームながら0-1の敗北を喫してチームは降格圏へ転落し、2010年2月10日に解任された。
2010年11月8日、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後任としてジェノアCFC監督に就任。前任者が用いていた3-4-3システムからオーソドックスな4-4-2システムに変更したが、チームの成績は安定せず結局10位に終わり1年で退任した。
2011年11月9日、マッシモ・フィッカデンティの後任として三度カリアリの監督に就任したが、翌年3月11日に解任された。
2013年1月20日、ルイジ・デル・ネーリの後任として再びジェノアの監督に就任した。
指導歴 [編集]
パルマFC(ユースコーチ) 2002-2004
サンベネデッテーゼ 2004-2005
カリアリ 2005
ペスカーラ 2006
カリアリ 2007.12-2008.5
パレルモ 2008.9-2009.6
ラツィオ 2009.7-2010.2
ジェノア 2010.11-2011.6
カリアリ 2011.11-2012.3
ジェノア 2013.1-
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