ワルテル・ゼンガ

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ワルテル・ゼンガ
2016年のゼンガ
名前
ラテン文字 Walter Zenga
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
 ルーマニア
生年月日 (1960-04-28) 1960年4月28日(63歳)
出身地 ミラノ
身長 188cm
体重 84kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1969-1971 イタリアの旗 マカッレシ
1971-1978 イタリアの旗 インテル・ミラノ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1994 イタリアの旗 インテル・ミラノ 328 (0)
1978-1979 イタリアの旗 サレルニターナ (loan) 3 (0)
1979-1980 イタリアの旗 サヴォーナ (loan) 23 (0)
1980-1982 イタリアの旗 サンベネデッテーゼ (loan) 67 (0)
1994-1996 イタリアの旗 サンプドリア 41 (0)
1996-1997 イタリアの旗 パドヴァ 21 (0)
1997-1999 アメリカ合衆国の旗 ニューイングランド・レボリューション 47 (0)
通算 530 (0)
代表歴
1984-1986  イタリア U-21 15 (0)
1987-1992 イタリアの旗 イタリア 58 (0)
監督歴
1998-1999 アメリカ合衆国の旗 ニューイングランド・レボリューション
2000-2001 イタリアの旗 ブレーラ
2002-2003 ルーマニアの旗 ナツィオナル・ブカレスト
2004-2005 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト
2005-2006 セルビア・モンテネグロの旗 レッドスター・ベオグラード
2006-2007 トルコの旗 ガズィアンテプスポル
2007 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン
2007 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト
2008-2009 イタリアの旗 カターニア
2009-2010 イタリアの旗 パレルモ
2010 サウジアラビアの旗 アル・ナスル
2011-2013 アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスル
2013-2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ
2015 イタリアの旗 サンプドリア
2015–2016 アラブ首長国連邦の旗 アル・シャアブ
2016 イングランドの旗 ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
2017-2018 イタリアの旗 クロトーネ
2018-2019 イタリアの旗 ヴェネツィア
2020 イタリアの旗 カリアリ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ワルテル・ゼンガ(Walter Zenga, 1960年4月28日 - )は、イタリアロンバルディア州ミラノ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー

クラブ経歴[編集]

9歳の時、友人のクラウディオ・アンブ英語版にGKを探していたマカレージの練習に連れていかれたことから、GKとしてサッカーを始めた[1]

1971年、11歳でインテルの下部組織に加入した[2]。1978年にサレルニターナ、1979年にサヴォーナ、1980年から2シーズンはサンベネデッテーゼへとそれぞれ貸し出された[1]。サンベネデッテーゼでの活躍により、1982-83シーズンからインテルへと複帰したが、このシーズンはイタリア代表GKであったイヴァノ・ボルドンの控えだった[1]

1983-84シーズン、9月11日のサンプドリア戦でセリエAデビュー[1]。以降、不動の守護神として活躍[3]、スパイダーマンの異名を取るなど[2]、サポーターから人気を集めた。1988-1989シーズン、9年ぶりとなるスクデット獲得に貢献した。また1990-91シーズン、1993-94シーズンと2度UEFAカップを制した[2]。インテルでは通算471試合に出場[3]、2018年にはGKとして初のチーム殿堂入りを果たした[2]

1994-95 シーズンに当時イタリア代表の正GKであった、ジャンルカ・パリュウカとトレードされる形でサンプドリアへ移籍した[4]。1995-96シーズン、十字靱帯断裂により殆どの試合を欠場した[1]。1996-97シーズン、セリエBのパドヴァでプレーしたのを最後にイタリアを離れた。

1997年から、創設されたばかりのアメリカMLSニューイングランド・レボリューションでプレーし、2度MLSオールスターのメンバーに選出された。1999年に現役を引退した。

代表経歴[編集]

イタリア代表としては58試合に出場[2]、1986年のメキシコW杯では第3GK扱いで出場機会は無かった[1]

アゼリオ・ビチーニ監督の下で正GKの座を掴み1988年の欧州選手権のベスト4、1990年のイタリアW杯では連続無失点記録(517分)を打ち立てるなど[2]3位入賞に貢献し、1990年のバロンドール投票では第12位となるなどの活躍を見せていた[2]。しかし大会中、準決勝のアルゼンチン戦では、ロングボールに対しての判断ミスもあって、クラウディオ・カニーヒアにゴールを許して同点とされ、PK戦の末敗戦した[5]

1992年にアリゴ・サッキ監督が就任すると、1992年6月4日USカップのアイルランド戦への出場を最後に[6]、2度と代表に招集される事は無かった。

指導者歴[編集]

2015年6月4日、サンプドリアの監督に就任した[7]

2016年7月30日ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCの監督に就任した。

2017年12月8日FCクロトーネの監督に就任した。

その他[編集]

ユヴェントスのGKであったステファノ・タッコーニ とのライバル関係がよく知られているが、「それらはメディアが勝手につくりあげたものである。」と話した[1]

タイトル[編集]

選手時代[編集]

インテルナツィオナーレ・ミラノ
個人

監督時代[編集]

FCステアウア・ブカレスト
レッドスター・ベオグラード

栄誉[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Walter Zenga, l'inossidabile 'Uomo ragno': l'Inter come una fede, il record ai Mondiali, le esperienze da allenatore”. GOAL (2022年4月28日). 2023年8月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g INTER HALL OF FAME: 5 THINGS YOU MAY NOT KNOW ABOUT WALTER ZENGA”. www.inter.it. 2020年8月27日閲覧。
  3. ^ a b Walter Zenga”. www.inter.it. 2020年8月27日閲覧。
  4. ^ PROCESSO A ZENGA LEADER PERDUTO”. ricerca.repubblica.it. 2020年8月27日閲覧。
  5. ^ Italia '90 fa ancora arrabbiare Zenga: "Il mio errore su Caniggia non fu decisivo"”. GOAL (2014年11月25日). 2023年9月6日閲覧。
  6. ^ Walter Zenga National team”. www.transfermarket.com. 2020年8月12日閲覧。(イタリア語)
  7. ^ U.C. Sampdoria Zenga sbarca a Genova «Quanta emozione, finalmente sono tornato!»”. U.C. Sampdoria (2015年6月4日). 2015年8月12日閲覧。(イタリア語)

外部リンク[編集]