ロドリゴ・パラシオ

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ロドリゴ・パラシオ Football pictogram.svg
名前
本名 Rodrigo Sebastián Palacio
ロドリゴ・セバスティアン・パラシオ
愛称 ラ・ホジャ(宝石)
エル・ラジョ(雷)
ラ・ペルラ(真珠)
ラテン文字 Rodrigo PALACIO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 1982年2月5日(32歳)
出身地 バイアブランカ
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 インテルナツィオナーレ・ミラノ
ポジション FW (CF)
背番号 8
利き足 右足
ユース
1990-2002 アルゼンチンの旗 ベジャ・ビスタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2003 アルゼンチンの旗 ウラカン 53 (15)
2003-2005 アルゼンチンの旗 バンフィエルド 36 (9)
2005-2009 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 131 (54)
2009-2012 イタリアの旗 ジェノア 90 (35)
2012- イタリアの旗 インテル・ミラノ 63 (29)
代表歴2
2005- アルゼンチンの旗 アルゼンチン 22 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月28日現在。
2. 2014年6月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロドリゴ・セバスティアン・パラシオRodrigo Sebastián Palacio, 1982年2月5日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州バイアブランカ出身のサッカー選手。ポジションはフォワードセリエAインテルナツィオナーレ・ミラノ所属。

来歴[編集]

クラブ[編集]

キャリア初期

地元のクラブでサッカーを始め、2002年に当時4部リーグに所属していたウラカン・デ・トレス・アローショスでプロデビュー。翌2003年にCAバンフィエルドへと移籍し、プリメーラ・ディビシオン初出場。2004年初めにはスペインのレアル・ベティスの練習に参加し、移籍に近づいたが、残留を選択した。

ボカ・ジュニアーズ

2005年にボカ・ジュニアーズに移籍。以降はスタメンとして絶対的なポジションを築き、多くのタイトル獲得に貢献。2006年前期リーグでは得点王に輝く。2007年12月にはクラブワールドカップ出場のため来日[1]。決勝のACミラン戦では一時は同点となるゴールを決めたが、チームは2-4で敗れ準優勝に終わった。2008年後半は恥骨炎に苦しんだが、アルセナルFCとの対戦となったレコパ・スダメリカーナ決勝では両レグでゴールを挙げ、チームの優勝に貢献した。

ボカ在籍時はたびたびヨーロッパへの移籍が噂され、2006年と2008年にはFCバルセロナ[2][3]、2009年にはユヴェントスベンフィカが獲得に乗り出している[4]

ジェノア

2009年7月、イタリアのジェノアへ移籍金700万ドルで移籍[5]。2009年11月5日のリール戦(ヨーロッパリーグ)で移籍後初ゴールを決める。移籍したディエゴ・ミリートの後継者として1年目から定位置を確保すると、在籍3シーズンでリーグ戦90試合に出場し、35ゴールを挙げた。特に3年目はチームが残留争いに巻き込まれる中で19ゴールを決めている。

インテル

2012年6月、インテルへの移籍が発表された[6]。契約期間は3年で移籍金は1100万ユーロ(推定)。

代表[編集]

アルゼンチン代表デビューは2005年3月9日のメキシコ代表戦。ホセ・ペケルマン監督により2006年ドイツW杯のメンバーに選ばれ、グループリーグの3試合に途中出場した。代表初ゴールは2008年6月15日の南米予選ベネズエラ戦。ホームでの敗戦が迫ったロスタイムに同点ゴールを決めた。

人物[編集]

  • トレードマークである右後頭部の三つ編みはウラカン・デ・トレス・アローショス時代に長髪だった頃の名残。あるとき、一部分のみ残して試合に臨んだところゴールが決まるようになったためゲンを担いでそのまま伸ばして続けている。
  • ギジェルモ・バロスケロットを崇拝し、シュートセンスは彼から盗んだものだという。
  • 父親も元プロサッカー選手であり、ポジションはストライカーであった。
  • 2012年12月18日のコッパ・イタリアエラス・ヴェローナFC戦で負傷したルカ・カステラッツィに代わり残り10分間ゴールキーパーを務め、枠内シュートを弾くなど活躍し、完封勝利に貢献した[7]

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

ボカ
個人タイトル
  • アルゼンチン前期リーグ得点王(2006年)

脚注[編集]

外部リンク[編集]