ライアン・ギグス
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| ライアン・ギグス | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | ライアン・ジョゼフ・ギグス | |
| 愛称 | ジャックナイフ、ギグシー | |
| ラテン文字 | Ryan Joseph Giggs | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1973年11月29日(35歳) | |
| 出身地 | カーディフ | |
| 身長 | 180cm | |
| 体重 | 74kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF、FW | |
| 背番号 | 11 | |
| 利き足 | 左足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1990- | 563(103) | |
| 代表歴2 | ||
| 1991-2007 | 64(12) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年5月24日現在。 2. 2008年11月15日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ライアン・ジョゼフ・ギグス OBE(Ryan Joseph Giggs OBE、1973年11月29日 - )はウェールズのカーディフ出身のサッカー選手。マンチェスター・ユナイテッド所属。ポジションはMFで左右のWGとしてプレーしている。元ポルトガル代表のルイス・フィーゴと共に90年代最高のWGプレイヤーと評される。元ウェールズ代表。
目次 |
[編集] 経歴
元々はマンチェスター・シティユースに所属していたが、14歳の時マンチェスター・ユナイテッドユースに移籍。1991年のエヴァートン戦でプロデビューした。「ファーギー・ベイブズ」と呼ばれ、ユース時代からの同僚であるデイヴィッド・ベッカム、ガリー・ネヴィル、フィリップ・ネヴィル、ポール・スコールズ、ニッキー・バット等と共にマンチェスター・ユナイテッドの黄金期を作り、不動の左WGとしてイングランド・プロサッカー選手協会の年間最優秀若手選手賞を2回(1992年、1993年)獲得している。最も印象的なゴールは、トレブル(プレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグの三冠)を達成した1998年FAカップ準決勝、再試合のアーセナル戦で、60mのドリブルから放たれたシュートは今でもファンの間で語り草になっている。2005-2006シーズンはロイ・キーンが突然退団したため、セントラルミッドフィルダーとしてプレーする機会も多かった。近年はさすがにスピードも衰え、昔と比べるとボールを奪われるシーンが多くなってきたが、未だ衰えない高い技術と豊富な経験に基づく試合運びによってチームの勝利に貢献し続けている。2007-2008シーズンの最終戦ウィガン・アスレティック戦において、途中出場によりボビー・チャールトンのクラブ最多出場記録758に並び、更に優勝を決定的とするゴールを決めて自らの記録に花を添えた。その10日後のUEFAチャンピオンズリーグ 2007-08決勝戦チェルシーFC戦において、ついに単独1位となる759試合出場を果たし、ユナイテッドのレジェンドの1人となった。現在もクラブ最多出場記録を更新中。なお、CL2009の準決勝1stLegのアーセナル戦でクラブ最多出場記録800試合を達成。
1991年のドイツ戦で当時ウェールズ代表最年少記録となる17歳と321日でデビュー(2006年にルーウィン・ニャタンガに記録を更新されている)。通算64試合出場12得点。彼の本職は左サイドだが、代表晩年にはFWとして招集されていた。2007年6月2日のEURO2008予選のチェコ戦をもって代表を引退している。2008年12月のクラブワールドカップでは初戦ガンバ大阪戦で別次元のパス精度を見せ付けた。
[編集] 人物
父親がイングランド人のラグビープレイヤーとちまたでは言われているが、それは間違いで本人の公式サイトによると両親や祖父母は共にウェールズの生まれでギグスが幼少の頃に両親と共にイングランドに移住。父の家庭内暴力で離婚したため、母方の苗字を名乗っている。また父方がシエラレオネの血を引いており、子供の頃差別に苦しんだと告白している。
イングランド代表の左サイドの人材難から、彼の才能に敬意を表し、もしイングランド代表なら…と考えるイングランド人は非常に多く、メディアでもしばしば話題にのぼる。これについてギグスは「何度過去にさかのぼっても、ウェールズ代表を選ぶだろう」と答えている。
このように「イングランドを選べたのでは」と言われる原因は、学生時代にイングランドの男子学生達のチームの主将をしておりイングランドから出ているので国籍を所有していると勘違いしている人も多いからだと思われる。実際はイングランド国籍は必要ない試合だった。
[編集] プレースタイル
同時期、共に世界最高のドリブラーと言われていたフィーゴがテクニックを駆使した曲線的なドリブルだったのに対し、ギグスは鋭い切り返しと一瞬のスピードで抜き去る直線的なドリブルだった。特にその切り返しを形容して「ジャックナイフ」と称される。ギグスはオールドタイプの直線的なドリブル志向で、鋭利にして華麗な姿から「ジョージ・ベストの再来」ともいわれた。
左利きだが右足でのゴールも多く、攻撃の際は両サイド、中央と幅広くポジションチェンジを繰り返すのも特徴である。WGだけでなくFWで起用されるとシーズン二桁得点を記録しており、その突破力はサイドだけに活きるものではない。スピードが衰えはじめてから更にキックの精度が増した感があるが、左右どちらのサイドでも左足に持ち替えるように切り返して精度の高いセンタリングを上げる。現役選手が選ぶクロスの最も上手い選手に選ばれたこともある。また、試合ではCKも任されている。
近年では、スピードの衰えもありかつてのようなドリブル突破は見られなくなったが、怪我人続出のチーム事情からセンターハーフでの出場も増え、中盤でのプレーもそつなくこなす一面も見せている。
[編集] エピソード
- デイヴィッド・ベッカムはギグスがイングランド北西部・ワースリーに住んでいた頃からの付き合いがある親友。
- 実は飛行機恐怖症でアウェーゲームで活躍できないのはそれが一因と噂される。
- 趣味はビリヤードでかなりの腕らしい。
- 4歳下の弟、ロードリ・ギグスもサッカー選手で、ポジションは右サイドハーフ。
- 14歳でマンチェスター・ユナイテッドのユースの入団試験を受けたが、その様子を目にしたアレックス・ファーガソンは自身の著書『マネージング・マイ・ライフ』の中で「彼を目にして、監督になって以来流してきた汗と欲求不満と惨めさがすべて吹き飛んだ。めったに得ることができないかけがえのない瞬間だった。川も山もすべてさらった後に、突然金塊を前にしていることに気づいた金掘りだって、その日ギグスを目にした私ほど幸せではなかったにちがいない。 …(中略)… いま振り返っても、私の13年間のオールド・トラフォードでの日々に対してユナイテッドが支払った給料は、ライアンを確保したという一点のみで正当化されると確信している」と最大限の賛辞を贈っている。
[編集] 個人成績
| 所属クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ | FAカップ | リーグカップ | CL[1] | その他[2] | 期間通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | 出場数 | 得点 | |||
| マンチェスター・ユナイテッド | 1990–91 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | |
| 1991–92 | 38 | 4 | 3 | 0 | 8 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 51 | 7 | ||
| 1992–93 | 41 | 9 | 2 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 46 | 11 | ||
| 1993–94 | 11 | 38 | 13 | 7 | 1 | 8 | 3 | 4 | 0 | 1 | 0 | 58 | 17 | |
| 1994–95 | 11 | 29 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | 0 | 40 | 4 | |
| 1995–96 | 11 | 33 | 11 | 7 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 44 | 12 | |
| 1996–97 | 11 | 26 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 1 | 0 | 37 | 5 | |
| 1997–98 | 11 | 29 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 37 | 9 | |
| 1998-99 | 11 | 24 | 3 | 6 | 2 | 1 | 0 | 9 | 5 | 1 | 0 | 41 | 10 | |
| 1999-00 | 11 | 30 | 6 | – | 0 | 0 | 11 | 1 | 3 | 0 | 44 | 7 | ||
| 2000-01 | 11 | 31 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 11 | 2 | 1 | 0 | 45 | 7 | |
| 2001-02 | 11 | 25 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 13 | 2 | 1 | 0 | 40 | 9 | |
| 2002-03 | 11 | 36 | 8 | 3 | 2 | 5 | 0 | 15 | 4 | 0 | 0 | 59 | 14 | |
| 2003-04 | 11 | 33 | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 1 | 0 | 47 | 8 | |
| 2004-05 | 11 | 32 | 5 | 4 | 0 | 1 | 1 | 6 | 2 | 1 | 0 | 44 | 8 | |
| 2005-06 | 11 | 27 | 3 | 2 | 1 | 3 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 37 | 5 | |
| 2006-07 | 11 | 30 | 4 | 6 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 44 | 6 | |
| 2007-08 | 11 | 31 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 1 | 1 | 43 | 4 | |
| 2008-09 | 11 | 28 | 2 | 2 | 0 | 4 | 1 | 11 | 1 | 2 | 0 | 46 | 4 | |
| 期間通算 | 563 | 103 | 64 | 10 | 34 | 8 | 129 | 26 | 16 | 1 | 806 | 148 | ||
- ^ 95-96シーズンはUEFAカップ。
- ^ その他とはコミュニティーシールド, UEFAスーパーカップ, インターコンチネンタルカップ, FIFAクラブワールドカップのこと。
2008年5月28日現在
[編集] 獲得タイトル
- クラブ
- プレミアリーグ:1992-93、1993-94、1995-96、1996-97、1998-99、1999-00、2000-01、2002-03、2006-07、2007-08、2008-09
- FAカップ:1994、1996、1999、2004年
- フットボールリーグカップ:1992、2006、2009年
- FAコミュニティーシールド:1993、1994、1996、1997、2003、2007、2008年
- UEFAスーパーカップ:1991年
- UEFAチャンピオンズリーグ:1999、2008年
- インターコンチネンタルカップ:1999年
- FIFAクラブワールドカップ:2008年
- 個人
- PFA年間最優秀若手選手賞:1992、1993年
- ブラヴォー賞:1993年
- BBCウェールズ・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー:1996年
- サー・マット・バスビー年間最優秀選手賞:1997-98
- インターコンチネンタルカップMVP:1999年
- プレミアリーグ10周年記念ベストイレブン(1993-03):2003年
- イングランドサッカー殿堂:2005年
- ウェールズ年間最優秀選手賞:1996、2006年
- プレミアリーグ月間最優秀選手賞:1993年9月、2006年8月、2007年2月
- PFAベストイレブン(1997-07):2007年
- PFA年間ベストイレブン:1993、1994、1995、1996、1998、2001、2007、2009年
- PFA年間最優秀選手賞:2009年
[編集] 外部サイト
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| マンチェスター・ユナイテッドFC - 現所属メンバー |
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