デニス・ベルカンプ
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| デニス・ベルカンプ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | デニス・ニコラース・マリア・ベルカンプ | |
| 愛称 | アイスマン、king of trap | |
| カタカナ | デニス・ベルカンプ | |
| ラテン文字 | Dennis BERGKAMP | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1969年5月10日(40歳) | |
| 出身地 | アムステルダム | |
| 身長 | 187cm | |
| 体重 | 81kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 1990–2000 | 79 (37) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
デニス・ベルカンプ(Dennis Nicolaas Maria Bergkamp、1969年5月10日 - )は、オランダ・アムステルダム出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。「アイスマン」のニックネームを持つ。
目次 |
[編集] プレースタイル
華麗なプレーで知られる稀代の天才プレイヤー。洗練された技術,精密なイマジネーションで試合を支配する。並外れたテクニックと強靱なフィジカルから極めて高いボールキープ力を有し,優雅かつ決定的なスルーパスで幾度となくチームに勝利をもたらした。 最前線ではなくいわゆる1.5列目を得意とし、ドリブル、ラストパス、シュートのいずれも世界屈指の完成度を誇った。ロベルト・バッジョにも似たその全能性が「世界最高のセカンドトップ」とも称される所以である。ボールコントロールに関しては天下一品の技術を誇り、アーセナル時代の恩師であるアルセーヌ・べンゲルは「上空から落ちてくるボールをトラップし次の動作に移行する巧さで、彼の右に出る者はいない。」と絶賛した。
[編集] 略歴
ヨハン・クライフに才能を見出され1986年、17歳でトップチームにデビュー。アヤックスで1990年から3年連続得点王に輝き、リーグ優勝、UEFAカップ優勝などに貢献。
その後、インテル(セリエA)に移籍したが能力を発揮できず、1995年にアーセナル(FAプレミアリーグ)に移籍しチームの中心として活躍。97~98シーズン、01~02シーズンの二冠等に貢献。1998年フランスワールドカップのアルゼンチン代表戦や01年プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッド戦など伝説的なゴールを数多く挙げ、パトリック・クライファートが2003年に更新するまでオランダ代表の最多得点記録も保持していた。
FIFAワールドカップには、94年アメリカ大会、1998年フランス大会の計12試合に出場し6得点を記録、アメリカ大会ベスト8、フランス大会ベスト4に大きく貢献した。前述の1998年フランスワールドカップ準々決勝アルゼンチン戦の見事なトラップからのゴールは伝説として語り継がれているゴールで、当時オランダの新聞によって、同国の歴史的画家レンブラントのタッチに例えられ、「まるでレンブラントの筆さばきのようだ」と評された。
05-06シーズン終了をもって引退を表明した。自身がプロデビューを果たしたチームであるアヤックス・アムステルダムとアーセナルの対戦で引退試合が行われ、オランダの往年の名選手であるヨハン・クライフ、元オランダ代表監督マルコ・ファン・バステン、元FCバルセロナ監督フランク・ライカールト、そしてジョバンニ・ファン・ブロンクホルストやパトリック・ヴィエラ、ティエリ・アンリ、デビッド・シーマン、エマニュエル・プティ、エドガー・ダーヴィッツなどが出場し、数多くのサッカー関係者がこの日のために駆けつけた。ベルカンプ本人も出場し、惜しくもこの試合ではゴールを決めることはできなかったが、随所で彼らしいイマジネーション溢れるプレイを魅せ、引退の花道を飾った。また、クライフとファン・バステンは当初スタンドから観戦していたが、後半から当時のアヤックスのユニフォーム姿で実際にピッチに立ち、ベルカンプとプレイしている。特にこの時のファン・バステンは現役時代さながらのプレイを披露し観客を大いに沸かせた。なお、この試合はアーセナルの新スタジアムのエミレーツ・スタジアムのこけら落としとして行われた。
2008-2009シーズンから古巣アヤックスに指導者として復帰し、コーチングライセンス獲得を目指すことが決まっている。
[編集] エピソード・人物
デニスというファーストネームは、マンチェスター・ユナイテッドの名FW、デニス・ローにあやかって名づけられた。"n"が一つ多いのは、オランダで"Denis"は女性名と間違われる恐れがあるとの理由で市役所が認可せず、父親が追加したため。愛称のアイスマンは、そのパワーと冷静さによる正確な決定力の他、顔が俳優のヴァル・キルマー(『トップガン』でアイスマン役を演じた)に似ていることから名付けられた。
極度の飛行機恐怖症という弱点を持つことでも有名であり、ヨハン・クライフのニックネーム、「Flying Dutchman(空飛ぶオランダ人)」(リヒャルト・ワーグナーの歌劇「Der fliegende Holländer(さまよえるオランダ人)」に由来する)をもじって「Non-flying Dutchman(飛ばないオランダ人)」とされた異名も持つ。飛行機恐怖症の理由として、「乗っていた飛行機が爆破予告の対象になり、それがトラウマになっている」、「機中で同行記者に不安を煽ることを言われた」、「自分が乗る予定だった飛行機に乗った友人が亡くなった」等の諸説がある。このため、遠隔地への遠征には陸路でしか参加できないことがチーム監督を悩ませる。アメリカ合衆国で開催された1994年アメリカワールドカップでは船で渡米し、EURO2000後の代表引退の一因はこの飛行機恐怖症であるとも言われている(2002 FIFAワールドカップの開催国であった日本と韓国は陸路・海路での移動が極めて困難な極東の地にあり、飛行機に乗ることが不可避であったのが、こう言われる理由だろう)。ベルカンプを欠いたオランダ代表は2002年ワールドカップ欧州予選で敗退した。ベルカンプの存在の大きさが改めて証明された。
インテル所属時代に、当時の主将ジュゼッペ・ベルゴミに「もっとも失望した選手」と言われたことがある。成績面もさることながら、ベルゴミがチームに馴染ませようと何度も食事に誘ったのにも関わらず、ほとんど参加しなかったこともその印象の要因と思われる。また所属チームの会長からホームシックにかかったと目され故郷オランダ絡みのミニ風車、ダムを自宅に作ってもらったがチームになじめなかった、等の話がある。インテル在籍2年間は全く活躍できず、獲得時の高額の移籍金を引き合いに「史上最高額のガラクタ」と揶揄されたこともある。インテル移籍失敗の原因として、まず性格面において元来社交的な性格ではないことで知られ、そのためイタリア移籍後もイタリア語をほとんど話せずチームに馴染めなかったこと、また戦術面において当時のインテルの守備的な戦術が、彼がそれまでプレーしてきたアヤックスの超攻撃的な戦術と全く異なったため、彼の特長が発揮できる環境になかったことなどが挙げられる。その後、イングランドのアーセナルに移籍した後の成功は、以上の問題がクリアされたことも大きな要因といえよう。言語に関してはオランダ人であるため、元々英語に堪能であり、戦術に関してもアーセナルはインテルより遥かに攻撃的であった。
サッカー漫画として、日本だけでなく世界的に有名なキャプテン翼の登場キャラクターであるカルロス・サンターナが得意技としている「サンターナターン」という技を実際の試合中に披露したことがある。
アーセナル時代のチームメイトであるティエリ・アンリが憧れの選手に挙げている。
FAがプレミアリーグ発足10年を記念して企画したベストゴール特集で1位を獲得したことがある(ニューカッスル・ユナイテッドFC戦で相手DFを鮮やかな振り向きトラップでかわして決めたゴール)。
[編集] 所属クラブ
- 1977年-1986年 ビルスクラハト/SNLアムステルダム
- 1986年-1993年 アヤックス・アムステルダム (
オランダ) - 1993年-1995年 インテル(
イタリア) - 1995年-2006年 アーセナル (
イングランド)
- 2006年現役引退
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- アヤックス
- エールディヴィジ 1990
- オランダカップ 1987、1993
- UEFAカップ 1992
- UEFAカップウィナーズカップ 1987
- インテル
- UEFAカップ 1994
- アーセナル
- プレミア・リーグ 1998、2002、2004
- FAカップ 1998、2002、2003、2005
- コミュニティーシールド 1998、1999、2002、2004
[編集] 個人
- エールディヴィジ得点王 1991、1992、1993
- オランダ最優秀選手 1992、1993
- PFA年間最優秀選手賞 1998
- FWA年間最優秀選手賞 1998
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 1999
- FIFA100 2004
- イングランドサッカー殿堂 2007
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1986-87 | アヤックス | 14 | 14 | 2 | |||||||
| 1987-88 | アヤックス | 14 | 25 | 5 | |||||||
| 1988-89 | アヤックス | 14 | 30 | 13 | |||||||
| 1989-90 | アヤックス | 14 | 25 | 8 | |||||||
| 1990-91 | アヤックス | 14 | 33 | 25 | |||||||
| 1991-92 | アヤックス | 14 | 30 | 24 | |||||||
| 1992-93 | アヤックス | 14 | 28 | 26 | |||||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993-94 | インテル | 10 | 31 | 8 | |||||||
| 1994-95 | インテル | 10 | 21 | 3 | |||||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 1995-96 | アーセナル | 10 | 33 | 11 | |||||||
| 1996-97 | アーセナル | 10 | 29 | 12 | |||||||
| 1997-98 | アーセナル | 10 | 28 | 16 | |||||||
| 1998-99 | アーセナル | 10 | 29 | 12 | |||||||
| 1999-00 | アーセナル | 10 | 28 | 6 | |||||||
| 2000-01 | アーセナル | 10 | 25 | 3 | |||||||
| 2001-02 | アーセナル | 10 | 33 | 9 | |||||||
| 2002-03 | アーセナル | 10 | 29 | 4 | |||||||
| 2003-04 | アーセナル | 10 | 28 | 4 | |||||||
| 2004-05 | アーセナル | 10 | 29 | 8 | |||||||
| 2005-06 | アーセナル | 10 | 24 | 2 | |||||||
| 通算 | オランダ | 185 | 103 | ||||||||
| イタリア | 52 | 11 | |||||||||
| イングランド | 315 | 87 | |||||||||
| 総通算 | 552 | 201 | |||||||||
[編集] 代表歴
- 代表デビュー:1990年9月26日 イタリア戦
- 代表キャップ:79試合
- 得点記録:37得点(歴代2位)
- 2000年8月10日に代表引退を発表
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