マルク・オーフェルマルス

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マルク・オーフェルマルス
名前
愛称 ロードランナー、TGV
ラテン文字 Marc Overmars
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1973-03-29) 1973年3月29日(50歳)
出身地 エムスト
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW (LWG, RWG)
利き足 右足
ユース
1978-1987 オランダの旗 SVエペオランダ語版
1987-1990 オランダの旗 ゴー・アヘッド・イーグルス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 オランダの旗 ゴー・アヘッド・イーグルス 11 (1)
1991-1992 オランダの旗 ヴィレムII 31 (1)
1992-1997 オランダの旗 アヤックス 136 (36)
1997-2000 イングランドの旗 アーセナル 100 (25)
2000-2004 スペインの旗 バルセロナ 97 (15)
2008-2009 オランダの旗 ゴー・アヘッド・イーグルス 24 (0)
通算 399 (78)
代表歴
1993-2004 オランダの旗 オランダ 86 (17)
監督歴
2011-2012 オランダの旗 アヤックス (選手トレーナー)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルク・オーフェルマルスMarc Overmars, 1973年3月29日 - )は、オランダエムスト出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFWで、左右どちらでもこなせるウインガー。ゴー・アヘッド・イーグルスでプロデビューを果たし、ヴィレムIIを経て1992年にアヤックスに移籍。その後はアーセナルFCそしてFCバルセロナで引退した。しかし、2009年にGAイーグルスで現役復帰を果たしたが、怪我のため1シーズンで現役復帰を断念した。

クラブ経歴[編集]

オランダ時代[編集]

2年半の間、イーグルスの下部組織でサッカーを学ぶと1990-91シーズンにトップチームに昇格し、エールステ・ディヴィジで11試合に出場した。シーズン終了後、才能に目を付けたヴィレムIIが、当時の若手選手に支払う額としては高額な50万ユーロで獲得した。ヴィレムでは、デ・フラーフスハップ戦で初ゴールを決めるなど[1]、31試合に出場した。

1992年、アヤックス・アムステルダムに移籍した。1992年8月16日、FCドルトレヒト戦で移籍後デビューを果たし、9月16日のUEFAカップ1回戦レッドブル・ザルツブルク戦で移籍後初ゴールを挙げた[1]。この1992-93シーズン、エールディヴィジにおいて全試合スタメンフル出場を達成し、その年のオランダ年間最優秀若手選手賞を受賞した。翌1993-94シーズンはリーグ戦で12得点を記録し、キャリア初の2桁得点となった。クラブもエールディヴィジを制覇した。

1994-95シーズン、ヤング・アヤックスと呼ばれたチームでUEFAチャンピオンズリーグ準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では1ゴール1アシストを決め[2]、決勝進出に貢献、決勝ではACミランを破り、優勝を成し遂げ、国外のビッククラブから獲得オファーが相次いだが、それ以降もクラブに留まり、アヤックスでプレーすることを継続した。、同年のバロンドールでは第8位に入った[3]。1995-96シーズン、12月20日、デ・フラーフスハップとのリーグ戦で相手DFロブ・マテューイのタックルを喰らい左膝の前十字靭帯を断裂。長期の離脱を余儀なくされた。このシーズン、クラブは再びCL決勝にコマを進め、ユヴェントスFCと対戦するも、オーフェルマルスのいないアヤックスは敗れてしまった。1996-97シーズンにチームへと復帰し、25試合に出場。2得点に終わった。リーグ最終節のフィテッセとの試合に出場しゴールを決めたが[1]、アヤックスでの最後の出場となった。

アーセナル[編集]

1997年6月、プレミアリーグアーセナルFCに移籍し、5年契約を結んだ[4]。8月9日のリーズ・ユナイテッドFC戦でプレミアリーグデビューを果たし、2週間後のサウサンプトン戦で初ゴールを挙げた[1]。また、1998年3月14日の優勝争いをする上で絶対に落とせないマンチェスター・ユナイテッド戦では、1-0での勝利に繋がる決勝ゴールを決めた[1]。最終的に移籍1年目はリーグ戦で12得点を挙げるとともに[1]、プレミアリーグ優勝、FAカップ優勝の二冠獲得に貢献、FAカップ決勝のニューカッスルとの対戦では先制点を決め優勝に貢献した[5]。翌シーズンは、得点はコミュ二ティシールドのマンチェスター・ユナイテッド戦ではゴールを決め[1]、優勝に貢献、得点は12から6へと減少したが[1]、アシスト数を5から13へと伸ばし、デニス・ベルカンプに多くの得点機会を与えた。アーセナルでの3シーズン、左サイドのレギュラーとして活躍し、在籍3年で公式戦142試合41得点の成績を残した[6]

バルセロナ[編集]

2000年7月、バルセロナが当時のオランダ人プレイヤーとしては最高額となる約32億円の5年契約で彼を獲得した[6]。1年目は安定した出場機会を得ていたが、以降は頻繁に負傷離脱を繰り返すようになり、2003-04シーズン終了時、現役引退を表明した[7]

1シーズン限りの現役復帰[編集]

バルセロナでの引退から1年の休養を経て2005年、オーフェルマルスは自身がプロデビューを果たしたゴー・アヘッド・イーグルスでクラブ経営を行っていた。フロント入りして3年がたった2008年8月の事、同胞ヤープ・スタムの現役引退記念試合に出場したオーフェルマルスだったが、その試合を観戦していたゴー・アヘッド・イーグルスのコーチがオーフェルマルスがまだプロとして十分プレーできることを見抜き、彼にGAイーグルスでの現役復帰を打診したところ、オーフェルマルスは2つ返事で快諾し、現役復帰が決まった[8]。イーグルスでは主に途中交代がメインであったが、なかなか得点を奪えず、しまいには2009年5月1日のFCオス戦で足首を負傷してしまい、再び現役引退を決めた。だが、2009-10シーズンには地元アマチュアクラブのSVエペで数試合のみプレーしていた。

代表経歴[編集]

1993年2月のワールドカップ予選、トルコ戦で代表デビューを果たし、ゴールも決めた[9]1994 FIFAワールドカップに出場、ラウンド16のアイルランド戦、準々決勝のブラジル戦でそれぞれ1アシストを決めるなど[9]最優秀若手選手賞を受賞する活躍を見せた。UEFA EURO '96予選のマルタ戦では初のハットトリックを決めたが[9]、しかし膝の大怪我のため本大会には招集されなかった。2年後1998 FIFAワールドカップに出場、グループリーグの韓国戦でゴールを決め[9]、準決勝まで進むも、ブラジルに敗れた。EURO2000EURO2004では準決勝まで進むが、2004年大会ではポルトガルに破れ、決勝進出は出来なかった。大会終了後に現役引退を表明した[10]2006年にはデニス・ベルカンプ2008年にはヤープ・スタムの引退試合に左サイドで出場した[11]

指導者経歴[編集]

現役引退から1年後の2005年、ゴー・アヘッド・イーグルスのフロント入りを果たした。2011年にはアヤックスのチェアマンに指名されたが、オーフェルマルスはこれを断っている。2012年12月30日、ゴー・アヘッド・イーグルスでの経営業から退くことを発表した。

現役引退後の2012年7月、古巣アヤックスのスポーツディレクターに就任した。アヤックスではダビンソン・サンチェスクリスティアン・エリクセンらを高額で売却し、クラブに多大な利益を持ち込み、さらにはマタイス・デ・リフトフレンキー・デ・ヨングの若手選手を発掘したが、2022年、同僚の女性に対する問題行為が発覚し、退任した[12]

エピソード[編集]

  • 2008年、アーセナルFC公式サイト上で開催された「アーセナル、50人の偉大な選手」で、サポーターの投票により12位に選出された[13]
  • エトヴィン・ファン・デル・サールの送別試合で、98年アヤックスチーム側として出場し、96年オランダ代表相手にこの試合唯一の得点を決めている。
  • 1998年のW杯、対韓国戦で左サイドを突破した際、解説の木村和司が「この選手速いですねぇ〜!」と唸った。

個人成績[編集]

クラブ シーズン リーグ 国内カップ UEFA 通算
ディヴィジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ゴー・アヘッド・イーグルス 1990-91 エールステ・ディヴィジ 11 1 0 0 0 0 11 1
ヴィレムII 1991-92 エールディヴィジ 31 1 0 0 0 0 31 1
アヤックス 1992-1993 エールディヴィジ 34 3 5 4 8 1 47 8
1993-94 34 12 4 0 5 0 43 12
1994-95 28 8 3 0 11 1 42 9
1995-96 15 11 0 0 6 2 21 13
1996-97 25 2 1 0 10 0 36 2
クラブ通算 136 36 13 4 40 4 152 44
アーセナル 1997-98 プレミアリーグ 32 12 12 4 2 0 46 16
1998-99 37 6 7 5 4 1 48 12
1999-00 31 7 2 1 14 5 47 13
クラブ通算 100 25 21 10 20 6 145 41
バルセロナ 2000-01 ラ・リーガ 31 8 5 0 10 0 46 8
2001-02 20 0 1 0 11 1 32 1
2002-03 26 6 0 0 6 1 32 7
2003-04 20 1 3 2 8 0 31 3
クラブ通算 97 14 9 2 35 2 146 18
ゴー・アヘッド・イーグルス 2008-09 エールステ・ディヴィジ 24 0 0 0 0 0 24 0
Career total 399 78 43 15 95 12 537 106

代表歴 [編集]

出場大会[編集]

試合数 [編集]

国際Aマッチ 86試合 17得点 (1993年-2004年)


オランダ代表国際Aマッチ
出場得点
1993 7 1
1994 14 1
1995 8 4
1996 2 0
1997 4 0
1998 14 4
1999 3 0
2000 10 4
2001 8 1
2002 2 0
2003 8 1
2004 6 1
通算 86 17

タイトル[編集]

クラブ[編集]

アヤックス
アーセナルFC

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h “Overmars all goals”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/marc-overmars/alletore/spieler/3513 20020-08-08閲覧。 
  2. ^ “Ajax Amsterdam - Bayern Munchen Apr19 1995”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/1019804 20020-08-08閲覧。 
  3. ^ ワールドサッカーダイジェスト 1996年3月号 no.17 p.58-59 日本スポーツ企画出版社
  4. ^ Maddock, David (1997年6月18日). “Overmars rewards Arsenal's patience”. The Times (ロンドン): p. 48 
  5. ^ Holt, Oliver "Overmars provides the driving force". The Times. London. p. 31.
  6. ^ a b “Overmars and Petit join Barcelona”. news.bbc.co.uk. (2014年1月24日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/a/arsenal/855343.stm 20020-08-08閲覧。 
  7. ^ バルセロナ、最悪の補強は…歴代ガッカリ高額移籍5人。総額376億円、大金を無駄にした男たち”. Footballchannel. 2021年4月6日閲覧。
  8. ^ Overmars retirera ses crampons en fin de saison-7sur7.2008年8月10日
  9. ^ a b c d “Overmars National team”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/marc-overmars/nationalmannschaft/spieler/3513 20020-08-08閲覧。 
  10. ^ Overmars ends career=bbcsports 2004年7月26日
  11. ^ Wonderful tribute to Jaap Stam
  12. ^ アヤックス、オーフェルマルスSD退団を発表…女性への不適切行動が問題に”. サッカーキング (20222-7). 2022年4月7日閲覧。
  13. ^ Gunner's Greatest players”. アーセナルFC. 2020年6月26日閲覧。

関連項目[編集]