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| ルディ・フェラー |
 |
| 名前 |
| 本名 |
ルドルフ・フェラー |
| 愛称 |
ルディ |
| ラテン文字 |
Rudolf Völler |
| 基本情報 |
| 国籍 |
ドイツ(旧西ドイツ) |
| 生年月日 |
1960年4月13日(48歳) |
| 出身地 |
ハーナウ |
| 身長 |
177cm |
| 体重 |
71kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW |
| 利き足 |
右足 |
| 代表歴 |
| 1982-1994 |
ドイツ |
90 (47)
|
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■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
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ルディ・フェラー(Rudi Völler、1960年4月13日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身の元サッカー選手。現在はバイエル・レバークーゼンでスポーツディレクターを務める。
[編集] 略歴
1977年、地元のクラブチーム・オッフェンバッハでキャリアをスタート。その後、1860ミュンヘン、ヴェルダー・ブレーメンに在籍し、1982-1983シーズンにはドイツ・ブンデスリーガ得点王に輝くとともに、西ドイツ年間最優秀選手にも選出。ドイツを代表するストライカーとなった。その活躍が認められ、1987年にはセリエA・ASローマへ移籍。1990年のイタリアW杯ではエースとして西ドイツの優勝に貢献した。決勝戦のアルゼンチン戦では、当時所属していたローマでの試合ということもあり、ひときわ大きな拍手で迎えられた。
その後、マルセイユ、バイエル・レバークーゼンを経て1997年に現役を引退。ドイツ代表としては90試合に出場し、47得点を記録した。
指導者としては2000年からドイツ代表監督を務め、日韓W杯では準優勝をおさめたが、EURO2004でグループリーグ敗退と振るわず、その責任を取って辞任した。直後に古巣ASローマの監督に就任したものの、成績不振もあって開幕からわずか1ヶ月で辞任。その後はレバークーゼンに戻り、スポーツディレクター職に就いている。
明るい人柄でドイツきっての人気者であり、「ルディ・フェラーはただ一人」という歌は人口に膾炙している。
奥寺康彦とは、ヴェルダー・ブレーメン時代に共にプレーした旧知の仲である。
[編集] 所属クラブ
[編集] 指導歴
- ドイツ代表: 監督 2000-2004
- ローマ(イタリア): 監督 2004
[編集] タイトル
[編集] その他
2006 FIFAワールドカップの日本対クロアチア戦で決定機を外した柳沢敦のプレーについて、ピエール・リトバルスキーは「ルディ・フェラーならギブスをつけていても入るボール」とコメントした。しかし、フェラー自身も1990年大会一次リーグのUAE戦で、決定的なシュートを一本バーの上にふかしている[1](その試合チームは圧勝し、またフェラーも他のシュートを決めたため、事無きを得た)。また、2006 FIFAワールドカップ準決勝のイタリア戦の前に、「イタリアの穴はグロッソだ」と発言した[1]。しかし、そのグロッソに先制点を決められてしまい、ドイツ代表は準決勝で敗退した。
[編集] 脚注
- ^ Football - Very unlucky strikers