ゼップ・ヘルベルガー
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ゼップ・ヘルベルガー |
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| 名前 |
| 本名 |
ヨーゼフ・ヘルベルガー |
| ラテン文字 |
Sepp Helberger |
| 基本情報 |
| 国籍 |
ドイツ |
| 生年月日 |
1897年3月28日 |
| 出身地 |
マンハイム |
| 没年月日 |
1977年4月20日(満80歳没) |
| 代表歴 |
| 1921-1925 |
ドイツ |
3 (2) |
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ゼップ・ヘルベルガー(Josef"Sepp" Helberger、1897年3月28日 -1977年4月20日 )は、ドイツ・マンハイム出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。
[編集] 人物
ドイツサッカーの発展に尽くしたドイツサッカー生みの親と呼ばれる人物である。第二次世界大戦後の荒廃の中、指導者の育成に尽力し、デットマール・クラマーやヘネス・バイスバイラーと云った日本に縁の有る人物を始め、数多くの指導者を生み出すと共に多大な影響を与えた。 1954年のスイスW杯において優勝候補のハンガリー代表を決勝戦で下し、ベルンの奇跡と賞賛された時の西ドイツ代表監督でもある。
戦前のナチス・ドイツが支配した時代には、他のスポーツ関係者達と同様にナチス党へ入党。ベルリンオリンピックにおけるプロパガンダ政策に協力した事で戦後に占領軍から追求を受けている。
[編集] 略歴
[編集] 選手経歴
[編集] 指導者経歴
[編集] 語録
- 「ボールは丸く、試合は90分。総ては単純な論理である」
- 「試合終了の笛は、次の試合開始の笛である」
- 「次の試合は常にタフな物である。(次の試合相手は常にタフな相手である)」
- 「ボールは常に最良の状態である」
- 「一人のコーチが百人を育て、百人のコーチがそれぞれ百人を育てれば、ドイツのサッカーは復興する」
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク