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ペトル・チェフ |
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| 名前 |
| 愛称 |
ビッグ・ピート |
| ラテン文字 |
Petr Čech |
| 基本情報 |
| 国籍 |
チェコ |
| 生年月日 |
1982年5月20日(29歳) |
| 出身地 |
プルゼニ |
| 身長 |
196cm |
| 体重 |
92kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
チェルシーFC |
| ポジション |
GK |
| 背番号 |
1 |
| 利き足 |
左足 |
| クラブチーム1 |
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| 代表歴 2 |
| 2002– |
チェコ |
88 (0) |
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1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。
2. 2011年11月15日現在。
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ペトル・チェフ(Petr Čech, 1982年5月20日 - )は、チェコ、プルゼニ出身の同国代表のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
名前の発音は各言語により違いがあるが(日本ではチェフ以外にツェフ、ツェホなどと表記される)、チェコ語ではペトル・チェフとなる。ツェフはドイツ語読みに近い。
[編集] 経歴
[編集] クラブ
地元の小クラブ、FCヴィクトリア・プルゼニでユース時代を過ごし、1999年にFKフメル・ブルシャニへ移籍しプロデビューした。すぐさま頭角を表すと、2001年夏に移籍金70万ユーロ(約9200万円)で同国の名門・ACスパルタ・プラハへ移籍。チェフは移籍後すぐにポジションを射止めると、リーグではもちろん、UEFAチャンピオンズリーグでもスパルタ・プラハの堅守に貢献し、グループリーグで前年覇者のバイエルン・ミュンヘンを完封するなどの活躍を見せた。
[編集] スタッド・レンヌ
2002年夏に活躍の場を国外に求め、7月9日に移籍金375万ポンドでフランスのスタッド・レンヌに加入した。ここでもレギュラーの座を手中に収めて素晴らしいパフォーマンスを披露し、長年リーグの中位から下位をさまよっていたレンヌをリーグ中位の常連に押し上げた。
[編集] チェルシーFC
2004年7月1日、2シーズン在籍したレンヌを離れてイングランドのチェルシーFCへ700万ポンドで移籍した。移籍当初は実績のあるカルロ・クディチーニとのポジション争いが予想されたが、EURO2004で高めた前評判も手伝ってすんなりと正GKの座に収まり、持ち前の堅実なプレーを見せて移籍1年目ながらピーター・シュマイケルが保持していた個人694分連続無失点のプレミアリーグ記録を更新。クラブもチェフと共にアーセナルが保持していた823分の連続無失点記録を更新し、この記録を1025分まで伸ばしている。チェコ最優秀選手賞と共にUEFA最優秀GK賞を受賞し、世界屈指のゴールキーパーとして確固たる評価を得た。
[編集] 頭部の負傷
順風満帆なキャリアを歩んでいたが、2006年10月14日のプレミアリーグ・レディングFC戦でボールを奪おうとしたレディングのMFスティーヴン・ハントと激しく接触して頭蓋骨陥没骨折の重傷を負い、一時は意識不明に陥って選手生命も危惧された。また、チェフと交代したカルロ・クディチーニまでもが負傷し、その時点でチェルシーは交代枠を使い切っていたため、やむなくジョン・テリーがゴールマウスを守ることになった(幸いクディチーニは軽傷だった)。意識は回復したものの、復帰には最短でも1年はかかると診断された。が、驚異的な回復力で2007年1月20日のリヴァプールFC戦で先発出場して復帰を果たした。その後は常にラグビー用のヘッドギアを装着して試合に臨んでいる。骨折自体は完治しているが、強度はまだ完全には元に戻っていないこと、ヘッドギア装着でのプレーが定着しているなどの理由で、現在も装着し続けている。
[編集] 代表
2002年夏に行われたUEFA U-21欧州選手権にU-21チェコ代表として出場して優勝した。決勝ではU-21フランス代表を完封し、PK戦でもPKを2回止めている。同年2月のハンガリー戦でチェコA代表デビューを果たし、EURO2004予選以降レギュラーに定着。EURO2004では準決勝に進出したが、優勝したギリシャのトライアノス・デラスにヘディングでの得点を許して敗れた。チェコは準々決勝のデンマーク戦を除く全ての試合で失点を喫したが、チェフのパフォーマンスは大会を通し高い評価を得た。
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではオランダに2試合で4失点を喫したものの、グループ2位でプレーオフに進出した。プレーオフのノルウェー戦には2試合合計2-0で勝利し、自身初となるFIFAワールドカップの出場権を獲得した。しかし2006 FIFAワールドカップグループリーグでは4失点を喫し、グループリーグ敗退に終わった。だが、3試合4失点という結果はチェフの失敗のみを表すようなものではなく、彼自身は再三に渡って好セーブを連発している。特に2戦目のガーナ戦では2失点を喫したものの、チェフの孤軍奮闘ぶりは際立っていた。前半で退場者を出し数的不利になり、シュート20本(うち枠内シュート8本)とガーナの厳しい攻めに遭いながら2失点で抑えたそのパフォーマンスは、守護神と呼ばれるに相応しいものであった。3戦目のイタリア戦でも2失点を喫したが、それはこの試合でも前半で退場者を出し数的不利になり、勝たないとグループリーグ突破が絶望的となる状況で攻撃に出た結果である。
[編集] エピソード
[編集] 所属クラブ
[編集] タイトル
[編集] クラブ
チェルシーFC
[編集] 代表
U-21チェコ代表
[編集] 個人
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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