ハンブルク

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ハンブルク
Freie und Hansestadt Hamburg
ハンブルクの旗 ハンブルクの紋章
市の旗 市の紋章
ドイツ国内におけるハンブルクの位置
面積 755.26 km² (第15位
人口
 - 総計
 - 人口密度
(2005/12/31)
1,743,627 人 (第13位
2,308.6 人/km²
座標 北緯53度33分
東経09度59分
標高 3 m
ナンバープレート HH
自治体コード 02 0 00 000
ISO 3166-2 DE-HH
公式サイト ハンブルク市
政  治
州参事会議長・第1市長 オーレ・フォン・ボイスト (CDU)
与党 CDU
前回選挙 2004年2月29日
次回選挙 2008年
連邦参議院(上院)
での投票権数
3

ハンブルクドイツ語Hamburg低ザクセン語Hamborg (Hamborch) [ˈhaˑmbɔːχ]。漢字:漢堡)は、ドイツの北西部に位置する都市の一つ。正式には、自由ハンザ都市ハンブルクFreie und Hansestadt Hamburg, フライエ・ウント・ハンゼシュタット・ハンブルク)と称する。

行政上では、ベルリン特別市と同様に、一市単独で連邦州(ラント)を構成する特別市なので、ハンブルク特別市ハンブルク州といった表記も見られる。

目次

[編集] 概要

ブレーメン市と同様に、中世以来の自由都市としての地位を現代まで維持している。ベルリン特別市に次ぐドイツ第二の都市である。

ちなみに「ハンブルグ」と慣例的に表記されることもあるが、ドイツ語では語尾の"g"は濁らないため、正確な発音は「ハンブルク」である。現地では低ザクセン語による「ハンブルヒ」「ハンブルフ」の発音も聞かれる。街の語源は、古ドイツ語の「湾の城」に由来する(Ham = 湾、Burg = 城)。漢字表記の「漢堡」は、「Hamburg」の音訳であり、日本語と中国語の両方で同一表記である。ハンバーグの語源はハンブルクの労働者の食事として流行っていたタルタルステーキから来ている。英語でもハンブルクのことを“ハンバーグ”に近い発音で呼ばれる(英語でBurgはバーグ)。

[編集] 地理

エルベ川の支流・アルスター川河口にある港湾都市で、ドイツ北部における経済の中心地。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ニーダーザクセン州に境を接する。近隣の都市としては、約80km北のキール市、55km北東のリューベック市、95km南西のブレーメン市、95km西のブレーマーハーフェン市、90km東のシュヴェリン市などが挙げられる。

市域は、アルスター川東岸の旧市街と西岸の新市街、それらをとりまく地域からなる。旧市街は昔から商業地域の中心で、数多くの運河がながれている。町の景観の特色のひとつが運河にかかる橋で、アムステルダムヴェネツィアをあわせたよりも多くの橋がある。そのほかの名所としては、港にかかる長いつり橋ケールブラント橋や、アルスター川をせきとめてつくった内アルスター湖と外アルスター湖、現在では旧市街をかこむ公園・遊歩道となっている古い市壁跡地があげられる。また、ナイト・クラブがならぶレーパーバーンは歓楽街として有名である。

[編集] 歴史

1800年のハンブルク
1800年のハンブルク

6世紀には、エルベ川河口に港湾都市として存在しており、バイキングの襲来を受けている。 808年、カール大帝によって前哨基地ハンマブルクの城塞がきずかれ、811年にはキリスト教の布教をさらに推進する目的で、砦の近くに大聖堂を建設し、「ハンブルク」としての基礎が整えられる。この大聖堂はまもなく北ヨーロッパのキリスト教文化の中心となったが、しばしば敵対する民族に攻撃された。834年には大司教座がおかれたが、北方民族の略奪をうけて、848年に近くのブレーメンに移された。

ハンブルクはデーン人スラブ人の襲撃にももちこたえ、1189年には神聖ローマ帝国フリードリヒ1世から船舶航行の特許状をうける。この特許状は第3回十字軍への貢献の報償としてあたえられたもので、商業上の特権をみとめるものだった。 また、関税特権、経済特権を獲得したことで交易都市としての発展が進み、1241年にリューベックと、1249年にブレーメンと防衛同盟をむすんだ。これはやがてハンザ同盟の成立へとつながっていく。 ハンザ同盟の一員としてハンブルクは富裕な有力都市のひとつとなり繁栄し、1410年、1510年、1618年と三度神聖ローマ皇帝から自由都市の特権を与えられ、自治権を獲得維持した。

1529年には宗教改革をうけいれ、ルター派カルバン派、そしてユダヤ人の避難場所となった。しかし三十年戦争により、ハンブルクの商業は大きな打撃をこうむった。1783年にアメリカと通商関係をむすんだことで短期間の再興をみるが、その繁栄もナポレオン戦争で終わりをつげ、1810年にはナポレオン1世の軍隊に占領される。だが、ナポレオンの没落後ふたたび自由都市となり、1815年にドイツ連邦に加盟した。 1842年に4日間にわたる火災で被害をうけ、1892年にはコレラの流行で8605人もの死者、市街地は、1842年の大火や第二次世界大戦の空襲で壊滅的破壊を受けるが、そのたびに復興。それゆえ、ドイツの中では古い建物が比較的少ない近代都市である。

1890~1900年のハンブルク
1890~1900年のハンブルク

1871年のドイツ帝国成立の際にも、ハンブルクはどこの州にも属さず独立を維持した。それゆえ王侯貴族の支配なき自由都市としての気風が形成され、それがハンブルク市民の誇りでもある。

1918年11月のハンブルクの人民蜂起はドイツ帝国崩壊の先触れとなり、短期間ではあるが、社会主義レーテ共和国が樹立された。1938年にアルトナハールブルクワンツベックなどを併合。第二次世界大戦では潜水艦基地がおかれ、連合国軍の空襲により多くの市民が命をうしなった。

現在、市民にはプロテスタントが多く、政治的には中道左派のドイツ社会民主党(SPD)が強い(ただし近年はCDU政権)など、南ドイツ第一の都市・ミュンヘン市とは、サッカーに限らず、あらゆる点で対照的である。尚、ミュンヘン市はカトリックの地盤であり、政治では保守政党のキリスト教社会同盟(CSU)の勢力が強い。

[編集] 行政

  • 市長:Ole von Beust (CDU)

[編集] 行政区

ハンブルク特別市は、七つの区域(Bezirk)に区分されている。

  1. アルトナ区 (Altona)
  2. ベルゲドルフ区 (Bergedorf)
  3. アイムスビュッテル区 (Eimsbüttel)
  4. ハンブルク・ミッテ区 (Hamburg-Mitte)
  5. ハンブルク・ノルト区 (Hamburg-Nord)
  6. ハールブルク区 (Harburg)
  7. ヴァンツベック区 (Wandsbek)

[編集] 経済

中世よりハンザ同盟の中心的役割を果たした都市の一つでもあり、エルベ川沿いの港湾商業都市として発展した。コンテナ貨物用の広大な施設をそなえ、造船と船舶修理用の大きなドックを持つ港は、ドイツ第一、欧州連合第二の港湾規模、大小約500の海運関係企業があるといわれている。鉄道と高速道路網によって中央ヨーロッパの諸都市とむすばれ、ドイツ最大の物流拠点となっている。近年は産業構造の変化にともない、医療産業、バイオ産業、航空産業など技術集約産業の誘致に熱心で、日本の大手電機メーカーをはじめ、多くの国際企業が拠点をおいている。特に航空産業についてはエアバス社が専用滑走路をもつドイツ最大の工場を置いている他、ハンブルク空港にはルフトハンザ・テクニック社がある。また、モンブラン (万年筆メーカー)や日本名ニベア花王で知られるバイヤーズドルフの本拠地でもある。現在、大型クルーズ船の桟橋や文化・商業・居住機能をもつ臨港地域「ハーフェンシティ」の開発計画が進行中である。

[編集] 文化

[編集] 音楽

オペラハウスもある。また、作曲家のフェリックス・メンデルスゾーンヨハネス・ブラームスの生誕地でもあり、北ドイツ放送交響楽団の本拠地でもある。ビートルズが下積み時代に活動していたことでも知られる。

[編集] スポーツ

ハンブルク特別市を本拠地とするブンデスリーガ所属のプロサッカークラブ。近隣のブレーメン市に本拠地をおくヴェルダー・ブレーメンとの試合では、とりわけダービー戦のような盛り上がりをみせる。
このクラブもハンブルク特別市を本拠地としており、かつてはブンデスリーガ1部に在籍していた。しかし、近年は不振が続き、レギオナルリーガ(3部)に所属している。サポーターの層は、ザンクトパウリの方が庶民的かつ熱狂的でやや危険である。

[編集] 観光

市の中央にアルスター湖があり、観光客も多い。観光では、最近はエリカ街道の起点にもなっている。

税関近くの運河
税関近くの運河

[編集] 交通

[編集] 姉妹都市

[編集] 姉妹港

[編集] 国際機関

国際海洋法裁判所がある。

[編集] ハンブルク出身者

ア行

カ行

サ行

タ行

ナ行

ハ行

マ行

ヤ行

ラ行

ワ行

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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