マヌエル・サンチス・オンティジュエロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
マヌエル・サンチス Football pictogram.svg
Manuel Sanchís Hontiyuelo.jpg
名前
本名 マヌエル・サンチス・オンティジュエロ
愛称 マノーロ
ラテン文字 Manuel Sanchís Hontiyuelo
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1965年5月23日(49歳)
出身地 マドリード
身長 177cm
選手情報
ポジション DF(CB)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1984
1983-2001
カスティージャCF
レアル・マドリード
10 (2)
524 (33)
代表歴
1983
1983-1986
1986-1987
1986-1992[1]
U-18 スペイン
U-21 スペイン
U-23 スペイン
スペイン
6 (1)
16 (0)
2 (0)
48 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マノーロことマヌエル・サンチス・オンティジュエロManuel ”Manolo” Sanchís Hontiyuelo, 1965年5月23日 - )はマドリード出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー

キンタ・デル・ブイトレと呼ばれた1980年代のレアル・マドリードでDFを務めた。父親もまたレアル・マドリードやスペイン代表でプレーしたマヌエル・サンチス・マルティネスであり、チェーザレ・マルディーニパオロ・マルディーニ親子に続いて2組目となる親子2代で欧州王者を経験した。

経歴[編集]

レアル・マドリードカンテラ出身。1983年12月4日レアル・ムルシア戦でトップチームデビューをすると、その試合唯一となる得点も記録。その後18年間マドリード一筋でプレーした。エミリオ・ブトラゲーニョミチェルウーゴ・サンチェスらと共に1985-86シーズンからリーグ5連覇に貢献。また、1986年U-21欧州選手権にも出場すると、大会最優秀選手に選ばれる活躍でスペインの初優勝に貢献した。

通算ではリーグ8回、コパ・デル・レイ2回、UEFAチャンピオンズリーグ2回、UEFAカップ2回等、数々のタイトル獲得に貢献。公式戦710試合に出場し、ラウル・ゴンサレスが塗り替えるまでレアル・マドリードの最多出場記録を保持していた。また、1993-94シーズンからはキャプテンも務めていた。一方で、ジョン・トシャック1991年に退任する際、チーム内における多大な権力を持ったサンチスについて「不運にも出会ってしまった最悪の人物」と批判した[2]

スペイン代表としても1986年のルーマニア代表戦でデビューし、1988年欧州選手権1990年ワールドカップに出場した。しかし、1992年ハビエル・クレメンテが監督に就任してからはキンタ・デル・ブイトレのメンバーは代表から遠ざかるようになり[3]、3月11日のアメリカ代表との親善試合がサンチスにとって代表最終戦となった。

2000-01シーズンに現役を引退。キンタ・デル・ブイトレの中では最も長く現役を続け、唯一レアル・マドリードで引退した。

獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

代表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “Manuel Sanchis - International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/sanchis-intl.html 
  2. ^ 『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』、ネコ・パブリッシング、274頁
  3. ^ 『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』、ネコ・パブリッシング、277-278頁

外部リンク[編集]


この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。