ディディエ・デシャン
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| 名前 | ||||
| 本名 | ディディエ・クロード・デシャン | |||
| 愛称 | マラソンマン | |||
| ラテン文字 | Didier DESCHAMPS | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1968年10月15日(43歳) | |||
| 出身地 | バイヨンヌ | |||
| 身長 | 174cm | |||
| 体重 | 71kg | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | MF (DH) | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 | ||||
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ディディエ・デシャン(Didier Deschamps,1968年10月15日 - )は、フランス、バイヨンヌ出身のサッカー選手・サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。
目次 |
[編集] 人物
1998年から2000年にかけてのフランス代表の黄金期を支えたキャプテン。小柄(174cm)ながらマラソンマンと呼ばれるほどの豊富な運動量と卓越した戦術眼で中盤を支え、ピッチ内の監督としてチームメイトを鼓舞し続けた。
チャンピオンズリーグ、UEFA欧州選手権、ワールドカップのすべてを制している。
[編集] 来歴
1989年、対ユーゴスラビア戦でフランス代表デビュー。「将軍」ミシェル・プラティニ引退後、低迷を続けたレ・ブルー(Les Bleus、フランス代表の愛称)の不動のレギュラーとして奮闘した。
1996年の欧州選手権でベスト4に終わった事を受け、当時の代表監督エメ・ジャケは全幅の信頼を置いていたデシャンに主将を任命。1998年、地元開催のワールドカップにおいて、デシャンはピッチの内外でチームを牽引、決勝でブラジルを3-0で撃破したフランス代表はついに栄冠を勝ち取り、デシャンはワールドカップを天に掲げた最初のフランス人となった。
その後フランスは、W杯優勝から2年後のEURO2000も制覇。ワールドカップと欧州選手権優勝という「スーパー・ダブル」を欧州で最初に達成したチームとなった。デシャンはこの快挙から程無くして代表を引退。フランス代表歴代4位の103試合に出場(1位はリリアン・テュラムの142試合)、キャプテンマークを巻いて出場した試合数は56試合でプラティニの50試合を上回る。
クラブレベルでは、マルセイユ在籍時に2度の国内リーグ優勝、92-93シーズンには欧州チャンピオンズ・カップを制覇した。1994年に強豪ユベントスに移籍した後はさらにタイトルに恵まれ、3度のスクデット(94-95、96-97、97-98シーズン)をはじめ、94-95シーズンのコッパ・イタリア、95-96シーズンには自身2度目のチャンピオンズリーグ制覇。1995年のトヨタカップでは、アルゼンチンのリーベル・プレートを破り世界一となった。その後デシャンはイングランド・スペインのトップリーグを渡り歩き、2001年シーズン終了をもって選手生活に終止符を打った。
フランスに戻ったデシャンは、休む間もなくフランスリーグのASモナコ監督に就任。1年目こそ下位に甘んじたが、2年目の2002-03シーズンには2位に大躍進。それを受けて出場した03-04シーズンのチャンピオンズリーグでは、並み居る強豪を打ち破り準優勝という快進撃を繰り広げた。しかし、05-06シーズンの出だしにつまずき、9月に解任。
2006-2007シーズンからは、イタリアの名門で、また自身の古巣でもあるユヴェントスの指揮を執ることに。しかし、同クラブは2005-2006シーズンの審判などに対する不正疑惑によってセリエB降格、さらには勝ち点のマイナス状態からのスタートと言う厳しい処分が下され、それに伴う主力の選手の大量流出も予想されるなど非常に厳しい局面での舵取りを余儀なくされたが、結果的には首位で昇格させることに成功。しかし優勝が決まった試合の直後、突然辞任を発表する。原因はフロントとの軋轢など、さまざまな憶測が飛び交った。
その後、デシャンはインタビューに応え、「当時、私とクラブの間では意見の相違があった。信頼と平穏に欠けた状況でユーベとともに前進することは困難だった。」と語った。しかし、退団を後悔しているという発言も交えた。
2009-2010シーズンからは、フランスのマルセイユの監督に就任し、リーグカップ優勝で18シーズンぶりのタイトルを獲得すると、勢いに乗りリーグ優勝も果たした。
[編集] 所属クラブ
[編集] 選手時代
- 1984-1989.12
FCナント 110試合3得点 - 1990.1-1994
オリンピック・マルセイユ 17試合1得点
- →1990-1991
FCボルドー 37試合3得点 (loan)
- 1991-1994
オリンピック・マルセイユ 106試合5得点 - 1994-1999
ユヴェントス 124試合3得点 - 1999-2000
チェルシー 27試合0得点 - 2000-2001
バレンシア 8試合0得点
[編集] 指導者時代
- 2001-2005.9
ASモナコ - 2006-2007.5
ユヴェントス - 2009-
オリンピック・マルセイユ
[編集] 獲得タイトル
[編集] 代表
[編集] クラブ
- マルセイユ時代
- 1992-93 UEFAチャンピオンズカップ優勝
- ユヴェントス時代
- 1995-96 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
- 1996年 インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)優勝
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1 ブラッチリャーノ | 2 アスピリクエタ | 3 ヌクル | 4 ディアラ | 7 シェイル | 8 L・ゴンサレス | 9 ブランドン | 10 ジニャック | 11 レミー | 12 カボレ | 13 トラオレ | 15 モレル | 16 アンドラーデ | 17 エムビア | 18 アマルフィタノ | 20 A・アイェウ | 21 ディアワラ | 23 J・アイェウ | 24 ファンニ | 25 オルマニ | 26 サボ | 27 エムボウ | 28 ヴァルブエナ | 30 マンダンダ | 40 ゴダ | - ロドリゲス | - デュリヴォ | - オセイ | - ガディ 監督: デシャン |
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