カフー
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| 名前 | |||||||
| 本名 | マルコス・エバンゲリスタ・デ・モラエス | ||||||
| 愛称 | il Pendolino, 右サイドの支配者 | ||||||
| ラテン文字 | CAFU | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1970年6月7日(41歳) | ||||||
| 出身地 | サンパウロ | ||||||
| 身長 | 176cm | ||||||
| 体重 | 75kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF/DF | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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カフーことマルコス・エバンゲリスタ・デ・モラエス(Marcos Evangelista de Moraes、1970年6月7日 - )は、ブラジルサンパウロ出身のサッカー選手である。ポジションはディフェンダー(右サイドバック、右ウィングバック)。
「カフー」はニックネームで、1970年代に活躍したカフリンガ(Cafuringa)という名前のサッカー選手に由来する。長らく活躍したイタリアでは振り子を意味する「イル・ペンドリーノ(il Pendolino)」という異名で呼ばれたこともあった。また「右サイドの支配者」という異名でも呼ばれる。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] クラブ
[編集] サンパウロ ~ サラゴサ ~ パルメイラス
1988年、18歳の時に地元サンパウロのサンパウロFCに入団した。入団後にサイドバックにコンバートされ、
1993年のトヨタカップ制覇に貢献するなど活躍した。
1994年のワールドカップにおける活躍が認められてスペインリーガ・エスパニョーラのレアル・サラゴサに移籍した。しかし、レアル・サラゴサでは機能せず1年で退団し、再び地元サンパウロのパルメイラスに移籍することになる。
[編集] ASローマ
1997年、今度はイタリアセリエAの強豪ASローマに移籍。この移籍は前回の欧州移籍と違い成功し、ASローマの18年ぶりとなるスクデット制覇に貢献するなど主力として活躍した。
[編集] ACミラン
33歳となった2003年夏にはASローマを退団し、日本のあるクラブへ移籍するという報道が流れたが、最終的にはセリエAの強豪チームであるACミランへ移籍した。ACミラン移籍後は右サイドバックのレギュラーとしていきなり2003-04シーズンのACミランのスクデットに貢献するなど、主力としての変わらぬ活躍を見せることになる。また、この年にペレの選んだ偉大なサッカー選手100人、「FIFA 100」に選ばれている。
2006年まで長くUEFAチャンピオンズリーグのタイトルは獲得できずにいたが、UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07で19年目にして初の栄冠に輝くなど、ベテランとなっても衰えぬ活躍を見せていたが、2007-08シーズンの終了後、ACミランとの契約が満了し退団した。
[編集] ブラジル代表
1990年より、衰えの見えていたブラジル代表の右サイドバックであるジョルジーニョの後継者として期待され、1990年9月12日のスペイン戦で代表デビューを果たした。その後の1994年のワールドカップ決勝では、試合中のジョルジーニョの故障に伴い、途中交代して優勝に貢献した。以後、代表のレギュラーとしての地位を確立し、1998年、2002年のワールドカップでもレギュラーとして出場している。
同じ時期に左サイドバックのレギュラーとして起用されていたロベルト・カルロスとは攻撃的なサイドバックコンビとして、果敢なオーバーラップを見せていた。また、長らくキャプテンを務め、ブラジル代表の精神的支柱でもあった。
2006年のドイツ大会では準々決勝のフランス戦で、ブラジル代表は中盤を封じられた為、ボールがロベルト・カルロスとカフーに集まったものの、二人は共に低調なプレーに終始し、ボールを奪われるシーンが目立ったことから、ブラジル本国などでは敗退の大きな原因として槍玉に挙げられた。これ以後、カフーは年齢のこともあり、代表招集されることはなくなっている。(長らく両サイドバックとして活躍してきていたロベルト・カルロスはこのワールドカップでの代表引退を表明しており、やはり以後招集されていない)
現在のところ、代表通算キャップ数は142を数えており、これはブラジル代表における歴代最多記録である。また、1994年、1998年、2002年、2006年の4度のFIFAワールドカップに出場しているが、このうち2006年を除く3回はいずれも決勝まで進んでおり(優勝2回、準優勝1回)、決勝戦を3度経験した選手である。
[編集] エピソード
- 試合中においても、笑顔を絶やさない選手である。
- サッカー界きっての"ガム好き"を公言している。[1]
- セリエAにおいて、最も嬉しかったのは、ASローマ時代のスクデットだと答えている。[2]
- 2011年4月9日 - ブラジル、サンパウロで作られた世界一高いレゴタワー(31メートル19センチ)の最後の1ブロックを積んで完成させた。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1990 | サンパウロ | 20 | 2 | ||||||||
| 1991 | サンパウロ | 20 | 1 | ||||||||
| 1992 | サンパウロ | 21 | 1 | ||||||||
| 1993 | サンパウロ | 18 | 1 | ||||||||
| 1994 | サンパウロ | 16 | 2 | ||||||||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994-95 | サラゴサ | 16 | 0 | ||||||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | パルメイラス | 19 | 0 | ||||||||
| 1996 | パルメイラス | 16 | 0 | ||||||||
| 1997 | パルメイラス | 0 | 0 | ||||||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1997-98 | ローマ | 2 | A | 31 | 1 | ||||||
| 1998-99 | ローマ | 2 | A | 20 | 1 | ||||||
| 1999-00 | ローマ | 2 | A | 28 | 2 | ||||||
| 2000-01 | ローマ | 2 | A | 31 | 1 | ||||||
| 2001-02 | ローマ | 2 | A | 27 | 0 | ||||||
| 2002-03 | ローマ | 2 | A | 26 | 0 | ||||||
| 2003-04 | ミラン | 2 | A | 28 | 1 | ||||||
| 2004-05 | ミラン | 2 | A | 33 | 1 | ||||||
| 2005-06 | ミラン | 2 | A | 19 | 1 | ||||||
| 2006-07 | ミラン | 2 | A | 24 | 0 | ||||||
| 2007-08 | ミラン | 2 | A | 15 | 1 | ||||||
| 通算 | ブラジル | ||||||||||
| スペイン | |||||||||||
| イタリア | |||||||||||
| 総通算 | |||||||||||
[編集] 獲得タイトル
[編集] ナショナルチーム
- FIFAワールドカップ 2回(1994、2002)
- コパ・アメリカ 2回(1997、1999)
[編集] クラブ
サンパウロFC
- コパ・リベルタドーレス 2回(1992、1993)
- インターコンチネンタルカップ 2回(1992、1993)
- レコパ・スダメリカーナ 1回(1993)
ASローマ
- セリエA 1回(2000-01)
ACミラン
- セリエA 1回(2003-04)
- UEFAチャンピオンズリーグ 1回(2006-07)
- UEFAスーパーカップ 1回(2007)
- FIFAクラブワールドカップ 1回(2007)
[編集] 個人タイトル
- 南米年間最優秀選手賞 1回(1994)
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[編集] 脚注
[編集] 出典
- ^ 欧州通信. “プレー中にガムを噛むのはあり?”. 2007年7月5日閲覧。
- ^ goal.com. “カフー:「セリエで最も嬉しかったのはローマでのスクデット」”. 2008年5月22日閲覧。