カルロス・アレクシャンドレ・トーレス
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | Carlos Alexandre Torres | |||||
| カタカナ | カルロス・アレクシャンドレ・トーレス | |||||
| ラテン文字 | TORRES | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1966年8月22日(46歳) | |||||
| 出身地 | リオデジャネイロ州 | |||||
| 身長 | 187cm | |||||
| 体重 | 83kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (CB) | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1992 | 1 (0) | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
カルロス・アレクシャンドレ・トーレス(Carlos Alexandre Torres, 1966年8月22日 - )はブラジル、リオデジャネイロ州、リオデジャネイロ市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF (センターバック)。登録名はトーレス。
ブラジルサッカー史上、最も偉大なディフェンダーと言われるカルロス・アウベルトの息子であるため、ブラジル国内では常に父親と比べられる状況にあったという。
目次 |
来歴 [編集]
1995年にJリーグの名古屋グランパスエイトに移籍し、アーセン・ベンゲル監督の元でディフェンスリーダーとして活躍。当時の名古屋は1993年の開幕以来Jリーグの最下位を争うチーム状況であったが、1995年のベンゲルの監督就任により、前年途中に加入していたものの日本になじめずにいた世界最高峰のMFドラガン・ストイコビッチを中心にしたチームとして生まれ変わった。そのとき新加入していたトーレスと、ベンゲルが連れて来たデュリックスはチームの軸として活躍し、1996年の元日には天皇杯優勝へと至った。
その後も不動のセンターバックとして活躍。敵のチャンスを未然に防ぐ守備能力に、空中戦の強さを併せ持っていた。調子にやや波があるものの、Jリーグ屈指のDFであった。しかし、2000年に突然ブラジルの名門CRバスコ・ダ・ガマに引き抜かれることとなり、名古屋での最後の試合となった天皇杯決勝では見事に勝利。これを花道に移籍した。
引退後の2003年にもジョアン・カルロス監督の右腕としてコンサドーレ札幌コーチとして来日している。
2008/09シーズン『Foot!』(#22)の番組中、ショーボールに参加し、代理人業を営んでいることが紹介された。2009年秋にはイベント参加の為来日し、グランパスの練習にも姿を見せた。
所属クラブ [編集]
- 1986年-1991年
フルミネンセ - 1992年-1994年
CRヴァスコ・ダ・ガマ - 1995年-1999年
名古屋グランパスエイト - 2000年
CRヴァスコ・ダ・ガマ
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | 名古屋 | - | J | 36 | 6 | - | 4 | 0 | 40 | 6 | |
| 1996 | 29 | 2 | 13 | 0 | 1 | 0 | 43 | 2 | |||
| 1997 | 29 | 2 | 10 | 1 | 1 | 0 | 40 | 3 | |||
| 1998 | 24 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 32 | 0 | |||
| 1999 | J1 | 24 | 1 | 4 | 2 | 4 | 1 | 32 | 4 | ||
| 通算 | 日本 | J1 | 142 | 11 | 31 | 3 | 14 | 1 | 187 | 15 | |
| 総通算 | |||||||||||
その他の公式戦
その他の国際試合
- 1996 アジアカップウィナーズカップ 2試合0得点
指導歴 [編集]
- 2003年
コンサドーレ札幌 (アシスタントコーチ)