クラウディオ・タファレル

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タファレル Football pictogram.svg
名前
本名 クラウディオ・アンドレ・メルゲン・タファレル
ラテン文字 Cláudio André Mergen TAFFAREL
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1966年5月8日(48歳)
出身地 サンタロサ
身長 182cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
代表歴
1987-1998[1] ブラジルの旗 ブラジル 101 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
オリンピック
男子 サッカー
1988 サッカー競技

クラウディオ・タファレルCláudio André Mergen Taffarel1966年5月8日 - )は、ブラジル・サンタロサ出身の元サッカー選手。現役時のポジションはGKブラジル代表GKとして最多出場記録を持つ。

経歴[編集]

1984年SCインテルナシオナルでデビュー。1988年7月7日オーストラリア戦で代表デビューを果たすと、1990年イタリアW杯でベスト16に終わったものの活躍を見せ、パルマへ移籍。イタリアでプレーする初のブラジル人ゴールキーパーだった[2]。当時ブラジル人ゴールキーパーで欧州で活躍する選手はなく、キーパーが欧州で活躍するのは無理だという説を覆した。コッパ・イタリアなどのタイトル獲得に貢献した。

その後1993年から2シーズンをレッジャーナでプレー。翌年にはアトレチコ・ミネイロへ移籍したが、1998年にはガラタサライへ移籍。代表からしばらく遠ざかっていたがトルコでの活躍を買われ、同年のフランスW杯では出場を果たし、準優勝に貢献した。

抜群の読みと反応力を誇るPKストッパーで、1994年アメリカW杯ではPK戦にもつれこんだイタリアとの決勝戦を制して優勝した。ロベルト・バッジョのPKが外れると両手を天に突き上げて優勝を喜んだ。また同時に、対戦相手への敬意も欠かさず、うなだれるバッジョに対して「それでもあなたは偉大だ」との声をかけたことは有名なエピソードである。決勝戦から1年後の同日に行われたコパ・アメリカの準々決勝・アルゼンチン戦でもPK戦に勝利し、翌日の新聞の見出しには「7月17日のタファレルは無敵!」の見出しが躍った。1998年フランスW杯でも準決勝のオランダ戦で見事なPKセーブを見せ、勝利に貢献した。

2001年にはパルマへ復帰。セバスティアン・フレイの控えでありながらも存在感を発揮したが、2003年に現役を引退。ワールドカップ通算18試合出場はゴールキーパーとしての出場最多記録であり、ブラジル歴代名ゴールキーパーを例える際に彼の名は必ず出てくる。

選手経歴[編集]

関連項目[編集]

  • ガルヴァオン・ブエノ - ブラジルの有名なスポーツ実況アナウンサー。1994年と1998年のワールドカップに際して、ブラジルゴールが脅かされそうになった局面で“Sai que é sua, Taffarel!”「(ゴールから)出ろ、お前の(ボール)だぞ、タファレル!」という台詞を決まり文句にしていた。

脚注[編集]

  1. ^ “Claudio Andre Mergen Taffarel - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/taffarel-intl.html 
  2. ^ footballista 2009/8/19号 37p