ジョゼ・カルロス・ネポムセーノ・モーゼル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーゼル
2005年のモーゼル
名前
本名 ジョゼ・カルロス・ネポムセーノ・モーゼル
José Carlos Nepomuceno Mozer
ラテン文字 Mozer
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1960-09-19) 1960年9月19日(63歳)
出身地 リオデジャネイロ[1][2][3]
身長 186cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF
代表歴
1983-1994 ブラジルの旗 ブラジル 32 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

モーゼル(Mozer)ことジョゼ・カルロス・ネポムセーノ・モーゼル(José Carlos Nepomuceno Mozer、1960年9月19日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。元ブラジル代表。ポジションはDF(センターバック)。

来歴[編集]

ボタフォコのユース在籍時、DFとしては小柄である事を理由に放出され、フラメンゴに加入、その後急遽身長が伸びた[4]

フラメンゴ時代の1981年コパ・リベルタドーレストヨタカップでも先発出場して[5]優勝に貢献。その後ベンフィカに移籍して、2度のリーグ優勝に貢献、1987-88シーズンのチャンピオンズカップ決勝進出に貢献したが、決勝で敗れた。その後フランスのマルセイユに移籍、チームの中心選手の一人として[6]、リーグ3連覇、1991年のチャンピオンズカップ決勝進出に貢献、しかし決勝では再び敗れた。再びベンフィカに戻った後、ジーコの誘いでアントラーズに入団しプレーしたが、当時チームにはレオナルドジョルジーニョマジーニョが在籍する中、外国人枠の関係、あるいは膝に古傷を抱えコンディションが悪く、1996年の開幕前に手術をした影響もあってベンチ外になることも多く、同年、2試合プレーの後、退団となった。

ブラジル代表としては怪我の為1986年のメキシコワールドカップ、1994年のアメリカワールドカップへの出場を逃したが[7]。 、1990年イタリアワールドカップに出場した[8]

選手経歴[編集]

監督経歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1980 フラメンゴ セリエA 0 0
1981 3 0
1982 17 1
1983 10 1
1984 18 3
1985 17 1
1986 24 2
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1987-88 ベンフィカ スーペルリーガ 32 6
1988-89 29 2
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1989-90 マルセイユ リーグ・アン 27 4
1990-91 31 0
1991-92 31 0
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1992-93 ベンフィカ スーペルリーガ 13 0
1993-94 29 3
1994-95 17 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 鹿島 - J 15 0 - 3 0 18 0
1996 2 0 0 0 0 0 2 0
通算 ブラジル
ポルトガル スーペルリーガ
フランス リーグ・アン
日本 J 17 0 0 0 3 0 20 0
総通算

参考文献[編集]

  1. ^ Mozer”. Sambafoot. 2010年2月27日閲覧。
  2. ^ Mozer”. CBF. 2010年2月27日閲覧。
  3. ^ モーゼル”. ジーコ公式サイト. 2010年2月27日閲覧。
  4. ^ トヨタカップ 1981年 大会公式パンフレット p.18-19
  5. ^ トヨタカップ 1992年 大会公式パンフレット p.77
  6. ^ “サッカー世界遺産「トリデンテの魔法を使ったマルセイユ」【連載第13回】”. soccermagazine. https://soccermagazine.jp/_ct/17361067/p2 2020年4月1日閲覧。 
  7. ^ タファレル:セナのためにワールドカップを制したことを誇りに思う”. FIFA (2022年7月22日). 2023年6月20日閲覧。
  8. ^ Mozer National team”. transfermarket. 2021年1月21日閲覧。

外部リンク[編集]