長友佑都

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長友 佑都 Football pictogram.svg
Yuto Nagatomo 2011.jpg
名前
愛称 ユウト[1]、ナガ[注 1]、モトリーノ[注 2]、ナガティエロ[注 3]
カタカナ ナガトモ ユウト
ラテン文字 Nagatomo Yuto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1986年9月12日(28歳)
出身地 愛媛県西条市
身長 170cm[7]
体重 68kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 インテルナツィオナーレ・ミラノ
ポジション DF (SB[8])、
MF (WB[8], SH[9])
背番号 55
利き足 右足[1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2010 FC東京 72 (5)
2010-2011 チェゼーナ 16 (0)
2011- インテル 107 (9)
代表歴2
2007-2008  日本 U-22/23
2008-[10] 日本の旗 日本 76 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月18日現在。
2. 2014年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

長友 佑都(ながとも ゆうと、1986年9月12日 - )は、愛媛県西条市出身のプロサッカー選手セリエAインテルナツィオナーレ・ミラノ所属。ポジションはディフェンダー(サイドバック)及びミッドフィールダー(サイドハーフ、ウイングバック)。日本代表

来歴[編集]

生い立ち[編集]

スポーツ一家に生まれ、母方の祖父は第1回小倉競輪出走者である元競輪選手吉田達雄。達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実大叔父にあたる。父方の祖父は明治大学出身の元ラガーマン。

小学校1年生時にサッカーを始め[11]、6年時に愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けるも不合格[12][13]。西条市立北中学校時代に恩師である井上博に出会い[14]、この時期の走り込みにより現在の豊富な運動量のベースが作られた[12][14][15]。サッカーの強豪東福岡高校では、森重潤也のもと2年生時に1ボランチとしてレギュラー入りしたが[15][16]、地区選抜などには選ばれず全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られず[17]、進学先の明治大学政治経済学部[18][19]には指定校推薦で入学した。高校時代の同級生には近藤徹志ラグビー日本代表豊田将万などがいる。

明治大学時代[編集]

2005年、明治大学サッカー部入部。神川明彦監督によって右サイドバックへコンバートされた[17]。神川は長友を右サイドバックにコンバートした理由について、フィジカルの強さ、走力、攻撃の完結力を生かすためであると語る[20][15][注 4]。このポジションでのプレーをものにしつつあった矢先、入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発[17]。試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いた。この時期、サッカーができないストレスでパチンコなどの遊興に溺れたことがあったが、実姉や大学の同窓生の叱咤激励で乗り越えることができたと語っている。

2006年8月にかけて復帰し、後期リーグの開幕戦で入部以来初の先発出場[22]。椎間板安定の為に腰周りの体幹筋を鍛えたことも奏功し[23]、復帰後3試合ほどで神川が「別格」と評するほどのプレーを見せるようになった[24]。身体能力の強さから3バックで臨む際にはセンターバックを務めたこともあった[25]。ここから急速に頭角を現し、全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出された[26]。同学年には藤田優人林陵平橋本晃司らがいた。

2007年3月に行われたFC東京との練習試合におけるFWリチェーリとのマッチアップが当時の原博実監督など東京関係者の関心を引き[27]、5月から特別指定選手としてFC東京の練習に参加[19]。7月8日のナビスコカップ準々決勝の対横浜FM戦で途中起用され公式戦デビュー。さらにU-22日本代表として北京オリンピックアジア二次予選のマレーシア戦に選出[28][注 5]。右ウイングバックで出場し、ダイビングヘッドでの先制点に加えて[22]PKを獲得するなどの活躍を見せた。

FC東京時代[編集]

大学卒業を待たずしてプロに進むことを決意し[8][13]、2008年に在学したままサッカー部を退部して[注 6]FC東京と正式契約を結んだ[30]。サッカー部を1年残して退部しFC東京とのプロ契約を決断した理由の一つに、「女手一人で自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった」ことを挙げている[31][1][8]。3月8日、リーグ開幕戦の神戸戦から、前年までレギュラーだった金沢浄らを押しのけてスタメン出場を果たす[13]。5月3日、第10節大宮戦でJリーグ初得点を決めた[13]。東京加入後の主ポジションは左サイドバックであったが[32]、同年後半、当時の監督城福浩は、東京のその時点でのチーム状況や対戦相手の選手の特長によって、右サイドバックを主としていた徳永悠平[注 7]と長友を左右入れ替えて起用した[35]

5月18日には岡田武史監督率いる日本代表に初招集され、5月24日キリンカップコートジボワール戦にフル出場して代表初出場を記録[10]。11月13日のキリンチャレンジカップシリア戦では先制のミドルシュートを決め代表初得点を記録した[10]。また、同年の北京オリンピック日本代表に選出され[36]本大会にも出場したが、チームはグループリーグ3戦全敗に終わり、後に「余裕がなかった」「思い通りのプレーはできなかった」と語っている[37]

2009年からは土斐﨑浩一フィジカルコーチとともにアップダウンの質の向上を目指し走法の改良に着手[38]。運動量と、強靭なフィジカルを活かしたスピード感のあるプレーに磨きをかけた。同年12月に日本代表の特別講師を務めた川本和久からは、代表選手の中で唯一長友だけが「文句なし」のランニングフォームであると評価された[39][14]。同年後半からは攻撃の駒としてサイドハーフに上がり、サイドバックには椋原健太らが投入されるという起用法も見られ[9]、東京のナビスコカップ優勝に貢献するなど、ユーティリティー性を発揮し、この年のJリーグベストイレブンにも選出された[40][13]

2010年に開催された南アフリカワールドカップでは、全4試合に左サイドバックでフル出場を果たした[13]。グループリーグ第1戦のカメルーン戦では後にチームメイトとなるサミュエル・エトオを徹底マークし完封、第2戦のオランダ戦においては途中出場したエルイェロ・エリアのポジションに合わせて右サイドバックにポジションチェンジするなどエースキラーとして活躍し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。同大会から国際サッカー連盟(FIFA)が導入したレーザー計測によると、長友のトップスピードは第1戦(カメルーン)では時速30.13キロメートル(km)[41]、第2戦(オランダ)では同26.70km[42]と、両試合共に対戦相手を含めて最速を記録した[注 8]。また、この活躍により地元の愛媛県から愛媛県文化・スポーツ賞を授与された[45][13]

7月14日、ワールドカップでの活躍が評価され、セリエAに20シーズンぶりに昇格したACチェゼーナへ買い取りオプション付きでのレンタル移籍が決定[46]。退団セレモニーの際は「みなさんと別れるつもりはありません。世界一のサイドバックになって、また青赤のユニホームを着たいです」と涙ながらに語り、東京サポーターから拍手でイタリアに送り出された[47]

ACチェゼーナ時代[編集]

チェゼーナ時代

チェゼーナでは自ら希望した背番号5番を譲り受け[33]、左サイドバックとして開幕戦(対ローマ戦)からフル出場。マッシモ・フィッカデンティ監督からは「長友は左右どちらもいいが、ポゼッションとビジョンの点では左の方がいい」と評され[48]、試合に応じ両サイドで起用(試合展開によっては前線に入る)され、11月21日の第13節パレルモ戦ではチェゼーナ加入以来初となるアシストを決めた[49]。その後、12月18日の第17節カリアリ戦までフィールドプレーヤーではチーム唯一の全試合フル出場を続け、ロレンツォ・ミノッティ強化部長からは「(長友は)とてもいいプレーをキープしており、人間的にも素晴らしくロッカールームを団結させる存在」と高く評価された[50]。また、本人もセリエAでの経験から、トップレベルの相手に対する間合いの取り方を体得し、走力、フィジカルの更なる向上の手応えを掴んだと語っている[51]

2011年に開催されたアジアカップでは全6試合にフル出場[13](日本代表では長友と今野泰幸のみ)し、決勝のオーストラリア戦では試合途中に左サイドバックから左サイドハーフにポジションを上げて、李忠成の決勝点をアシストするなど日本代表のアジア制覇に貢献した[52]

インテル時代[編集]

2011年1月31日、移籍金約2億円で[53]チェゼーナへ完全移籍し[54]、さらに冬の移籍市場の最終日となった同日、ダビデ・サントンとのトレードで、インテルへのシーズン終了までのレンタルが決定した[55][56][57]。背番号は55番[注 9]。2月6日、セリエA第24節ローマ戦でインテルでのデビューを飾り、3月6日の第28節ジェノア戦にてセリエA初得点を決めた。3月15日、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝トーナメント1回戦2ndレグバイエルン・ミュンヘン戦では、途中出場で日本人4人目となるCL決勝トーナメント出場を果たし、アウェーでの勝利に貢献[59]。準々決勝では内田篤人が所属するシャルケ04との対戦となり、CL初の日本人対決を演じ、2ndレグでは両チーム最長の走行距離を記録し[60][61]、地元紙から高評価を得たものの[62][61]、チームはここで敗退。5月22日のリーグ最終節カターニア戦ではリーグ戦2得点目を挙げた。5月29日、シーズン最終戦となったコッパ・イタリア決勝のパレルモ戦では右SBとしてフル出場し、イタリアでの初タイトルを手にした。

2011-12シーズンの始動日となった7月1日、5年契約でインテルへの完全移籍が発表された[63][64]12月10日の第15節フィオレンティーナ戦と、12月13日の第11節(悪天候による延期開催)ジェノア戦で自身初の2試合連続ゴールを挙げ、12月21日レッチェ戦では2アシストの活躍を見せた。2011-12シーズンのインテルは不振により、2度の監督交代があり、交代当初は起用されないこともあったが、最終的にレギュラーの座を確保した。

2012年10月7日のセリエA第7節ACミランとのミラノダービーで2枚のイエローカードを受け、自身初の退場処分となった[65]12月9日に行われたセリエA第16節ナポリ戦でイタリアでの公式戦100試合出場を果たした[66]。2013年2月25日、第26節のミラノダービーで同点ゴールをアシストするも直後に左膝を負傷し途中退場。以後、出場から遠ざかり4月14日の第32節カリアリ戦で復帰するも左膝痛を再発しわずか8分で負傷退場となってしまった。後日、左膝半月板損傷と診断され手術が必要とされたが[67]、保存療法を選択することで手術を回避し、シーズン終盤に復帰を果たした。

2013年8月27日の2013-14シーズンのセリエA開幕戦ジェノア戦では1年8ヶ月ぶりの得点を挙げ、第2節のカターニャ戦でもヘディングシュートを決め、2試合連続ゴール。得点に絡むべく、ゴール前に走り込むプレーを繰り返した[68]。同年12月22日のミラン戦において、後半に交代でピッチを去るエステバン・カンビアッソからキャプテンマークを受け継ぎ、移籍4シーズン目にして初めてゲームキャプテンを任された。この年、アジアサッカー連盟から国際最優秀選手賞に選出された。2013-14シーズンはシーズン通して大きな怪我もなく、最終的に自己最多の5得点6アシストを記録するなど[69]攻撃面でも大きな向上を見せたが[70][71]、チームは2年連続でCL出場権を逃した。

2014年6月に開催されたFIFAワールドカップではグループリーグ全試合にフル出場。第1戦コートジボワール戦では本田圭佑の先制ゴールをアシスト[72][73]したが、自身の背後のスペースを狙われて[74]左サイドで数的不利の状況を作られ連続失点[75][73]。走行距離では3試合で、スプリント数及び最高時速では2試合で両チームトップの記録を残すなど[注 10]死力を尽くしたが[78]、2戦目・3戦目での攻撃参加は得点に結びつかず[78]グループリーグ敗退に終わった。

2014-2015シーズン、インテルで副主将に任命される。

プレースタイル[編集]

豊富な運動量と抜群のスピードが武器のサイドバック。俊敏性に優れ、1対1に強く上背はないが、大型FWにも競り負けないフィジカルと身体能力の高さを併せ持つ。効果的ドリブル、思い切りの良い飛び出し、そして相手の隙を突いて放つミドルシュートも大きな武器である。守備の文化があるイタリアに渡ったことでカバーリングやポジショニングにも磨きがかかった[79][80][81]

試合中での献身的なプレーや走行距離に裏付けされた運動量によって、長友がボールを持って走り出すと観客席から大きな歓声が起きることも珍しくない。イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』では長友について「インテルに欠けていた闘争心に飢えている象徴的存在」と評している[82]

エピソード[編集]

  • 明治大学在学中に教職課程にも通った。卒業論文のテーマは「イギリス文化研究」[83]
  • 明治大学時代、ケガで試合に出場ができなかった頃の長友の叩く応援太鼓はスタンドの話題となり[84]鹿島のサポーター集団IN.FIGHTから勧誘を受けるほどだった[11]
  • U-22代表に選考されたきっかけは、2007年1月初旬に明大の神川監督が同大の1年後輩であり当時U-22代表のコーチを務めていた江尻篤彦に「どうしても見て欲しい選手がいるので、だまされたと思って一度(長友の)プレーを見に来て欲しい」と連絡し、総理大臣杯準々決勝を江尻が視察に訪れたことがきっかけとなった[85][22]。神川は「(後輩の)江尻がコーチでなければ電話はできなかった。直接話せる人がそういう立場にいることはなかなかないし、運命だった」と語っている。
  • 2010年2月、FC東京がキャンプ地としている宮崎県都城市の特派大使に任命された[86]。同市は、父方の祖父の出身地でもあり、名前の「佑」もここから付けられた。5月には、既にFC東京選手会および城福監督が口蹄疫被害への義援金を同市に提供していたが、個人としても義援金を提供[87]
  • 地元愛媛県の久万高原天体観測館職員中村彰正は、自ら発見した小惑星(登録番号158241)に『Yutonagatomo』と命名している[88]
  • インテル入団に際し、長友はイタリア語で書かれた契約書を読めず交渉が難航していた。困ったレオナルドは日本に国際電話をかけ、親交のあった鈴木国弘(ジーコJAPAN通訳)に通訳を依頼[89]。レオナルドがイタリア語からポルトガル語へ、鈴木がポルトガル語から日本語へ翻訳し、長友に伝えられ無事に契約書へサインした。
  • セリエA初得点を決めたときにハビエル・サネッティと披露したお辞儀のパフォーマンスは地元紙で大きく報じられた[90]。このお辞儀は元々、長友がインテルの練習で行っているもので、いまでは長友がお辞儀をすると観客もお辞儀を返すほど有名になった。当初はゴールパフォーマンスだったが、「お辞儀」が広く認知されたことでアシストなど長友が活躍した場合にも、選手たちが輪になってお辞儀をする光景が見られる。また若手選手の下部組織であるプリマヴェーラでも、ゴールの後にお辞儀を行う場合がある[91]
  • インテル移籍後の2011年4月30日、アウェーのチェゼーナ戦では、チェゼーナに在籍していたシーズン前半で16試合にフル出場しチームに多大な貢献を与えたという理由で、試合前にチェゼーナのマンチーニ副会長から特別表彰のトロフィーが贈られた[92]。また2011年12月18日のアウェー戦でも試合開始前にチェゼーナサポーターから「ユウト」コールが上がり長友もこれにお辞儀で応えるなど、わずか半年間の在籍だったにもかかわらずチェゼーナとはクラブ、サポーター両者共に非常に良好な関係を保っている[93]
  • インテル在籍時のチームメートだったヴェスレイ・スナイデルとは公私共に仲が良く、スナイデルが自宅に招いた長友とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿して話題となった[94]。またキャプテンのサネッティは長友について「ユウトはたまたまインテルでポジションを手に入れたわけではない」とサッカー選手として評価しながらも、「時々、動くクマのぬいぐるみじゃないかと思っちゃうんだ。かわいすぎるよ!あんなにチームのフィーリングとマッチする選手って、滅多に居ないんじゃないかな。だからみんなから好かれてるんだよ」と語っている[95]
  • アントニオ・カッサーノはインテルに移籍した際の記者会見で、以前から顔見知りだった長友の名前を挙げ「オレがインテルに来たのは、長友のためってのもあるんだ」「ユウトはすでにオレの愛弟子になってるのさ」と発言し、会場の記者たちの笑いを誘った[96]。その後、練習やプライベートでの親密ぶりはもとより、試合でも攻撃で抜群のコンビネーションを見せた。両者の関係はカッサーノがインテルを去ってからも良好で、頻繁に電話やメールのやりとりを続けている[97]
  • インテルの会長マッシモ・モラッティはチームで最もフレンドリーな選手に長友を挙げ、「チームのマスコットとなり、 震災の影響を感じさせず明るく振舞っている」と評価している[98]。チームの合宿でも他の選手から「同じ部屋にいると楽しめる」という理由で同室を希望する声が殺到したり[99]、新シーズンに向けたイベントでは5000人のサポーターをチャントで煽り盛り上げるなど[100]、卓越したコミュニケーション能力が注目されている。チェゼーナでチームメイトだったジュゼッペ・コルッチは「長友は日本人なんかじゃない。あれはラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人だよ」と語っている。コルッチはレッジーナ中村俊輔と、カターニャ森本貴幸と共にプレーしてきた。「最初は大人しくてまじめな選手なんだろうなって思ってた。いわゆる一般的な日本人像ってやつだ。礼儀正しくて物静か。あまり輪の中に入ってこない、いつもクールな日本人。中村は根っからに真面目だったな。初めて彼の声を聞いたのは半年くらい経ってからだ。森本もそこまで賑やかなタイプじゃない。中田(英寿)もそうなんだろう? でも長友は違う。ロッカールームでふざけあってたし、冗談も言いあってた。最初は言葉も話せなかったのにね。今考えると、それは新たな環境への適応力だったんだと思う」と語っている[101]
  • 2011年5月にはピッチ内外でエレガンスとフェアプレーを示した選手としてサネッティらと共に「サン・シーロ・ジェントルマン賞」を受賞した[102]
  • 自身初の著書『日本男児』が、2011年6月6日付のオリコン本ランキングで、スポーツ選手としては初となる売上1位を獲得した[103]。後にイタリア語に訳され『Un ragazzo giapponese』として出版されている。
  • 2011年12月、ESPNSTAR.comが発表した「2011年度世界のディフェンダートップ5」の一人に選ばれた[104]
  • 2013年6月14日からディズニーXDで、本人をモデルとし、監修したアニメ『ゆうとくんがいく』が放送された[105]
  • 2014年04月20日パルマFC戦で、フレディ・グアリンにアシストをマークした際、グアリンと「半年前から温めていた」という相撲の“ぶつかり稽古パフォーマンス”で喜びを表した。
  • イタリアのスポーツサイト「sportcafe24.com」が発表した2013-14シーズンにおけるセリエAのベストプレーヤー左サイドバック部門で最優秀プレーヤーに選出された[106]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2006 明治大 12 - - - 1 0 1 0
2007 2 - - 1 0 1 0
2007 FC東京 36 J1 0 0 1 0 - 1 0
2008 5 29 3 3 0 3 0 35 3
2009 31 1 4 1 1 0 36 2
2010 12 1 1 0 - 13 1
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2010-11 チェゼーナ 5 セリエA 16 0 0 0 - 16 0
インテル 55 13 2 3 0 - 16 2
2011-12 35 2 1 0 - 36 2
2012-13 25 0 2 0 - 27 0
2013-14 34 5 2 0 - 36 5
2014-15 -
通算 日本 J1 72 5 9 1 4 0 85 6
日本 - - 2 0 2 0
イタリア セリエA 123 9 8 0 - 131 9
総通算 195 14 17 1 6 0 218 15
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFA UEFA EL UEFA CL
2010-11 インテル 55 - 3 0
2011-12 - 7 0
2012-13 8 2 -
2013-14 -
2014-15 -
通算 UEFA 8 2 10 0

その他の国際公式戦

出場歴[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

日本の旗 FC東京
イタリアの旗 インテルナツィオナーレ・ミラノ

代表[編集]

個人[編集]

アマチュア時代
プロ時代

代表歴[編集]

日本代表での長友

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 76試合 3得点 (2008年 - )[10]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2008 7 1
2009 11 2
2010 16 0
2011 10 0
2012 10 0
2013 12 0
2014 10 0
通算 76 3

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2008年11月13日 日本神戸 シリアの旗 シリア ○3-1 キリンチャレンジカップ2008
2. 2009年05月31日 日本、東京 ベルギーの旗 ベルギー ○4-0 キリンカップサッカー2009
3. 2009年10月08日 日本、静岡 香港の旗 香港 ○6-0 アジアカップ2011 予選

書籍[編集]

執筆書籍[編集]

関連書籍[編集]

DVD[編集]

出演[編集]

CM[編集]

日本
』長友 春篇 (2012年) - ももいろクローバーZと共演
「NAGATOMO MEETS AXELA」(2014年)
イタリア
  • インテル・チャンネル (2011年)

テレビ・ラジオ[編集]

PV[編集]

  • Miss Monday 「Run The World -意思あるところに道あり-」 (2011年)

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ チェゼーナの元同僚、エマヌエレ・ジャッケリーニ[2]インテルの元同僚、マルコ・マテラッツィ[3]など。
  2. ^ 「MOTORINO」。イタリア語で「原動機付自転車」を指す[4][5]
  3. ^ 「Nagatiello」。接尾辞「-ello」はイタリア・カンパニア州に多い姓で、長友は同州のナポリに見られるような気質を持つという意[6]。また、「-ティエロ」はイタリアで子供への愛称や親しみを込める場合にも用いられる。
  4. ^ 一方で、クロスの精度や攻撃のオプションのパターンには課題が残るとしていた[21]
  5. ^ U-22日本代表は二次予選第5戦終了時点でアジア最終予選進出を決めていたため、第6戦のマレーシア戦は消化試合となっており[22]、この試合に限っては主力メンバーの大半が入れ替ったセカンドチームとなっていた[29]
  6. ^ サッカー部総監督の井澤千秋は「スポーツ推薦で入ってきた選手であれば、4年間(サッカー部に)在籍しないとまずい」と述懐しており、指定校推薦で入学し、一般生として入部したことが幸いした[24]
  7. ^ 長友はしばしば「ゴリラ」と自称するが[33]、二人は「ゴリラ兄弟」とのこと[34]
  8. ^ 第3戦(対デンマーク)ではクリスティアン・エリクセンが同28.72kmを[43]、決勝トーナメント1回戦(対パラグアイ)では本田圭佑が同29.43kmを記録しており及ばず[44]
  9. ^ 「いつも5番を着けていたが、デヤン・スタンコビッチが使っていたので、55番を希望した」とコメントしている[58][4]
  10. ^ 3試合とも11km超を走り、時速30km超を記録[76]コロンビア戦ではサンティアゴ・アリアスが時速31.39kmで長友を上回った[77]
出典
  1. ^ a b c PLAYER'S DATABASE - ウェイバックマシン(2010年9月12日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  2. ^ チェゼーナ時代の同僚が長友を称賛「長友は素晴らしいクオリティーを持っている」 サッカーキング、2011.04.28
  3. ^ …….BEN ARRIVATO NAGA……W IL GIAPPONE !!!!!! 2011.02.09
  4. ^ a b 【イタリア】「長友はミニバイクだ」とサネッティは言った web Sportiva、2011.02.11
  5. ^ 【イタリア】今日も練習場ではマテラッツィが長友につきまとう (2/2) web Sportiva、2011.02.26
  6. ^ 【イタリア】今日も練習場ではマテラッツィが長友につきまとう (1/2) web Sportiva、2011.02.11
  7. ^ 欧州サッカー|日本人選手情報|長友佑都 スポーツナビ 2013年1月16日閲覧
  8. ^ a b c d 明大3年・長友 東京に電撃入団 - ウェイバックマシン(2007年12月21日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2007年12月20日)
  9. ^ a b 東京長友が左MFで1点&アシスト / J1 日刊スポーツ、2009.09.27
  10. ^ a b c d “長友 佑都”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_na/yuto_nagatomo.html 
  11. ^ a b 若き青赤戦士の日記 - ウェイバックマシン(2009年5月5日アーカイブ分) FC東京 (2008年4月4日)
  12. ^ a b 長友23歳「天職」証明の日「エトー止めて世界驚かせる」 朝日新聞デジタル、2010.06.14
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 100人の証言,124頁
  14. ^ a b c 挑む23選手:サッカー・W杯日本代表/9 DF・長友佑都 毎日新聞、2010.05.26
  15. ^ a b c OCNスポーツ・インサイドストーリー vol.9 “負けじ魂”で代表まで上り詰めた 長友佑都のちょっと「逞しい話」 (元川悦子) OCNスポーツ 2010.09.15
  16. ^ Sports Graphic Number 775 長友佑都 「不屈」文藝春秋2011年3月24日、26-32頁。
  17. ^ a b c 杉澤,80-82頁
  18. ^ サッカー部OB・長友佑都氏がサッカーW杯日本代表に選出されました”. 明治大学 (2010年5月10日). 2012年6月1日閲覧。
  19. ^ a b 長友佑都選手(明治大学)「JFA・Jリーグ特別指定選手」承認のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年5月4日アーカイブ分) FC東京 2007.05.02
  20. ^ 2010年1月31日放送「FOOTBALL DX
  21. ^ FORZA SHIKOKU 長友佑都 第3回「サイドバックという新たな道」 SPORTS COMMUNICATIONS、2007年11月
  22. ^ a b c d 杉澤,89-90頁
  23. ^ 杉澤,86-88頁
  24. ^ a b 杉澤,93-94頁
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]