遠藤保仁

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遠藤 保仁 Football pictogram.svg
Yasuhito Endō against Bahrain June 22 2008.png
名前
愛称 ヤット、ヤットさん
カタカナ エンドウ ヤスヒト
ラテン文字 Endo Yasuhito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1980年1月28日(34歳)
出身地 鹿児島県桜島町(現:鹿児島市
身長 178cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ガンバ大阪
ポジション MF (OH, CH)
背番号 7
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998
1999-2000
2001-
日本の旗 横浜フリューゲルス
日本の旗 京都パープルサンガ
日本の旗 ガンバ大阪
0160 (1)
0530 (9)
399 (82)
代表歴2
2002-[1] 日本の旗 日本 148 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年11月24日現在。
2. 2014年11月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )は、鹿児島県桜島町(現:鹿児島市)出身のプロサッカー選手Jリーグ ディビジョン1ガンバ大阪所属。日本代表ポジションミッドフィールダー。実兄は元サッカー選手の遠藤彰弘

日本代表国際Aマッチ出場数最多記録保持者[2]。2009年アジア年間最優秀選手

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

鹿児島県桜島町に三兄弟の末弟として生まれ、6つ年上の長男・拓哉と4つ年上の次男・彰弘に影響され、物心ついた頃から自宅の庭でボールを蹴り、高校選手権やワールドカップのビデオを見ては、気に入ったプレーを真似していたという[3]鹿児島実業高等学校では1年生時の1995年高校選手権優勝。2年生時の1996年には高円宮杯優勝、高校選手権では準々決勝でPK戦で敗れたものの2年生ながら大会優秀選手に選ばれ、U-18日本代表にも選出された。また、2年時には当時鹿児島実業サッカー部を指導していたブラジル人コーチのジョゼ・カルロスの勧めで1カ月ブラジルに短期留学し、サンパウロ州のECサンベントの練習に参加した[4]

横浜F・京都[編集]

高校卒業後の1998年横浜フリューゲルスへ入団。当時の監督カルロス・レシャックから才能を見いだされ、リーグ開幕戦の横浜マリノス戦でいきなりプロデビューを果たし、8月1日の鹿島アントラーズ戦でプロ初得点を挙げ、1年目でリーグ戦16試合に出場するなど順調な滑り出しを果たした。しかし、同年限りでクラブが消滅したため、手島和希大島秀夫辻本茂輝ら他の新人選手とともに1999年京都パープルサンガへ移籍。当時のチームメイトには三浦知良パク・チソン松井大輔等がいた。京都ではレギュラーに定着するも2000年に京都がJ2へ降格したため、2001年ガンバ大阪へ完全移籍した。

ガンバ大阪[編集]

ガンバでは2002年に就任した西野朗監督の下、攻撃的なスタイルを標榜するチームの中心選手になっていき、ガンバに移籍して3年目の2003年に初めてJリーグベストイレブンを受賞する。2005年のナビスコカップ決勝の千葉とのPK戦では立石智紀相手にプロ入り以来初めてPKを失敗してしまいナビスコカップ優勝を逃すも[5]、この年自身初のシーズン2桁得点を記録し、リーグ最終節川崎戦では、PKでガンバにとって初のタイトルとなるJリーグ優勝を決める決勝ゴールを挙げ、自身にとっても初となるJリーグ優勝を経験。

2006年からは、二川孝広橋本英郎に加えこの年新加入した明神智和とで構成された抜群のパスワークで相手を圧倒する中盤は「黄金の中盤」と称され[6]、ガンバの攻撃陣を牽引していたが、10月に日本代表でのインド遠征中に発熱してから体調が戻らず、後にウイルス性肝炎と判明したことで[7]、シーズン終盤は1ヶ月以上の戦線離脱を余儀なくされた。12月2日に行われたリーグ最終節の浦和戦で復帰するも、チームは敗れリーグ連覇を逃した。2007年はシーズン通して大きな体調不良もなく、リーグ戦全34試合にフル出場し、ナビスコカップ優勝にも貢献。

しかし、2008年6月末にウイルス性感染症により、再び1ヶ月以上の離脱を余儀なくされ[8]オーバーエイジ枠でのメンバー入りが確実視されていた北京オリンピック日本代表を辞退することとなった[9]。さらに遠藤離脱後、ガンバはリーグ戦で不振に陥った。それでも、復帰後のACLではアシストを連発し、特に準決勝の浦和戦では2戦合計2ゴール2アシストと全得点に絡む活躍でクラブ初のアジア制覇に貢献し大会MVPを受賞した。同年11月には、イングランド2部プリマスからオファーを受けるが、家族のことなどを考慮してガンバに残留した。同年12月に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップでも、準々決勝のアデレード・ユナイテッド戦では決勝ゴールを挙げ、準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦ではチームは敗れるも試合終盤にPKでゴールを挙げ、決定的なパスを前線に供給するなど攻守に活躍を見せた。この活躍により、同大会を優勝したマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督からは「キト(決勝で対戦した南米王者)には遠藤と同じくらいのクオリティーを持った選手はいなかった。」と賞賛された[10]。さらに、同年度の天皇杯優勝にも貢献し、ガンバでは2005年のアラウージョ以来となる日本年間最優秀選手賞を受賞した。

2009年11月にはAFCから日本人では1993年の三浦知良、1995年の井原正巳、1997年、1998年の中田英寿、2002年の小野伸二以来5人目(6度目)となるアジア年間最優秀選手賞を受賞した(ちなみに、この前年も最終候補まで残っていたが受賞はならなかった)。リーグ戦では自身5年ぶりとなる2桁得点を記録し、2010年1月1日に行われた天皇杯決勝の名古屋戦では、2ゴール1アシストと圧巻の活躍を見せガンバの天皇杯連覇の立役者となった[11]。なお、この頃からポジションを代表と同じボランチに移すようになった。

2010年は代表との過密日程で開幕からコンディションが安定せず、2月27日に行われたゼロックススーパカップ鹿島戦では、PK戦で枠を外す失敗をしてしまい[12]、自身の不調と比例するかのようにチームもリーグ戦で低迷してしまう。それでも、南アフリカW杯後の復帰初戦となった浦和戦では試合終了間際に決勝ゴールを挙げ[13](このゴールはガンバの公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』で、選手とサポーターが選ぶベストゴール賞を受賞した)、その後は安定した活躍を見せた。

2011年Jリーグ開幕戦となったC大阪との大阪ダービーで、プロ14年目にして初となる開幕戦でのゴールを決めた。7月には3試合連続得点を記録するなど、優勝争いを続けるチームを牽引していたが、8月以降右内転筋痛によりプレースキックを蹴れない状態が続き[14]、さらにクラブ・代表の過密日程により十分な休養が取れないまま強行出場を続け、最終的に発熱で欠場した1試合を除くリーグ戦33試合に出場したが、シーズン終盤まで完治しなかった。11月26日、J1第33節仙台戦で史上7人目となるJ1通算400試合出場を達成[15]

2012年、前年に退団した山口智に代わりガンバの副主将に就いた。6月23日、J1第15節札幌戦で、三浦淳宏の記録を抜く当時のJリーグ歴代1位となる通算16得点目の直接フリーキックを決めた[16]。7月21日、カシマスタジアムで行なわれた東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチでは、サポーター投票で最多の320,709票を集め[17]、Jリーグ選抜の一員として出場した。この年、ガンバは極度の不振に陥り、自身は代表との過密日程ながら5年ぶりにリーグ戦全試合に出場したが、京都時代以来のJ2降格となってしまった。

2013年、J2降格となったガンバに残留。また、明神智和から引き継ぎプロ入り以来初の主将に就いた。自身初のJ2でのプレーとなったこの年、日本代表との並行日程でリーグ戦の約4分の1ほどを欠場してしまったが、終始安定したプレーを発揮し、ガンバのJ2優勝と1年でのJ1復帰に貢献。シーズン終盤には、フォワードとしてやや高い位置でプレーしながら、この年チーム最多得点を記録した宇佐美貴史をサポートする役割を担った[18]。シーズン終了後のJリーグアウォーズでは、サポーターの投票で選出されるJ2最優秀選手賞にあたる「J2 Most Exciting Player」を受賞した。

日本代表[編集]

1999年、U-20日本代表としてナイジェリアで開催された第10回ワールドユース選手権に出場し、日本代表の準優勝に貢献。この代表メンバーは後にJリーグやA代表の中心的存在となる選手が多かったことから「黄金世代」と呼ばれている[19]。同年、シドニーオリンピック予選のU-22日本代表にも選出され、アジア1次予選、最終予選はスターティングメンバーとして戦ったが、2000年シドニーオリンピック本大会では、予備登録メンバーとして選出されるも、出場機会はなかった。

2002年、当時の日本代表監督ジーコによってA代表に初招集され、11月20日のキリンチャレンジカップアルゼンチン戦で初出場を果たし、以降、代表レギュラーの座を勝ち取る。翌2003年には、FIFAコンフェデレーションズカップ2003に全試合スタメン出場。同年8月20日のナイジェリア戦で待望の代表初ゴールを挙げる[1]。当時のボランチは同期の小野伸二稲本潤一中田浩二といった海外組を始め、同じ国内組の福西崇史などがいたため激戦区であったが、2004年のアジアカップレギュラーとして日本代表の優勝に貢献した。翌年、中田英寿のボランチへのコンバート志願のあおりを受け、再び控えに回る事になり、2006年ドイツW杯ではフィールドプレーヤー(GK以外の選手)で、唯一ピッチに立つことがなかった[20]

ドイツW杯後、新監督イビチャ・オシムからの指導でプレースタイルに磨きをかけ、代表の中心的存在に登りつめ[21]、ドイツW杯を最後に現役を引退した中田の背番号7を引き継いだ。オシムジャパンではボランチではなく、オフェンシブハーフとして起用されたのが特徴である(ガンバ大阪では同様の起用法は頻繁に見られるが、日本代表では主にボランチで起用されていた)。

2007年12月、オシム監督が病に倒れ退任、急遽監督に就任した岡田武史は、当初、オシムのチームを引き継ぐという立場であったため、遠藤もオシム時代同様にオフェンシブハーフでの起用が多かったが、岡田が「俺のやり方でやる」と宣言した2008年の南アフリカW杯アジア3次予選から、長谷部誠とダブルボランチを形成。守備陣と攻撃陣のパイプ役を担って、南アフリカW杯予選突破に貢献し、岡田からは「チームの心臓」と称された[22]。その後も、代表でのレギュラーの座を不動のものにしていたが、W杯直前にリーグ戦やACL、さらには日本代表戦など、連戦による過密日程をこなすことで大きくコンディションを落とし、2010年2月の東アジア選手権や親善試合のセルビア戦では低調なパフォーマンスに終わり、クラブに戻っても数試合は休養を取らざるを得なかった。

2010年5月10日に南アフリカW杯のメンバーに選出され、6月の本大会ではグループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合の全試合に司令塔としてスタメン出場を果たした。6月25日のグループリーグ第3戦のデンマーク戦では直接フリーキックを決めてW杯初得点を挙げ、4試合トータルでチーム1の走行距離を記録するなど、日本代表初のアウェーでのベスト16入りに大きく貢献した。このフリーキックについて遠藤本人は、「(本田圭佑が蹴る事を希望していたが)圭佑は1本目決めてたんで、俺に蹴らせろみたいな感じ」で自身が蹴る事にしたと語っている[23]。尚、W杯で1試合2本のフリーキック成功は44年ぶりであった[24]

2010年10月12日、親善試合の韓国戦で、井原正巳川口能活中澤佑二に次ぐ4人目、GKとDF以外のポジションの選手では初となるA代表100試合出場を達成[25]

南アフリカW杯後に日本代表監督に就任したアルベルト・ザッケローニからもレギュラーとして起用され、2011年1月に開催されたアジアカップでは全6試合にスタメン出場を果たし、チーム最年長、チーム最多CAP選手として若いチームを引っ張り、中盤の底から決定的なパスを何本も供給し、ゲームをコントロールし続けた大車輪の活躍で、日本代表の2大会ぶりのアジア制覇に大きく貢献し[26]、大会MVPに輝いた本田圭佑は、MVPについて感想のコメントを求められ「個人的にはヤットさん(遠藤)だと思う。ああいう人がいなかったら勝負は紙一重だった」と遠藤を讃えた[27]

2011年3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、先制点となるフリーキックを決めた[28]

2012年10月12日、フランスとの国際親善試合にフル出場し、井原正巳が持っていた日本代表の国際Aマッチ最多出場記録の122試合に並ぶと[29]、続く16日のブラジル戦にも出場し、最多出場記録を13年ぶりに更新[30]。さらに翌年2013年9月10日のガーナ戦に出場したことで、それまで東アジア諸国の国際Aマッチ最多出場記録を持っていた韓国洪明甫の136に並び、10月11日のセルビアとの欧州遠征第1戦に出場して137試合目となり、東アジア最多出場記録を更新した。

2014年5月、ブラジルW杯代表に選出され、日本代表では唯一ドイツ大会から3大会連続選出となった。本大会では、第1戦コートジボワール戦、第2戦ギリシャ戦ともに長谷部誠に代わり後半から出場。第3戦コロンビア戦は出場機会がなくチームも敗れグループリーグで敗退した。

プレースタイル[編集]

ボールキープが巧みでタメをつくることができ、正確なパスを散らすゲームメーカー[31]。短距離~やや長い浮き球のパスを得意とし、中央からの散らしに関しては足元・スペースを正確に突く、特に短距離のパスは相手の重心と反対の方向へ出すことでカットされにくく、日本でも屈指の精度を誇る。また、ガンバの戦術上、中・長距離のパスは用いることは少ないが、これも非常に高い精度を持つ[31]

ポジションは主に攻撃的MFおよびセントラルMF。スピードやフィジカルに頼ったプレーやヘディングは得意ではないが[32]プレースキックの精度が高く、直接得点したりアシストする場面が頻繁に見られる。直接フリーキックはプロ入り初期はそれほど蹴っていなかったが、日本代表に選出された後、監督のジーコからプレースキッカーの役割を担うよう提言を受け、以降はクラブや代表でもプレースキックを任されることが多くなった。強い回転系のシュートを得意としており[24]、ペナルティエリアやや外くらいからゴールマウスを的確にとらえられる高精度のミドルシュートを持つ。また、テクニックタイプではあるがボディーコンタクトも強い。

運動量も豊富であり、攻守において貢献度が高い選手である(2010 FIFAワールドカップで計測された4試合389分での走行距離は47.02km。同大会に出場した日本代表選手での中で本田圭佑(45.48km)、長友佑都(45.43km)らを抑え最長を記録した[33])。また、状況判断力にも長け、パスを供給する位置やタイミングを自在に把握する広い視野と戦術眼も併せ持っており[34][35]、本人の何事にも動じない落ち着いた性格からどんな状況でも常に慌てることなくプレーできるなどメンタル面も強い[34]

現在では攻守に万能なタイプとしてアジアトップレベルの選手(日本では良いボランチとされるが、英語圏のダイナモ、伊語圏のクルソーレ、仏語圏のルラユール)である。元々は中盤の底からゲームメイクをし、運動量はそれほど多くなく、どちらかといえばバランサータイプであった。2006年に日本代表監督に就任したイビチャ・オシムから「チームのために走りなさい」と指導され、以降は自らドリブル突破やゴール前でのワンツーからの飛び出しなど仕掛ける動きが目立つようになり、攻撃的な役割を担う部分が多くなった[20]

これらなどから遠藤はクラブ・代表双方において必要不可欠な存在とされており、様々なところから「遠藤不在」が不安視され[34][36]、遠藤の後継者候補に挙げられる選手も多い[37][38][39][40][41]

PKに関して[編集]

遠藤はPKを蹴る際、しばしば遅めの球速で蹴る場合がある。ボールがピッチ上をコロコロ転がりゴールマウスに向かう様子からメディアやファンからは通称「コロコロPK」と呼ばれている[42]。助走時間を長く取ってゆっくりとボールに近づき、ボールは一切見ず相手ゴールキーパーの動きを最後まで見ることで相手の重心の動きを見極め[5]、ゴールキーパーが動いた方向とは逆方向にインサイドキックでボールを転がすように蹴る[43]。もしゴールキーパーが動かなかった場合はサイドに強く蹴る[43]

国内のリーグ戦やカップ戦では何度か失敗したことがあるが、リーグ戦での成功率は9割以上である[42]。さらに、2008年のFIFAクラブワールドカップ準決勝のマンチェスター・ユナイテッドとの対戦では、コロコロPKで元オランダ代表ファン・デル・サールからゴールを奪い[42]、2010年のFIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でも、1人目を任されて成功させる(ただし、この時はジャブラニがコロコロPKに合わないという理由でサイドに鋭く蹴った)[44]など、代表での試合を含め国際大会においても成功率は高い。

人物・エピソード[編集]

  • 憧れの選手はという問いには「2人の兄」を挙げており[45]、6つ上の長男・拓哉は鹿児島実業高校では前園真聖と共にプレーし、次男よりも憧れの選手で、[46]大学選抜や実業団で活躍。4つ年上の次男・彰弘横浜FM神戸で活躍し、アトランタオリンピックでは10番を背負ったなど、サッカー界では有名な「遠藤3兄弟」として知られている[45]
  • 夫人は高校時代の同級生で[47]、4人の子供(娘2人、息子2人)がいる[48]
  • 夫人と長男は2010 FIFAワールドカップに帯同。長男が「ゴール決めてね」といった後、父親・保仁は本当にゴールを決めた(デンマーク戦)。長男は昔の保仁少年より上手だと自著で述べられている。
  • フジテレビポンキッキシリーズ』のマスコット「ガチャピン」と容姿が似ていることから、スタジアムでガチャピンのイラストや人形を掲げて応援するサポーターも多い[49]2005年9月24日放送の「ポンキッキーズ」に出演した際、本物のガチャピンと共演し、「僕に似てるって言われるでしょ」と質問をされ、「昔は良く似てるって言われてました」と答えた[50]。2010年には所属するガンバ大阪やフジテレビKIDSで、遠藤とガチャピンのコラボグッズが発売された[51]。2010年9月8日にはガンバのホーム万博記念競技場へガチャピンが来場し[52]、2011年9月25日にはガンバの練習場に訪れたガチャピンにサッカーを教えた[53]。2011年12月4日に万博記念公園で行われたファン感謝祭では、自らガチャピンの着ぐるみを着て登場し、「本物です」「(似ているといわれて)嬉しいです」と答えた[54]
  • 性格はマイペースでおっとりしている。鹿児島実業高校時代の恩師・松澤隆司監督によると「運動能力が高く、持久走では1番になれる力がありながら、いつも3~4番」とあまり目立とうとしないタイプで[55]、親友の中村俊輔いわく「プレッシャーをかけてもゆっくり」とのこと。本人は「緊張はしないし、慌てたりすることもない。ストレスは感じない方。人の話をあまり聞いてないところが欠点」と自己分析している[56]
  • 趣味は競馬であり、2008年スプリンターズステークス優勝馬のスリープレスナイト一口馬主であった。また騎手福永祐一と交友がある。
  • 2010年の南アフリカワールドカップでの活躍で、セリエAジェノアが獲得に乗り出したと地元メディアで報じられたが、本人は「レベルの高いところでやりたい気持ちはあるけど、イタリアの(守備的な)スタイルは嫌い」と苦笑いしていた[57]
  • 2011年3月6日、アメーバブログに遠藤を名乗る偽ブログが掲載される騒動が起こった。8日にガンバ側が遠藤本人のブログではないことを公表し[58]、同日中にブログは閉鎖された。2014年1月15日、アメーバで公式ブログが開始された[59]
  • 2012年1月20日にNHK BS1で特集された『ドーハは悲劇だったのか~日本サッカー あの日からの18年~』番組内において、元日本代表監督のハンス・オフトは今一番会いたい選手として遠藤を指名し、対談する。その席上にて「遠藤の素晴らしさを日本で理解している人はまだまだ少ない。君は選手として全ての才能を持つ。状況判断、技術、メンタル。全てだ。」と賞賛した。また別の日にインタビュアーから「日本サッカーは何処を目指すべきか?W杯ベスト4か?それとも優勝か?」と問われ、「まずは日本は世界のベスト10を目標にするべき。それは遠藤のような選手を11人そろえれば必ずなれる。」と、ここでも遠藤を賞賛していた。遠藤は「ここまで評価して頂いているとは思わなかった。監督をして欲しいくらい。」と、喜びを表現していた。
  • 2012年4月13日放送の『僕らの音楽』で、大のサッカーファンである歌手の森山直太朗と対談した[60]
  • 2012年4月14日に公開された劇場版アニメ『名探偵コナン 11人目のストライカー』で声優に初挑戦した。遠藤は、主人公の江戸川コナンにフリーキックの心得を伝授する役で三浦知良らとともに出演した。遠藤は大のコナンファンであり、遠藤の家族もコナンファンで、特にコナンと灰原が好きなようである[61]。パンフレットの独占インタビューでも、国民的アニメのコナンに出演するということで、とても緊張していたことなどを述べている。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1997 鹿児島実高 7 - - - 1 0 1 0
1998 横浜F 27 J 16 1 4 0 0 0 20 1
1999 京都 14 J1 24 4 2 0 2 0 28 4
2000 29 5 6 1 1 0 36 6
2001 G大阪 19 29 4 4 0 3 1 36 5
2002 30 30 5 8 1 1 0 39 6
2003 7 30 4 6 0 2 0 38 4
2004 29 9 0 0 3 0 32 9
2005 33 10 4 0 2 0 39 10
2006 25 9 0 0 4 1 29 10
2007 34 8 8 1 4 0 46 9
2008 27 6 1 0 3 0 31 6
2009 32 10 2 0 4 3 38 13
2010 30 3 0 0 2 2 32 5
2011 33 4 0 0 0 0 33 4
2012 34 5 2 0 4 3 40 8
2013 J2 33 5 - 0 0 33 5
2014 J1
通算 日本 J1 435 87 47 3 35 10 517 100
日本 J2 33 5 - 0 0 33 5
日本 - - 1 0 1 0
総通算 468 92 47 3 36 10 551 105

その他の公式戦

  • 2006年
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2006 G大阪 7 5 3 -
2008 10 3 3 2
2009 6 1 -
2010 3 0 -
2011 7 1 -
2012 4 1 -
通算 AFC 35 9 3 2

その他の国際公式戦

経歴[編集]

Jリーグ
日本代表

タイトル[編集]

高校[編集]

鹿児島実業高校

クラブ[編集]

横浜フリューゲルス
ガンバ大阪

代表[編集]

個人[編集]

その他[編集]

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 148試合 14得点(2002年 - )[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2002 1 0
2003 11 1
2004 16 2
2005 8 0
2006 8 0
2007 13 1
2008 16 3
2009 12 0
2010 15 2
2011 13 0
2012 11 1
2013 16 2
2014 8 2
通算 148 14

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2003年8月20日 日本東京 ナイジェリアの旗 ナイジェリア ○ 3-0 キリンチャレンジカップ2003
2. 2004年2月7日 日本、鹿嶋 マレーシアの旗 マレーシア ○ 4-0 キリンチャレンジカップ2004
3. 2004年7月7日 日本、横浜 セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ ○ 1-0 キリンカップサッカー2004
4. 2007年7月16日 ベトナムハノイ ベトナムの旗 ベトナム ○ 4-1 AFCアジアカップ2007
5. 2008年2月6日 日本、埼玉 タイ王国の旗 タイ ○ 4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
6. 2008年6月7日 オマーンマスカット オマーンの旗 オマーン △ 1-1
7. 2008年9月6日 バーレーンマナーマ バーレーンの旗 バーレーン ○ 3-2
8. 2010年2月14日 日本、東京 韓国の旗 韓国 ● 1-3 東アジアサッカー選手権2010
9. 2010年6月24日 南アフリカルステンブルク デンマークの旗 デンマーク ○ 3-1 2010 FIFAワールドカップ
10. 2012年8月15日 日本、札幌 ベネズエラの旗 ベネズエラ △ 1-1 キリンチャレンジカップ2012
11. 2013年9月6日 日本、大阪 グアテマラの旗 グアテマラ ○ 3-0 キリンチャレンジカップ2013
12. 2013年9月10日 日本、横浜 ガーナの旗 ガーナ ○ 3-1
13. 2014年6月2日 アメリカタンパ コスタリカの旗 コスタリカ ○ 3-1 国際親善試合
14. 2014年11月14日 日本、豊田 ホンジュラスの旗 ホンジュラス ○ 6-0 キリンチャレンジカップ2014

出演[編集]

映画[編集]

CM・広告[編集]

関連作品[編集]

書籍[編集]

DVD[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g “遠藤 保仁”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_a/yasuhito_endo.html 
  2. ^ “個人記録”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/individual_records.html 
  3. ^ 【Jリーグ】桜島を訪ねて ~遠藤保仁の育成環境を探る”. J SPORTS (2009年4月23日). 2011年9月19日閲覧。
  4. ^ アナザースカイ-遠藤保仁”. アナザースカイ. 2014年2月2日閲覧。
  5. ^ a b 【ヤマザキナビスコカップFINAL激闘録 PLAY BACK 2004-08】2005年 千葉 vs G大阪(後編)立石が仕掛けた PK戦前の駆け引き J's GOAL 2009.11.2付記事
  6. ^ 18歳・宇佐美、G大阪の「黄金の中盤」に新風日本経済新聞、2010年12月2日
  7. ^ MF 遠藤保仁選手の病状についてガンバ大阪オフィシャルサイト、2006年10月21日
  8. ^ 遠藤がV宣言! G大阪3発先勝/ACL”. goo スポーツ (2008年11月6日). 2008年11月24日閲覧。
  9. ^ 【Jリーグ】遠藤保仁のJリーグ復帰に思う”. J SPORTS (2008年8月8日). 2008年11月24日閲覧。
  10. ^ ファーガソン監督(マンチェスター・U)決勝後会見 TOYOTA プレゼンツ FIFA クラブワールドカップ ジャパン 2008スポーツナビ、2008年12月22日
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外部リンク[編集]