前田遼一

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前田 遼一
名前
愛称 マエチン
カタカナ マエダ リョウイチ
ラテン文字 MAEDA Ryouichi
基本情報
国籍 日本
生年月日 1981年10月9日(27歳)
出身地 兵庫県神戸市
身長 183cm
体重 80kg
血液型 AB型
選手情報
在籍チーム ジュビロ磐田
ポジション FW
背番号 18
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2000- ジュビロ磐田 143 (56)
代表歴2
2006-2008 日本 3 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月1日現在。
2. 2008年2月17日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

前田 遼一(まえだ りょういち、1981年10月9日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはフォワードJリーグジュビロ磐田所属。

目次

[編集] プレースタイル

スタミナと、ボールキープ力をはじめとした足元のテクニックを持ち、前線で攻撃の核となる。かつては中盤でプレーし、パス能力も持っており、周りの選手を生かす能力も持つ。フィニッシュの精度も向上し、万能型FWとして開花しつつある。

[編集] 来歴

横浜市立鴨志田緑小学校3年生の時に本格的にサッカーを始める。その後、東京都の名門、暁星中学校でサッカー部に入部し、東京都選抜チーム、ナショナルトレセンの一員となるなど頭角を現した。暁星高校時代は東京都の国体選抜メンバーやU-18代表、ヴェルディ川崎の強化指定選手にも選ばれ、国体選抜では1学年下の田中達也とともに、2年次の総体ではベスト8に入る。

慶應義塾大学に推薦が決まっていたが、J13チームからの勧誘や監督の言葉からプロ入りを決断し磐田に入団、当時監督を務めていたハジェヴスキー・ギョキッツァはFWでの起用を提言していたが、1年足らずで解任されたこともあり、その後はトップ下、1.5列目のFWなど起用法が一貫しなかった。2001年には、ワールドユースに出場。その後、2002年には膝の故障により長期離脱。

負傷から回復した2003年、恥骨結合炎により長期欠場した中山雅史の代役として起用され、FWに固定されて試合に出るようになり、アテネオリンピック代表選手として最終予選に出場するも、ここでも起用法が一貫せずに本大会のメンバーからは落選。

2005年から3年連続で2桁得点を記録し、2006年秋にはイビチャ・オシム指揮の下、A代表に初選出。2007年10月9日、自身の誕生日に入籍した。

2008年10月5日ヤマハスタジアムでの札幌戦で、2005年7月9日C大阪戦以来3年ぶりに前半でハットトリックを達成した。

[編集] 人物

2007年のトークライブの際に「皆が気持ち悪いっていうくらい食べるのが好きです」と自身で述べるほどの大食漢で、関連した逸話を数多く持つ。胃腸も強靱で、アテネ五輪予選ではメンバーが次々に食あたりで倒れる中、ただ一人最後まで平然と食事を平らげるなど元気いっぱいだった。

[編集] 所属クラブ

[編集] 経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 磐田 24 J1 1 0 0 0 3 0 4 0
2001 磐田 24 J1 9 2 5 1 2 1 16 4
2002 磐田 18 J1 4 0 2 0 3 1 9 1
2003 磐田 18 J1 28 7 9 5 5 1 42 13
2004 磐田 18 J1 27 8 6 1 5 3 38 12
2005 磐田 18 J1 25 12 2 2 0 0 27 14
2006 磐田 18 J1 27 15 7 1 3 2 37 18
2007 磐田 18 J1 22 12 0 0 2 1 25 13
2008 磐田 18 J1 22 8 0 0 0 0 22 8
2009 磐田 18 J1
通算 日本 J1 165 64 31 10 23 9 219 83
総通算 165 64 31 10 23 9 219 83
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 磐田 18 3 1
2005 磐田 18 3 0
通算 AFC 6 1
  • 強化指定選手としての公式戦出場はなし

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 3試合 2得点(2006 -)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 0 0
2007 2 1
2008 1 1
通算 3 2

[編集] 個人タイトル

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク