前田遼一

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前田 遼一 Football pictogram.svg
名前
愛称 マエチン
カタカナ マエダ リョウイチ
ラテン文字 MAEDA Ryouichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1981年10月9日(30歳)
出身地 兵庫県神戸市
身長 183cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム 日本 ジュビロ磐田
ポジション FW
背番号 18
利き足 右足
ユースクラブ1
クラブ
0000-1993
1994-1996
1997-1999
リバースJr.FC
暁星中学校
暁星高等学校
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1999
2000-
ヴェルディ川崎 (強化指定)
ジュビロ磐田
0 (0)
260 (115)
代表歴 2
2006- 日本の旗 日本 16 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月11日現在。
2. 2011年11月15日現在。
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前田 遼一(まえだ りょういち、1981年10月9日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手Jリーグジュビロ磐田所属。ポジションはフォワード

目次

[編集] 来歴

兵庫県神戸市で生まれる。1歳の頃からアメリカへ転居し、小学1年生までの6年間をロサンゼルスで過ごす。小学2年生の頃に日本に帰国し、東京横浜へと転居した。横浜市の鴨志田緑小学校3年生の時に本格的にサッカーを始める。その後、東京都の暁星中学校でサッカー部に入部し、東京都選抜チーム、ナショナルトレセンの一員となった。暁星高校時代は東京都代表の国体選抜メンバーやU-18日本代表、ヴェルディ川崎の強化指定選手にも選ばれ、国体選抜では1学年下の田中達也とともに、2年次の国体ではベスト8に入る。高校サッカー選手権予選では、高2高3のいずれも東京都予選の準決勝で敗れた。

[編集] クラブ

慶應義塾大学に推薦入学が決まっていたが、J1リーグの13チームからの勧誘や高校の監督の薦めもあってプロ入りを決断し、ジュビロ磐田に入団。当時監督を務めていたハジェヴスキー・ギョキッツァはFWでの起用を明言していたが、1年足らずで解任されたこともあり、その後はトップ下、1.5列目のFWなど起用法が一貫しなかった。[要検証]また、チームの選手層が分厚かったこともあってか2000年2001年は出場機会があまり多くなかった。

2002年ナビスコカップベガルタ仙台戦で膝の故障により長期離脱した。

負傷から回復した2003年、恥骨結合炎により長期欠場した中山雅史の代役として起用され、フォワードに固定されて試合に出るようになり、リーグ戦7ゴールを挙げた。

2005年からはリーグ戦で3年連続で2桁得点を記録し、翌2007年10月9日、自身の誕生日に結婚した。

2008年、序盤は怪我でいなかったが中盤以降復帰し、10月5日ヤマハスタジアムでのコンサドーレ札幌戦では、2005年7月9日セレッソ大阪戦以来となる3年ぶりのハットトリックを達成した。

2009年には10月25日名古屋グランパス戦で自身J1リーグ戦3度目となるハットトリックも達成。自身初めてリーグ戦全試合フル出場を果たし、PKなしでの20得点を記録して得点王に輝いた。また、自身初のJリーグベストイレブンにも選出された。

2010年11月27日ヤマハスタジアムでの名古屋グランパス戦で、史上9人目(日本人のみなら5人目)となるJ1通算100ゴールをヘディングで決め達成する。また、ジュビロ磐田に所属経験のある選手としては中山雅史、藤田俊哉(達成時は名古屋グランパス)に次ぐ3人目のJ1通算100ゴール達成者となる。ひとつのクラブで通算100ゴールを達成したのは日本人では中山と前田のみである。また、得点は去年よりも減少はしたものの、17得点を記録し、2年連続の得点王(ジョシュア・ケネディ(名古屋)と同点で、2者が受賞)に輝いた。2年連続得点王は史上初である[1][2]個人タイトルとしてはこの他にヤマザキナビスコカップMVPそして、Jリーグベストイレブンにも2年連続で選ばれた。

2011年、中盤怪我で離脱していたことなどもあり、3年連続得点王とはならなかったものの、怪我から復帰後は9試合6ゴールと奮闘し、シーズンを通して14ゴールをあげた。

[編集] 日本代表

高校時代からU-18日本代表に選ばれ、2001年に、U-20日本代表の一員としてワールドユースに出場した。

2003年には、U-22日本代表にも選ばれアテネオリンピック最終予選に出場するも本大会のメンバーからは落選してしまったが、その後2006年秋にイビチャ・オシム指揮の下、日本代表に初選出される。

2009年9月、Jリーグでの活躍が評価され、岡田武史指揮の下、約1年3ヶ月ぶりに日本代表に復帰した。しかし翌年のワールドカップ本戦のメンバーからは外れてしまった。

2010年ザッケローニに監督になって以降は初采配時から代表に選ばれ、2011年1月に行われたAFCアジアカップ2011で日本代表に選出され、全6試合に先発出場。グループリーグのサウジアラビア戦では2得点。準決勝韓国戦では同点に追いつくゴールを決め、日本代表の2大会ぶり4回目の優勝に貢献した。怪我の影響でその後少しの間呼ばれなくなるが、同年11月、代表に復帰し、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選タジキスタン戦では途中出場し1得点。北朝鮮戦ではスタメン出場を果たした。

[編集] エピソード

  • 2009年に獲得したJリーグ得点王は、日本人選手として2002年の高原直泰以来7年ぶり6度目(5人目)の受賞。ジュビロ磐田所属の選手としては中山雅史(2度)、高原直泰に次いで3人目である。
  • 若い頃は怪我が多く長期離脱が多かったが、近年は減ってきている。

[編集] 経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 磐田 24 J1 1 0 0 0 3 0 4 0
2001 9 2 5 1 2 1 16 4
2002 18 4 0 2 0 3 1 9 1
2003 28 7 9 5 5 1 42 13
2004 27 8 6 1 5 3 38 12
2005 25 12 2 2 0 0 27 14
2006 27 15 7 1 3 2 37 18
2007 22 12 0 0 2 1 24 13
2008 22 8 0 0 0 0 22 8
2009 34 20 6 3 2 1 42 24
2010 33 17 10 3 1 0 44 20
2011 28 14 3 1 0 0 31 15
通算 日本 J1 260 115 50 17 26 10 336 142
総通算 260 115 50 17 26 10 336 142
  • 1999年は強化指定選手としての公式戦出場はなし

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 磐田 18 3 1
2005 磐田 18 3 0
通算 AFC 6 1

その他の国際公式戦

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会


[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 16試合 6得点 (2006年 -)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 0 0
2007 2 1
2008 1 1
2009 2 0
2010 2 0
2011 9 4
通算 16 6

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2007年10月17日 日本大阪 エジプトの旗 エジプト ○4-1 アフロアジア選手権
2. 2008年2月17日 中国重慶 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 △1-1 東アジアサッカー選手権2008
3. 2011年1月17日 カタールアル・ラーヤンSC サウジアラビアの旗 サウジアラビア ○5-0 AFCアジアカップ2011
4.
5. 2011年1月25日 カタール、ドーハ 韓国の旗 韓国 △2-2(PK3-0)
6. 2011年11月11日 タジキスタンドゥシャンベ タジキスタンの旗 タジキスタン ○4-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選

[編集] 個人タイトル

[編集] CM出演

  • 静岡県「ふじのくにファミリープレイプログラム」

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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