前田遼一
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | マエチン | ||||||
| カタカナ | マエダ リョウイチ | ||||||
| ラテン文字 | MAEDA Ryouichi | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1981年10月9日(30歳) | ||||||
| 出身地 | 兵庫県神戸市 | ||||||
| 身長 | 183cm | ||||||
| 体重 | 80kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 背番号 | 18 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| ユースクラブ1 | |||||||
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| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月11日現在。 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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前田 遼一(まえだ りょういち、1981年10月9日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。Jリーグのジュビロ磐田所属。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 来歴
兵庫県神戸市で生まれる。1歳の頃からアメリカへ転居し、小学1年生までの6年間をロサンゼルスで過ごす。小学2年生の頃に日本に帰国し、東京、横浜へと転居した。横浜市の鴨志田緑小学校3年生の時に本格的にサッカーを始める。その後、東京都の暁星中学校でサッカー部に入部し、東京都選抜チーム、ナショナルトレセンの一員となった。暁星高校時代は東京都代表の国体選抜メンバーやU-18日本代表、ヴェルディ川崎の強化指定選手にも選ばれ、国体選抜では1学年下の田中達也とともに、2年次の国体ではベスト8に入る。高校サッカー選手権予選では、高2高3のいずれも東京都予選の準決勝で敗れた。
[編集] クラブ
慶應義塾大学に推薦入学が決まっていたが、J1リーグの13チームからの勧誘や高校の監督の薦めもあってプロ入りを決断し、ジュビロ磐田に入団。当時監督を務めていたハジェヴスキー・ギョキッツァはFWでの起用を明言していたが、1年足らずで解任されたこともあり、その後はトップ下、1.5列目のFWなど起用法が一貫しなかった。[要検証]また、チームの選手層が分厚かったこともあってか2000年、2001年は出場機会があまり多くなかった。
2002年はナビスコカップのベガルタ仙台戦で膝の故障により長期離脱した。
負傷から回復した2003年、恥骨結合炎により長期欠場した中山雅史の代役として起用され、フォワードに固定されて試合に出るようになり、リーグ戦7ゴールを挙げた。
2005年からはリーグ戦で3年連続で2桁得点を記録し、翌2007年10月9日、自身の誕生日に結婚した。
2008年、序盤は怪我でいなかったが中盤以降復帰し、10月5日、ヤマハスタジアムでのコンサドーレ札幌戦では、2005年7月9日のセレッソ大阪戦以来となる3年ぶりのハットトリックを達成した。
2009年には10月25日の名古屋グランパス戦で自身J1リーグ戦3度目となるハットトリックも達成。自身初めてリーグ戦全試合フル出場を果たし、PKなしでの20得点を記録して得点王に輝いた。また、自身初のJリーグベストイレブンにも選出された。
2010年11月27日、ヤマハスタジアムでの名古屋グランパス戦で、史上9人目(日本人のみなら5人目)となるJ1通算100ゴールをヘディングで決め達成する。また、ジュビロ磐田に所属経験のある選手としては中山雅史、藤田俊哉(達成時は名古屋グランパス)に次ぐ3人目のJ1通算100ゴール達成者となる。ひとつのクラブで通算100ゴールを達成したのは日本人では中山と前田のみである。また、得点は去年よりも減少はしたものの、17得点を記録し、2年連続の得点王(ジョシュア・ケネディ(名古屋)と同点で、2者が受賞)に輝いた。2年連続得点王は史上初である[1][2]個人タイトルとしてはこの他にヤマザキナビスコカップMVPそして、Jリーグベストイレブンにも2年連続で選ばれた。
2011年、中盤怪我で離脱していたことなどもあり、3年連続得点王とはならなかったものの、怪我から復帰後は9試合6ゴールと奮闘し、シーズンを通して14ゴールをあげた。
[編集] 日本代表
高校時代からU-18日本代表に選ばれ、2001年に、U-20日本代表の一員としてワールドユースに出場した。
2003年には、U-22日本代表にも選ばれアテネオリンピック最終予選に出場するも本大会のメンバーからは落選してしまったが、その後2006年秋にイビチャ・オシム指揮の下、日本代表に初選出される。
2009年9月、Jリーグでの活躍が評価され、岡田武史指揮の下、約1年3ヶ月ぶりに日本代表に復帰した。しかし翌年のワールドカップ本戦のメンバーからは外れてしまった。
2010年、ザッケローニに監督になって以降は初采配時から代表に選ばれ、2011年1月に行われたAFCアジアカップ2011で日本代表に選出され、全6試合に先発出場。グループリーグのサウジアラビア戦では2得点。準決勝韓国戦では同点に追いつくゴールを決め、日本代表の2大会ぶり4回目の優勝に貢献した。怪我の影響でその後少しの間呼ばれなくなるが、同年11月、代表に復帰し、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のタジキスタン戦では途中出場し1得点。北朝鮮戦ではスタメン出場を果たした。
[編集] エピソード
- 2009年に獲得したJリーグ得点王は、日本人選手として2002年の高原直泰以来7年ぶり6度目(5人目)の受賞。ジュビロ磐田所属の選手としては中山雅史(2度)、高原直泰に次いで3人目である。
- 若い頃は怪我が多く長期離脱が多かったが、近年は減ってきている。
[編集] 経歴
- 2000年5月3日 - プロ初出場 (Jリーグ) - 対川崎フロンターレ戦 (等々力陸上競技場)
- 2001年8月28日 - プロ初得点 (ナビスコカップ) - 対ジェフユナイテッド市原戦 (市原臨海競技場)
- 2007年8月22日 - A代表初出場 (親善試合) - 対カメルーン戦 (九州石油ドーム)
- 2007年10月17日 - A代表初得点 (親善試合) - 対エジプト戦 (長居陸上競技場)
- 2010年11月27日 - 通算100得点 (J1) - 対名古屋グランパス戦 (ヤマハスタジアム) ※歷代最年少
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 磐田 | 24 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 |
| 2001 | 9 | 2 | 5 | 1 | 2 | 1 | 16 | 4 | |||
| 2002 | 18 | 4 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | 9 | 1 | ||
| 2003 | 28 | 7 | 9 | 5 | 5 | 1 | 42 | 13 | |||
| 2004 | 27 | 8 | 6 | 1 | 5 | 3 | 38 | 12 | |||
| 2005 | 25 | 12 | 2 | 2 | 0 | 0 | 27 | 14 | |||
| 2006 | 27 | 15 | 7 | 1 | 3 | 2 | 37 | 18 | |||
| 2007 | 22 | 12 | 0 | 0 | 2 | 1 | 24 | 13 | |||
| 2008 | 22 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22 | 8 | |||
| 2009 | 34 | 20 | 6 | 3 | 2 | 1 | 42 | 24 | |||
| 2010 | 33 | 17 | 10 | 3 | 1 | 0 | 44 | 20 | |||
| 2011 | 28 | 14 | 3 | 1 | 0 | 0 | 31 | 15 | |||
| 通算 | 日本 | J1 | 260 | 115 | 50 | 17 | 26 | 10 | 336 | 142 | |
| 総通算 | 260 | 115 | 50 | 17 | 26 | 10 | 336 | 142 | |||
- 1999年は強化指定選手としての公式戦出場はなし
その他の公式戦
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2008年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 磐田 | 18 | 3 | 1 |
| 2005 | 磐田 | 18 | 3 | 0 |
| 通算 | AFC | 6 | 1 | |
その他の国際公式戦
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- U-18日本代表
- U-20日本代表
- 2001年 2001 FIFAワールドユース選手権
- 日本代表
- 2007年アフロアジア選手権
- 2008年東アジアサッカー選手権2008
- 2011年 AFCアジアカップ2011
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 16試合 6得点 (2006年 -)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 0 | 0 |
| 2007 | 2 | 1 |
| 2008 | 1 | 1 |
| 2009 | 2 | 0 |
| 2010 | 2 | 0 |
| 2011 | 9 | 4 |
| 通算 | 16 | 6 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2007年10月17日 | 日本、大阪 | ○4-1 | アフロアジア選手権 | |
| 2. | 2008年2月17日 | 中国、重慶 | △1-1 | 東アジアサッカー選手権2008 | |
| 3. | 2011年1月17日 | カタール、アル・ラーヤンSC | ○5-0 | AFCアジアカップ2011 | |
| 4. | |||||
| 5. | 2011年1月25日 | カタール、ドーハ | △2-2(PK3-0) | ||
| 6. | 2011年11月11日 | タジキスタン、ドゥシャンベ | ○4-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
[編集] 個人タイトル
- 2000年11月:AFC月間最優秀選手賞
- 2000年:アジア年間最優秀ユース選手賞
- 2009年:Jリーグ得点王 / Jリーグベストイレブン
- 2010年:Jリーグカップ・MVP/Jリーグ得点王/Jリーグベストイレブン
[編集] CM出演
- 静岡県「ふじのくにファミリープレイプログラム」
[編集] 脚注
- ^ 2010Jリーグ 各賞受賞者決定 ~2010Jリーグアウォーズで表彰~ Jリーグ公式サイト 2010.12.6付ニュースリリース
- ^ 史上初!前田が2年連続得点王…磐田 スポーツ報知 2010.12.4付記事[リンク切れ]
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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