前田遼一

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前田 遼一 Football pictogram.svg
名前
愛称 マエチン[1]
カタカナ マエダ リョウイチ
ラテン文字 MAEDA Ryouichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1981年10月9日(33歳)
出身地 兵庫県神戸市[2][3]
身長 184cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム 日本 FC東京
ポジション FW (CF)
背番号 20
利き足 右足[1]
ユース
0000-1993
1994-1996
1997-1999
リバースJr.FC
暁星中学校
暁星高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2014 ジュビロ磐田 363 (195)
2015- FC東京
代表歴2
1999-2001  日本 U-18/19/20 29 (7)
2002-2004  日本 U-21/22/23 18 (1)
2007-2013[4] 日本の旗 日本 33 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年12月29日現在。
2. 2013年6月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

前田 遼一(まえだ りょういち、1981年10月9日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはフォワード(FW)[注 1]。元日本代表

来歴[編集]

兵庫県神戸市で生まれる。1歳の頃からアメリカへ転居し、小学1年生までの6年間をロサンゼルスで過ごす[2]。日本へ帰国し小学2年生からは東京都の小学校へ、同3年生時に横浜市へ転居し[2]鴨志田緑小学校に通った。

2歳年長[2]の兄の影響でサッカーを始め[7]小学3年生の時に本格的に取り組み始める[3]1993年度の全国高校選手権を観て、同大会に出場した暁星高校への進学を決め[3]1994年より暁星中学校へ進学。中学生時には東京都選抜やナショナルトレセンに選出された[3]

高校生時には国体東京都代表として1学年下の田中達也らとともに2年次にベスト8入り[3]。暁星高の主将も務めていたが[3]、高校選手権は高2高3のいずれも東京都予選の準決勝で敗れた。また、ヴェルディ川崎強化指定選手に登録されていた。当時は全国高校選手権で活躍した中村俊輔に憧れ[2][8]、足元の技術やプレースタイル全般について影響を受けた[9]

クラブ[編集]

慶應義塾大学に推薦入学が決まっていたが、Jリーグ13チームからの勧誘や[10][11]高校の監督の薦めもあってプロ入りを決断し、2000年よりジュビロ磐田に入団。

磐田にはドリブルを得意とする[12]ミッドフィールダー(MF)として加入するも[9][13][注 1]磐田のMFの選手層が厚かったことや[8]ハジェヴスキー・ギョキッツァ監督はFWでの起用を明言したこと[要検証 ]から、トップ下[10]、1.5列目のFWなど[2]起用法が一貫せず[注 2]、2001年までは出場機会が乏しかった。同年9月のJ1セカンドステージ第1節清水戦(静岡ダービー)でJリーグ初得点[15]

徐々に出場機会を増やしつつあったが、2002年6月のヤマザキナビスコカップ仙台戦で後方からの悪質な[12]ファウルによって右膝を負傷し、外側半月板縦断裂の診断を受け、長期離脱[16][10]

磐田のチームメートである中山雅史及び高原直泰に影響されて、目指すストライカー像を描きFWとしての素養を磨いていくと[17][8][12][18][19]、負傷から回復した2003年には恥骨結合炎により欠場した中山の代役として2トップの一角に起用され、ゴール前での精力的な動き出しから[10]、リーグ戦7得点を挙げた。

2005年からはリーグ戦で3年連続で2桁得点を記録。2007年は右膝半月板損傷によって[20]出遅れたが、復帰後は攻撃の大黒柱として高レベルのプレーを見せた[1]。同年10月9日、自身の誕生日に結婚。

2008年、序盤は半月板損傷による再離脱もあったが[21]中盤以降復帰し[22]、同年10月5日のJ1第28節札幌戦では、2005年7月9日のJ1第15節C大阪戦以来となる3年ぶりのハットトリックを達成し完調をアピールした[23]

2009年には10月25日のJ1第25節名古屋戦で自身J1リーグ戦3度目となるハットトリックも達成。自身初めてリーグ戦全試合フル出場を果たし、PKなしでの20得点を記録して得点王に輝いた。また、自身初のJリーグベストイレブンにも選出された。同年オフには複数クラブから移籍を打診され争奪となるも[24][25][26]磐田に残留[27]

2010年、磐田との2年契約を締結[27]。なお、クラブからは同年限りで磐田を退団する中山の背番号9を託されていたが[28][24][27]、これを固辞している[注 3]。同年11月のヤマザキナビスコカップ決勝戦では広島を相手に、延長戦に入っても衰えないプレーぶりで[12]自身の挙げた2得点を含めて4得点に絡む大活躍を見せ[29][17]大会MVPに選出された。同月27日のJ1第33節名古屋戦ではヘディングシュートを決め、史上9人目 (日本人では5人目) [注 4]にして歴代最年少となる[15]J1通算100得点を[30]達成。積極的にプレスを掛け、味方のスペースを作る動き[31]正確なトラップ、懐の深いポストプレーで確実にボールを繋ぐ[32]多用な働きに加え、通年での活躍によって[33]前年より減ったもののシーズン通算17得点を記録。2年連続の得点王(ジョシュア・ケネディ(名古屋)と同点で両名受賞)に輝き、Jリーグベストイレブンにも選出された。2年連続得点王は史上初である[34][14][33]

2011年はシーズン中盤の負傷離脱もあり3年連続での得点王を逃したが、怪我からの復帰後は9試合6得点と奮闘し、通年では14得点を挙げた。この年限りで磐田との契約が切れる[27][35]こともあって、横浜FMなどの他[36][37][26][35]イングランド2部リーグウェストハムUtdから獲得オファーを受け[37][38]渡英[39]。メディカルチェック及び練習参加を行うも[40]労働ビザ取得がネックとなり[41][39][注 5]契約には至らなかった[40]

2012年はチームの1トップ採用にも適応い[42]、相手からのマークが厳しくなる中でつぶれ役としても奮闘[43]。日本代表招集中の負傷の影響で1試合欠場したものの、33試合に出場した。中盤までは好調で、得点ランキングでは一時佐藤寿人に次ぐ2位にまで浮上するも、後半は調子を落とし、最終節まで9試合無得点(自身が欠場した試合含めれば10試合)だったが、最終節G大阪戦では1得点1アシストの活躍で、通年で13得点を挙げた[44]

2013年は「ホットライン」を形成していた駒野友一[45]他の攻撃陣との連携が合わず[46]、得点の好機が激減[47]。波に乗り切れないまま[48]5年連続のJ1二桁得点を果たせずJ2降格を喫した。

横浜FMからのオファーも報じられたが[49][48]交渉はまとまらず[50]2014年は磐田の顔として[51]クラブとしても自身にとっても初となるJ2でプレー。同年7月5日、J2第21節京都戦でJリーグ通算150得点を挙げた[52]。シーズン終盤になって名波浩が監督に就くと、初戦のJ2第34節愛媛戦からゲームキャプテンを任された[53][54]。名波はこの登用について「ゴールでチームを引っ張ってほしいのですが、それだけの責任では足りないと。彼がこのクラブで高校を卒業してからやってきて作り上げた地位は確固たるものだと、僕自身もサポーターもそれからクラブも思っていると思うので。その確固たる地位というのはだれからも信頼されて、尊敬される立場だと思いますし、そこに責任というのを前田にのしかけたいということが一つ。」と話している[55]。通年37試合17得点を記録しチーム得点王となったが[53]、J1昇格は叶わなかった。

磐田からはエース[53]の流出を防ぐべく契約延長を打診されていたが、大幅な減俸提示であったことから[54]J1でのプレーを希望し[26]この年限りで15年在籍した磐田を退団。

2015年、FC東京へ完全移籍[56][57]

日本代表[編集]

高校3年生時にU-18日本代表に選ばれ[16]2000年にはU-19日本代表の一員としてAFCユース選手権準優勝に貢献。1得点ながら柔軟なボールコントロールと閃きでチャンスを作り[16]大会MVPに選出された[10][58]2001年には、U-20日本代表の一員としてワールドユースに出場した。

2001年10月、20歳にして[59]フィリップ・トルシエ率いるA代表の候補合宿に初選出された[60]。翌2002年からのジーコ体制下の4年間は招集なし[59]

2004年はU-23日本代表としてアテネオリンピック最終予選に出場[61]。既に磐田ではFWでのプレーを続けていたが、山本昌邦監督からはMFに配された[8][62]。本大会直前で[63]メンバー選考から漏れ、予備登録に留まった。

2006年秋、イビチャ・オシム指揮の下、これまで候補止まりであったA代表に初選出された。オシムからは、運動量が非常に多く、個人技術に優れ、見た目にはそれほど速くは見えないが、いつの間にか相手にとって危険な地域にいる、日本に不足していたタイプと評され[64]大きな期待を寄せられた[31]。2007年10月17日、エジプト代表[注 6]に先発出場し、国際Aマッチ初ゴールを挙げた。

オシム後任の岡田武史からも高さ・足元の技術・守備意識を併せ持つ点を認められ[65]2008年の東アジア選手権に出場。北朝鮮代表戦で代表2得点目を挙げるも、古傷の右膝痛がぶり返したため[22]大会途中で離脱[66]。岡田はその後も招集の機会を探っていたが、コンディションが整わず選外が続いた[23][65]。2009年に入って復調し[65]、リーグ戦の活躍が評価されて同年9月に約1年3か月ぶりの[67]代表復帰[68]。しかし、2トップでのプレーを希望する前田に対し、岡田は1トップに入ることを要求[32]。最終的には戦術不適合とされ[33]翌年開催のワールドカップ本戦では予備登録止まりでメンバーから外れた。

2010年アルベルト・ザッケローニの監督就任以降は初采配時から代表に選ばれ、1トップに入りしぶとくポストプレーをこなして味方を助け[18]2011年1月開催のAFCアジアカップにも選出された。身体の強さと高さを発揮し、巧みにボールを引き出してチーム戦術に適応[69]。同大会では全6試合に先発出場し、グループリーグサウジアラビア代表戦で2得点、準決勝韓国代表戦では同点に追いつくゴールを決め、日本代表の2大会ぶり4回目の優勝に貢献した。怪我の影響で一時選外となるが、同年11月に代表に復帰し、FIFAワールドカップアジア3次予選タジキスタン代表戦には途中出場で1得点を挙げ、北朝鮮代表戦では先発出場した。同年の活躍により、日本代表のエースストライカーとも称された[38]

2012年もA代表に定着し、ザッケローニが海外でプレーするFWが見たいと明言して選抜した[70]FIFAワールドカップアジア3次予選のウズベキスタン代表戦を除く予選全試合に招集されるも、同年10月の欧州遠征では練習中に左太腿裏を痛め、試合に出場しないまま途中離脱[71]FIFAワールドカップアジア最終予選では、1トップとして[59]全試合に先発出場。前線の好連携で[19]攻撃のリズムを作り出し[72]、自身も5試合で3得点を挙げる高い得点能力で[19]予選突破を果たした[53]

2013年のFIFAコンフェレーションズカップでも、得点場面だけではない90分通しての貢献度を高く評価されて[73]全3試合に出場。元イタリア代表監督のアリゴ・サッキからイタリア代表戦で一番印象に残った選手として挙げられたが[74]、好機を逸し[75]無得点に終わる。同大会以降A代表から遠ざかり[48]2014 FIFAワールドカップ本大会メンバーからも外れた[76]

エピソード[編集]

  • 特に無口では無いが[32]、「記者泣かせ」と形容される程[8]人前では寡黙で[17]、インタビューは苦手[11][77]
  • 大食漢[77][78]2004年のアテネオリンピック予選では、UAE遠征中の代表メンバー内に下痢が蔓延する中[62]、前田は動じることなく食事をとっていた[79]2011年のAFCアジアカップの際には「中東の空気は嫌いじゃない。食事も何でも食べられる」とコメント[80]。チームメートの川島永嗣は「代表の食事の時とか、僕も結構食べる方なんですけど、食事の終わり頃になっても『まだ食べてるの?』っていうのはよくあります」と前田の食べっぷりを明かしている[81]。30歳を過ぎても食べる量は落ちず、2012年末にはジュビロ磐田のシーズンシート購入者への感謝イベント『2012 Jubilo Corte Azul Awards』で今年一年最も食べたで賞を受賞した[82]。また、食べたらタダになる1300グラムのココイチカレーを約20分で完食したことがある[83]

ジンクス[編集]

年度 初得点 対戦相手 順位 結果
2007 第14節 甲府 17位 J2降格
2008 第19節 東京V 17位 J2降格
2009 05節 千葉 18位 J2降格
2010 04節 京都 17位 J2降格
2011 第10節 山形 18位 J2降格
2012 03節 G大阪 17位 J2降格
2013 05節 浦和 06位 J1残留

「前田遼一がリーグ戦でシーズン最初のゴールを決めた相手はJ2に降格する」という内容のジンクス「前田(遼一)の呪い」が、2012年シーズン終盤に相次いで報じられた[84][85][86]。現に、2007年のヴァンフォーレ甲府に始まり、東京ヴェルディジェフユナイテッド市原・千葉京都サンガF.C.[67]モンテディオ山形と5年連続で対象クラブの降格が続いていた。

2012年の対象クラブはJリーグの「オリジナル10」の一つであり、降格経験のないガンバ大阪であったが、G大阪もまた前年まで3、2、3位と続いていた好成績が一転して残留争いに巻き込まれ、最終節で磐田との対戦に敗れれば降格という事態に陥る。そして試合は、前田の1得点1アシストを含む2-1のスコアで磐田が勝利し、G大阪の降格が決定。6年連続でジンクスが継続する結果となったが[87][88]、2013年に前田がシーズン初ゴールを決めた浦和レッドダイヤモンズは残留した。また、2014年に前田がシーズン初ゴールを決めたカマタマーレ讃岐も年間21位の成績でJ2・J3入れ替え戦に回るも、AC長野パルセイロに勝ち、J2残留を決めた。

2012年のG大阪戦の後、前田はこのジンクスについて「思うところは何もない[89]」「もともと何も考えていない[90]」とコメントした。

その後、2013年シーズンの開幕時にコメントを求められた際には「僕としてはやめてほしい。そういう話とは関係なく、ゴールを決めたい[91]」と、快く思っていないことを明かし、また、磐田の監督森下仁志も「デスゴールなどと言うのは遼一に対しても相手に対しても失礼」と話した[92]。一方、2013年のリーグ初戦で対戦した名古屋グランパスエイト監督のドラガン・ストイコビッチは、引き分けとなった試合終了後の会見で自ら切り出して「ひとつ大事なことがある。それは前田にゴールを入れさせなかったことだ」と語り、さらに頭の上で丸印を作り「これでJ1に残れる」と笑顔を見せた[93]

多くのスポーツ新聞やテレビ番組等に報じられ、過熱する「デスゴール報道」に、磐田は困惑し、服部健二GMは報道陣に対して「パフォーマンスに影響が出る可能性があるので、1点目を取るまでは磐田発信でのこの件に関する報道は控えてほしい」と報道の自粛を要請した[94]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 磐田 24 J1 1 0 0 0 3 0 4 0
2001 9 2 5 1 2 1 16 4
2002 18 4 0 2 0 3 1 9 1
2003 28 7 9 5 5 1 42 13
2004 27 8 6 1 5 3 38 12
2005 25 12 2 2 0 0 27 14
2006 27 15 7 1 3 2 37 18
2007 22 12 0 0 2 1 24 13
2008 22 8 0 0 0 0 22 8
2009 34 20 6 3 2 1 42 24
2010 33 17 10 3 1 0 44 20
2011 28 14 3 1 0 0 31 15
2012 33 13 4 2 1 1 38 16
2013 33 9 4 1 2 1 39 11
2014 J2 37 17 - 0 0 37 17
2015 FC東京 20 J1
通算 日本 J1 326 137 58 20 29 12 413 169
日本 J2 37 17 - 0 0 37 17
総通算 363 195 58 20 29 12 450 227
  • 1999年は強化指定選手としての公式戦出場はなし

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 磐田 18 3 1
2005 3 0
通算 AFC 6 1

その他の国際公式戦

出場歴
ハットトリック

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 33試合 10得点 (2007年 - 2013年)[4]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2007 2 1
2008 1 1
2009 2 0
2010 2 0
2011 9 4
2012 8 4
2013 9 0
通算 33 10

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2007年10月17日 日本大阪 エジプトの旗 エジプト ○4-1 AFC アジア/アフリカ チャレンジカップ
2. 2008年02月17日 中国重慶 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 △1-1 東アジアサッカー選手権2008
3. 2011年01月17日 カタールアル・ラーヤン サウジアラビアの旗 サウジアラビア ○5-0 AFCアジアカップ2011
4.
5. 2011年01月25日 カタール、ドーハ 韓国の旗 韓国 △2-2
(PK3-0)
6. 2011年11月11日 タジキスタンドゥシャンベ タジキスタンの旗 タジキスタン ○4-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
7. 2012年02月24日 日本、大阪 アイスランドの旗 アイスランド ○3-1 キリンチャレンジカップ
8. 2012年06月03日 日本、埼玉 オマーンの旗 オマーン ○3-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
9. 2012年06月08日 日本、埼玉 ヨルダンの旗 ヨルダン ○6-0
10. 2012年09月11日 日本、埼玉 イラクの旗 イラク ○1-0

個人タイトル[編集]

出演[編集]

CM

作品[編集]

DVD
  • 「前田遼一 ROAD -まだ何も成し遂げていない-」 (2012年)ASIN B006Y6T65Y

脚注[編集]

注釈
  1. ^ a b 2003年以前はMF登録[5]。2004年からFWへ登録変更[6]
  2. ^ 後に、磐田のチームメート川口能活は、MFを経験していることが前田のFWとしての強みの一つと語っている[14]
  3. ^ 9番を引継ぐ者は無く、2010年及び2011年は9番が空き番となった。
  4. ^ 磐田所属経験のある選手としては中山雅史、藤田俊哉(達成時は名古屋所属)に次ぐ3人目。一つのクラブでJ1通算100得点を達成したのは日本人では中山と前田のみ。
  5. ^ イングランドは、外国籍選手の就労ビザ取得要件が他国と比べて厳しい。[38]
  6. ^ オシムが日本代表監督として指揮した最後の試合である[31]
出典
  1. ^ a b c d e f g PLAYER'S DATABASE (2008年版) - ウェイバックマシン(2008年4月23日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  2. ^ a b c d e f INTERVIEW VOL.1007 - ウェイバックマシン(2008年10月26日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2004年12月29日)
  3. ^ a b c d e f 巻頭特別企画 ジュビロ磐田 前田遼一インタビュー 東京都サッカー協会 広報誌 2011 Vol.15
  4. ^ a b c d “前田 遼一”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_ma/ryoichi_maeda.html 
  5. ^ 登録選手一覧表 Jリーグ (2003年12月5日)
  6. ^ 登録選手一覧表 Jリーグ (2004年12月10日)
  7. ^ 新春対談 (PDF) 磐田市 (2007年1月1日)
  8. ^ a b c d e 【寺野典子コラム】実直に黙々と……前田遼一 Football Weekly (2011年11月15日)
  9. ^ a b DVD『Ryoichi MAEDA ROAD -まだなにも成し遂げていない-』ぴあ (2011年10月23日)
  10. ^ a b c d e INTERVIEW VOL.950 - ウェイバックマシン(2007年7月6日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2003年11月20日)
  11. ^ a b 前田遼一が歩み続ける“職人”の道 恩師が語る寡黙なストライカーの原点 スポーツナビ (2011年6月23日)
  12. ^ a b c d 【2011Jリーグヤマザキナビスコカップ】My First Story No.1 前田遼一 (磐田) J's GOAL (2011年6月5日)
  13. ^ <危機感と並走するFW> 前田遼一「今の俺の実力のままでは、W杯のピッチに立てない」(2/3) Number Web (2013年4月12日)
  14. ^ a b 史上初! 前田が2年連続得点王…磐田 - ウェイバックマシン(2010年12月6日アーカイブ分) スポーツ報知 (2010年12月4日)
  15. ^ a b c 磐田FW前田J1通算100ゴール/J1 日刊スポーツ (2010年11月28日)
  16. ^ a b c 21世紀の骨のあるヤツ 第138回 前田遼一 サッカー ぴあ (2002年9月17日)
  17. ^ a b c 前田が圧巻の2得点2アシストで名実ともにエースへ、「今日は遼一デー」 ゲキサカ (2010年11月3日)
  18. ^ a b 献身的なFW“ジュビロの前田遼一”は、“日本の前田遼一”になれるのか? (2/3) Number Web (2010年11月17日)
  19. ^ a b c 【日本代表】前田遼一「そりゃ、自分で点が取れれば取りたい」(1/3) Sportiva (2013年3月5日)
  20. ^ 前田遼一選手の怪我の状況について - ウェイバックマシン(2007年3月21日アーカイブ分) ジュビロ磐田 (2007年3月10日)
  21. ^ 前田遼一選手の負傷について - ウェイバックマシン(2008年3月10日アーカイブ分) ジュビロ磐田 (2008年3月4日)
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  23. ^ a b 磐田FW前田ハット岡ちゃん眼前で/J1 日刊スポーツ (2008年10月6日)
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  28. ^ 磐田ゴンの「9番」はエース前田が継承 日刊スポーツ (2009年11月14日)
  29. ^ 11/3(水・祝)ヤマザキナビスコカップ決勝:試合総括 Jリーグ (2010年11月3日)
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  33. ^ a b c 前田が初の2年連続得点王。エースとしてアジア杯でもゴール量産へ ゲキサカ (2010年12月6日)
  34. ^ 2010 Jリーグ 各賞受賞者決定 -2010Jリーグアウォーズで表彰- Jリーグ (2010年12月6日)
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]