柿谷曜一朗

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柿谷 曜一朗 Football pictogram.svg
名前
愛称 曜、カッキー、ジーニアス[1]
カタカナ カキタニ ヨウイチロウ
ラテン文字 KAKITANI Yoichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1990年1月3日(24歳)
出身地 大阪府大阪市
身長 177cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム スイスの旗 FCバーゼル
ポジション FW(ST, CF) / MF(OH)
背番号 14
利き足 右足
ユース
1994–2005 日本の旗 セレッソ大阪
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2014 日本の旗 セレッソ大阪 130 (37)
2009-2011 日本の旗 徳島ヴォルティス (loan) 97 (14)
2014- スイスの旗 FCバーゼル 0 (0)
代表歴2
2005-2007  日本 U-17 9 (6)
2007-2009  日本 U-20 8 (3)
2013-[2] 日本の旗 日本 14 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年7月15日現在。
2. 2014年6月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柿谷 曜一朗(かきたに よういちろう、1990年1月3日 - )は、大阪府大阪市出身のプロサッカー選手スイス・スーパーリーグFCバーゼル所属。ポジションはフォワードミッドフィールダー日本代表

経歴[編集]

セレッソ大阪[編集]

4歳からセレッソ大阪の下部組織で育つ。

追手門学院大手前高等学校在学中の2006年、クラブ史上最年少の16歳でトップチームとプロ契約を結び、セレッソ大阪と業務提携しているウィザス高等学校(現 第一学院高等学校)に転校した。同年5月には短期海外研修として、アーセナルインテル・ミラノのユース練習に参加[3]。9月に開催されたAFC U-17選手権では唯一、プロ選手として大会に出場し、小野伸二らを擁した「黄金世代」以来となる12年ぶりの優勝を飾り、自身も大会MVPに選出された。11月26日のJ1第33節大宮アルディージャ戦で、Jリーグ初出場を果たす。

2007年8月に行われたU-17ワールドカップナイジェリア戦で、出場時間900分に達し、プロA契約を締結[4]。大会中、フランス戦およびハイチ戦にて得点を挙げ、同大会にてもっとも素晴らしいゴールを挙げた得点者と評された[5]。クラブにおいては、J2第12節ザスパ草津戦で当時のJ2最年少得点記録(17歳3ヶ月25日)となる得点を決めたものの、同期入団の香川真司レヴィー・クルピ監督に見出されレギュラーとして活躍する中、21試合2得点と目立った成績は残せなかった。

プロ3年目の2008年、早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)に合格[6]背番号を「11」へ変更して臨んだシーズンだったが、横浜F・マリノスから途中加入した乾貴士の台頭もあり、終盤にはベンチ外となるなど、出場機会は減少。無得点のままシーズンを終えた。

2009年には練習への遅刻を繰り返すようになり、第3節栃木SC戦終了後、クルピ監督から名指しでプロ意識の欠如を指摘されたが[7]、同時にクルピは香川と比較する形で「シンジとヨウイチロウ、非常に対照的なところがあり、シンジの場合はプロフェッショナルとして責任感が強いが故に、ミスを恐れてしまうところがある。逆にヨウイチロウは責任感がないが、故に、時として非常に勇気のあるプレーができる。好対照なふたりだが、お互いそういったところを変えていけば、間違いなく日本を代表する選手になると思う」と、期待を込めたメッセージを送った[7]。しかし、2得点を決める活躍を見せた第20節ファジアーノ岡山戦の翌日、練習に遅刻した柿谷に対し、クルピは「彼の行為はすべてのサポーターやクラブに対しての裏切りだ」と激怒[8]。約1週間後の6月18日徳島ヴォルティスへの期限付き移籍が発表された[9]

徳島ヴォルティス[編集]

徳島加入後は出場機会が増え、キャプテンであった倉貫一毅の高いプロ意識に感化されたことや、当時の監督美濃部直彦が柿谷との対話を繰り返したこと、また同じセレッソの下部組織出身の濱田武が辛抱強く生活面のフォローを行ったことで、素行の問題も徐々に改善されていった[10]

2011年はチームの副キャプテンに任命され[11]、第1節ガイナーレ鳥取戦では、ベンチスタートの倉貫に代わってキャプテンマークを巻いて試合に臨み、決勝点を挙げた[12]。その後もほとんどの試合でフル出場を続けたが、4位に終わり、昇格は達成できなかった。

2012年1月6日、レンタル移籍期間満了により、セレッソ大阪への復帰が発表された[13]

セレッソ大阪復帰[編集]

3年ぶりにセレッソ復帰となった2012年シーズンは、開幕当初こそ控えに甘んじたものの、主に2トップの一角としてレギュラーに定着し、キム・ボギョン清武弘嗣の移籍、ロンドン五輪U-23サッカー日本代表に選出された扇原貴宏山口螢の離脱の影響もあり低迷するチームの中でゴールを量産。第21節横浜FM戦の前には、トレードマークの長髪を切り落とし、頭を丸める気合を見せた[14]。同年8月には、セルジオ・ソアレスに代わりセレッソの監督へ再々登板したクルピとの邂逅を果たし、クルピ監督復帰初戦となった第24節アルビレックス新潟戦では、決勝点を挙げた。試合後クルピは、かつて袂を分った教え子に対し「特別な思いがある。ゴールの瞬間、思いがよぎった。彼がプロ2年目のときに私が監督に就任した。かわいい息子だ。 それがゆえに、過ちを犯したときには正しい道に導いた。今日は一皮むけて成長したプレーをみせてくれた。 技術だけでなく、戦術面も理解してピッチで表現してくれた。再び彼と同じチームで働くチャンスがきてうれしく思う」と、惜しみない賞賛を送った[15]。クルピ体制移行後は主にトップ下のポジションでプレー。チームは最終節まで残留争いに巻き込まれ、シーズン終盤は自身も左足かかとの故障に悩まされたが[16]、リーグ戦30試合に出場しチームトップの11得点(カップ戦を含めると40試合17得点)を挙げ、Jリーグ優秀選手賞を受賞した[17]

この活躍によりドイツ1部・ニュルンベルクから移籍オファーを受け[18]、本人曰く「98%くらい(ドイツへ)行く気やった」というが[19]、シーズン終了後に森島の自宅に招かれ、直々に背番号「8」の継承を要請されたことに感激し、「迷わず、セレッソで8番をつける方を取った」と残留を決意[20]。4年越しの想いを実らせ、森島、香川、清武と受け継がれてきたセレッソのエースナンバーを身につけた2013年は、第1節新潟戦からフォワードとして起用され、自らの決勝点により、クラブ14年ぶりのJ1開幕戦勝利をもたらした[21]。その後もハイペースで得点を重ね、5月にはJリーグ月間MVPを受賞。7月、東アジアカップ2013に出場する日本代表に初選出された。同年はリーグ戦全34試合に出場し、森島が保持していたクラブ日本人J1シーズン最多得点記録(18得点)を更新する21得点をマーク[22]Jリーグベストイレブンに選出されたほか、第33節鹿島アントラーズ戦前半38分の得点(右サイドからのクロスボールをコントロールした後、リフティングディフェンダーをかわしてアウトサイドボレーでゴールへ蹴りこんだもの[23])が、同年新設された最優秀ゴール賞に選出された。

FCバーゼル[編集]

2014年7月7日、同年7月16日付でスイス・スーパーリーグFCバーゼルへ完全移籍することが発表された[24]。契約期間は2018年6月30日迄で[25]、背番号は14番を着用することになった[26]

日本代表[編集]

東アジアカップ2013第1戦中国戦で代表戦初出場を果たし、後半14分にデビュー戦初得点を記録した[27]。第3戦韓国戦では2得点の活躍で、日本代表の東アジアカップ初優勝に貢献し、自身も大会得点王を獲得した。

2014年5月12日にW杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出された[28]。東アジアカップ以降の親善試合ではスタメンで起用されることが多かったが、W杯では全試合スタメンから外れ、第1戦コートジボワール戦と第3戦コロンビア戦は後半途中から投入されたが、いずれもチームは敗れグループリーグ敗退となった。

プレースタイル[編集]

柿谷の技術の高さについて、セルジオ・ソアレスは「日本を見渡しても、柿谷ほどの技術を持っている選手はなかなかいない」[29]と評価している。また、ドリブルをする際の姿勢が良く、顔を上げているため、対面する相手の動きを把握して、瞬時にプレーを変更出来るのも強み[29]

ディフェンスラインの裏への飛び出し、マークを外す駆け引きといったボールを引き出す動きはさほど得意ではないため、佐藤寿人のゴールシーンを参考にして勉強している[29]

エピソード[編集]

  • メディアだけでなく、森島寛晃清武弘嗣齋藤学といった共にプレーした日本代表選手たちからも「天才」と評されているが[30][31]、本人は「いろんな才能を持っている選手がいて、ボールを奪う才能や、ヘディングには絶対勝つ選手とか、(香川)真司くんやメッシみたいにゴールを取りまくれる選手とか。そういうのを全部できる人が、天才やと思う」と否定している[32]
  • 2012年に当時の監督であったレヴィー・クルピと再会した際は、遠征先のホテルで通訳を交え3人で会話する機会を設け、かつての過ちを謝罪した[32]
  • 試合の際に手首付近に巻いているテーピングは、徳島時代に「気が引き締まる」という理由で始めたもの[33]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 1994年 - 1999年 セレッソ大阪神崎スクール
  • 2000年 - 2001年 セレッソ大阪U-12
  • 2002年 - 2004年 セレッソ大阪U-15
  • 2005年 セレッソ大阪U-18
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2006 C大阪 30 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2007 18 J2 21 2 - 1 0 22 2
2008 11 24 0 - 0 0 24 0
2009 6 2 - - 6 2
徳島 13 27 4 - 1 0 28 4
2010 34 4 - 2 0 36 4
2011 36 6 - 1 0 37 6
2012 C大阪 J1 30 11 7 5 3 1 40 17
2013 8 34 21 8 3 0 0 42 24
2014 14 1 - 0 0 14 1
スイス リーグ戦 スイス杯 オープン杯 期間通算
2014-15 バーゼル 14 スイスリーグ -
通算 日本 J1 79 33 15 8 3 1 97 42
日本 J2 148 18 - 5 0 153 18
スイス スイスリーグ -
総通算 227 51 15 8 8 1 247 60
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2014 C大阪 8 8 4
通算 AFC 8 4

略歴[編集]

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 13試合 5得点(2013年 - )[2]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2013 9 4
2014 4 1
通算 13 5

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2013年7月21日 韓国ソウル 中華人民共和国の旗 中国 △3-3 東アジアカップ2013
2. 2013年7月28日 韓国、ソウル 韓国の旗 韓国 ○2-1
3.
4. 2013年11月19日 ベルギーブリュッセル ベルギーの旗 ベルギー ○3-2 国際親善試合
5. 2014年6月2日 アメリカタンパ コスタリカの旗 コスタリカ ○3-1 国際親善試合

タイトル[編集]

代表[編集]

U-17日本代表
日本代表

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 躍動するミスター・セレッソ。柿谷曜一朗を代表に呼ぶなら「今」だ - web Sportiva 2013年5月20日
  2. ^ a b c “柿谷 曜一朗”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_ka/yoichiro_kakitani.html 
  3. ^ 柿谷曜一朗選手の海外クラブへの短期研修のお知らせ | セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE 2006年5月1日
  4. ^ 柿谷曜一朗選手 プロA契約に変更 | セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE 2007年9月1日
  5. ^ Eaglets rejoice in hat trick (英語) FIFA公式サイト 2013.12.21 02:58 (UTC)
  6. ^ Jリーグ - 早稲田大学人間科学部eスクールにJリーグ所属選手9人が合格 2008年1月25日
  7. ^ a b J's GOAL | J's GOALニュース | 【J2:第3節 C大阪 vs 栃木】レヴィークルピ監督(C大阪)記者会見コメント 2009年3月22日
  8. ^ C大阪柿谷6度目遅刻に罰金「裏切りだ」 - サッカーニュース : nikkansports.com 2009年6月11日
  9. ^ 柿谷 曜一朗選手 セレッソ大阪より期限付き移籍加入のお知らせ 2009年6月17日
  10. ^ 柿谷曜一朗、早熟の天才が過ごした雌伏の時 - スポーツナビ 2012年2月10日
  11. ^ 2011年シーズン キャプテン決定のお知らせ 2011年2月24日
  12. ^ J's GOAL | フォトニュース | 【J2:第1節 徳島 vs 鳥取】 2011年3月6日
  13. ^ 柿谷曜一朗選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ | セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE 2012年1月6日
  14. ^ 柿谷 不調脱出へ決意の丸刈り「こんな髪形するなんて…」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2012年8月22日
  15. ^ J's GOAL | J's GOALニュース | 【J1:第24節 新潟 vs C大阪】レヴィークルピ監督(C大阪)記者会見コメント 2012年9月1日
  16. ^ クルピ監督 柿谷&丸橋を強行出場へ「ギプスさせてでも使う」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2012年11月28日
  17. ^ Jリーグ公式サイト:2012Jリーグアウォーズ:優秀選手賞 2012年12月1日
  18. ^ 柿谷“4代目ミスターセレッソ”に!栄光の背番「8」に感激 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2013年1月31日
  19. ^ テレビ朝日やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜』2013年4月14日放送
  20. ^ 「誰にも負けない8番を」 セレッソ伝統の背番号、柿谷が継承 - MSN産経west 2013年2月26日
  21. ^ C大阪「背番8」柿谷が決勝弾 14年ぶりJ1開幕戦勝利 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2013年3月2日
  22. ^ 柿谷“森島超え弾”もC大阪無念V逸 - 2013年12月1日
  23. ^ J1/2013年最優秀ゴール賞のノミネートゴール一覧|Jリーグベストゴールアワード|スカパー!サッカー中継 2013年12月10日
  24. ^ セレッソ大阪、柿谷のバーゼル移籍を正式発表 - 2014年7月7日
  25. ^ “Japanese version: Welcome to FC Basel 1893, Yoichiro Kakitani”. FCバーゼル 公式サイト. (2014年7月7日). http://www.fcb.ch/news/show/byItemID/de-de/10044/32377/16/7 2014年7月7日閲覧。 
  26. ^ 柿谷曜一朗、4年契約で背番号は14…移籍先のバーゼルが発表 - 2014年7月7日
  27. ^ デビュー戦で1G1Aも…柿谷「残念な感情しかない」 | ゲキサカ - 2013年7月22日
  28. ^ W杯臨む日本代表メンバー23名が発表…本田や香川ら、大久保も選出”. サッカーキング (2014年5月12日). 2014年5月13日閲覧。
  29. ^ a b c “天才”柿谷曜一朗を蘇らせる、C大阪・ソアレス監督の非凡な目。 - Number Web : ナンバー 2012年6月19日
  30. ^ 清武に「天才」と呼ばれた男 柿谷 起死回生の芸術ボレー ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2012年7月8日
  31. ^ 齋藤学、「柿谷曜一朗は天才」と褒めちぎる « サッカー専門新聞ELGOLAZO web版 BLOGOLA - Jリーグ練習場レポート毎日更新 - 2013年7月9日
  32. ^ a b ベースボール・マガジン社週刊サッカーマガジン』1428号、2012年11月13日
  33. ^ J's GOAL | J's GOALニュース | 【J1 6月度MIP受賞インタビュー】柿谷曜一朗(C大阪):「C大阪で活躍することが、今の僕にとって何よりもの喜びで幸せ」 2012年7月26日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]