服部公太

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服部 公太
名前
愛称 コータ
カタカナ ハットリ コウタ
ラテン文字 HATTORI Kohta
基本情報
国籍 日本
生年月日 1977年11月22日(31歳)
出身地 千葉県習志野市
身長 175cm
体重 67kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム 日本の旗 サンフレッチェ広島
ポジション MF
背番号 17[1]
利き足 左足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1996-現在 日本の旗 サンフレッチェ広島 0373 (13)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月13日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )は、日本サッカー選手千葉県習志野市出身。Jリーグサンフレッチェ広島所属。ポジションはミッドフィールダーディフェンダー渋谷教育学園幕張高等学校卒業

目次

[編集] プレースタイル

攻守のバランスに優れ、クロス精度の高い左アウトサイド。ウイングバックやサイドバックでプレーする。

[編集] 来歴

渋谷幕張高時代には宗像マルコス望[2]から指導を受けている。

1996年にサンフレッチェ広島に入団[3]。それまで攻撃的なMFであったが、エディ・トムソンにより左アウトサイドにコンバートされる。1998年に左サイドでレギュラーだった路木龍次が移籍、そのあとの左サイドでレギュラーとして定着し[1]、同時期にレギュラーをつかんだ久保竜彦とのホットラインを築いた。当初はフリーキックも蹴っており、Jリーグ初得点も直接FKで決めている[4]

2001年にはヴァレリー・ニポムニシがめざした攻撃的なサッカーでは左サイドバックとして活躍、攻撃能力が開花し10アシスト[5]する。以降右サイドの駒野友一との両サイドは攻撃の基点になり攻守共に重要なポジションともなった[6]

翌2002年末、チームはJ2降格してしまうものの引き続きチームに残留、セザール・サンパイオとのコンビで左サイドを制圧し2003年J1昇格に貢献した。翌2004年、上村健一の移籍に伴い主将を務めた[7]。この間、リーグおよびカップ戦すべての公式戦にフル出場を果たす(下記エピソード参照)。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督以降、途中交代することが出てきたが引き続き左サイドでレギュラーとして活躍。2008年、2度目のJ2となったが1年でのJ1昇格に貢献、キャリア最高の4ゴールと「流れの中からのクロスのみで12アシスト」を挙げアシストランキング2位となった[5]

2009年5月9日、J1第11節対ジェフユナイテッド市原・千葉戦で史上38人目、サンフレッチェ広島生え抜きとしては初のJ1通算300試合出場達成,[8]

[編集] エピソード

[編集] フルタイム出場

  • 2002年11月から2007年10月まで続いた、「連続試合フルタイム出場のJリーグ記録」を持つ(ただし、Jリーグは同一リーグ内の記録しか認めていないため、J1とJ2にまたがる服部の記録は参考記録扱いとなる)。
  • J1とJ2にまたがるため非公認扱いではあるが、リーグ戦に関しては2007年6月30日第18節対アルビレックス新潟戦(新潟スタ)に、土肥洋一を抜いて連続フル出場のJリーグ記録160試合を達成、記録は171試合まで伸ばしたが2007年10月20日第29節対大宮アルディージャ戦(駒場スタジアム)で途中交代したことにより記録が途絶えた[9]
  • リーグ戦だけでなく天皇杯ナビスコカップなどのカップ戦でもフル出場を続けていたが、2006年4月26日のナビスコカップ1次リーグC組3節対ジェフ千葉戦をゴールデンウィーク中の過密日程やリーグ戦でのチーム成績低迷から望月一頼監督の方針で欠場し、公式戦でのフル出場記録が途切れた。
  • 2005年には、練習中に全治3週間の怪我(右ひじ脱臼)を負いながら、13日後の鹿島戦にはプロテクターを着けてフル出場している[10]
  • Jリーグ公認のJ1のみ連続記録は、2007年10月6日第28節対ジュビロ磐田戦(広島ビッグアーチ)まで126試合。 公認のJ1のみ100試合連続記録は、2007年3月10日対柏レイソル戦(広島ビッグアーチ)にて達成、その時点で5位で上位は1位である土肥や下田崇も含め4人ともGK、フィールドプレーヤーとしては初の快挙[11]

[編集] 連続出場

  • J1連続試合出場記録も2004年開幕時から続いていたが、2007年末にJ2降格が決まったため、最終節の132試合で途切れた。1位は土肥の216試合、2位は真田雅則の145試合、3位が服部、4位が加藤望の131試合。
  • フルタイム出場同様非公式ではあるが、リーグ戦記録も2002年11月から続けていたが、2008年12月5日に急性虫垂炎手術のため欠場が決まり、記録が途切れた。[12]

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1996 広島 - J 1 0 0 0 0 0 1 0
1997 広島 24 J 18 0 5 0 2 0 25 0
1998 広島 17 J 32 1 3 0 3 0 38 1
1999 広島 17 J1 28 1 1 0 4 0 33 1
2000 広島 17 J1 29 1 3 0 2 0 34 1
2001 広島 17 J1 28 0 5 1 0 0 33 1
2002 広島 17 J1 21 0 0 0 4 0 25 0
2003 広島 17 J2 44 1 - 4 1 48 2
2004 広島 17 J1 30 2 6 0 1 0 37 2
2005 広島 17 J1 34 0 6 0 2 0 42 0
2006 広島 17 J1 34 1 5 0 2 0 41 1
2007 広島 17 J1 34 2 7 1 5 0 46 3
2008 広島 17 J2 41 4 - 3 2 44 6
2009 広島 17 J1
通算 日本 J1 289 8 41 2 25 0 355 10
日本 J2 85 5 - 7 3 92 8
総通算 374 13 41 2 32 3 447 18
  • 2007年 : 入替戦2試合0得点
  • 2008年 : Jリーグスーパーカップ1試合0得点

[編集] 経歴・タイトル

[編集] クラブチーム

  • 公式戦初出場 1996年11月9日対横浜マリノス戦(三ツ沢公園球技場
  • 公式戦初得点 1998年8月22日J1・2nd第1節対アビスパ福岡戦(広島ビッグアーチ
    • 先発出場、17分ゴール、72分伊藤哲也と途中交代
  • 連続フルタイム出場
    2006年4月22日J1第9節対セレッソ大阪戦(広島ビッグアーチ)まで143試合
    • リーグ戦のみ 2002年11月30日J1・2nd第15節対コンサドーレ札幌戦(札幌ドーム)から
    2007年10月6日J1第28節対ジュビロ磐田戦(広島ビッグアーチ)まで171試合
    • うちJ1連続出場 2004年3月13日J1・1st第1節対清水エスパルス戦(広島ビッグアーチ)から
    2007年10月6日J1第28節対ジュビロ磐田戦(広島ビッグアーチ)まで126試合
  • 連続試合出場
    • リーグ戦のみ 2002年11月30日J1・2nd第15節対コンサドーレ札幌戦(札幌ドーム)から
    2008年11月30日J2第44節対ロアッソ熊本戦(KKウィング)まで218試合
    • J1のみ 2004年3月13日J1・1st第1節対清水エスパルス戦(広島ビッグアーチ)から
    2007年12月1日J1第34節対ガンバ大阪戦(広島ビッグアーチ)まで132試合
  • 通算試合出場

[編集] 代表歴

  • U-19日本代表
  • U-20日本代表

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 1997年から背番号固定番号制になったが、17番を1997年は路木龍次、1998年以降は服部公太が付けている
  2. ^ 宗像はサンフレッチェ広島の前身である東洋工業サッカー部でプレーした経験がある。
  3. ^ 同期入団は、影山貴志金本圭太高田純松永一慶山口哲治秋満勝二上田実
  4. ^ 中国新聞 (1998-08-22). "サンフレ会心スタート". 2009-05-10 閲覧。
  5. ^ a b スーパーサッカー調べ。
  6. ^ 2008年に駒野移籍まで。
  7. ^ 翌2005年は森崎和幸がキャプテンを務めたため、この1シーズンのみ。
  8. ^ J's GOAL (2009-05-09). "J1第11節 服部公太選手(広島)J1通算300試合出場達成". 2009-05-09 閲覧。
  9. ^ 中国新聞 (2007-10-20). "服部フル出場 171でストップ 途中交代". 2007-10-20 閲覧。
  10. ^ リーサル・ウエポンは19歳広島サッカー向上委員会
  11. ^ 中国新聞 (2007-03-11). "鉄人服部、不屈の3年 100試合連続フル出場". 2007-03-11 閲覧。
  12. ^ 中国新聞 (2008-12-05). "服部が虫垂炎手術 J連続出場は218で止まる". 2008-12-05 閲覧。

[編集] 関連サイト

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