橋本英郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 橋本 英郎 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ハシ | |
| カタカナ | ハシモト ヒデオ | |
| ラテン文字 | HASHIMOTO Hideo | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1979年5月21日(30歳) | |
| 出身地 | 大阪府大阪市 | |
| 身長 | 173cm | |
| 体重 | 68kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 27 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1998-現 在 | ガンバ大阪 | 223 (6) |
| 代表歴2 | ||
| 2007- | 12 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月6日現在。 2. 2009年6月17日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||
橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は、大阪府出身でJ1リーグ・ガンバ大阪所属のサッカー選手。ポジションはMF。日本代表。
目次 |
[編集] 来歴・人物
現役のプロサッカー選手でありながら府内でも有数の進学校でもある大阪府立天王寺高等学校から大阪市立大学経済学部に進み、卒業している。
ガンバ大阪Jr.ユースからガンバ大阪ユースを経て、1998年にガンバ大阪トップチームに昇格。ユース時代の同期生には稲本潤一と新井場徹がいる。ただ、ユース在籍時からトップの公式戦に出ていた二人と違い、橋本は月給10万円の練習生契約で加入した(同年、琴丘高校から入団した播戸竜二も練習生契約であった)。
稲本がアーセナルに移籍した2001年ごろから右ウイングバックやボランチとして徐々に出場機会を増やし、2005年にはレギュラーに定着してリーグ優勝に貢献した。2006年からはタイプの近い明神智和がガンバ大阪に加入し、熾烈なポジション争いを演じている。
2007年には2月1日の日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに選ばれ、3月19日には正式に代表に選出された。6月1日のモンテネグロ戦(キリンカップ)で後半44分に鈴木啓太との交代で途中出場し、代表初出場を果たした。
2008年にはFIFAクラブワールドカップ2008準決勝でヨーロッパ王者のマンチェスター・ユナイテッドFCとの試合に先発フル出場し、1ゴール1アシストの大活躍を見せた。
[編集] プレースタイル
状況を瞬時に判断し、より効果的なプレーを選択できるクレバーな選手。攻撃的になりがちなチームにあって、中盤の底でバランスを取る欠かせない存在である。献身的なボランチのイメージが強いが、適応力が高く、守備的なポジションはどこでもこなすことができ、オフェンシブな部分でもチームに貢献することが出来る。試合中にボランチから左サイドバックや右サイドハーフにポジションチェンジを行うことができ、チームに柔軟性を持たせている存在。
[編集] 人物・エピソード
- 好きな選手はスペインのラウール。
- 日本のアメフトリーグXリーグのアサヒ飲料チャレンジャーズでディフェンスバックやキッカーとしてプレイし、アシスタントコーチを務めていた橋本紀郎は実兄。
- 小学生のころ槇原敬之『どんなときも。』のカラオケビデオにサッカー少年役として出演。今もなお映像が残っている。
- 練習生契約の理由は実力云々よりも「大学に行きたいから」だったという話がある。大阪市立大学では東アジア経済を専攻し、朴一教授のゼミに在籍していた
- 母校天王寺高校の初蹴り会には大量のスパイクを持って訪れる。
- 西野朗監督から厚い信頼を寄せられており、2005年のリーグ優勝時には「陰のMVP」「優勝の立役者」などと評された。
- 優勝した2005年には同年の「ミスターGAMBA 黄金の脚賞」に選ばれた。同賞は日刊スポーツの評論家と担当記者によって選ばれる。
- 2007年6月1日の対モンテネグロ戦(キリンカップ)で、かつてのチームメイトである宮本恒靖、稲本潤一が背負っていた背番号5で念願の日本代表デビューを飾った。
- 2008年12月25日のクリスマスに婚姻届を提出。同日行われた天皇杯・名古屋戦では勝利に貢献するアシストを記録し、自ら結婚を祝った。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1992年 - 1994年 ガンバ大阪ジュニアユース
- 1995年 - 1997年 ガンバ大阪ユース
プロ経歴
- 1998年 - 現 在 ガンバ大阪
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | G大阪 | 31 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1999 | G大阪 | 31 | J1 | 4 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 6 | 1 |
| 2000 | G大阪 | 27 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 9 | 1 |
| 2001 | G大阪 | 27 | J1 | 17 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 22 | 0 |
| 2002 | G大阪 | 27 | J1 | 18 | 0 | 7 | 0 | 2 | 1 | 27 | 1 |
| 2003 | G大阪 | 27 | J1 | 23 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 28 | 1 |
| 2004 | G大阪 | 27 | J1 | 27 | 1 | 7 | 0 | 4 | 0 | 38 | 1 |
| 2005 | G大阪 | 27 | J1 | 33 | 1 | 10 | 1 | 3 | 0 | 46 | 2 |
| 2006 | G大阪 | 27 | J1 | 28 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 34 | 0 |
| 2007 | G大阪 | 27 | J1 | 34 | 3 | 9 | 0 | 4 | 0 | 47 | 3 |
| 2008 | G大阪 | 27 | J1 | 34 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 42 | 0 |
| 2009 | G大阪 | 27 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 223 | 6 | 46 | 2 | 30 | 2 | 299 | 10 | |
| 総通算 | 223 | 6 | 46 | 2 | 30 | 2 | 299 | 10 | |||
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2006 | G大阪 | 27 | 6 | 1 | - | |
| 2008 | G大阪 | 27 | 11 | 0 | 3 | 1 |
| 2009 | G大阪 | 27 | - | |||
| 通算 | AFC | 17 | 1 | 3 | 1 | |
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 1999年4月10日 J1 1st第6節 vsサンフレッチェ広島 (広島スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 2003年4月19日 J1 1st第4節 vsジェフユナイテッド市原 (万博記念競技場)
- Jリーグ100出場試合 - 2005年4月16日 J1 第6節 vs横浜F・マリノス (日産スタジアム)
- Jリーグ200出場試合 - 2008年6月25日 J1 第11節 vs京都サンガFC (万博記念競技場)
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 2007年 アジアカップ2007
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 12試合 0得点(2007-)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2007 | 3 | 0 |
| 2008 | 2 | 0 |
| 2009 | 7 | 0 |
| 通算 | 12 | 0 |
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||||||||||
|
|||||||

