今野泰幸
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|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | コンちゃん、ヤス | ||||||
| カタカナ | コンノ ヤスユキ | ||||||
| ラテン文字 | KONNO Yasuyuki | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1983年1月25日(29歳) | ||||||
| 出身地 | 宮城県仙台市 | ||||||
| 身長 | 178cm | ||||||
| 体重 | 73kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | ガンバ大阪 | ||||||
| ポジション | MF (DH) / DF (CB, SB) | ||||||
| 背番号 | 15 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月6日現在。 2. 2012年2月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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今野 泰幸(こんの やすゆき、1983年1月25日 - )は、宮城県仙台市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)、ディフェンダー。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
小学校1年時からサッカーを始めた。サッカー強豪校の東北高等学校には、スポーツ特待生に入れず[1]一般受験で進学したが[2]ここで頭角を現し宮城県選抜[3]に選ばれ富山国体への出場、東北高では全国選手権への出場を経験。ナショナルトレセンやユース代表候補合宿への参加もあったが、プロクラブからの勧誘の対象にはならず、卒業後は地元のソニー仙台への加入が内定していた。今野の才能が埋もれる事を惜しんだソニー仙台の関係者が「1人のサッカー人として」懇意であるコンサドーレ札幌の関係者に今野を紹介し、練習参加を経て岡田武史監督の注目するところとなり、同クラブと契約した。札幌への入団が内定した後に出場した高3冬の全国選手権ではベスト8に進出した。
[編集] コンサドーレ札幌
札幌では、岡田監督からボールホルダーへの素早いアプローチと奪取力を評価され[4]、加入初年度の2001年から先発出場の機会を得た。さらに2001 FIFAワールドユース選手権に出場するU-20日本代表に飛び級で選出されレギュラーポジションを獲得したものの、怪我により自身の大会出場はかなわなかった。
2002年には主軸として期待され背番号が4に変更された。同年、大熊清監督率いるU-19日本代表に招集され、AFCユース選手権・カタール大会にキャプテンとして出場し準優勝に貢献。一方、札幌では柱谷哲二新監督によりレギュラーとして起用されたがチームは苦戦を強いられ、自身もシーズン途中での監督交代やリーグ最下位でのJ2降格も味わった。
2003年12月にはU-20日本代表として、FIFAワールドユース選手権・UAE大会に出場した。
[編集] FC東京
2004年に「J1であること」、「若手の出場機会が多い」、「まだタイトルを取った事が無いチームで、チームと共に成長できると思った」ことが決め手となり[5]、J1のFC東京に完全移籍した。前年末のワールドユース終了後の1月からは山本昌邦監督率いるU-23日本代表に飛び級で招集され、アジア地区最終予選では代表チームでただ一人全6試合にフル出場しアテネオリンピック出場に大きく貢献[注 1]。8月のオリンピック本大会にも出場した。同年のヤマザキナビスコカップ決勝では、FC東京のセンターバックであるジャーンが退場し1人でボランチを任されることになったが、延長戦を含む100分近い時間を守りきり、自身にとってもクラブとしても初のタイトル獲得を果たした。原博実監督は今野の守備について「間合いの取り方も、相手への体の入れ方もうまいし、ファウルしないでボールを奪える。日本人離れしている」と絶賛した[7]。
2005年8月の東アジアサッカー選手権でジーコ監督により初めて日本代表に選出され、同大会の中国戦でA代表初出場を記録した。Jリーグでは12月のJ1最終節で後半ロスタイムに同点ゴールを決め、結果的にC大阪の優勝を阻止した。
2006年10月に、イビチャ・オシム監督が指揮する日本代表に選出され、ガーナ戦では代表では初めてとなるディフェンダーとして右センターバックのポジションでフル出場した。11月のサウジアラビア戦ではフォワードのヤセル・アル・カフタニのマークにつく一方で、オーバーラップから日本代表の2点目をアシストし[注 2]、3点目の起点となるパスを出し[8]いずれも我那覇和樹のゴールを導いた。これ以後もオシムは「好みではないポジションも喜んでやる準備ができている」[9]と今野を高く評価し、サイドバックなど複数のポジションで起用した[6]。
2007年12月初頭の天皇杯開催中に、今野の代理人である西真田佳典の売り込みにより[10]、浦和、G大阪、名古屋と移籍交渉を行なっていると報道されたが[11]、FC東京の次期監督就任が発表された城福浩と面談しチーム構想や強化方針に共感し、12月29日に残留が発表された[12]。この際の契約を経て今野はFC東京の最高年俸日本人選手となっている[13]。
2009年は第9節よりセンターバックにコンバートされ、優れたフィード力を生かして同じくCBのブルーノ・クアドロス、ボランチの梶山陽平らとFC東京のポゼッションサッカーの起点となった[14]。
オシム退任後、日本代表監督となった岡田武史は今野を「ユーティリティーがあって貴重な選手」と評し[15]常に代表に選出。2010年に開催されたワールドカップ・南アフリカ大会日本代表メンバーにも選出し、宮城県出身選手として初となるワールドカップ日本代表選手となった。本大会直前に行われたコートジボワールとの親善試合で左膝靭帯損傷の怪我を負ったものの、懸命のリハビリを行い本大会に間に合わせ[16]、グループリーグ第3戦のデンマーク戦において途中出場を果たしたが、本大会での出場はこの1試合に終わった[注 3]。
この年、城福監督は今野を「日本でトップ・オブ・センターバック」と評し[18][19][20]、中盤の選手に負傷離脱が相次いだ中でもセンターバックに据え続けた。また、ボランチとしては前方へのパスを出す能力に課題があるがダイナミズムを出せるとして[20]、より攻撃に比重をかけたい状況になった場合には、控えディフェンダーを投入するなどして今野を中盤に上げるという起用法を採っていたが[19]結果は伴わず、札幌所属時以来2度目のJ2降格を経験。
岡田の後任として日本代表監督に就任したアルベルト・ザッケローニは、初采配となった2010年10月8日のアルゼンチン戦以降全試合で今野をセンターバックとしてスタメン起用している。2011年1月に開催されたAFCアジアカップでは、ザッケローニからディフェンス陣のリーダーに指名され[21]、同じくセンターバックの吉田麻也をリードし[22]経験の少ない守備陣を統率。全試合にフル出場し(日本代表では今野と長友佑都のみ)、日本代表の優勝に貢献した。
2011年よりFC東京のキャプテンに就任[23]。J2最小失点となる堅守を築き、1年でのJ1復帰を達成。同年のJリーグアウォーズにてJ2 Most Exciting Playerの初代受賞者として表彰された[24]。また、11月11日には2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のタジキスタン戦で代表初ゴールを記録した[2][22]。天皇杯決勝の京都戦では、先制点を許した直後に同点ゴールを決め、チームの天皇杯初優勝に貢献。
[編集] ガンバ大阪
[編集] 人物・エピソード
- 2009年1月4日、読者モデルの経験がある一般女性との入籍を発表[27]。2011年8月23日、第1子の長男が誕生[28]。
- 生真面目な性格から、代表やクラブでもイジられ役として親しまれている[29]。
- 国内公式戦に5分でも出場したらワクチンを提供するというチャリティー活動を行っている[31]。今野は毎年夏に「今野カップ」という、今野自らがスポンサーとなって子ども達を招待するサッカーイベントを開催しており、このイベントも「世界の子どもにワクチンを」の活動主旨に賛同している[32]。「今野カップ」は身近な事から社会貢献が出来ることを学んでもらうことを目的として、参加チームはペットボトルのキャップを集めてワクチンに変える社会貢献活動も行うことが恒例となっている。
- 2010 FIFAワールドカップで着用したユニフォームは、選手全員のサインを添えて、日本代表専属シェフの西芳照へ贈られた[33]。西は翌年に回想録を出版。今野のユニフォームが表紙を飾っている[34]。
- 南アフリカワールドカップから帰国した2010年7月1日、関西国際空港にて日本代表選手団の記者会見中、突然監督の岡田武史から「なんか今野がね、言いたい事が有るとさっき言ってたんで…」と発言を促した。その指名に今野は驚いた表情で「いやホント厳しいんですけど」と苦笑しながらも、松井大輔に勧められ「じゃあ物真似やります」とコメント。この日実父の看病で一人ブラジルに直行、この会見に不在だった田中マルクス闘莉王が出演した、ケンタッキーのCMのモノマネを披露し、「あつまれーー!!」と闘莉王に似せた野太い声を張り上げると、岡田監督やチームメートらを初め、会見場はどっと大爆笑に包まれた[35]。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- 上野山FC (仙台市立上野山小学校)
- 1995年 - 1997年 仙台市立山田中学校
- 1998年 - 2000年 東北高等学校
- プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001 | 札幌 | 26 | J1 | 17 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 19 | 1 |
| 2002 | 4 | 22 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 25 | 0 | ||
| 2003 | J2 | 26 | 2 | - | 0 | 0 | 26 | 2 | |||
| 2004 | FC東京 | 6 | J1 | 26 | 4 | 7 | 1 | 3 | 0 | 36 | 5 |
| 2005 | 34 | 7 | 6 | 1 | 2 | 0 | 42 | 8 | |||
| 2006 | 28 | 5 | 6 | 0 | 2 | 0 | 36 | 5 | |||
| 2007 | 33 | 5 | 6 | 1 | 3 | 1 | 42 | 7 | |||
| 2008 | 32 | 4 | 2 | 0 | 3 | 0 | 37 | 4 | |||
| 2009 | 34 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 39 | 2 | |||
| 2010 | 34 | 5 | 3 | 0 | 3 | 0 | 40 | 5 | |||
| 2011 | J2 | 33 | 1 | - | 4 | 1 | 37 | 2 | |||
| 2012 | G大阪 | 15 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 260 | 32 | 38 | 3 | 18 | 2 | 316 | 37 | |
| 日本 | J2 | 59 | 3 | - | 4 | 1 | 63 | 4 | |||
| 総通算 | 319 | 35 | 38 | 3 | 22 | 3 | 379 | 41 | |||
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2012 | G大阪 | 15 | - | |||
| 通算 | AFC | |||||
その他の国際公式戦
- 2010年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- FC東京
[編集] 代表
[編集] 個人
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- U-19日本代表
- 2002年 - AFCユース選手権2002 (準優勝)
- U-20日本代表
- 2001年 - ジャパンユースカップ2001 (優勝)
- 2003年 - 2003 FIFAワールドユース選手権 (ベスト8)
- U-23日本代表
- 2004年 - アテネオリンピック (グループリーグ敗退)
- 日本代表
- 2005年 - 東アジアサッカー選手権2005 (2位)、2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
- 2006年 - AFCアジアカップ2007 (予選)
- 2007年 - AFCアジアカップ2007 (4位)
- 2008年 - 東アジアサッカー選手権2008 (2位)、2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
- 2009年 - ワールドカップ・アジア最終予選、AFCアジアカップ2011 (予選)
- 2010年 - 東アジアサッカー選手権2010 (3位)、アジアカップ予選、2010 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- 2011年 - AFCアジアカップ2011 (優勝)、2014 FIFAワールドカップ・アジア予選
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 57試合 1得点 (2005年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2005 | 3 | 0 |
| 2006 | 3 | 0 |
| 2007 | 9 | 0 |
| 2008 | 11 | 0 |
| 2009 | 7 | 0 |
| 2010 | 7 | 0 |
| 2011 | 15 | 1 |
| 2012 | 2 | 0 |
| 通算 | 57 | 1 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2011年11月11日 | タジキスタン、ドゥシャンベ | ○4-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
[編集] 出演
[編集] 映画
- 名探偵コナン 11人目のストライカー (2012年)
[編集] PV
- 大友康平 - 『ff (フォルティシモ) 〜We Are The東北〜』 (2011年)
- フレンチ・キス - 『君なら大丈夫』 (2011年)
[編集] 書籍
- 2012年1月 『観察眼』(角川書店) ISBN 978-4041101100 ※遠藤保仁との共著
[編集] 脚注
- 注釈
- 出典
- ^ 『突破論』 ベストセラーズ、2010年、141頁。ISBN 4584132275。
- ^ a b 「もうゴールできないかと…」今野54戦目の遅咲き1号 スポーツニッポン、2011.11.12
- ^ “宮城県出身・今野&佐々木 G大阪の東北コンビ対談”. スポーツ報知 東北版 (2012年2月18日). 2012年2月21日閲覧。
- ^ 挑む23選手:サッカーW杯日本代表DF・今野泰幸 毎日新聞、2010.06.03
- ^ 『FC東京ファンブック2004 今野泰幸「チームと共に成長したい」』 毎日新聞社、2004年、72頁。ISBN 462079239X。
- ^ a b 今野泰幸(FC東京)ユーティリティーのスペシャリスト OCNスポーツ、Jリーグサッカーキング2011年6月号
- ^ 21世紀の骨のあるヤツ 第262回 @ぴあ、2005.07.15
- ^ a b [検証・オシムジャパン]「日本のサッカー」が見えてきた。 Number Web、2006.12.07
- ^ エジプト戦後 オシム監督会見 アジア・アフリカチャレンジカップ スポーツナビ、2007.10.17
- ^ 浦和強化計画が狂った、今野の代理人に不信感 スポーツ報知、2007.12.29
- ^ 今野 浦和断るが…G大阪からもオファー 東京中日スポーツ、2007.12.29
- ^ 今野残留 東京中日スポーツ、2007.12.30
- ^ 今野、FC東京にドタバタ残留 スポーツ報知、2007.12.30
- ^ 「支配」か「コントロール」か 〜FC東京好調の要因〜 Number web、2009.08.04
- ^ トーゴ戦前日 岡田監督会見 スポーツナビ、2009.10.13
- ^ “今野が先発奪回に意欲 復帰に手ごたえ”. デイリースポーツ. (2010年6月16日) 2010年6月17日閲覧。
- ^ 日本代表W杯メンバー帰国会見 スポーツナビ、2010.07.02
- ^ 岡田監督御前で今野決勝ゴール スポーツ報知、2010.03.29
- ^ a b 【ヤマザキナビスコカップ FC東京vs名古屋】城福監督記者会見コメント J's GOAL、2010.03.31
- ^ a b 【J1:第15節 FC東京vs磐田】城福監督記者会見コメント J's GOAL、2010.07.28
- ^ ザック、今野をDFリーダーに指名 アジア杯に臨む日本代表 東京中日スポーツ、2011.01.07
- ^ a b 今野代表54戦目弾で最終予選へ/W杯予選 日刊スポーツ、2011.11.12
- ^ 新主将・今野が舵取り 「J1復帰内閣」 東京中日スポーツ、2011.02.23
- ^ J2 Most Exciting Player 今野 泰幸選手(FC東京)に決定 Jリーグ、2011.12.06
- ^ DF今野泰幸選手 FC東京より完全移籍加入のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2012.01.16
- ^ 今野泰幸選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ FC東京オフィシャルサイト、2012.01.16
- ^ 今野泰幸選手 入籍のお知らせ FC東京公式ウェブサイト 2009.01.04
- ^ 今野泰幸選手に第1子(長男)誕生のお知らせ FC東京公式ウェブサイト 2011.08.23
- ^ 今野“集まれーっ”卒業も…代表フル参戦へ! スポニチ、2011.02.02
- ^ 日本代表、標高3500mで“雪合戦トレ” サンケイスポーツ、2010.06.03
- ^ FC東京の今野選手は2010年度も「僕のルール」を継続してくださいます! 世界の子どもにワクチンを 日本委員会、2010.06.17
- ^ 今野 泰幸 トピックスソル・スポーツマネージメント
- ^ Jヴィレッジの「お宝」日本代表ユニホーム ブログ報知、2010.08.02
- ^ 西芳照 『サムライブルーの料理人-サッカー日本代表専属シェフの戦い』 白水社、2011年。ISBN 4560081115。
- ^ 別れのムチャ振りに今野応えた「一発芸」 日刊スポーツ 2010.07.02
- ^ FC東京・今野ものまね「着ボイス」配信 サンケイスポーツ 2010.07.11
- ^ 闘莉王、今野に爆笑提案 中日スポーツ 2010.08.08
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 今野泰幸│ガンバ大阪オフィシャルサイト
- プロフィール - ソル・スポーツマネージメント (所属マネジメント会社)
- 世界の子どもにワクチンを日本委員会
- 今野泰幸 - FIFA主催大会成績(英語)
- 今野泰幸/profile-Goal.com - Goal.com
- 今野泰幸 - Soccerbase(英語)
- 今野泰幸 - National-Football-Teams.com(英語)
- 今野泰幸 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績 (英語)
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