三浦文丈
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | フミさん | ||||||
| カタカナ | ミウラ フミタケ | ||||||
| ラテン文字 | MIURA Fumitake | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1970年8月12日(41歳) | ||||||
| 出身地 | 静岡県清水市 | ||||||
| 身長 | 174cm | ||||||
| 体重 | 72kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF、FW | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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三浦 文丈(みうら ふみたけ、1970年8月12日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1993年から2006年までJリーグの選手として活動した。ポジションは主にミッドフィールダー、フォワード。現在は横浜F・マリノスコーチ。
目次 |
[編集] 来歴
小学6年次の1982年に清水FCの一員として全日本少年サッカー大会優勝。清水第五中学校3年次には全国中学校サッカー大会準優勝に貢献し、日本ジュニアユース代表に選出された[1]。
1986年に清水市立商業高等学校(現静岡市立清水商業高等学校)に進学。3年次の1988年に主将として第67回全国高校サッカー選手権優勝に貢献した[2]。また同年には日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権に出場した。
1989年に筑波大学進学。1年次からバルセロナ五輪代表に選出され1991年から1992年に行われたバルセロナ五輪アジア予選に出場、最終予選のバーレーン戦ではハットトリックを決める活躍を見せたが、本大会出場に導く事は出来なかった。
また4年次の1992年には同大学の主将を務め総理大臣杯と関東大学サッカーリーグの二冠に貢献した。
1993年にJリーグの横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に入団。初年度からリーグ戦24試合に出場、翌1994年にはリーグ戦38試合に出場し、主にFW・攻撃的なMFとして活躍した。1995年にはサントリーシリーズ優勝を経験するとともに、ダイナスティカップの日本代表に初選出されるが、代表としての試合出場は成らなかった。1996年、1997年にはJリーグ選手協会の監事を務めた[3]。
1998年は試合出場機会が減少し、翌1999年には出場機会を求めて京都パープルサンガに移籍し三浦知良との2トップも経験するも、シーズン途中でジュビロ磐田へと移籍。磐田では同年末にJ1年間優勝を経験する。また、この頃からボランチに転向する。
2001年にFC東京へと移籍。2002年には開幕直後の対浦和レッズ戦(駒場)にて、福田正博と激突し左膝前十字靭帯を断裂する重傷を負い長期離脱、年末の天皇杯で復帰を果たすがそこで再び負傷、本格復帰は翌2003年になった。FC東京では若い選手が多いチームにおける貴重なベテラン選手として多くの試合出場を重ね、2004年にはナビスコカップの優勝も経験した。2006年11月24日に現役引退を表明、翌2007年からFC東京のトップチームのコーチに就任し、指導者としてのキャリアがスタート。2008年からはFC東京U-15むさしコーチとしてユース世代の指導を経験。2009年に古巣である横浜F・マリノスのトップチームコーチに就任。
2011年に、A級コーチジェネラルライセンスを取得している[4]。
[編集] 所属クラブ
- 清水FC (清水市立三保第一小学校)
- 清水市立第五中学校
- 清水市立商業高校
- 筑波大学
- 1993年 - 1998年 横浜マリノス
- 1999年 京都パープルサンガ
- 1999年 - 2000年 ジュビロ磐田
- 2001年 - 2006年 FC東京
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993 | 横浜M | - | J | 24 | 5 | 4 | 0 | 3 | 2 | 31 | 7 |
| 1994 | 横浜M | - | J | 38 | 8 | 3 | 0 | 4 | 0 | 45 | 8 |
| 1995 | 横浜M | - | J | 16 | 3 | - | 2 | 1 | 18 | 4 | |
| 1996 | 横浜M | - | J | 23 | 2 | 13 | 3 | 1 | 0 | 37 | 5 |
| 1997 | 横浜M | 11 | J | 27 | 3 | 6 | 1 | 1 | 0 | 34 | 4 |
| 1998 | 横浜M | 11 | J | 18 | 5 | 4 | 0 | 1 | 0 | 23 | 5 |
| 1999 | 京都 | 8 | J1 | 23 | 4 | 3 | 0 | - | 26 | 4 | |
| 磐田 | 34 | J1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 8 | 1 | |
| 2000 | 磐田 | 7 | J1 | 21 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 25 | 0 |
| 2001 | FC東京 | 10 | J1 | 27 | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 29 | 4 |
| 2002 | FC東京 | 10 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 |
| 2003 | FC東京 | 10 | J1 | 26 | 1 | 4 | 0 | 2 | 0 | 32 | 1 |
| 2004 | FC東京 | 10 | J1 | 22 | 2 | 7 | 0 | 2 | 0 | 31 | 2 |
| 2005 | FC東京 | 10 | J1 | 14 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 19 | 0 |
| 2006 | FC東京 | 10 | J1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
| 通算 | 日本 | J1 | 295 | 37 | 51 | 5 | 24 | 3 | 370 | 45 | |
| 総通算 | 295 | 37 | 51 | 5 | 24 | 3 | 370 | 45 | |||
その他の公式戦
- 1995年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- 1999年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2000年
- スーパーカップ 1試合0得点
[編集] 指導歴
- 2007年-2008年 FC東京
- 2007年 トップチーム:コーチ
- 2008年 U-15むさし:コーチ
- 2009年-現在 横浜F・マリノス
- 2009年 トップチーム:コーチ
- 2010年- ジュニアユースMM:監督