福西崇史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

福西 崇史
名前
愛称 フク
カタカナ フクニシ タカシ
ラテン文字 FUKUNISHI Takashi
基本情報
国籍 日本
生年月日 1976年9月1日(31歳)
出身地 愛媛県新居浜市
身長 181cm
体重 77kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム 日本の旗 東京ヴェルディ
ポジション MF
背番号 23
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1995-2006
2007
2008-
日本の旗 ジュビロ磐田
日本の旗 FC東京
日本の旗 東京ヴェルディ
292(53)
28(6)
?(?)
代表歴2
1999-2006 日本 64(7)


1国内リーグ戦に限る。2007年12月30日現在 22007年12月23日現在
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、愛媛県新居浜市出身で東京ヴェルディ所属のサッカー選手。ポジションMFで、主にボランチを務める。

目次

[編集] 来歴

神郷小学校4年のとき、地元のサッカー教室でサッカーを始めた。川東中学校を経て、新居浜工業高校へ進学。高校時代までのポジションはフォワードだった。

プロサッカー選手になるきっかけとなったのは、新居浜工業高校在学中、対戦チームの選手を目当てに来ていた当時ジュビロ磐田石井知幸スカウト(現アルビレックス新潟ヘッドコーチ)が、福西に目をとめたことだった。

1995年、同校卒業後ジュビロ磐田に入団。当時の柳下コーチにサテライトでボランチにコンバートされる。同ポジションのドゥンガの熱血指導を受けつつ、同年8月には早くもトップデビューする。以後、ジュビロの主軸選手の1人として、チームの心臓部を担った。

2000年に就任したギョキッツァ・ハジェブスキー監督は、福西をリベロに配置した。残りのディフェンスを置き去りにして勝手に前に出て行くことが多く、守備システムのバランスを崩してしまったが、彼自身の守備のセンスにはこのポジションの経験によって磨かれた。

2002年日韓ワールドカップのメンバー選出され、第2戦のロシア戦に初出場した。

ジーコ監督率いる日本代表チームでは、稲本潤一の離脱により、若手有望選手が多数ひしめき、激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り、重用され活躍した。2006年、2度目となるドイツワールドカップでは3試合中の2試合にスターティングメンバーとして出場を果たした。

2006年シーズン終了後、翌シーズンに向けてクラブとの契約交渉に臨んだが、ワールドカップへの出場や若いチームをまとめるリーダー的な活躍を期待されたにも関わらずリーダーとしては足りえず、結果フロントが提示した金額はダウン提示であった。更に往年のジュビロ磐田のポゼッションサッカーを理想とする彼のサッカー観と、当時のアジウソン監督のサッカー観にはかなりの開きがあるなどの問題が重なったため移籍の話が具体化し、2007年から攻撃サッカーを提唱する原監督に誘われてFC東京へ完全移籍した。 2007年11月20日、チームの構想外となり、翌年の契約を更改しないことが発表され、そのシーズン限りでFC東京を退団。12月30日東京ヴェルディへの移籍が発表された。

[編集] プレースタイル

守備的ポジションにも関わらず、セットプレーでの空中戦や混戦での得点能力に秀でている。 同ポジションによく見られる運動量を武器にした選手とは異なり、身体能力で相手を止めてしまう「動きの少なさ」も特徴の一つである。

ただ動かないのは本人が「正直運動量を求められるとつらいです」と吐露するなど、元々持久力などには欠けているためでもあり(日本代表での持久力テストでは下位の常連である)、ピンチでも歩いていたり、劣勢の試合では攻撃に参加したまま自陣に戻ってこないことも多々ある。かつて磐田の指揮官だった柳下正明には「集中力が足りない」と苦言を呈されたこともあった。名波浩は雑誌のインタビューで「彼にアドバイスすることはもうないが、敢えて言うなら『動け』」「福西は『動かないボランチ』像を確立した」と冗談交じりに語っている。

[編集] エピソード

  • ジュビロ磐田所属時にはゴールを決めたあと、元体操選手であった事をうかがわせる美しいバック宙を披露した事もある。ストレッチなどでも器械体操系の動きを自然としてしまう癖があるという。
  • 息子が2人、長男に「たかし」と呼び捨てにされたことがある。また、家族をとても大切にしており、本人も「趣味は家族サービス」と言い切るほどである。
  • 2004年以降代表での活躍が著しく、女性ファンからの黄色い声援が絶えないが、福西は「自分が既婚者で、子供もいることが知られてないのでは?」と語ったことがあった。
  • 磐田時代の同僚である奥大介と仲がよく、2人とも磐田から移籍した後の2007年6月にも週刊サッカーマガジン誌上で一緒にインタビュー取材を受け、様々なエピソードを語った。
  • 視力が悪くコンタクトレンズを使用している。その為、試合中にコンタクトが外れピッチの外へ出てコンタクトをはめ直す場面もたまに見受けられる。 

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1995 磐田 - J 10 1 - 0 0 10 1
1996 磐田 - J 27 2 10 0 1 1 38 3
1997 磐田 23 J 21 4 6 1 3 1 30 6
1998 磐田 23 J 22 2 5 1 3 0 30 3
1999 磐田 23 J1 27 10 3 1 0 0 30 11
2000 磐田 23 J1 27 5 4 0 3 0 34 5
2001 磐田 23 J1 29 4 7 0 2 0 38 4
2002 磐田 23 J1 28 5 1 0 3 0 32 5
2003 磐田 23 J1 26 5 8 0 0 0 34 5
2004 磐田 23 J1 26 6 0 0 5 0 31 6
2005 磐田 23 J1 23 2 1 0 2 1 26 3
2006 磐田 23 J1 26 7 1 0 3 1 30 8
2007 FC東京 37 J1 28 6 6 1 0 0 34 7
2008 東京V 23 J1
通算 日本 J1 320 59 52 4 25 4 397 67
総通算 320 59 52 4 25 4 397 67
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 磐田 23 4 1
2005 磐田 23 2 0
通算 AFC 6 1

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

  • 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会
  • 2002年 FIFAワールドカップ 韓国・日本大会
  • 2003年 東アジア選手権 日本大会
  • 2004年 AFCアジアカップ 中国大会
  • 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ ドイツ大会
  • 2005年 東アジア選手権 韓国大会
  • 2006年 FIFAワールドカップ ドイツ大会

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 64試合 7得点(1999-2006)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1999 3 0
2000 0 0
2001 2 0
2002 10 0
2003 6 0
2004 18 5
2005 14 1
2006 11 1
通算 64 7

[編集] 個人タイトル

[編集] 外部リンク