福西崇史
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| 福西 崇史 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | フク | |
| カタカナ | フクニシ タカシ | |
| ラテン文字 | FUKUNISHI Takashi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年9月1日(32歳) | |
| 出身地 | 愛媛県新居浜市 | |
| 身長 | 181cm | |
| 体重 | 77kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1995-2006 2007 2008 |
292(53) 28(6) 29(3) |
|
| 代表歴2 | ||
| 1999-2006 | 64(7) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月7日現在。 2. 2007年12月23日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元サッカー選手。ポジションはMFで、主にボランチを務めた。現役引退後は、サッカー解説のほかにテレビ・雑誌などでタレント活動も行っている。 2009年5月14日、JFAアンバサダーに選出された。
目次 |
[編集] 来歴
神郷小学校4年のとき、地元のサッカー教室でサッカーを始めた。川東中学校を経て、新居浜工業高校へ進学。高校時代までのポジションはフォワードだった。
プロサッカー選手になるきっかけとなったのは、新居浜工業高校在学中、対戦チームの選手を目当てに来ていた当時ジュビロ磐田の石井知幸スカウト(現磐田ヘッドコーチ)が、福西に目を留めたことだった。
1995年、同校卒業後ジュビロ磐田に入団。当時の柳下正明コーチにサテライトでボランチにコンバートされる。同ポジションのドゥンガの熱血指導を受けつつ、同年8月には早くもトップデビューする。以後、磐田の主軸選手として、チームの心臓部を担った。
2000年に就任したギョキッツァ・ハジェヴスキー監督は、福西をリベロに配置した。残りのディフェンスを置き去りにして勝手に前に出て行くことが多く、守備システムのバランスを崩してしまったが、福西自身の守備のセンスはこのポジションの経験によって磨かれた。
2002年、日韓ワールドカップのメンバー選出され、第2戦のロシア戦に初出場した。
ジーコ監督率いる日本代表チームでは、稲本潤一の離脱により若手有望選手が多数ひしめき、激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り、重用され活躍した。2006年、2度目となるドイツワールドカップでは3試合中の2試合にスターティングメンバーとして出場した。
2006年シーズン終了後、翌シーズンに向けてクラブとの契約交渉に臨んだ際、ワールドカップへの出場はあったが、若返りを図る磐田において若手をまとめるリーダー的な活躍を期待されたにも関わらずリーダーとしては足りえなかったというフロントの評価を受け、金額はダウン提示であった。更に黄金期の磐田のポゼッションサッカーを理想とする福西のサッカー観と、アジウソン監督(当時)のサッカー観にはかなりの開きがあるなどの問題が重なったため移籍の話が具体化し、2007年に「攻撃サッカー」を提唱する原博実監督に誘われてFC東京へ完全移籍した。 2007年11月20日、年間を通してチームが低迷した事と、FC東京の日本人選手では最高額であった高年俸がネックとなり、翌年の契約を更改しないことが発表され、1シーズン限りでFC東京を退団。12月30日に東京ヴェルディへの完全移籍が発表された。ここでも主力として起用されたが、クラブの経営悪化の影響によりまたもや契約非更新が発表された。
2009年1月30日に現役引退を表明した。
[編集] プレースタイル
守備的ポジションにも関わらず、セットプレーでの空中戦や混戦での得点能力に秀でている。 同ポジションによく見られる運動量を武器にした選手とは異なり、身体能力で相手を止めてしまう「動きの少なさ」も特徴の一つである。
ただ動かないのは本人が「正直運動量を求められるとつらいです」と吐露するなど、元々持久力などには欠けているためでもあり(日本代表での持久力テストでは下位の常連である)、ピンチでも歩いていたり、劣勢の試合では攻撃に参加したまま自陣に戻ってこないことも多々ある。かつて磐田の指揮官だった柳下正明には「集中力が足りない」と苦言を呈されたこともあった。名波浩は雑誌のインタビューで「彼にアドバイスすることはもうないが、敢えて言うなら『動け』」「福西は『動かないボランチ』像を確立した」と冗談交じりに語っている。
一方でラフプレー、トリックプレーが非常に多く、「福西は汚い」と評されることもある。現役最後の試合でレッドカードを食らった(後述)。
[編集] エピソード
- ジュビロ磐田所属時にはゴールを決めたあと、元体操選手であった事をうかがわせる美しいバック宙を披露した事もある。ストレッチなどでも器械体操系の動きを自然としてしまう癖があるという。
- 息子が2人、長男に「たかし」と呼び捨てにされたことがある。また、家族をとても大切にしており、本人も「趣味は家族サービス」と言い切るほどである。
- 2004年以降代表での活躍が著しく、端正な顔立ちから女性ファンからの黄色い声援が絶えなかったが、福西は「自分が既婚者で、子供もいることが知られてないのでは?」と語ったことがあった。
- 磐田時代の同僚である奥大介と仲がよく、2人とも磐田から移籍した後の2007年6月にも週刊サッカーマガジン誌上で一緒にインタビュー取材を受け、様々なエピソードを語った。
- 視力が悪くコンタクトレンズを使用している。その為、試合中にコンタクトが外れピッチの外へ出てコンタクトをはめ直す場面もたまに見受けられる。
- 横浜F・マリノスに相性が良く、しばしば得点を上げている。磐田時代には手で押し込んだ「神の手ゴール」が決勝点になったこともある(意図的ではなかったと判断されたため)。
- 2008年、東京Vから戦力外通告された際、地元である愛媛FCから正式にオファーがあった。福西は愛媛で最も有名なサッカー選手であるため、加入を心待ちにしているファンも多かったが条件面で一致せず現役引退した。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | 磐田 | - | J | 10 | 1 | - | 0 | 0 | 10 | 1 | |
| 1996 | 磐田 | - | J | 27 | 2 | 10 | 0 | 1 | 1 | 38 | 3 |
| 1997 | 磐田 | 23 | J | 21 | 4 | 6 | 1 | 3 | 1 | 30 | 6 |
| 1998 | 磐田 | 23 | J | 22 | 2 | 5 | 1 | 3 | 0 | 30 | 3 |
| 1999 | 磐田 | 23 | J1 | 27 | 10 | 3 | 1 | 0 | 0 | 30 | 11 |
| 2000 | 磐田 | 23 | J1 | 27 | 5 | 4 | 0 | 3 | 0 | 34 | 5 |
| 2001 | 磐田 | 23 | J1 | 29 | 4 | 7 | 0 | 2 | 0 | 38 | 4 |
| 2002 | 磐田 | 23 | J1 | 28 | 5 | 1 | 0 | 3 | 0 | 32 | 5 |
| 2003 | 磐田 | 23 | J1 | 26 | 5 | 8 | 0 | 0 | 0 | 34 | 5 |
| 2004 | 磐田 | 23 | J1 | 26 | 6 | 0 | 0 | 5 | 0 | 31 | 6 |
| 2005 | 磐田 | 23 | J1 | 23 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 26 | 3 |
| 2006 | 磐田 | 23 | J1 | 26 | 7 | 1 | 0 | 3 | 1 | 30 | 8 |
| 2007 | FC東京 | 37 | J1 | 28 | 6 | 6 | 1 | 0 | 0 | 34 | 7 |
| 2008 | 東京V | 23 | J1 | 29 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | 35 | 3 |
| 通算 | 日本 | J1 | 349 | 62 | 57 | 4 | 26 | 4 | 432 | 70 | |
| 総通算 | 349 | 62 | 57 | 4 | 26 | 4 | 432 | 70 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 磐田 | 23 | 4 | 1 |
| 2005 | 磐田 | 23 | 2 | 0 |
| 通算 | AFC | 6 | 1 | |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会
- 2002年 FIFAワールドカップ 韓国・日本大会
- 2003年 東アジア選手権 日本大会
- 2004年 AFCアジアカップ 中国大会
- 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ ドイツ大会
- 2005年 東アジア選手権 韓国大会
- 2006年 FIFAワールドカップ ドイツ大会
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 64試合 7得点(1999-2006)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1999 | 3 | 0 |
| 2000 | 0 | 0 |
| 2001 | 2 | 0 |
| 2002 | 10 | 0 |
| 2003 | 6 | 0 |
| 2004 | 18 | 5 |
| 2005 | 14 | 1 |
| 2006 | 11 | 1 |
| 通算 | 64 | 7 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2004年6月9日 | 日本、さいたま市 | ○7-0 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 | |
| 2. | 2004年7月9日 | 日本、広島市 | ○3-1 | キリンカップ2004 | |
| 3. | 2004年7月24日 | 中国、重慶市 | ○4-1 | AFCアジアカップ2004 グループリーグ | |
| 4. | 2004年8月7日 | 中国、北京市 | ○3-1 | AFCアジアカップ2004 決勝 | |
| 5. | 2004年9月8日 | インド、コルカタ | ○4-0 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 | |
| 6. | 2005年3月25日 | イラン、テヘラン | ●1-2 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 | |
| 7. | 2006年2月22日 | 日本、横浜市 | ○4-0 | AFCアジアカップ2007 (予選) |
[編集] 個人タイトル
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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