都築龍太
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| 都築 龍太 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | リョータ、キック | |
| カタカナ | ツヅキ リョウタ | |
| ラテン文字 | TSUZUKI Ryota | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1978年4月18日(31歳) | |
| 出身地 | 奈良県生駒郡平群町 | |
| 身長 | 185cm | |
| 体重 | 81kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 23 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1997-2002 2003- |
ガンバ大阪 浦和レッドダイヤモンズ |
63 (0) 149 (0) |
| 代表歴2 | ||
| 2001- | 4 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月1日現在。 2. 2009年2月4日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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都築 龍太(つづき りょうた、1978年4月18日 - )は、日本のプロサッカー選手。Jリーグディビジョン1 (J1) ・浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはゴールキーパー。奈良県生駒郡平群町出身。
目次 |
[編集] 来歴
平群町立平群中学校・長崎県立国見高等学校を経て、1997年にJリーグ・ガンバ大阪に入団。2000年に岡中勇人から正GKの座を奪ったが、2002年半ばに当時就任1年目の西野朗監督との確執から、松代直樹にポジションを奪われた。翌2003年に浦和レッドダイヤモンズへ移籍。
浦和移籍後は山岸範宏とポジションを争い、2006年シーズン前半までレギュラーの座についていたが、第10節の大宮アルディージャ戦で負傷し、山岸にポジションを奪われてしまい、浦和のリーグ初制覇の瞬間にピッチに立つことはできなかった。しかしその悔しさを晴らすかのように、直後の天皇杯では先発メンバーとして好セーブを連発するなど、チームの天皇杯2連覇に貢献した。2007年シーズン以降は正GKの座を守り続けている。
2009年2月4日、国際親善試合・フィンランド戦で5年ぶりに代表戦に出場した[1]。
[編集] エピソード
- パントキックに長け、通称「ツヅキック」「キック師匠」。その正確性と低空で飛んでいく軌道の美しさは、Jリーグ屈指。
- PKに強くAFCチャンピオンズリーグ2007準決勝城南一和天馬戦、FIFAクラブワールドカップ20073位決定戦エトワール・サヘル戦、A3チャンピオンズカップ2007城南一和天馬戦と重要な試合でPKをセーブしている。
- サッカー誌のインタビューで、以前所属していたG大阪の西野監督との確執が表面化したことによって、「チームの不平分子」という烙印を押されてしまった自分に声をかけてくれた浦和の森孝慈GM(当時)と中村修三強化部長(現GM)にはとても感謝していること、「自分は浦和に拾われた感が強い、だからこそチームに貢献したい」とチームへの愛着と感謝の意を述べた。また、試合に出られず不満がたまりそうになったとき、土田尚史GKコーチに励まされたことも大きいと語っている。
- 背番号はガンバ時代から1年を除いて一貫して23番を付けている。マイケル・ジョーダンのファンであるのがその理由。[要出典]
- 2004年2月9日、他7人の選手と共に茨城県鹿嶋市の日本代表合宿所から無断外出し、飲食していたことが発覚。当時監督のジーコは「裏切り行為と感じた、信頼関係を失った」として、都築ら8人を代表から外した。
- 2005年、川崎フロンターレ戦で都倉賢のラフプレーに激高して警告をもらい、GKでは珍しい累積警告による次節出場停止処分を受けた。後に「相手選手は一発退場だったのがせめてもの救いだった」と語っている。
- 後輩の面倒見が良く、チーム内では良き兄貴分。南祐三(V・ファーレン長崎)、新井翔太、徳重健太(ヴィッセル神戸)は浦和時代、都築を兄のように慕っていたらしい。
- プライベートではパピヨンを飼っている。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1991年 - 1993年: 平群町立平群中学校(奈良県)
- 1994年 - 1996年: 長崎県立国見高等学校
プロ経歴
- 1997年 - 2002年: ガンバ大阪
- 2003年 - 現 在: 浦和レッドダイヤモンズ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1997 | G大阪 | 23 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1998 | G大阪 | 12 | J | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 1999 | G大阪 | 23 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
| 2000 | G大阪 | 23 | J1 | 19 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 25 | 0 |
| 2001 | G大阪 | 23 | J1 | 29 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 |
| 2002 | G大阪 | 23 | J1 | 12 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 |
| 2003 | 浦和 | 23 | J1 | 20 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 |
| 2004 | 浦和 | 23 | J1 | 19 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 26 | 0 |
| 2005 | 浦和 | 23 | J1 | 33 | 0 | 9 | 0 | 3 | 0 | 45 | 0 |
| 2006 | 浦和 | 23 | J1 | 11 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 17 | 0 |
| 2007 | 浦和 | 23 | J1 | 33 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 34 | 0 |
| 2008 | 浦和 | 23 | J1 | 33 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 |
| 2009 | 浦和 | 23 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 212 | 0 | 33 | 0 | 16 | 0 | 261 | 0 | |
| 総通算 | 212 | 0 | 33 | 0 | 16 | 0 | 261 | 0 | |||
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2007 | 浦和 | 23 | 12 | 0 | 3 | 0 |
| 2008 | 浦和 | 23 | 3 | 0 | - | |
| 通算 | AFC | 15 | 0 | 3 | 0 | |
[編集] 個人タイトル
- 2007年: Jリーグ ベストイレブン
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 2000年 シドニーオリンピック、コンフェデレーションズカップ
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点 (2001 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2001 | 2 | 0 |
| 2004 | 1 | 0 |
| 2009 | 1 | 0 |
| 通算 | 4 | 0 |
[編集] 脚注
- ^ nikkansports.com (2009-02-05). "GK都築5年ぶり代表戦出場/親善試合". 2009-02-09 閲覧。
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