都築龍太
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | リョータ、キック | ||||||
| カタカナ | ツヅキ リョウタ | ||||||
| ラテン文字 | TSUZUKI Ryota | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1978年4月18日(33歳) | ||||||
| 出身地 | 奈良県生駒郡平群町 | ||||||
| 身長 | 185cm | ||||||
| 体重 | 83kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | GK | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年1月13日現在。 2. 2009年9月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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都築 龍太(つづき りょうた、1978年4月18日 - )は、奈良県生駒郡平群町出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] クラブ
平群町立平群中学校・長崎県立国見高等学校を経て、1997年にJリーグのガンバ大阪に入団[1]。2000年に岡中勇人から正GKの座を奪ったが、松代直樹にポジションを奪われ、2003年に浦和レッドダイヤモンズへ移籍した。[1]。
浦和移籍後は山岸範宏とポジションを争い、当初は山岸の控えであったが、山岸の故障などで2005年にレギュラーを掴むと、2006年シーズン前半までレギュラーとしてプレーした。しかし、第10節の大宮アルディージャ戦で負傷して以降は山岸が再び正GKとなり、控えに回り、初のリーグ優勝をピッチの上で迎えられなかった。それでも天皇杯では先発出場し、チームの連覇に貢献した。2007年は再び山岸から正GKの座を奪回し、AFCチャンピオンズリーグ優勝、クラブW杯3位入賞に貢献。個人としてもJリーグベストイレブンに選出されるなど充実した一年を送った。2008年も引き続きレギュラーの座を維持したが、2009年は9月に古傷でもある右膝を故障した影響でJ1第25節のモンテディオ山形戦に出場したのを最後に、以降は全ての公式戦に欠場することとなり、三たび山岸にレギュラーを奪われた。同年12月21日と12月22日にJリーグキャリアサポートセンターによる現役選手を対象とした「2009シーズン インターンシップ」に参加し、ヴィンテージ古着店「BerBerJin」で店舗スタッフ業務に携った。[2]
2010年は前年の負傷の影響かコンディション調整に苦しみ、また堅実なGKを好むフォルカー・フィンケ監督の方針もあって[3]山岸や加藤順大の後塵を拝し、ベンチ入りすらままならない状況に陥ってしまう。同年6月、出場機会を求め、所属GK4人のうち3人が負傷で長期離脱していた湘南ベルマーレへ期限付き移籍した[4] [5]。
湘南移籍後は正GKとして迎えられ、湘南での公式戦デビューとなったJ1第11節、対鹿島アントラーズ戦でチームは敗れたものの都築自身は度々好プレーを見せ、健在をアピールした。その後、都築が加入する前の正GKである野澤洋輔が負傷から復帰すると度々控えに回ることもあったが、最終的にリーグ戦15試合に出場した。
2011年1月13日、期限付き移籍期間満了により湘南を退団することが発表され[6]、翌1月14日に本来の所属先である浦和を契約満了で退団する事も発表された[7]。
浦和退団後は現役続行を目指して移籍先を模索するなどもしていたが、2011年1月27日に現役引退を表明した[8]。
[編集] 日本代表
フィリップ・トルシエ監督時代の2001年に、日本代表に初招集。楢崎正剛と川口能活の牙城に阻まれて第3GKとしての立場が中心だったが、監督がジーコに交代して以降も安定して招集されていた。しかし、2004年2月9日、他7人の選手と共に茨城県鹿嶋市の日本代表合宿所から無断外出し、飲食していたことが発覚。当時監督のジーコは「裏切り行為と感じた、信頼関係を失った」として、都築ら8人を代表から外し、以降2006年に1度だけ招集された(この時は川口、楢崎が負傷していた)のを除き、代表から遠ざかる。
2008年、FIFAワールドカップ・アジア最終予選、対カタール戦の直前に楢崎が負傷で代表辞退したため、岡田武史監督により約2年ぶりに代表に招集された。その後、楢崎に続き川口も負傷したために、年が明けた2009年2月4日、国際親善試合・フィンランド戦で5年ぶりに代表戦に出場した[9]。楢崎復帰後は第2GKとしてアジア最終予選の試合でベンチ入りしていたが、2009年9月のガーナ戦に出場して以降は川島永嗣、西川周作の台頭により、代表には招集されなくなった。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- 1991年 - 1993年: 平群町立平群中学校 (奈良県)
- 1994年 - 1996年: 長崎県立国見高等学校
プロ経歴
- 1997年 - 2002年: ガンバ大阪
- 2003年 - 2010年6月: 浦和レッドダイヤモンズ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1997 | G大阪 | 23 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1998 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
| 1999 | 23 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
| 2000 | 19 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 25 | 0 | |||
| 2001 | 29 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 | |||
| 2002 | 12 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 | |||
| 2003 | 浦和 | 20 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | ||
| 2004 | 19 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 26 | 0 | |||
| 2005 | 33 | 0 | 9 | 0 | 3 | 0 | 45 | 0 | |||
| 2006 | 11 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 17 | 0 | |||
| 2007 | 33 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 34 | 0 | |||
| 2008 | 33 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | |||
| 2009 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 23 | 0 | |||
| 2010 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
| 湘南 | 39 | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | |||
| 通算 | 日本 | J1 | 250 | 0 | 33 | 0 | 16 | 0 | 299 | 0 | |
| 総通算 | 250 | 0 | 33 | 0 | 16 | 0 | 299 | 0 | |||
その他の公式戦
- 2007年
- スーパーカップ 1試合0得点
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2007 | 浦和 | 23 | 12 | 0 | 3 | 0 |
| 2008 | 3 | 0 | - | |||
| 通算 | AFC | 15 | 0 | 3 | 0 | |
その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
[編集] 個人タイトル
- 2007年: Jリーグベストイレブン
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 2000年 シドニーオリンピック、コンフェデレーションズカップ
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 6試合 0得点 (2001 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2001 | 2 | 0 |
| 2004 | 1 | 0 |
| 2009 | 3 | 0 |
| 通算 | 6 | 0 |
[編集] 現役引退後
2011年3月1日、同年4月10日施行予定の埼玉県議会議員選挙に、さいたま市緑区(定数1)から無所属で出馬することが報じられた[10]。また「埼玉維新の会」を結成し自身以外にも2人の立候補者をさいたま市内の選挙区から県議選に立候補させる予定であることを明らかにした[11]。4月10日に行われた選挙では落選。
[編集] 脚注
- ^ a b “元浦和・日本代表GKが埼玉県議選出馬へ 「埼玉維新の会」代表に 橋下氏と連携も”. 産経新聞 (2011年3月2日). 2011年3月3日閲覧。
- ^ インターンシップに都築が参加 浦和レッドダイヤモンズ公式サイト 2009.12.22付ニュースリリース
- ^ 後日談になるが、引退後に行われた浦和レッズマガジンの「福永泰×都築龍太 レッズOB対談」によると2010年シーズン前にフィンケ監督から「今シーズンは起用するつもりはない」と半ば戦力外通告とも取れる通告を受けていたとの事。また、当時の日本代表監督岡田武史からも「(試合に出る為に)移籍しろ」というアドバイスももらっていたという事も話している。
- ^ “都築龍太、期限付き移籍で湘南へ”. 2010年6月18日閲覧。
- ^ “浦和レッズ 都築龍太選手 移籍加入のお知らせ”. 2010年6月18日閲覧。
- ^ “都築龍太 選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ”. 2011年1月13日閲覧。
- ^ “都築龍太選手、契約満了のお知らせ”. 2010年1月14日閲覧。
- ^ “都築龍太が引退を決意”. 2011年1月28日閲覧。
- ^ nikkansports.com (2009年2月5日). “GK都築5年ぶり代表戦出場/親善試合”. 2009年2月9日閲覧。
- ^ 元代表GK・都築氏が埼玉県議選出馬へ スポーツ報知 2011年3月2日閲覧
- ^ “元浦和GK都築氏、県議選出馬へ 埼玉維新の会設立へ”. 朝日新聞 (2011年3月3日). 2011年3月3日閲覧。
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