戸田和幸
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| 戸田 和幸 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | カズ[1] | |
| カタカナ | トダ カズユキ | |
| ラテン文字 | TODA Kazuyuki | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1977年12月30日(31歳) | |
| 出身地 | 東京都町田市 | |
| 身長 | 179cm | |
| 体重 | 75kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF/DF | |
| 背番号 | 40 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1996-2002 2003 2004 2004 2005 2006-2008 2008 2009- |
163 (2) 4 (0) 16 (1) 12 (0) 23 (0) 62 (2) 12 (0) |
|
| 代表歴2 | ||
| 2001-2002 | 20 (1) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年2月2日現在。 2. 2007年8月8日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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戸田 和幸(とだ かずゆき、1977年12月30日 - )は、東京都町田市出身でサッカー選手。ポジションはディフェンダー・ミッドフィールダー。
目次 |
[編集] プレースタイル
激しいマークとイエローカードを恐れないスライディングタックルと判断力の速さ、それに加え、左右両足の正確なキック[2]が特徴。カードギリギリのタックルやディフェンスを行うため、プレイスタイルについては賛否両論がある[3]。
また、歯に衣着せぬ言動も魅力の一つ [4] [5] [6] [7] 。
[編集] 来歴
[編集] クラブチーム
桐蔭学園高を卒業後、1996年に清水エスパルスに入団。1999年、不動の3バックの一角として清水ステージ初制覇に貢献する。 しかし、同年のジュビロ磐田とのダービーマッチで迎えたチャンピオンシップ初戦では風邪で欠場という大失態を演じてしまう。 2001年、カルロス・サントスの移籍による穴を埋めるため、ゼムノビッチ・ストラヴゴ監督によってボランチへとコンバート。
2003年、02年W杯の活躍によりイングランド・FAプレミアリーグトッテナム・ホットスパーに移籍[8]。 2004年にはオランダ・エールディヴィジADOデン・ハーグに移籍したが、いずれも満足な成績を残せず、2004年のJリーグ2ndステージから再び清水エスパルスに復帰した。
2005年、「優勝できるチームへ行きたい」と清水を離れ、東京ヴェルディ1969へ移籍。レギュラーとして活躍するも、チームの調子は上がらず、東京VはJ2に降格。再び移籍を選んだ。
2006年からはサンフレッチェ広島へレンタル移籍。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の方針により、清水時代以来となる3バックのリベロで出場すると共に、移籍1年目途中からゲームキャプテンも務めた。完全移籍した翌2007年もリベロでレギュラー出場したものの、広島は入れ替え戦に敗れてJ2降格。複数年契約を結んでいたため翌2008年も広島でのプレーを選んだが、DFではなく本職のボランチでの起用を望んだ結果、森崎和幸や青山敏弘らとのポジション争いに敗れ、出場機会が激減する。
同年6月、結城耕造とのトレードの形でジェフユナイテッド市原・千葉へレンタル移籍。シーズン終了後、広島が来シーズンの契約を更新しないことを発表。千葉も獲得の意思は無く、所属先が無い状態となった。その後、韓国・Kリーグの数クラブに練習に参加した後、2009年3月に慶南FCと契約した。
[編集] 日本代表
1997年にはワールドユースに出場し、フル出場を果たす。1998年のバンコクアジア大会ではU-21代表にDFとして招集。
2001年、ボランチ転向後招集されたトルシエジャパンではコンフェデレーションズカップにて日本代表デビューを果たす。以降、不可欠な存在となる。 2002年の日韓W杯では真っ赤に染めたモヒカンで観客の度肝を抜いた。4試合にフル出場し、激しい守備でベスト16に貢献。トルシエジャパンの影のMVPと言われた[9]。
ジーコ監督に代わって以後は構想から外れた。
[編集] 所属クラブ
- 淵野辺東FC
- 東京小山FC
- 桐蔭学園高校
- 1996年 - 2002年:
清水エスパルス - 2003年:
トッテナム・ホットスパー (清水から期限付き移籍) - 2004年 - 2004年7月:
ADOデン・ハーグ (清水から期限付き移籍) - 2004年8月 - 2004年12月:
清水エスパルス - 2005年:
東京ヴェルディ1969 - 2006年 - 2008年5月:
サンフレッチェ広島(2006年は東京Vより期限付き移籍、2007年度より完全移籍) - 2008年6月 - 同年末:
ジェフユナイテッド市原・千葉(広島から期限付き移籍) - 2009年:
慶南FC
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1996 | 清水 | - | J | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
| 1997 | 清水 | 14 | J | 20 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 28 | 0 |
| 1998 | 清水 | 14 | J | 34 | 0 | 5 | 0 | 5 | 0 | 44 | 0 |
| 1999 | 清水 | 4 | J1 | 28 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 |
| 2000 | 清水 | 4 | J1 | 27 | 1 | 6 | 0 | 5 | 0 | 38 | 1 |
| 2001 | 清水 | 4 | J1 | 27 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 33 | 0 |
| 2002 | 清水 | 4 | J1 | 22 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 27 | 1 |
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 2002-03 | トッテナム | 44 | プレミア | 4 | 0 | ||||||
| 2003-04 | トッテナム | 44 | プレミア | 0 | 0 | ||||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003-04 | デンハーグ | 39 | エールディヴィジ | 16 | 0 | ||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004 | 清水 | 4 | J1 | 12 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 15 | 0 |
| 2005 | 東京V | 6 | J1 | 23 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 28 | 0 |
| 2006 | 広島 | 14 | J1 | 30 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 |
| 2007 | 広島 | 14 | J1 | 31 | 2 | 8 | 0 | 2 | 0 | 41 | 2 |
| 2008 | 広島 | 14 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 千葉 | 41 | J1 | 12 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | |
| 韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 2009 | 慶南 | 40 | Kリーグ | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 271 | 4 | 43 | 0 | 29 | 0 | 343 | 4 | |
| 日本 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
| イングランド | プレミア | 4 | 0 | ||||||||
| オランダ | エールディヴィジ | 16 | 0 | ||||||||
| 韓国 | K | ||||||||||
| 総通算 | 292 | 4 | |||||||||
- 2007年 : 入替戦1試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2002-03 | 清水 | 4 | 2 | 0 |
| 通算 | AFC | 2 | 0 | |
[編集] 出場歴・タイトル
[編集] クラブチーム
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- U-17日本代表(FIFA U-17世界選手権出場)
- U-19日本代表(アジアユース選手権出場)
- U-20日本代表(FIFAワールドユース選手権出場)
- U-21日本代表(バンコクアジア大会出場)
- U-22日本代表(シドニーオリンピックアジア一次・最終予選出場)
- 2002年W杯
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 20試合 1得点(2001-2002)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2001 | 10 | 0 |
| 2002 | 10 | 1 |
| 通算 | 20 | 1 |
[編集] 関連項目
[編集] 関連情報
[編集] CM
[編集] 脚注
- ^ 広島では「カズ=森崎和幸」が定着しているので、「トダ」あるいは「トダさん」と呼ばれている。
- ^ 左右正確なキックが蹴れ、またはチームで左ストッパーをやっていたことから、トルシエに左利きだと思われていた。
- ^ 2005年7月26日に行われたプレシーズンマッチ・レアル・マドリード戦で積極果敢なプレーで貢献し3-0で勝利したが、レアル・マドリードの選手から「戸田は汚い」と言われていた。
- ^ 「相手に抜かれたら?蹴っ飛ばしてやればいいんですよ」「サッカーを楽しんでやったことはない」等。
- ^ トルシエとの間でしばしば衝突を引き起こしていたが、プロの監督と選手の立場では外部から見てお互いの考えをぶつけ合い解決していたと言える。トルシエは戸田のように自分の意見を主張する選手を高く評価していたので、戸田には合っていた。
- ^ 普段は普通に接しているにもかかわらず、マスコミの前でパフォーマンスに近い感じで選手を突き飛ばすトルシエに、「なんでそういう接し方をするんですか。僕はあなたが嫌いです。殴ってきたら、本気で殴り返す。」と答えた。
- ^ 2005年8月28日東京V対鹿島アントラーズ戦後、自身のホームページにて審判批判、Jリーグからクレームも受け、ヴェルディから呼び出された。
- ^ 当初は移籍先としてサンダーランドAFCと交渉していたが、交渉が上手くまとまらなかったところにかつての恩師スティーブ・ペリマンの橋渡しで急転直下トッテナムに移籍となり、日本サッカー界とサンダーランドサポーターを呆然とさせた。
- ^ 中田英寿もMVPとして柳沢敦と戸田の名前を挙げている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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