永井雄一郎

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永井 雄一郎
名前
愛称 ナギー、ナガイ、王子
カタカナ ナガイ ユウイチロウ
ラテン文字 NAGAI Yuichiro
基本情報
国籍 日本
生年月日 1979年2月14日(30歳)
出身地 東京都新宿区
身長 184cm
体重 75kg
血液型 B型
選手情報
在籍チーム 清水エスパルス
ポジション FW
背番号 9
利き足 右足
代表歴
2003 日本 4 (1)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

永井 雄一郎(ながい ゆういちろう、1979年2月14日 - )は、東京都新宿区出身で清水エスパルス所属のサッカー選手ポジションフォワード

目次

[編集] 経歴

小学校から高校まで三菱養和SCでプレー。

1997年に高卒新人FWとして浦和レッドダイヤモンズに入団。同年4月12日の開幕戦・対横浜マリノス戦にて早速プロデビューを果たし、当時の日本代表センターバック井原正巳をフェイントで、小村徳男をドリブルで翻弄し、強烈なインパクトを残し、翌日の新聞・TVでは大きく取り上げられた。7月9日ヴェルディ川崎戦にて初ゴールを記録。18歳4ヶ月25日で達成したこの記録は、2009年4月12日に後輩の原口元気(17歳11ヶ月3日、対名古屋グランパス戦)により塗り替えられたものの、それまでの12年間は、浦和のクラブ史上最年少得点記録として永井が保持していた。また、U-20日本代表としてマレーシアで開催されたワールドユースに出場し、チームのベスト8に貢献した。

1998年夏、ドイツのカールスルーエSCに留学。カールスルーエでは長身を活かしたヘディングでの競り合いを求められ、持ち味であるドリブルのキレを失わせる結果になる。帰国当初はドリブル突破が少なかったが、徐々にキレと感覚を取り戻しレギュラーを獲得した。

1999年トルシエ率いるU-20日本代表のFWの主軸として、ナイジェリアで開催されたワールドユースに2大会連続で出場。高原直泰と2トップを組み、準決勝・ウルグアイ戦で決勝点を決めるなど、チームの準優勝に貢献した。

2003年、前年に引退した「ミスターレッズ」こと福田正博から背番号「9」を引き継いだ。日本代表にも招集され、ソウルワールドカップ競技場で行われたアウェーの韓国戦(4月16日)で代表初キャップを記録。その試合で試合終了間際、左サイドでDFに囲まれながらのドリブル突破から相手のクリアミスを誘い代表初ゴールを記録し、ジーコジャパンの初勝利に貢献した。

2004年開幕前に肉体改造に取り組み、徹底した走りこみやウェイトトレーニングを続け下半身を鍛え抜いた。それはギド・ブッフバルトが監督就任当初から、右サイドの攻撃の要として永井に期待をかけていたからであった。永井の持つスピードをサイドでのアップダウンに繋げ、チームを攻守に活性化しようと意図したものであった。8月21日東京V戦では、約70メートルのドリブルで3人抜きを果たしゴール。このスーパーゴールを含む3ゴールを挙げ、山瀬功治と共に「1試合で同じチームの二人がハットトリックを達成」という珍しい記録での圧勝劇の中心となった。

2007年元日に行われた、天皇杯決勝ガンバ大阪戦では、後半42分に決勝ゴールを挙げ、チームを天皇杯連覇に導き、その試合限りで退任するブッフバルト監督の花道を飾った。シーズンオフには、ヴァンフォーレ甲府から獲得オファーを受けるが、監督が変わることを理由に残留を選択。新監督として就任したホルガー・オジェックは、一貫して永井をFWとして起用。FWとしてのフリーランニングやおとりの動きを第一に考えることを求められ、ゴール数は少ないものの大事な試合で得点を決め、監督の信頼を得た。11月14日に行われたACL決勝で先制点となるゴールを決め、大会MVPに選出され、12月10日FIFAクラブワールドカップ準々決勝セパハン戦で先制点を挙げ、同大会史上初の日本人スコアラーとなった。

2008年シーズン途中から就任したゲルト・エンゲルス監督の下ではキープ力と決定力を活かし、トップ下で多彩な能力を発揮。その活躍から4月には代表候補合宿に招集された。しかしシーズン中盤以降、ロブソン・ポンテ田中達也の復帰とともに4番手のFW扱いとなり、さらにサッカー観の違いから監督と確執が生じ、マスコミに対しフロント・監督批判ととられる発言をしたため、終盤はほとんど起用されない状態となった。なお、7月5日の第15節FC東京戦にてJ1通算50得点目を記録。

2009年1月7日、12年間を過ごした浦和レッズから、清水エスパルスへと完全移籍することが両チームから発表された。

[編集] プレースタイル

長身ながら巧みなステップを駆使した、独特のボールタッチで突破を図るドリブルを得意とする。
局面打開力に優れ、突破してからのクロスやスルーパスやミドルパスも上手いことから、FWとしてだけでなく、攻撃的なポジションであればどこでもプレイができるユーティリティ性もあわせもつ。
ブッフバルト監督にはその心肺能力、走力、そして突破力を買われ、右のアウトサイドとして使われた。
得点はJ2時代を除いて二桁に届かない年が多いが、近年では「大一番」と呼ばれる試合で決定力を発揮し、記録よりも記憶に残るゴールが多い選手である。

[編集] 人物

  • 趣味は、サーフィン・ゴルフ・乗馬・水泳・ピアノ・ワイン・香水など。
  • ドイツへレンタル移籍した経験から、ドイツ語も話せる。
  • ジュニアユース時代、中村俊輔とはライバル関係にあった。高校時代も三菱養和に在籍していたため、中村から「高校時代、全く話を聞かなかったのでどうしたのかなと思っていたけど、やっぱり出てきましたね」と言われた。
  • 99年のワールドユースが行われた際、ユース代表が宿泊したホテルの食事はバイキング形式だった。他の選手が1度に料理を皿に盛る中、当時ドイツ暮らしだった永井はサラダから順に皿に少しずつ盛っていた。それを見たフィリップ・トルシエは「みんな!永井を見習え!」と言ったという。[1]
  • 端整なルックスで女性ファンの人気も高く、また新宿出身であることなどからポストプレイヤーになぞらえた「ホストプレイヤー」の異名を持つ。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

  • 三菱養和ジュニア
  • 三菱養和ジュニアユース
  • 三菱養和ユース

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1997 浦和 35 J 30 3 6 0 2 0 38 3
1998 浦和 17 J 3 0 0 0 - 3 0
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
1998-99 カールスルーエ ブンデス2部 21 4
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 浦和 30 J1 12 3 2 1 2 0 16 4
2000 浦和 11 J2 29 12 2 1 1 0 32 13
2001 浦和 18 J1 25 6 6 1 4 1 35 8
2002 浦和 7 J1 19 4 4 0 1 1 24 5
2003 浦和 9 J1 23 8 8 1 1 0 32 9
2004 浦和 9 J1 27 6 8 1 4 2 39 9
2005 浦和 9 J1 30 6 7 0 2 0 39 6
2006 浦和 9 J1 23 4 6 2 4 3 34 9
2007 浦和 9 J1 31 6 2 1 1 0 34 7
2008 浦和 9 J1 26 5 4 0 1 0 31 5
2009 清水 9 J1
通算 日本 J1 249 51 53 7 22 7 324 65
日本 J2 29 12 2 1 1 0 32 13
ドイツ ブンデス2部 21 4
総通算 299 67
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2007 浦和 9 11 3 3 1
2008 浦和 9 3 0 - -
通算 AFC 14 3 3 1

[編集] 個人タイトル

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 1得点(2003)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 4 1
通算 4 1


[編集] 関連書籍

  • 「浦和レッズのしゃべり場5 永井雄一郎〜満足しないフォワード〜」(2003年 ランドガレージ)
  • 写真集「REAL9」(2006年 ソニーマガジンズ)

[編集] 脚注

  1. ^ 浦和レッドダイヤモンズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム「MDP」302号より

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク