南雄太
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| 南 雄太 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ユータ | |
| カタカナ | ミナミ ユウタ | |
| ラテン文字 | MINAMI Yuta | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1979年9月30日(29歳) | |
| 出身地 | 神奈川県川崎市 | |
| 身長 | 185cm | |
| 体重 | 77kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 柏レイソル | |
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 21 | |
| 利き足 | 右足 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
南 雄太(みなみ ゆうた、1979年9月30日 - )は、神奈川県川崎市出身で柏レイソル所属のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。身長185cm。体重77kg。血液型はA型。出生の土地が神奈川県だったことから、神奈川県育ちと勘違いされていることが多いが、生まれた病院が神奈川県だっただけであり、実際には東京都杉並区育ち。
目次 |
[編集] 来歴
中学時代は読売ジュニアユースに所属、高校は静岡学園高校に進み1995年度の全国高校サッカー選手権大会優勝に貢献した。1997年にはまだ高校生ながらU-20日本代表に選出、ワールドユースでも正GKとして活躍し、将来を大いに期待された。1998年に柏レイソルに加入。ルーキーイヤーのナビスコカップから正位置を掴み、同年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出されて来た。1999年にはU-20代表の一員としてナイジェリアで行なわれたワールドユースに二大会連続で出場。日本が初めてFIFA主催の国際大会で決勝まで勝ち進むキーマンとして活躍した。しかしながら、以後はキックの精度や集中力に欠ける部分を指摘されることも多くなり、シドニー五輪一次予選を最後に曽ヶ端準に正GKの座を奪われ、U-22代表からも遠ざかってしまった。
2001年にはプロ入り後一度も警告を受けていない点が評価され、Jリーグアウォーズでフェアプレー個人賞を受賞している。2001年11月には、イタリア代表との親善試合前に日本代表GK楢崎正剛と川口能活が負傷したことから、急遽、試合当日にA代表への合流を要請された経験も持つ。ちなみにこの日ピッチにいたGKは五輪予選で南からポジションを奪った曽ヶ端であった。
2006年、柏レイソルがJ2に降格し、キャプテンだった明神智和が移籍したことでキャプテンに就任。チームをしっかり牽引し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
長らくレイソルの正GKを務めていたが2008年シーズン途中に、同年移籍加入してきた菅野孝憲にポジションを奪われて以降は2番手GKに甘んじている。
[編集] エピソード
- 小学校時代はFWであったが、「ライバルが少ないから」という理由で読売ジュニアユースにGKで入団した。
- 2004年5月22日のサンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)では、キャッチングしたボールを味方に投げようとしてやめた瞬間か、それとも手から離れなかったのかは分からないがそのまま真後ろにあるゴールに向かってボールを転がし、オウンゴールとなってしまったという世紀の大失態を犯してしまった。この瞬間、会場全体が呆気にとられた(このプレーのために翌週発売の週刊サッカーダイジェストでは評価が10段階中の3.0、週刊サッカーマガジンでは10段階中2.0と短時間で退場処分になる選手などを除けば極めて低い評価となった)。このあとの2試合はショックにより、本人の希望でメンバー外となる。
- 2007年からは、前年のチームのJ1昇格を機に「ゼロからやり直したい。」という自身の意向により、前年までつけていた背番号1をアビスパ福岡から移籍してきた水谷雄一に譲り,入団当時の背番号21に変更した。翌年、水谷は退団し、1番は空いたが、それでも南はその意思はなく、若手GKの桐畑に譲った。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 宝陽幼稚園サッカー部(東京都杉並区)
- 武蔵丘FC(東京都世田谷区)
- ヴェルディジュニア
- ヴェルディジュニアユース
- 1995年 - 1997年 静岡学園高校
プロ経歴
- 1998年 - 現 在 柏レイソル
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | 柏 | 21 | J | 22 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 |
| 1999 | 柏 | 21 | J1 | 18 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 24 | 0 |
| 2000 | 柏 | 1 | J1 | 20 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 22 | 0 |
| 2001 | 柏 | 1 | J1 | 29 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 34 | 0 |
| 2002 | 柏 | 1 | J1 | 27 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 |
| 2003 | 柏 | 1 | J1 | 26 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 |
| 2004 | 柏 | 1 | J1 | 28 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 32 | 0 |
| 2005 | 柏 | 1 | J1 | 33 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 39 | 0 |
| 2006 | 柏 | 1 | J2 | 45 | 0 | - | 0 | 0 | 45 | 0 | |
| 2007 | 柏 | 21 | J1 | 33 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 |
| 2008 | 柏 | 21 | J1 | ||||||||
| 2009 | 柏 | 21 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 236 | 0 | 31 | 0 | 10 | 0 | 277 | 0 | |
| 日本 | J2 | 45 | 0 | - | 0 | 0 | 45 | 0 | |||
| 総通算 | 281 | 0 | 31 | 0 | 10 | 0 | 322 | 0 | |||
[編集] 代表歴
- 1997年 1997 FIFAワールドユース選手権 U-20日本代表
- 1999年 1999 FIFAワールドユース選手権 U-20日本代表
- 2000年 シドニーオリンピック予選日本代表
[編集] タイトル
- Jリーグフェアプレー個人賞(2001年)
[編集] 外部リンク
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