宮本恒靖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
宮本 恒靖 Football pictogram.svg
名前
愛称 ツネ、ツネ様
カタカナ ミヤモト ツネヤス
ラテン文字 MIYAMOTO Tsuneyasu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1977年2月7日(35歳)
出身地 大阪府富田林市
身長 176cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1995-2006
2006-2009
2009-2011
日本の旗 ガンバ大阪
オーストリアの旗 レッドブル・ザルツブルク
日本の旗 ヴィッセル神戸
295 (7)
21 (0)
42 (1)
代表歴
2000-2006 日本の旗 日本 71 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。{{{クラブ成績更新日}}}現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj
ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。

宮本 恒靖(みやもと つねやす、1977年2月7日 - )は、日本の元サッカー選手(元日本代表)。ポジションディフェンダー(センターバック)。

目次

[編集] 来歴

[編集] ユース時代

大阪府富田林市出身。サッカーを始めたのは富田林市立伏山台小学校5年生(10歳)。ポジションはフォワードだった。小学校6年生時、医者を目指していた宮本少年は中学受験のためサッカーから辞退したい旨を申し出るも国立大学大阪附属中学校の抽選から漏れ[要出典]、地元の富田林市立金剛中学校に進学、同校にてサッカーの指導を受けて技術を向上、サッカーを始めてから約3年後の中学2年生時「全国中学校選抜大会」(現・14歳以下ナショナルトレセン)、U15代表候補合宿に招集。中学校3年生時「大阪府英語弁論大会」で優勝。

大阪府立生野高等学校時代はガンバ大阪ユースに所属し、上級生がいなかったため初代キャプテンに就任[1]、ユースチーム卒業までの3年間務めた。ユースでは1994年12月にJユースカップで優勝し初めてのタイトルを得た[1]。1993年にはU-17日本代表に選ばれ、日本で開催された1993 FIFA U-17世界選手権に出場しベスト8の成績を修めた[2]。U18ジュニアユース(監督・山本昌邦)招集。

[編集] ガンバ大阪時代

1995年6月24日、ガンバ大阪のトップチームに昇格[1](同期入団は實好礼忠森下仁志中口雅史高木健旨松山明男)スイーパーとして活躍。プロ契約後、数年間中々出場機会に恵まれず、ポジションも頻繁に変わりプロ選手として苦悩する事になる。同時期に同志社大学経済学部に進学。労働経済学のゼミに所属し、2001年に卒業した。

1996年から1998年頃、当時のクゼアントネッティ両監督にはボランチで起用されたこともあった。初ゴールは1997年10月4日、同年オールスター戦にも初選出されキャプテンを務める[1]。2000年にトップチームの主将に就任、オールスター戦に得票1位で選出(2002年も1位選出さる)[1]2001年にイングランドのウェストハム・ユナイテッドに移籍を試みたが、労働ビザが発給されずに断念した。このゴタゴタで、背番号が5から35になった[1]。2005年12月にJ初優勝のタイトルを得る[1]

2004年度には再び主将に就任。翌2005年には、シーズン中にイタリアのトレヴィーゾからのオファーがあったが、ガンバ大阪が優勝争いの最中であったため断っていた[要出典]

[編集] レッドブル・ザルツブルク時代

2006年シーズン終了後、オーストリア・ブンデスリーガレッドブル・ザルツブルクに1年間の契約で完全移籍し[3]、初年度にリーグ優勝を果たした。

レッドブル・ザルツブルクでは、4バックの左右どちらのセンターバックもこなし、2007-08年シーズンからはSKラピード・ウィーン戦(12月7日)、SKシュトゥルム・グラーツ戦(12月15日)などで左サイドバックとしてもスタメン出場した。宮本本人は自らのブログで10年ぶりにこのポジションでプレーしたと振り返っている[4]

2007年12月には、2009年6月までの1年半の契約延長に合意した。

2008年1月、チームでの練習中に左太腿裏の腱断裂の怪我を負い、現地で手術、リハビリに務めることになった。6月に本格的に練習再開、8月17日には8か月ぶりに公式戦出場を果たす。同年10月28日のオーストリア協会カップ3回戦では海外移籍後初のキャプテンを任され、フル出場した。 前任者のジョバンニ・トラパットーニ監督時代と違い、コー・アドリアーンセ新監督が就任してからは試合出場機会が減少した。

2008-2009シーズンはアドリアーンセ監督が攻撃戦術を採用した影響もあり、リーグ戦は1試合も出場機会がなかった[5]。そのため、ザルツブルクとの契約は6月まで残っていたものの出場機会を求めて移籍を検討。クロアチアリーグやオーストリア国内のクラブからもオファーが届いていたが[6]、欧州での経験を日本で生かしたいという思いから、複数年契約や高額年俸を用意するなど熱心に誘いのあったヴィッセル神戸入りを決めた[1][5]

[編集] ヴィッセル神戸時代

2009年1月15日、ヴィッセル神戸が、ザルツブルクとの間で完全移籍に合意したと発表した。神戸入団後に主将に就任[7]。序盤戦はセンターバックで、後ボランチの位置でプレーするようになった。

2011年12月19日に現役引退を表明した[1][8]。今後は欧州に渡り、国際サッカー連盟運営の大学院にて指導者講習を受けてコーチングライセンス取得を目指すことも表明している[9]

[編集] 日本代表

1997年にU-20に選出され、U-20ワールドカップでキャプテンとして5試合に出場[2]

2000年6月18日キリンチャレンジカップボリビア戦で日本代表初出場[2]シドニー五輪を経て、2001年末からは、トルシエJAPANにおいて日本代表キャプテンを務めていた森岡隆三の離脱時に代わってキャプテンを任された。

2002年日韓W杯では、開催直前の大学生との練習試合で競り合った際に相手の肘が顔に入り、鼻骨骨折した[2]。これにより、顔面を保護するために兵庫医大病院が用意した医療器具のフェイスガード(ノーズガード)を付けることになり、元々白いガードに自らの手で黒いマジックで色をつけて[10]出場した。そのプレーする姿を見た海外のメディアから、バットマンと渾名された[2][11]。代表初ゴールは2004年2月7日のマレーシア戦[2]

トルシエ後のジーコJAPANでは、発足時よりキャプテンを務めた中田英寿故障で離脱して以降、出場した試合全てのキャプテンを務めた。自身2大会連続2度目のワールドカップ出場となった2006年ドイツW杯では、第1戦(オーストラリア戦)と第2戦(クロアチア戦)はフル出場したが、第3戦(ブラジル戦)は累積警告により出場出来なかった[2]

日本代表ではU-17からA代表に至るまで、全カテゴリでキャプテンを務めた[12]

[編集] 家族

父、宮本恒明は関西電力の元常務で独立行政法人造幣局監事[13]。母、宮本弘子は元堺市市民人権局理事教育委員会学校教育部長[10]。3歳年長の姉がひとりいる[14]。妻は生野高校で宮本の2年先輩にあたり[15]、2001年に結婚した。夫妻の間には長男と長女の1男1女がある。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1995 G大阪 - J 11 0 - 4 0 15 0
1996 13 0 7 0 2 0 22 0
1997 20 26 1 4 0 3 0 33 1
1998 32 0 4 0 1 0 37 0
1999 J1 30 0 2 0 2 0 34 0
2000 5 29 0 4 0 0 0 33 0
2001 35 24 0 2 0 3 0 29 0
2002 20 1 2 0 2 0 24 1
2003 5 26 1 5 1 2 0 33 2
2004 24 0 0 0 1 0 25 0
2005 30 3 4 0 2 0 36 3
2006 30 1 0 0 5 0 35 1
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
2006-07 ザルツブルク 17 ブンデス 9 0 - 1 0 10 0
2007-08 12 0 - 0 0 12 0
2008-09 0 0 - 2 0 2 0
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2009 神戸 14 J1 32 1 5 0 2 0 39 1
2010 6 0 4 0 2 0 12 0
2011 4 0 0 0 1 0 5 0
通算 日本 J1 337 8 43 1 32 0 412 9
オーストリア ブンデス 21 0 - 3 0 24 0
総通算 358 8 43 1 35 0 436 9
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2006 G大阪 5 5 1
通算 AFC 5 1

その他の国際公式戦

[編集] 経歴

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 71試合 3得点(2000-2006)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2000 2 0
2001 3 0
2002 11 0
2003 10 0
2004 19 2
2005 15 1
2006 11 0
通算 71 3

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2004年2月7日 日本鹿嶋 マレーシアの旗 マレーシア ○ 4-0 キリンチャレンジカップ2004
2. 2004年9月8日 インドコルカタ インドの旗 インド ○ 4-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
3. 2005年2月2日 日本、埼玉 シリアの旗 シリア ○ 3-0 キリンチャレンジカップ2005

[編集] タイトル

[編集] クラブ

ガンバ大阪ユース

ガンバ大阪

ザルツブルク

[編集] 個人

[編集] 関連項目

[編集] CM

  • 明治乳業 明治アイス「明治エッセル スーパーカップ」 - 小島宏美中澤佑二との共演
  • WOWOWEURO 2000」(2000年) - 吉原宏太との共演
  • adidas
    • サッカー狂症候群 DF 篇(2002年) - 30秒バージョンは松田直樹との共演
    • adi-NEO」(2006年)
    • adi-WARM
  • 日本赤十字社 平成15年献血キャンペーン(2003年)
  • ECCECCジュニア」(2003年) - 秋田豊との共演
  • ノーベル製菓はちみつきんかんのど飴」(2005年 - 2006年)
    • からぶり 篇
    • しっぱい 篇
  • PanasonicStrada」(2005年 - 2006年)
    • 先読むナビ 篇(2005年) - 大黒将志との共演
    • 簡単ツートップ 篇(2005年) - 大黒将志との共演
    • 決定的瞬間 篇(2006年) - 加地亮との共演
  • ナムコLove FOOTBALL」(2006年)
  • 花王メンズビオレ」(2006年)
  • 講談社(2006年)
    • 講談社文庫」(2006年)
    • 講談社文庫の100冊『感動をくれた一冊』」(2006年)
  • レッドブルエナジードリンク」(2007年)
    • パイロン 篇
    • トレーニング・バッグ 篇
    • ソロ・トレーニング 篇
    • 宮本恒靖&三都主 篇 - 三都主アレサンドロとの共演

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i 偉大なキャプテン宮本恒靖の軌跡part.2クラブ編『サッカーマガジン』2012年1月10.17日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌23883-1/10.17, 014-015頁。
  2. ^ a b c d e f g 偉大なキャプテン宮本恒靖の軌跡part.1代表編『サッカーマガジン』2012年1月10.17日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌23883-1/10.17, 012-013頁。
  3. ^ G大阪宮本ザルツブルク移籍決定的!”. nikkansports.com (2006年12月17日). 2007年9月30日閲覧。
  4. ^ 交換”. 宮本恒靖公式サイト (2007年11月15日). 2010年8月26日 08:16 (UTC)閲覧。
  5. ^ a b nikkansports.com (2009年1月16日). “宮本が神戸に電撃移籍!J復帰即主将だ”. 2009年1月16日閲覧。
  6. ^ スポーツニッポン (2009年1月16日). “神戸入り決定!宮本2年ぶりJ復帰”. 2009年1月16日閲覧。
  7. ^ ヴィッセル神戸公式サイト (2009年1月30日). “2009シーズン主将決定のお知らせ”. 2009年1月30日閲覧。
  8. ^ 日韓W杯主将の元日本代表DF宮本恒靖が引退「別れを告げる時が来た”. SOCCER KING. 2011年12月19日閲覧。
  9. ^ 宮本引退「役割は多くないと思った」欧州で指導者資格の取得目指す スポーツニッポン 2011年12月19日閲覧
  10. ^ a b PTA講演会 親と子を考える”. 大阪府立富田林高等学校PTA (平成20年12月22日号 (p. 2)). 2010年8月26日 08:39 (UTC)閲覧。
  11. ^ 英では「バットマン」宮本が人気!”. nikkansports.com (2002年6月16日). 2007年9月30日閲覧。
  12. ^ IBM SPECIAL LEADER'S INSIGHT インタビュー 宮本恒靖氏”. 日経ビジネス. 2010年8月26日 08:59 (UTC)閲覧。
  13. ^ FDC | 2007年度 イエローリボン賞(ベスト・ファーザーin関西):宮本 恒明
  14. ^ 信号”. 宮本恒靖公式サイト (2003年3月3日). 2009年2月5日閲覧。 そのほか『週刊少年マガジン』32号・33号(2008年)掲載の『宮本恒靖 「Fire & Ice」』にも登場している
  15. ^ 素のツネ様 ヴィッセル神戸男前レポート特別篇: 宮本恒靖選手3”. れしぴねっと. 2010年8月26日 09:05 (UTC)閲覧。

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語