川口能活

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川口 能活
名前
愛称 ヨシカツ、Yoshi
カタカナ カワグチ ヨシカツ
ラテン文字 Kawaguchi Yoshikatsu
基本情報
国籍 日本
生年月日 1975年8月15日(32歳)
出身地 静岡県富士市
身長 180cm
体重 77kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ジュビロ磐田
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1994-1998
1999-2001
2001-2003
2003-2004
2005-
日本の旗 横浜マリノス
日本の旗 横浜F・マリノス
イングランドの旗 ポーツマスFC
デンマークの旗 FCノアシェラン
日本の旗 ジュビロ磐田
112 (-)
81 (-)
12 (-)
8 (-)
95 (-)
代表歴2
1997- 日本 114(-)


1国内リーグ戦に限る。2007年12月1日現在 22007年10月17日現在
■Templateノート 解説)サッカー選手pj

川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )は、日本プロサッカー選手静岡県富士市出身。ポジションゴールキーパーJリーグジュビロ磐田所属。闘志を全面に出し、味方を叱咤激励し、最後尾からチームを鼓舞する。「炎の守護神」、「魂のGK」ともよく表現される。 長年に渡り日本代表を勤め、出場数は井原正巳に次ぐ出場を記録している。

目次

[編集] 来歴

[編集] 高校時代

名門清水商業で1年生ながらレギュラーの座を獲得。高校サッカー選手権には2度出場し、1年時に望月重良平野孝らと共に出場した第70回大会では3回戦で前園真聖擁する鹿児島実業高校に敗れたものの、田中誠小川雅巳佐藤由紀彦安永聡太郎鈴木悟ら後のJリーガーを多数擁したチームをキャプテンとして率いた3年時の第72回大会では準決勝で城彰二を擁する鹿児島実業をPK戦の末に下し、決勝では前年度王者の国見高校と対戦。船越優蔵を押さえ込み、2-1で勝利し選手権優勝を果たす。

高校卒業後、横浜マリノスに入団。

[編集] 横浜マリノス時代

1995年、高卒2年目ながら、当時日本代表の正GKであった松永成立からポジションを奪い、この年のセカンドステージは全試合出場。チームはファーストステージを制し、迎えたチャンピオンシップヴェルディ川崎を下し年間優勝。自身もJリーグ新人王を獲得。

1996年にはU-23日本代表としてアトランタ五輪予選、本大会に出場。予選ではオリンピック出場が懸かったサウジアラビア戦で好セーブを連発。サウジの怒涛の攻撃を1失点で凌ぎ切り2-1で勝利、28年ぶりのオリンピック出場に大きく貢献。勝利が決まった瞬間川口は泣き崩れ、勝利を喜んだ。

本大会1次リーグではロナウドリバウドベベットジュニーニョ・パウリスタロベルト・カルロスアウダイールヂーダら錚々たる面々を揃えたブラジルと対戦。下馬評で日本の圧倒的不利とされ、試合でも予想通りブラジルが怒涛の攻めを見せたが川口は神がかり的なセーブを連発。失点を許さず、後半に伊東輝悦が挙げた1点を守りきり、ブラジルを破る大波乱の立役者として大きく賞賛される。[1]試合後、恩師のマリオに抱きつき喜びを爆発させた。(詳細はマイアミの奇跡を参照

その後A代表に選ばれ、以後長期に渡り楢崎正剛と共に日本代表のゴールマウスに君臨する。

1997年フランスW杯・アジア最終予選の全試合に出場。

1998年、フランスW杯本大会のメンバーにも選出され全試合に出場。初戦のアルゼンチン戦では相手の23本のシュートを1失点のみで抑え、敗れたものの善戦した。その後のクロアチアジャマイカ戦でも奮闘するが破れ、自身初のW杯は予選敗退という形に終わった。

2000年、Jリーグファーストステージで久々の優勝を果たすが、鹿島アントラーズとのチャンピオンシップは初戦こそ引き分けたものの第2戦では自身のファンブルを含め3失点を喫し敗れ、1995年以来の年間優勝は成らなかった。

日本代表ではフランス大会後に就任したフィリップ・トルシエ監督の下では楢崎にポジションを譲る機会が多くなったが、負傷の楢崎に代わって出場したアジアカップ2000では優勝の立役者となり、FIFAコンフェデレーションズカップ2001で正GKに復帰。

[編集] 海外移籍

2001年イングランドポーツマスFCGKでは史上初の海外移籍を果たす。背番号は37。地元のファンやマスコミは日本からの大型助っ人と歓迎した。しかし、本人は英語も話せたが、試合中でのコーチング・瞬時のクリア指示など意思疎通の面で難を見せ、会長から疎まれていたこともあり出場もままならない苦悩の時期が続いた。このことが原因でコンディションを落とし日韓W杯では2大会連続で代表に選ばれるも、出場の機会はなかった。周りから日本復帰の声があったが、「海外で位置を確立し、成功するまで日本には帰らない」と語り2003年、出場機会を求めてデンマークのFCノアシェランに移籍。背番号は30。しかしここでも出場には恵まれなかった。

だが2004年アジア杯で全6試合に出場。大活躍を見せ久々に脚光を浴びる。 イラン戦で好セーブを連発。完封勝利に貢献すると、ヨルダン戦でもファインセーブを連発。1-1のまま縺れ込んだPK戦では、止めなければ負けるという場面でPKを2度阻止し、奇跡的な勝利を呼び込む。中国との決勝戦でも、アジア杯を締めくくるような活躍をして2大会連続優勝、3度目のアジア制覇に大いに貢献し、自身の地位も復活させた。アジアカップ2004 ベストイレブンのタイトルも獲得した。

2004年のシーズンオフ、日本復帰することが決まった。セレッソ大阪などが獲得に乗り出していたが、地元静岡のジュビロ磐田に移籍した。

[編集] ジュビロ磐田時代(現在)

背番号は自身、久しぶりの1を背負う。 日本代表では引き続き活躍。ドイツW杯アジア最終予選突破に貢献。

2006年、自身3度目となるドイツW杯のメンバーに選ばれ2大会ぶりに正GKとして出場。、初戦のオーストラリア戦。オーストラリアの再三の攻撃をファインセーブで凌ぐも、飛び出しのミスから同点にされ、終盤に3失点を喫する。負ければグループリーグ敗退が決定の、対クロアチア戦では、宮本恒靖が与えてしまったスルナのPKを見事にセーブし、ワールドカップにおいてPKを止めた史上20人目のGKになった。[2][3] ブラジル戦では計21本のシュート(ほとんど枠内)を浴び4失点を喫するも、ここでも好セーブを見せ、グループリーグ敗退に終わったチームの中から『1次リーグ敗退国ベストイレブン(FIFA発表)』控えGKに選定された(正GKはチェコペトル・チェフ)。

[編集] 特徴・スタイル

  • ゴールキーパーとしては小柄な体格であるが、ゴール前での果敢な飛び出しと俊敏な反応が武器である。
  • 腰を低く構えるのが特徴。GKだから重心を低くするのは当然だが、川口の場合は特に低くコンパクトに構える。
  • ペナルティーキックにかなりの自信を持ち、PKの阻止率は高い。実際にこれまでの重要な国際試合で神懸かり的な活躍を見せている。1995年のプロ入り以来、11回PK戦を経験しているが、1本でも止めた時は必ず勝利している。川口がPKを行うときの周りの雰囲気・キッカーの動きを予測するここ一番の集中力は奇跡と称される。(本人曰くPKを止めるコツがあるらしいが「企業秘密」を貫いている)。
  • 自身からのリスタートはパントキックより、スローイングが多い。素早い攻めのために行う川口の攻めである。
  • 昔から「練習の虫」と言われるほど努力家で、練習量が多いことで有名。本人も「一生懸命やることが取り柄」と語るように日々精進に努める。プレーが熱いと言われるのも、努力に裏付けされているからのようである。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

[編集] 人物

[編集] 選手として

  • かつては、自らがストイックなあまり周囲に厳しすぎるという一面もあり、チームメイトに対しての怒鳴るコーチング、叱責などは日常茶飯で、高校時代からのチームメート田中誠は、「彼は高校時代、いつ休んでるのかわからないくらい朝から晩まで練習していた、試合中は後ろ(=川口)がうるさくて、耳が痛くなるくらいだった」と語っていた。
  • ファンをとても大切にしている。横浜時代に「100人いたら100人にサインする」と語っていたように、試合後の観客に対する感謝の態度もよい。
  • ゴール前での相手選手との衝突により顎の肉が貫通する大怪我を負い、その1週間後の試合に顎を保護した姿のままゴールマウスに立っており、その試合で相手チームにゴールを許してしまい、ゴール横の水の入った容器を地面に投げつけ、蹴り、その後、地面に手をついて怒り泣き狂いながら「何回同じ事すりゃ気がすむんだよ!」「チキショー」など、自分に向かって罵声を飛ばした時もあった。(やべっちFCGET SPORTSで放送された)
  • 元日本代表監督のイビチャ・オシムについては、「今までの監督の中で一番自分の能力を引き出してくれる」「(同監督への批判的な意見に対して)あんな監督いないですよ、オシムさんが日本のサッカー界にいてくれていることに感謝しなきゃいけない」[4]と話している。

[編集] その他

  • Jリーグオールスターにおいて三浦知良と並び、最多となる9回の出場を果たしている。
  • 選手としてのストイックな姿勢と裏腹に、普段は天然ボケを連発するキャラクターとして数々の逸話を残している。
  • 第47回NHK紅白歌合戦の審査員を務めた。
  • 2005年1月に元スカンジナビア航空勤務の日本人客室乗務員と結婚。2007年3月25日、第1子(女の子)が誕生。
  • 2005年の衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査のイメージキャラクターを加藤あいと共に務めた。
  • NISSANでのCMで、イチローと共演している。
  • 横浜マリノスに入団したての頃は、女性に人気があり、誕生日などには山のようなプレゼントが届けられたこともあり、ある雑誌の表紙の撮影の際も、カメラマンから「俳優になったほうがいい」と言われたほどである。しかしU-23日本代表として挑んだアトランタオリンピックで一次リーグに敗退したあと、チームやキャプテンの前園真聖を批判したことにより、本来のストイックなイメージが伝わるようになる

[編集] 背番号

クラブチーム
日本代表

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1994 横浜M - J 0 0 0 0 0 0 0 0
1995 横浜M - J 41 0 - 2 0 43 0
1996 横浜M - J 15 0 13 0 0 0 28 0
1997 横浜M 1 J 22 0 0 0 2 0 24 0
1998 横浜M 1 J 34 0 0 0 1 0 35 0
1999 横浜FM 1 J1 28 0 6 0 2 0 36 0
2000 横浜FM 1 J1 28 0 5 0 3 0 36 0
2001 横浜FM 1 J1 25 0 7 0 - 32 0
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
2001-02 ポーツマス 1部 11 0
2002-03 ポーツマス 24 1部 1 0
2003-04 ポーツマス 24 プレミア 0 0
デンマーク リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2003-04 ノアシェラン 30 デンマークリーグ 8 0
2004-05 ノアシェラン 30 デンマークリーグ 0 0
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2005 磐田 1 J1 29 0 1 0 3 0 33 0
2006 磐田 1 J1 34 0 3 0 1 0 38 0
2007 磐田 1 J1 32 0 3 0 1 0 36 0
2008 磐田 1 J1
通算 日本 J1 288 0 38 0 15 0 341 0
イングランド プレミア 0 0
イングランド 1部 12 0
デンマーク デンマークリーグ 8 0
総通算 308 0 38 0 15 0 361 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2005 磐田 1 1 0
通算 AFC 1 0

[編集] 表彰

[編集] 初出場

[編集] 代表歴

[編集] 主な出場大会

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 114試合 0得点(1997年 -)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1997 21 0
1998 9 0
1999 3 0
2000 8 0
2001 9 0
2002 2 0
2003 2 0
2004 11 0
2005 14 0
2006 19 0
2007 12 0
2008 4 0
通算 114 0

[編集] 関連項目

[編集] 出版

[編集] 書籍

[編集] ビデオ

  • 川口能活 / 横浜マリノス・オフィシャル・ビデオ (1996年11月21日発売、ポニーキャニオン

[編集] 出演

[編集] CM

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

先代:
田坂和昭
Jリーグ新人王
1995
次代:
斉藤俊秀