井原正巳

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井原 正巳 Football pictogram.svg
名前
愛称 アジアの壁
カタカナ イハラ マサミ
ラテン文字 IHARA Masami
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1967年9月18日(47歳)
出身地 日本の旗滋賀県甲賀市
身長 182cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1992
1992-1998
1999
2000
2001-2002
日本の旗 日産
日本の旗 横浜M
日本の旗 横浜F・M
日本の旗 ジュビロ磐田
日本の旗 浦和レッズ
44 (2)
237 (3)
34 (0)
23 (1)
73 (2)
代表歴
1988-1999[1] 日本の旗 日本 122 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

井原 正巳(いはら まさみ、1967年9月18日 - )は、滋賀県甲賀郡水口町(現甲賀市)出身の元サッカー選手サッカー指導者。現・柏レイソルヘッドコーチ。1990年代日本サッカー界を代表するディフェンダーで、その高いディフェンス能力から「アジアの壁」の異名をとった。2002年に現役引退。家族は妻(1993年結婚)、第1子(男子、2006年出生)、愛犬(ゴールデン・レトリバー)。

A代表CAP数122は日本代表歴代2位[2]

来歴[編集]

選手として[編集]

水口町立貴生川小学校(現:甲賀市立貴生川小学校)でサッカーを始め、滋賀県立守山高等学校からサッカーの名門筑波大学へ進学。高校時代はフォワードであったが、筑波大学1年時に当時のユース代表監督であった松本育夫の勧めでディフェンダーに転向した。高校時代の経験が、後の「日本のリベロ」の下地を作ったといわれる。大学2年時には初めて日本代表に選出された。

大学時代、当時ディフェンダーだった中山雅史とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった。 大学卒業後は日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部、一時はボランチも経験したが、ディフェンダーとして活躍し、1993年5月15日Jリーグ開幕試合となった対ヴェルディ川崎戦でJリーグデビューした。

Jリーグのオウンゴール第1号を記録した[3]

ワールドカップへの挑戦は3回。1990年イタリアワールドカップアジア予選に始まり、94年アメリカワールドカップのアジア予選ではあと一歩のところでW杯出場権を逃す「ドーハの悲劇」を経験。1998年のフランスワールドカップアジア予選でイランとの第3代表決定戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。

前身の日産FC時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われたが、現役選手としての活動にこだわりマリノスの世代交代策によるコーチ就任要請を蹴って、2000年にジュビロ磐田へ移籍。更に2001年からは浦和レッドダイヤモンズにも在籍した。同年行われた2002年W杯1次リーグの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めているが、この時「ミッドフィールダー」と紹介された。

2002年、チームメイトの福田正博と共に現役を引退した。Jリーグ通算297試合、5得点。

引退後[編集]

引退後はNHKサッカー解説、TBSラジオ番組『スポーツBOMBER!』パーソナリティー(2003年度から下半期・木曜日担当)、日本サッカー協会認定のJFAアンバサダーびわこ成蹊スポーツ大学客員教授、公共広告機構(現:ACジャパン)・骨髄バンクCMなど各方面で活躍する傍ら、S級ライセンスを取得し指導者の道を歩んでいる。日本各地の少年サッカー教室に参加するなどサッカーの普及にも力を注いでいる。2005年には洪明甫と共に日韓親善大使に選ばれた。

2009年から柏レイソルヘッドコーチ就任が決定。同年7月、監督の高橋真一郎が解任され、後任監督が決定するまでの代行監督を務めた。2013年にはシーズン中に辞意を表明した監督のネルシーニョに代わって天皇杯の1試合指揮をとった(その後ネルシーニョは辞意を撤回)。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 日産 4 JSL1部 22 2 4 0
1991-92 22 0 3 0
1992 横浜M - J - 8 0 5 0 13 0
1993 - 32 0 0 0 1 0 33 0
1994 - 41 1 2 0 4 0 47 1
1995 - 47 1 - 2 0 49 1
1996 - 29 1 13 0 1 0 43 1
1997 4 22 0 0 0 2 0 24 0
1998 27 0 0 0 1 0 28 0
1999 横浜FM J1 25 0 6 0 3 0 34 0
2000 磐田 20 1 3 0 0 0 23 1
2001 浦和 3 26 1 6 0 4 0 36 1
2002 28 0 9 1 0 0 37 1
通算 日本 J1 297 5 47 1 23 0 367 6
日本 JSL1部 44 2 7 0 10 2 61 4
総通算 341 7 54 1 33 2 428 10

その他の公式戦

背番号[編集]

個人タイトル[編集]

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

   対イングランド戦(アンブロカップ)

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 122試合(全試合先発出場) 5得点(1988-1999)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1988 5 0
1989 11 0
1990 6 0
1991 2 0
1992 11 0
1993 15 2
1994 9 1
1995 16 1
1996 13 0
1997 21 1
1998 10 0
1999 3 0
通算 122 5

得点数[編集]

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1993年5月5日 アラブ首長国連邦ドバイ スリランカの旗 スリランカ 6-0 勝利 1994 FIFAワールドカップ予選
2
3 1994年10月11日 日本広島市 韓国の旗 韓国 2-3 敗戦 アジア競技大会
4 1995年6月3日 イングランドロンドン イングランドの旗 イングランド 1-2 敗戦 アンブロカップ
5 1997年11月8日 日本、東京 カザフスタンの旗 カザフスタン 5-1 勝利 1998 FIFAワールドカップ予選

指導歴[編集]

  • 2006年8月 - 2008年8月 U-23日本代表:アシスタントコーチ
  • 2009年 - 現在 柏レイソル:ヘッドコーチ
    • 2009年7月・2013年9月 柏レイソル:監督代行

監督成績[編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2009 J1 - 2 1 0 1 1 - -
  • 2009年は代行。

出演[編集]

CM[編集]

テレビ番組[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 井原 正巳”. サッカー日本代表データベース. 2014年8月26日閲覧。
  2. ^ 個人記録”. サッカー日本代表データベース. 2014年8月26日閲覧。
  3. ^ No.112 オウンゴールは不名誉ではない”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1995年8月1日). 2014年8月26日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]