石川直宏

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石川 直宏 Football pictogram.svg
名前
愛称 ナオ
カタカナ イシカワ ナオヒロ
ラテン文字 ISHIKAWA Naohiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1981年5月12日(30歳)
出身地 神奈川県横須賀市
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジション MF
背番号 18
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002.4
2002.4-現在
横浜F・マリノス
FC東京
15 (01)
234 (43)
代表歴 2
2003- 日本の旗 日本 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月29日現在。
2. 2012年2月24日現在。
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石川 直宏(いしかわ なおひろ、1981年5月12日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属、ポジションはミッドフィールダー日本プロサッカー選手会副会長。

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

横須賀市立粟田小学校、横須賀市立野比中学校、横須賀市立横須賀高等学校卒業。小学校時、地元の少年少女サッカークラブである横須賀シーガルスに所属。神奈川県内の大会では厚木市のゴールプランターズに所属していた茂庭照幸と対戦し、このころから面識があった。中学に入ると横浜マリノスジュニアユース追浜に所属し、高校進学時に横浜マリノスユースに昇格。身長の伸び悩み[1]クラムジー[注 1]の発生[2]、当時得意としたトップ下のポジションを争う同期・大橋正博の台頭、樋口靖洋監督による不慣れな右サイドへのコンバート[3]、加えて横浜フリューゲルスとの合併による選手層拡大が重なるなど困難が続いたが、徐々にサイドアタッカーとしての能力を見せ始めた。

[編集] 横浜F・マリノス

2000年には横浜F・マリノスのトップチームに昇格となり、Jリーグデビュー。U-19日本代表としてアジアユース、U-20日本代表としてワールドユース アルゼンチン大会に背番号10を背負って出場、この大会のテレビ解説を原博実が担当していたことが後にサッカー人生の契機となる[注 2]

横浜FMは2001年に成績が低迷し監督交代が相次ぎ、出場機会に乏しかった。ラザロニ監督とは特に相性が合わず、石川は紅白戦での「Bチームの控え」にも入れてもらえず、2002年も引き続いてラザロニが指揮を執ることになった状況に危機感を持ち、自ら横浜FM強化部に出場機会を直訴。サンフレッチェ広島が移籍先の有力候補に挙がったが[5]、この年にFC東京の監督に就任した原博実が石川の獲得を熱望したこともあり、4月にFC東京へのレンタル移籍が決定。

[編集] FC東京

移籍発表からわずか3日後の駒沢でのナビスコカップ清水戦で早速右のサイドアタッカーとして先発出場すると、ずば抜けたスピードによる突破で得点をアシストする活躍を見せた。以降、同時期にFC東京の右サイドバックとして出場機会の与えられた加地亮とのコンビネーションで右サイドからの攻撃を担い、レギュラーを確保。U-21日本代表としては、10月の釜山アジア大会では準優勝に貢献。

2003年8月、FC東京に完全移籍。また、アテネオリンピックを目指すU-22日本代表として活動する一方で、この年のキリンカップのためのA代表に初選出される。同年の東アジア選手権でもA代表に選出され、香港戦において国際Aマッチ初出場を記録(U-22代表から抜擢されたのは大久保嘉人松井大輔と石川の3人)。

2004年には再び日本代表候補合宿に招集されていたが、日本サッカー協会のオリンピック優先という方針によりU-23日本代表に合流、アテネオリンピックアジア最終予選を突破する。アテネオリンピック本大会では、強豪イタリアと同組だったこともあり、山本昌邦監督は守備重視の戦術[注 3]で大会に挑んだため、出場機会を得たのは消化試合となったグループリーグ第3戦からだった。試合では攻撃を牽引したにもかかわらず[7]後半早々に交代[8]。消化不良のままグループリーグでの敗退が決定。競技場のサポーターに挨拶する際には号泣し、アテネの地を去ることとなった。クラブでは、リーグ戦での得点はなかったが、初選出されたオールスター戦でゴールを決め、MVPを受賞。ナビスコ杯では優勝を体験するが、決勝の浦和戦では退場者を出したことで更に運動量が求められ、自身初となる延長戦までの120分フル出場[注 4]で走り回り奮闘したため足がつっており[10]、決着をつけるPK戦のメンバーには入らなかった。

2005年8月にイタリア・セリエAに昇格したトレヴィゾから獲得オファーを受けるも、FC東京の苦戦が続いた時期と重なっていたこともあり、交渉最終段階にきてオファーを断った。その決断の直後の9月日産スタジアムでの古巣・横浜FM戦の試合後半に右を傷め途中退場。検査の結果、右膝前十字靭帯損傷及び右膝外側半月板損傷・全治8ヶ月との診断を受け、長期のリハビリテーション期間を過ごすことになった。

2006年ガーロ監督が就任したが、その在任期間が右膝のリハビリの時期と重なっており、ガーロ体制下でのプレーは少ない。同年7月19日アビスパ福岡戦で305日ぶりの復帰を果たした。

2007年倉又寿雄監督体制下から原監督が復帰したシーズンは、大怪我を負う以前のスタイルを求めた原監督に対し、石川自身は中へ切れ込んだり、引いてボールを受けたりという自身のプレーの幅の広がりを模索していたこともあってか[11]調子が上がらず、出場機会が減った時期もあった。

2008年に就任した城福浩監督は、石川の目指すプレースタイルを生かしていくことも考えており、再び生き生きとしたプレーが見られるようになった。自由度が増した結果、苦し紛れのパスは減り、課題であったパスやクロスの精度が向上し、安定感が増した。同タイプのプレーをする鈴木達也の新加入や大竹洋平などの台頭によるチーム内での競争の活性化もあってか、特にリーグ後半は無くてはならないプレーヤーとなり、チームを3年連続の二桁順位から年間6位、天皇杯ベスト4へと押し上げる原動力となった。

2009年5月2日のJ1の大宮戦でプロ入り後初のハットトリックを決めるなど(この日は、年に一度しか来ない家族が見に行った日でもあった)、一時磐田前田遼一と得点王の座を争う程ゴールを量産。チームのリーグ5位、ナビスコカップ決勝進出の原動力となり、同年10月には約5年半ぶりに日本代表に招集された。しかし、10月17日の戦で得点直後に相手選手と接触し負傷離脱。チームが2度目の優勝を決めたナビスコカップ決勝には出場できなかった。12月のJリーグアウォーズでは活躍を評価され、初めてJリーグベストイレブンに選出された[注 5]

2010年FIFAワールドカップ登録メンバー発表前の最後の国際Aマッチで「国内組(Jリーガー)の最終見極め[13]」となったセルビア戦では、途中出場ながらチーム最多タイのシュートを放つなど[14]存在感を見せた[注 6]が、予備登録の7名に入るにとどまった[注 7]

2011年は、FC東京のベテラン代表として[17]副主将を務めた[18]。この年は「シーズンの終わりまで石川を(負傷離脱等させることなく)チームに置いておきたい[19]」という大熊清監督の起用法により、出場時間は多くなかったものの、FC東京の連勝記録を塗り替える得点を挙げるなど[20]勝負所での活躍を見せた。

[編集] トピックス

  • 愛称は「ナオ」だが、古くからの知人は「イシ」と呼ぶ。趣味サーフィン
  • FC東京での背番号は当初36番だったが、その後横浜FM時代からつけていた18番で定着した。
  • 右サイドを主戦場とするが、左サイドでのプレーも経験がある。2002年のFC東京移籍後の数試合において後半から右サイドには佐藤由紀彦が投入され、石川が左サイドに移り2人が共存するかたちで後半を戦った試合もあった。
  • スタジアムでは東京スカパラダイスオーケストラの「Down Beat Stomp」のサビ部分に独自の歌詞をつけたものが応援歌となっている。石川とスカパラのベーシスト川上つよしは交友関係があり、それが縁で2003年、2004年シーズンの開幕戦ではスカパラがゲストとしてミニライブを行なったり、FC東京の応援ソング「スタジアムへ行こう」を楽曲提供するなどの交流が派生した。
  • 雑誌「サッカーai」のあなたが選ぶBEST11で7号連続第1位を獲得している。
  • 実弟の石川貢(DF)、石川扶(GK)もサッカー選手
  • 鈴木達也は出身地が近く小学生の時から顔見知りである[21]。また高校の2学年先輩に大久保哲哉がいる。
  • 2003年度にJリーグ選手協会支部代表[22]、2004年度からはJリーグ選手協会副会長を務めている[23]

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴
  • 2000年 - 2003年7月 横浜F・マリノス
  • 2003年8月 - 現在 FC東京

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 横浜FM 28 J1 2 0 1 0 2 0 5 0
2001 18 13 1 2 0 0 0 15 1
2002 0 0 - - 0 0
FC東京 36 19 4 3 0 1 0 23 4
2003 18 29 5 7 3 1 0 37 8
2004 17 0 4 0 3 2 24 2
2005 23 3 6 1 0 0 29 4
2006 20 5 0 0 1 0 21 5
2007 27 4 7 1 3 0 37 5
2008 21 2 6 0 3 0 30 2
2009 24 15 8 3 0 0 32 18
2010 31 2 5 0 3 3 39 5
2011 J2 23 3 - 6 1 29 4
2012 J1
通算 日本 J1 226 41 49 8 17 5 292 54
日本 J2 23 3 - 6 1 29 4
総通算 249 44 49 8 23 6 321 58
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 18
通算 AFC

その他の国際公式戦

[編集] 経歴

[編集] タイトル

[編集] 個人

[編集] 選抜・代表歴

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 6試合 0得点 (2003-)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 1 0
2004 1 0
2009 2 0
2010 1 0
2012 1 0
通算 6 0

[編集] 出版

[編集] 関連書籍

[編集] DVD

  • 2010年 『スピードスター・石川直宏』

[編集] 脚注

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注釈
  1. ^ 体格の急激な変化により、身体のバランスが崩れイメージ通りの動きができなくなる現象。第二次性徴期前後に見られる。
  2. ^ 原は後に「とにかく走る姿が綺麗だった」と回想している[4]
  3. ^ 山本によると、得点源として期待したFW高原直泰の招集を断念したため、先に失点しない戦い方を選ぶ必要があった[6]。また、本大会から加わったMF小野伸二ら前線の選手を活かすため、サイドの選手には守備力を求めた[7]
  4. ^ 石川は後半すぎ、自身の交代を進言するよう、ベンチに近いサイドでプレーしていた戸田光洋に伝令を頼んでいた。しかし、戸田は「俺よりもナオ(石川)がピッチに残った方が相手が嫌がる」と判断し、この伝令をせず、後半終了間際に自身の交代を進言。石川は交代の準備が遅々として進まず、しかも伝令を頼んだはずの戸田がベンチに退いていったため、混乱したとのこと[9]
  5. ^ リーグ戦全34試合3060分中、24試合1762分の出場[12]に留まっていながらの選出であったことからも、その活躍が与えたインパクトの大きさが伺える。
  6. ^ この試合を取材した宇都宮徹壱は「石川をスタメンで起用してみてもよいだろう」と記している[13]
  7. ^ 登録メンバーに入った長友佑都は「意外だったのは、直さん(石川直宏)が入ってないところですね。絶対入ると思っていたし、入ってほしかったし。」とコメント[15]。同じくメンバー入りした遠藤保仁は、著書の中で「あの頃は攻撃するサッカーだったからギリギリまで名前が残っていたと思う。」と述べており[16]、守備的戦術への転換構想が落選の一因という見方を示している。
出典
  1. ^ 馬場康平 『まっすぐに平常心』 出版芸術社、2010年、123-125頁。ISBN 4882933934
  2. ^ 馬場康平 『まっすぐに平常心』 出版芸術社、2010年、130-131頁。ISBN 4882933934
  3. ^ 馬場康平 『まっすぐに平常心』 出版芸術社、2010年、138頁。ISBN 4882933934
  4. ^ 小宮良之 『アンチ・ドロップアウト』 集英社、2010年、28頁。ISBN 4087805646
  5. ^ 馬場康平 『まっすぐに平常心』 出版芸術社、2010年、158頁。ISBN 4882933934
  6. ^ 馬場康平 『まっすぐに平常心』 出版芸術社、2010年、57頁。ISBN 4882933934
  7. ^ a b 小宮良之 『アンチ・ドロップアウト』 集英社、2010年、36-37頁。ISBN 4087805646
  8. ^ 試合結果記録 第28回オリンピック競技大会 (2004/アテネ) (PDF) 日本サッカー協会
  9. ^ 馬場康平 『まっすぐに平常心』 出版芸術社、2010年、75頁。ISBN 4882933934
  10. ^ 【ヤマザキナビスコカップ:決勝】FC東京 vs 浦和:試合終了後のFC東京選手コメント J's GOAL
  11. ^ 馬場康平 『まっすぐに平常心』 出版芸術社、2010年、176頁。ISBN 4882933934
  12. ^ 選手出場記録 Jリーグ公式ウェブサイト、2009.12.05
  13. ^ a b 今こそ岡田監督に期待すること 日本代表 0-3 セルビア代表 スポーツナビ、2010.04.07
  14. ^ マッチレポート (PDF) 日本サッカー協会、2010.04.07
  15. ^ 日本代表W杯メンバー選出選手会見 スポーツナビ、2010.05.10
  16. ^ 遠藤保仁 『信頼する力 ジャパン躍進の真実と課題』 角川書店、2011年、35頁。ISBN 4047102695
  17. ^ J1復帰へ決意 FC東京と東京ヴェルディ asahi.com 2011.03.01
  18. ^ 新主将・今野が舵取り 「J1復帰内閣」 東京中日スポーツ 2011.02.23
  19. ^ 【J2:第34節 湘南 vs FC東京】大熊清監督記者会見コメント J's GOAL、2011.11.06
  20. ^ 石川直宏が7連勝弾 vs.横浜FC 東京中日スポーツ、2011.10.20
  21. ^ FC東京 青赤通信号外 2010年
  22. ^ Jリーグ選手協会 JPFA 役員名簿(2003)
  23. ^ Jリーグ選手協会 JPFA 役員名簿(2004)同(2005)同(2006)同(2007)同(2008)同(2009)同(2010)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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