室伏広治

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室伏広治 Portal:陸上競技
Koji Murofushi Daegu 2011.jpg
2011年世界陸上優勝時
選手情報
フルネーム 室伏アレクサンダー広治
Koji Alexander Murofushi
国籍 日本の旗 日本
種目 ハンマー投
所属 ミズノ
生年月日 1974年10月8日(40歳)
生誕地 静岡県沼津市
身長 187cm
体重 99kg
自己ベスト ハンマー投:84m86(2003年)
 
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
2004 アテネ 男子ハンマー投
2012 ロンドン 男子ハンマー投
世界陸上選手権
2001 エドモントン 男子ハンマー投
2003 パリ 男子ハンマー投
2011 大邱 男子ハンマー投
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室伏 広治(むろふし こうじ、1974年(昭和49年)10月8日 - )は、静岡県沼津市出身の日本の男子ハンマー投選手、スポーツ科学者中京大学博士)。中京大学准教授。学位博士(体育学)。専門は陸上競技(ハンマー投)、スポーツ科学、スポーツパフォーマンス・システム研究。特にアスリートのパフォーマンス向上に関する研究。

フルネームは室伏アレクサンダー広治(Koji Alexander Murofushi)。血液型はA型。陸上選手としての所属はミズノ(正確にはミズノ株式会社スポーツプロモーション部ミズノトラッククラブ)。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事[1]

主な実績に2004年アテネオリンピック金メダリスト2011年世界陸上大邱大会金メダリスト、2012年ロンドンオリンピック銅メダリスト栄典紫綬褒章受章など。

来歴[編集]

父親は「アジアの鉄人」こと室伏重信(前日本記録保持者、中京大学名誉教授。広治自身も「鉄人」と呼ばれている[2])。母親はオリンピックやり投ルーマニア代表のセラフィナ・モーリツルーマニア語: Serafina Moritzハンガリー語: Móritz Szerafina; 重信との離婚により広治とは生別)。父親が日本人で母親がハンガリー系ルーマニア人ハーフ。現地のミドルネーム(アレクサンダー)を持つ。妹はアテネ五輪女子ハンマー投代表・女子円盤投日本記録保持者の室伏由佳

静岡県沼津市生まれ。愛知県豊田市立東保見小学校、同保見中学校、千葉県成田高等学校中京大学体育学部を経て同学大学院体育学研究科に進学。2007年、中京大学大学院で博士号(体育学)取得[3]。2011年4月、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任[4]

2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを取ったのはアジア史上初。

日本オリンピック委員会・2005年度選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。IAAF選手委員(2期目)。2012年3月、日本陸上競技連盟が行っている格付けでSクラス(最高位)に認定された[5]

2014年7月に東京医科歯科大学教授 兼 スポーツサイエンスセンター長に内定[6]。同年8月に東京医科歯科大学特任教授就任を経て、同年10月より教授に着任予定。

競技経歴[編集]

2003年6月29日プラハ国際では84m86の当時世界歴代3位の記録を出している(現在、世界歴代5位)。
第98回日本選手権において連勝記録を20に伸ばす(日本記録)。

主な実績[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
2000 IAAFグランプリファイナル ドーハカタール ハンマー投 2位 80m32
2001 世界陸上競技選手権大会 エドモントンカナダ ハンマー投 2位 82m92
2002 IAAFグランプリファイナル パリフランス ハンマー投 1位 81m14
2002 IAAFワールドカップ マドリードスペイン ハンマー投 2位 80m03
2003 世界陸上競技選手権大会 パリフランス ハンマー投 3位 80m12
2004 オリンピック アテネギリシャ ハンマー投 1位 82m91
2006 ワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ ハンマー投 1位 81m42
2006 IAAFワールドカップ アテネギリシャ ハンマー投 1位 82m01
2007 世界陸上競技選手権大会 大阪市日本 ハンマー投 6位 80m46
2007 ワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ ハンマー投 3位 79m95
2008 オリンピック 北京中国 ハンマー投 5位 80m71
2008 ワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ ハンマー投 3位 78m99
2011 世界陸上競技選手権大会 大邱韓国 ハンマー投 1位 81m24
2012 オリンピック ロンドンイギリス ハンマー投 3位 78m71
2013 世界陸上競技選手権大会 モスクワロシア ハンマー投 6位 78m03

主な競技会記録[編集]

  • 幼少時よりエリート教育を施され、才能を発揮。成田高等学校進学後にハンマー投に取り組む。当時から他の選手とは別格の投てきを連発。日本高校新記録を樹立。
  • 中京大学進学後、父・室伏重信のコーチングを受け、さらにその才能を伸ばすことになる。日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。
  • 1994年 - 広島アジア大会で準優勝、銀メダル獲得。
  • 1998年 - 群馬リレーカーニバルで室伏重信の日本記録を破る。バンコクアジア大会では世界的な強豪・アブドゥバリエフを破り優勝。
  • 2000年 - IAAF大阪グランプリで優勝。シドニーオリンピックでは、メダル候補と目されながらも9位に終わった。その年の80m突破回数では世界1位を記録。
  • 2001年 - IAAF ローマグランプリで優勝。
  • 2001年 - 世界陸上エドモントン大会で銀メダルを獲得。
  • 2002年6月9日 - 日本選手権で優勝。自身の持つ大会新記録を更新。アジア大会では2連覇を達成。
    • 同年8月10日 - アジア選手権スリランカ大会で優勝。
    • 同年8月18日 - ポーランド国際競技会で優勝。
    • 同年9月14日 - 国際GPファイナル(パリ)で優勝。
    • 同年9月20日 - ワールドカップ(マドリード)で2位。同年10月8日、釜山アジア大会 で大会新記録を更新し優勝。同年10月23日、高知国体で優勝。
  • 2003年4月26日 - 中京大土曜記録会で優勝。6投全てが80mを超えた。
    • 同年5月10日 - 大阪GPで優勝。6投全て81mを超した。
    • 同年6月6日 - 日本選手権 優勝。自身の持つ大会記録を更新する83m29を記録。
    • 同年6月29日 - プラハ国際で当時現役選手では最高となる世界歴代3位(上位2つは1980年代の記録)の84m86を樹立。これは、過去15年における世界最高記録であった。
    • 同年8月25日 - 世界陸上パリ大会に出場。怪我で出場が危ぶまれたが80m12で銅メダルを獲得した。
  • 2004年5月8日 - 国際グランプリ大阪大会で優勝。6投全て80mを超えた。
    • 同年6月6日 - 日本選手権 優勝(82m09)。日本選手権10連覇を達成。
    • 同年6月19日 - アメリカのオレゴン州で開催された国際グランプリで優勝(82m65)。
    • 同年6月28日 - プラハ国際 優勝(81m92)。
    • 同年8月1日 - スプリントチャレンジカップ 優勝(82m88)。
  • 2004年のアテネオリンピック で優勝。大会中は82m91の記録を残し2位となったが、83m19の記録で1位となっていたハンガリーアドリアン・アヌシュドーピング疑惑が浮上。アヌシュはIOCが求めていた再検査の為の尿検体提出を拒否、更に競技前後それぞれに提出した2つの尿検体が同一人物でないことが判明。アテネオリンピック最終日の8月29日ドーピング違反で失格処分となり、この結果銀メダルだった室伏が繰上がることになり、陸上・投擲種目でアジア史上初のオリンピック金メダリストとなった。
  • 2004年9月23日 - スーパー陸上(横浜)で優勝。大会新記録の83m15を記録。
  • 2005年6月4日 - 日本選手権 優勝(76m47)。日本選手権11連覇を達成。
  • 2005年世界陸上ヘルシンキ大会を体調不良のため欠場。その後も体調が回復しない為、試合への出場は遠ざかっていた。
  • 2006年 - 約1年ぶりの復帰戦となった5月29日のゴールデンスパイク(オストラバ)で優勝。
    • 同年6月5日 - プラハ国際で優勝。今までのイメージを覆す丸刈りを生やして試合に臨んだ。同年、パイクプラハ国際でも優勝した。
    • 同年7月1日 - 日本選手権優勝。日本選手権12連覇達成。
    • 同年7月21日 - フィンランドのユバスキュラで行われたフィンランド選手権に参加し優勝。5投目に80m14の記録をマークし参加選手最高となった。
    • 同年7月26日 - 行われたヘルシンキ・グランプリで5投目に81m77をマークして優勝した。
    • 同年9月10日 - シュトゥットガルトで行われたワールド・アスレチック・ファイナルでベラルーシイワン・チホンを30cm差で下す81m42をマークして優勝した。
    • 同年9月16日- アテネで行われたワールドカップで今季自己最高となる82m01をマークして優勝した。
    • 同年12月 - ドーハアジア大会へエントリーしていたが、9月頃に痛めたふくらはぎのケガが回復しない為、欠場となった。
  • 2007年6月30日 - 約1年間試合から遠ざかっていたが、第91回日本陸上競技選手権で優勝。日本選手権13連覇達成。
    • 同年8月27日 - 世界陸上大阪大会の決勝、史上初めて7位までが80m以上を記録するという激戦のなか、80m46を記録し6位入賞。2004年の大阪GP以来無敗で、4年ぶりに優勝を逃したが、北京オリンピックへの出場権を日本人第1号で獲得した。
    • 同年9月9日 - IAAFグランプリ(リエティ大会)で、イワン・チホンを押さえ今季自己最高となる82m64で優勝。
    • 同年9月23日 - シュトゥットガルト開催のIAAF世界陸上ファイナル3位。
  • 2008年 - 約10か月ぶりの試合となった第92回日本陸上競技選手権でシーズン世界ランキング3位となる80m98で優勝し、同大会の14連覇を達成。
  • 2009年 - 第93回日本陸上競技選手権で73m26で優勝し、同大会の15連覇を達成したが、同年8月開催の世界陸上ベルリン大会はケガによる調整不足の為欠場。
  • 2010年4月 - 中京大学大学院体育研究科研究員・客員教授に就任。
    • 同年5月 - 国際グランプリ大阪大会で3位。
    • 同年8月29日 - IAAF リエティ国際でシーズン世界最高となる80m99で優勝。4日後のザグレブ国際でも79m71で優勝しハンマー投年間チャンピオンに輝いた。
  • 2011年4月 - 中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任。
  • 2011年8月29日 - 世界陸上大邱大会 81m24を2本投げて優勝、世界選手権で初の金メダルを獲得すると共に、日本の陸上競技選手で初となる五輪・世界選手権二冠覇者となる。また今回のメダル獲得は世界陸上史上最年長記録(36歳と325日)である。
  • 2011年12月15日 - 日本陸上連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」において、アスリート・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に選出される[7]
  • 2012年8月5日‐ロンドンオリンピック決勝の二投目で記録した78m71で3位入賞・銅メダル獲得。尚37歳での五輪メダル獲得は、陸上競技種目で日本代表選手としては最高齢記録となる。
  • 2013年8月12日 - 世界陸上モスクワ大会決勝の一投目で記録した78m03で6位入賞。
  • 2014年6月7日 - 第98回日本陸上競技選手権で73m93で優勝し、同大会の20連覇を達成(但し同年9月の仁川アジア大会は日本代表選出を辞退)[8]

身体能力[編集]

立ち五段跳び18m[9]立ち幅跳び360cm[10](公式世界記録は347cm)を跳ぶ並外れた瞬発力を持ち、100mを10秒台で走ることができる[11]。立ち幅跳びは小学1年生時で既に190cmを記録している[12]

高校3年生時、やり投で宮崎インターハイ6位、べにばな国体では 千葉県高校記録 となる68m16を投げ2位になる。実はこの大会に出るまでほとんどやり投の経験はなく、小石を数回投げ勘をつかんで本番に挑んでいたとジャンクスポーツで陸上競技の同期である照英が語っていた。他にも砲丸投げで千葉県大会を突破し南関東大会に出場。

長野オリンピック前、東京ボブスレー・リュージュ連盟が選手発掘のために行った運動能力テストに参加。ずば抜けた成績を叩き出して日本代表候補に選ばれた[13]がハンマー投に集中するために断念している[14]

野球経験はないが、2004年11月12日の日米野球始球式では129km/hを計測。翌2005年4月5日のプロ野球横浜-巨人戦でも始球式を行い131km/hを計測。球筋は二回ともストライクであった。 また2007年には落合博満中日ドラゴンズ監督(当時)から打撃指導を受け、鋭い打球を飛ばした[15]

2008年、北京五輪の数か月前、バートン・ソリン(握力王といわれるリチャード・ソリンの息子)と共にトレーニングをしているとき、なんのウォームアップもなしにハンドグリッパーのCOC/No.3をクラッシュしたことがある(ちなみにクラッシュに必要な握力は280 lb = 約127kg)。「あれっていいの?」と室伏がソリンに尋ねると、「あれね、君は閉じちゃったから、世界クラスの握力王の仲間入りしたんだよ」とソリン[16]。 同年5月16日放送の『とくダネ!』では、100kgが上限のアナログ握力計を振り切り番組騒然となった。

2001年から2003年までの広治について、「世界で一番強かった」「ジャンプ力、スピード、筋力の、体力と言われる部分はピークで、スナッチはクリーンで195キロまで上げていました。これには中京大の指導者たちだけでなく、重量挙げの五輪メダリストも驚いていました。そのくらいすごいことです」と父の重信が語っている[17]

マラソンなどの長距離走は苦手で、学校のマラソン大会でもスタート直後は断トツだったが、いつもゴールする頃には殆どビリだった。またそれを父の重信に相談したところ、「お前は速筋比率が高いから、そういうのには向いていない」と言われている[18]

スポーツマンNo.1決定戦[編集]

2002年に放送されたTBS系列放送のスポーツマンNo.1決定戦で総合No.1に輝いている。BEACH FLAGSでは上位経験者のスピード自慢が揃う中でダイブもせずにNo.1を勝ち取り、POWER FORCEでは競技開始時の構えが手を腰におき仁王立ちというプレー(この種目もNo.1)、THE TUG-OF-WARでも1回戦から決勝まで全員秒殺してみせた。WORK OUT GUYSでは50秒08、MONSTER BOXでは18段、SHOT-GUN-TOUCHでは12m90㎝を記録し、ケイン・コスギとの激戦を制した。

2002年2004年2005年スポーツマンNo.1決定戦で行われたTHE GALLON THROW World Championship(樽投げ世界一決定戦)では第1回(2002年放送)で日本新記録となる7m50㎝を記録し2位、第2回(2004年放送)で世界新記録となる8m00㎝、第3回(2005年放送)では自身が持つ世界記録を更新する8m25㎝を記録しNo.1に輝いた。


スポーツマンNo.1決定戦XX(2002年1月1日放送)
競技 順位 ポイント 備考
WORK OUT GUYS 3位 60 記録 50秒08
BEACH FLAGS No.1 100 -
MONSTER BOX 4位 80 記録 18段
POWER FORCE No.1 100 -
THIRTY 5位 25 2回戦敗退
TAIL IMPOSSIBLE 9位 10 第2レース敗退
THE TUG-OF-WAR No.1 100 -
SHOT-GUN-TOUCH 2位 90 記録 12m90㎝
THE GALLON THROW World Championship
放送日 順位 記録
第1回 2002年1月1日 2位 7m50㎝
第2回 2004年1月1日 No.1 8m00㎝
第3回 2005年1月1日 No.1 8m25㎝

不祥事[編集]

  • 2012年8月、当時開催されていたロンドンオリンピックに出場していた室伏は、国際オリンピック委員会の選手委員に立候補したが、オリンピック会場の選手村でドーピング禁止のキャンペーンキャラクターとして自己の写真を使ったポスターの掲示や同様のステッカーを配布したことが選挙に関する複数の規定に違反したとされ、国際オリンピック委員会から失格の処分を受けた。これに伴い、本来であれば1位で選手委員への当選を果たしていた室伏は委員に就任できなくなった[19]

その他[編集]

  • 中学3年生の時点で身長は既に現在とほとんど変わらない185cmあったが、体重は65~66kgと現在の2/3ほどしかなく、当時は投擲種目を専門にしていたわけではなかった。
  • 体格、体力などから、ハンマー投のみならず、体育会系のTV番組に出演する事が多い。また、アテネオリンピックのメダルに刻まれた詩人の言葉を現地で訳して貰い報道陣に配るなどスポーツ界に対しての情熱も見せる。
  • 自身で考案した独自の練習方法で身体を鍛えており、腰に鉄球をぶら下げて昇降する運動、両足でジャンプし片足で着地する運動、新聞紙を片手で丸め指の筋力を鍛える運動等をパフォーマンス向上の強化として取り入れ、日々新しい練習方法を開発している。
  • スポーツ科学者の立場から赤ちゃんハイハイに着目し、骨と筋力が発達していない乳児でもバランスを取りハイハイで前進できることから、自らもハイハイを実践し、身体バランスの向上を目的とするトレーニングに取り入れている。
  • アテネ五輪金メダルを評価され、2004年秋に紫綬褒章を授与される。
  • 2006年、「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2006」に選ばれた。
  • 2007年、全国理容連合会が主催する「第2回さわやかヘアスタイル大賞(メンズ部門)」を受賞。同年テレビ朝日ビッグスポーツ賞において、ビッグスポーツ特別賞を受賞した。
  • 他の選手と違い、ハンマー投擲の際には後ろに倒れ込むように体を傾けながら回転しているが、これは父である重信が世界と戦うために開発した技術であり、それを広治が受け継いだ。

CM出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
  2. ^ 「ロンドンで完全勝利を目指す鉄人が本当に超えたもの。~室伏広治・著『超える力』を読む~」、[Number]、2012年07月31日[1]
  3. ^ 博士論文のテーマは「ハンマー頭部の加速についてのバイオメカニクス的考察」。この論文の基礎となったフルペーパーが公式サイトに掲載されている。
    “Development of a System to Measure Radius of Curvature and Speed of Hammer Head during Turns in Hammer Throw” (PDF). International Journal of Sport and Health Science 3 (2005): 116-128. (March 2005). http://www.kojimurofushi.net/pdf/20040075.pdf 2012年8月13日閲覧。. 
  4. ^ 中京大学広報 第168号 (PDF) (2011年6月27日、7ページ)
  5. ^ 12年度の強化指定選手
  6. ^ 中京大学公式発表(2014年7月16日)
  7. ^ アスリート・オブ・ザ・イヤーに室伏スポーツナビ2011年12月16日
  8. ^ 室伏広治、20連覇…日本選手権ハンマー投げ 読売新聞 2014年6月7日
  9. ^ 『陸上競技マガジン』 2014年5月号 ベースボール・マガジン社
  10. ^ ZONE』(TBS) 2001年12月30日放送
  11. ^ S☆1』(TBS) 2011年5月9日放送
  12. ^ NANDA!? 』(テレビ朝日) 2006年11月9日放送
  13. ^ 1996年12月14日 信濃毎日新聞掲載・共同
  14. ^ 1997年4月19日 信濃毎日新聞掲載・共同
  15. ^ お似合い度金メダル級 ハンマー投げ室伏「落合教室」に入門 中日スポーツ 2007年1月19日
  16. ^ 『MILO』 2008年6月号 アイアンマインド社
  17. ^ 室伏広治、20連覇の軌跡スポーツナビ2014年6月8日
  18. ^ NANDA!? 』(テレビ朝日) 2006年11月9日放送
  19. ^ 2012年8月12日 朝日新聞デジタル

関連項目[編集]

外部リンク[編集]