室伏広治
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2011年世界陸上優勝時
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| 選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||
| フルネーム | 室伏アレクサンダー広治 Koji Alexander Murofushi |
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| 種目 | ハンマー投 | ||||||||||||||||||||||||||
| 所属 | ミズノ | ||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1974年10月8日(38歳) | ||||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 187cm | ||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 99kg | ||||||||||||||||||||||||||
| 自己ベスト | ハンマー投:84m86(2003年) | ||||||||||||||||||||||||||
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室伏 広治(むろふし こうじ、1974年(昭和49年)10月8日 - )は、日本の男子ハンマー投選手、スポーツ科学者(中京大学博士)。中京大学准教授。学位は博士 (体育学)。専門は陸上競技(ハンマー投)、アスリートのパフォーマンス向上に関する研究。アテネオリンピック金メダリスト。栄典は紫綬褒章受章。フルネームは室伏アレクサンダー広治(Koji Alexander Murofushi)。
目次 |
人物 [編集]
父親は“アジアの鉄人”こと室伏重信(前日本記録保持者。中京大学名誉教授)。母親はオリンピックやり投ルーマニア代表のセラフィナ・モリッツ(Serafina Moritz、重信との離婚により広治とは生別)。父親が日本人で母親がルーマニア人のハーフ。現地のミドルネーム(アレクサンダー)を持つ。妹はアテネ五輪女子ハンマー投代表・女子円盤投日本記録保持者の室伏由佳。
静岡県沼津市生まれ。愛知県豊田市立東保見小学校、同保見中学校、千葉県・成田高等学校、中京大学体育学部を経て同学大学院体育学研究科に進学。2007年、中京大学大学院で博士号(体育学)取得[1]。2011年4月、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任[2]。
2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを取ったのはアジア史上初。 身長187cm。体重99kg。握力120kg以上(針が振り切れて計測不能)[3][4]。血液型はA型。選手としての所属はミズノ(正確にはミズノトラッククラブ)。
日本オリンピック委員会・2005年度選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。IAAF選手委員(2期目)。2012年3月、日本陸上競技連盟が行っている格付けでSクラス(最高位)に認定された[5]。
競技経歴 [編集]
2003年6月29日のプラハ国際では84m86の当時世界歴代3位の記録を出している(現在、世界歴代5位)。
2012年6月8日の第96回日本選手権において連勝記録を18に伸ばす(日本記録)。
主な実績 [編集]
| 年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | 世界陸上競技選手権大会 | エドモントン(カナダ) | ハンマー投 | 2位 | 82m92 |
| 2003 | 世界陸上競技選手権大会 | パリ(フランス) | ハンマー投 | 3位 | 80m12 |
| 2004 | オリンピック | アテネ(ギリシャ) | ハンマー投 | 1位 | 82m91 |
| 2006 | ワールドアスレチックファイナル | シュトゥットガルト(ドイツ) | ハンマー投 | 1位 | 81m42 |
| 2008 | オリンピック | 北京(中国) | ハンマー投 | 5位 | 80m71 |
| 2011 | 世界陸上競技選手権大会 | 大邱(韓国) | ハンマー投 | 1位 | 81m24 |
| 2012 | オリンピック | ロンドン(イギリス) | ハンマー投 | 3位 | 78m71 |
主な競技会記録 [編集]
- 幼少時よりエリート教育を施され、才能を発揮。成田高等学校進学後にハンマー投に取り組む。当時から他の選手とは別格の投てきを連発。日本高校新記録を樹立。
- 中京大学進学後、父・室伏重信のコーチングを受け、さらにその才能を伸ばすことになる。日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。
- 1994年 - 広島アジア大会で準優勝、銀メダル獲得。
- 1998年 - 群馬リレーカーニバルで室伏重信の日本記録を破る。バンコクアジア大会では世界的な強豪・アブドゥバリエフを破り優勝。
- 2000年 - IAAF大阪グランプリで優勝。シドニーオリンピックでは、メダル候補と目されながらも9位に終わった。その年の80m突破回数では世界1位を記録。
- 2001年 - IAAF ローマグランプリで優勝。
- 2001年 - 世界陸上エドモントン大会で銀メダルを獲得。
- 2002年6月9日 - 日本選手権で優勝。自身の持つ大会新記録を更新。アジア大会では2連覇を達成。
- 同年8月10日 - アジア選手権スリランカ大会で優勝。
- 同年8月18日 - ポーランド国際競技会で優勝。
- 同年9月14日 - 国際GPファイナル(パリ)で優勝。
- 同年9月20日 - ワールドカップ(マドリード)で2位。同年10月8日、アジア大会 韓国(釜山)で大会新記録を更新し優勝。同年10月23日、高知国体で優勝。
- 2003年4月26日 - 中京大土曜記録会で優勝。6投全てが80mを超えた。
- 同年5月10日 - 大阪GPで優勝。6投全て80mを超した。
- 同年6月6日 - 日本選手権 優勝。自身の持つ大会記録を更新する83m29を記録。
- 同年6月29日 - プラハ国際で当時現役選手では最高となる世界歴代3位(上位2つは1980年代の記録)の84m86を樹立。これは、過去15年における世界最高記録であった。
- 同年8月25日 - 世界陸上パリ大会に出場。怪我で出場が危ぶまれたが80m12で銅メダルを獲得した。
- 2004年5月8日 - 国際グランプリ大阪大会で優勝。6投全て80mを超えた。
- 同年6月6日 - 日本選手権 優勝(82m09)。日本選手権10連覇を達成。
- 同年6月19日 - アメリカのオレゴン州で開催された国際グランプリで優勝(82m65)。
- 同年6月28日 - プラハ国際 優勝 (81m92)。
- 同年8月1日 - スプリントチャレンジカップ 優勝(82m88)。
- 2004年のアテネオリンピック で優勝。大会中は82m91の記録を残し2位となったが、83m19の記録で1位となっていたハンガリーのアドリアン・アヌシュにドーピング疑惑が浮上。アヌシュはIOCが求めていた再検査の為の尿検体提出を拒否、更に競技前後それぞれに提出した2つの尿検体が同一人物でないことが判明。アテネオリンピック最終日の8月29日ドーピング違反で失格処分となり、この結果銀メダルだった室伏が繰上がることになり、陸上・投擲種目でアジア史上初のオリンピック金メダリストとなった。
- 2004年9月23日 - スーパー陸上(横浜)で優勝。大会新記録の83m15を記録。
- 2005年6月4日 - 日本選手権 優勝(76m47)。日本選手権11連覇を達成。
- 2005年世界陸上ヘルシンキ大会を体調不良のため欠場。その後も体調が回復しない為、試合への出場は遠ざかっていた。
- 2006年 - 約1年ぶりの復帰戦となった5月29日のゴールデンスパイク(オストラバ)で優勝。
- 同年6月5日 - プラハ国際で優勝。今までのイメージを覆す丸刈りと髭を生やして試合に臨んだ。同年、パイクプラハ国際でも優勝した。
- 同年7月1日 - 日本選手権優勝。日本選手権12連覇達成。
- 同年7月21日 - フィンランドのユバスキュラで行われたフィンランド選手権に参加し優勝。5投目に80m14の記録をマークし参加選手最高となった。
- 同年7月26日 - 行われたヘルシンキ・グランプリで5投目に81m77をマークして優勝した。
- 同年9月10日 - シュトゥットガルトで行われたワールド・アスレチック・ファイナルでベラルーシのイワン・チホンを30cm差で下す81m42をマークして優勝した。
- 同年9月16日- アテネで行われたワールドカップで今季自己最高となる82m01をマークして優勝した。
- 同年12月 - ドーハアジア大会へエントリーしていたが、9月頃に痛めたふくらはぎのケガが回復しない為、欠場となった。
- 2007年6月30日 - 約1年間試合から遠ざかっていたが、第91回日本陸上競技選手権で優勝。日本選手権13連覇達成。
- 同年8月27日 - 世界陸上大阪大会の決勝、史上初めて7位までが80m以上を記録するという激戦のなか、80m46を記録し6位入賞。2004年の大阪GP以来無敗で、4年ぶりに優勝を逃したが、北京オリンピックへの出場権を日本人第1号で獲得した。
- 同年9月9日 - IAAFグランプリ(リエティ大会)で、イワン・チホンを押さえ今季自己最高となる82m64で優勝。
- 同年9月23日 - シュトゥットガルト開催のIAAF世界陸上ファイナル3位。
- 2008年‐約10か月ぶりの試合となった第92回日本陸上競技選手権でシーズン世界ランキング3位となる80m98で優勝し、同大会の14連覇を達成。
- 同年8月15日 - 北京オリンピック予選、一投目78m16で予選通過。
- 同年8月17日 - 北京オリンピック決勝で二投目で記録した80m71で5位入賞。
- 同年12月11日 - 北京オリンピック決勝で2位:ワディム・デフヤトフスキーと3位:イワン・チホン(共に
ベラルーシ)の2選手のドーピング違反が発覚、当該選手が国際オリンピック委員会理事会において失格、メダル剥奪処分を受けたため、3位に繰り上がりとする正式決定がなされたが、スポーツ仲裁裁判所により2010年6月10日に処分が撤回されたため銅メダル獲得はならなかった。
- 2009年‐第93回日本陸上競技選手権で73m26で優勝し、同大会の15連覇を達成したが、同年8月開催の世界陸上ベルリン大会はケガによる調整不足の為欠場。
- 2010年 - 国際グランプリ大阪大会で3位。
- 同年8月29日 - IAAF リエティ国際でシーズン世界最高となる80m99で優勝。4日後のザグレブ国際でも79m71で優勝しハンマー投年間チャンピオンに輝いた。
- 2011年4月 - 中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任。
- 2011年8月29日 - 世界陸上テグ大会 81m24を2本投げて優勝、世界選手権で初の金メダルを獲得すると共に、日本の陸上競技選手で初となる五輪・世界選手権二冠覇者となる。また今回のメダル獲得は世界陸上史上最年長記録(36歳と325日)である。
- 2011年12月15日 - 日本陸上連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」において、アスリート・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に選出される[6]。
- 2012年8月5日‐ロンドンオリンピック決勝で二投目で記録した78m71で3位。
身体能力 [編集]
100m10秒台、立ち幅跳びでは360cm以上を飛ぶ人間離れした瞬発力を持つ[7]。高校2年生のときには既に体力測定で立ち幅跳び327cm、30m走は3秒79、立三段跳10m10、立五段跳17m06を記録している。
高校3年生時、やり投で宮崎インターハイ7位、べにばな国体では68m16を投げ2位になる。この記録はやり投の 千葉県高校記録 である。実はこの大会に出るまでほとんどやり投の経験はなく、小石を数回投げ勘をつかんで本番に挑み、圧倒的な記録を出してその大会で入賞してしまったとジャンクスポーツで照英が語っていた。他にも砲丸投げで千葉県大会を突破し南関東大会に出場。
ハンマー投の日本ジュニア記録(68m00)保持者である。この時使用されたハンマーの重さはシニア規格の7.26kgであり現在ではジュニア規格の6kgが主に使用されている。
長野オリンピック前、東京ボブスレー・リュージュ連盟が選手発掘のために行った運動能力テストに参加し、ずば抜けた成績を叩き出して日本代表候補に選ばれる[8]。これは後に、ハンマー投へ集中するために辞退している。
2004年11月12日の日米野球の始球式では129km/hを計測。2005年4月5日のプロ野球横浜-巨人戦でも始球式を行い131km/hを計測した。この時の打者は室伏と交友関係のある仁志敏久(当時巨人)だった。元々野球経験はなく、未経験者や女性に多い不適切なフォームでありながら、球筋は二回ともストライクでコントロールも抜群だった。
100kgの握力計を一瞬で振り切るほどの握力を持つため計測不能となっているが、日本陸上連盟が行ったメディカルチェックでは120kgを記録。ちなみに握力98kgというのは、愛知小学校へ「握力を鍛える方法」の講演で招かれた際に100kgのアナログ式握力計を使い子供たちへのデモンストレーションで行ったものである。
2008年、北京五輪の数か月前、バートン・ソリン(握力王といわれるリチャード・ソリンの息子)と共にトレーニングをしているとき、なんのウォームアップもなしにハンドグリッパーのCOC/No.3をクラッシュしたことがある(ちなみにクラッシュに必要な握力は280 lb = 約127kg)。「あれっていいの?」と室伏がソリンに尋ねると、「あれね、君は閉じちゃったから、世界クラスの握力王の仲間入りしたんだよ」とソリン[9]。 ちなみにCOC/No.3を初握りでの達成は前代未聞である。
ストラップなしで指先をバーを引っかけただけの状態で190kgのハイクリーンを行なえる[10]。
ただし、マラソンなどの長距離走は苦手で、学校のマラソン大会でもスタート直後は断トツだったが、いつもゴールする頃には殆どビリだった。またそれを父の重信に語ったところ、「お前は速筋比率が高いから、そういうのには向いていない」と言われたとテレビ番組『NANDA!?』にて語った。
スポーツマンNo.1決定戦 [編集]
2002年に放送されたTBS系列放送のスポーツマンNo.1決定戦で総合No.1に輝いている。BEACH FLAGSでは、上位経験者のスピード自慢が揃う中でダイブもせずにNo.1を勝ち取り、SHOT-GUN-TOUCHでは12m90cmを記録。POWER FORCEでは、競技開始時の構えが手を腰におき仁王立ちというプレー(この種目もNo.1)、THE TUG-OF-WARでも1回戦から決勝まで全員秒殺してみせた。
2002年、2004年、2005年のスポーツマンNo.1決定戦で行われたTHE GALLON THROW World Championship(樽投げ世界一決定戦)では第2回(2004年放送)で世界新記録となる8m00㎝、第3回(2005年放送)では自身が持つ世界記録を更新する8m25㎝を記録し、No.1に輝いた。
- スポーツマンNo.1決定戦XX(2002年1月1日放送)
| 競技 | 順位 | ポイント | 備考 |
|---|---|---|---|
| WORK OUT GUYS | 3位 | 60 | 記録 50秒08 |
| BEACH FLAGS | No.1 | 100 | - |
| MONSTER BOX | 4位 | 80 | 記録 18段 |
| POWER FORCE | No.1 | 100 | - |
| THIRTY | 5位 | 25 | 2回戦敗退 |
| TAIL IMPOSSIBLE | 9位 | 10 | 第2レース敗退 |
| THE TUG-OF-WAR | No.1 | 100 | - |
| SHOT-GUN-TOUCH | 2位 | 90 | 記録 12m90㎝ |
- THE GALLON THROW World Championship
| 回 | 放送日 | 順位 | 記録 |
|---|---|---|---|
| 第1回 | 2002年1月1日 | 2位 | 7m50㎝ |
| 第2回 | 2004年1月1日 | No.1 | 8m00㎝ |
| 第3回 | 2005年1月1日 | No.1 | 8m25㎝ |
不祥事 [編集]
- 2012年8月、当時開催されていたロンドンオリンピックに出場していた室伏は、国際オリンピック委員会の選手委員に立候補したが、オリンピック会場の選手村でドーピング禁止のキャンペーンキャラクターとして自己の写真を使ったポスターの掲示や同様のステッカーを配布したことが選挙に関する複数の規定に違反したとされ、国際オリンピック委員会から失格の処分を受けた。これに伴い、本来であれば1位で選手委員への当選を果たしていた室伏は委員に就任できなくなった[11]。
その他 [編集]
- 中学3年生の時点で身長は既に現在とほとんど変わらない185cmあったが、体重は65~66kgと、現在の2/3ほどしかなかった。当時は投擲種目を専門にしていたわけではなく、三種競技などを遊び程度にやっていたという。(本人談)
- 体格、体力などから、ハンマー投のみならず、体育会系のTV番組に出演する事が多い。また、アテネオリンピックのメダルに刻まれた詩人の言葉を現地で訳して貰い報道陣に配るなどスポーツ界に対しての情熱も見せる。
- 腰に鉄球をぶら下げて昇降する運動、両足でジャンプし片足で着地することで体幹筋を鍛える運動、軽くて柔らかい新聞紙を片手で丸めることで不規則に動く指の筋力を鍛える運動等、独自の練習方法で身体を鍛えている。
- スポーツ科学者の立場から赤ちゃんのハイハイに着目し、骨と筋力が発達していない乳児でもバランスを取りハイハイで前進できることから、自らもハイハイを実践し、身体バランスの向上を目的とするトレーニングに取り入れている。
- 元やり投選手で俳優の照英とは高校のころからの旧知の仲。
- 漫画家のさいとう・たかをは、「今新しく実写映画化するのであれば、ゴルゴ13役は室伏広治以外にいない」と言っている。これが元でバラエティー番組の企画で実際に、室伏がゴルゴ13の格好をした事があり、本人も御満悦の様子。
- アテネ五輪金メダルを評価され、2004年秋に紫綬褒章を授与される。
- 2006年、「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2006」に選ばれた。
- 2007年、全国理容連合会が主催する「第2回さわやかヘアスタイル大賞(メンズ部門)」を受賞。同年テレビ朝日ビッグスポーツ賞において、ビッグスポーツ特別賞を受賞した。
- 肉体造りのため、1日1枚ステーキを食べるよう心掛けている。また甘党で、好物はケーキ。特に妹の手作りケーキが好きである(いずれもフジテレビ・とくダネ!より)。
- 体育王国内のアニメ、ゴールドマッスルに彼をモデルにしていると思われるキャラクター、「ハンマー・ムロウ」が登場した。
- 他の選手と違い、ハンマー投擲の際には後ろに倒れ込むように体を傾けながら回転しているが、コレは父である室伏重信が世界と戦う為に開発した技術であり、息子である室伏広治が受け継いだ。
CM出演 [編集]
- ミズノウエア
- タケダ 「アリナミン7」
- 日清 「麺の達人」(2005年~2006年)
- フェデックス(2006年~)
- 大塚製薬 「オロナミンC」(2007年)
- クボタ コンバイン「エアロスター」「エアロスター ダイナマックス」
- アサヒビール 「アサヒ一番麦」
- 集英社 「最強ジャンプ」(2011年)
- 小林製薬 「アンメルツゴールドEXグリグリ」(2012年)
- アサヒビール 「アサヒジャパンゴールド」(2012年)※同飲料の開発の監修も担当
脚注 [編集]
- ^ 博士論文のテーマは「ハンマー頭部の加速についてのバイオメカニクス的考察」。この論文の基礎となったフルペーパーが公式サイトに掲載されている。
“Development of a System to Measure Radius of Curvature and Speed of Hammer Head during Turns in Hammer Throw” (PDF). International Journal of Sport and Health Science 3 (2005): 116-128. (March 2005) 2012年8月13日閲覧。. - ^ 中京大学広報 第168号 (PDF)(2011年6月27日、7ページ)
- ^ 『とくダネ!』(フジテレビ) 2008年5月16日放送 100kgの握力計を瞬時に振り切り番組騒然となった。
- ^ またアイアンマインド社ではCOC No3を完全に閉じたことが記事になった
- ^ 12年度の強化指定選手
- ^ アスリート・オブ・ザ・イヤーに室伏スポーツナビ2011年12月16日
- ^ ZONE(TBS) 2001年12月30日放送
- ^ 1996年12月14日 信濃毎日新聞掲載・共同
- ^ 『MILO』 2008年6月号 アイアンマインド社
- ^ 同上
- ^ 2012年8月12日 朝日新聞デジタル
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- Koji Murofushi Official Web
- 室伏広治 (KojiMurofushi) - Twitter
- ミズノトラッククラブ(MTC)室伏広治
- 室伏広治 - 国際陸上競技連盟のプロフィール(英語)
- 室伏広治 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑
- 室伏広治 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)
- TBS「世界陸上大阪」世界の鉄人 室伏広治
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