第18回NHK紅白歌合戦

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第18回NHK紅白歌合戦
会場の東京宝塚劇場(写真は太平洋戦争以前)
ジャンル 大型音楽番組
製作
制作 NHK
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1967年12月31日
回数NHK紅白歌合戦第18
NHK紅白歌合戦公式サイト
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第18回NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1967年12月31日
放送時間 1967年12月31日
放送局 NHKラジオ第1
公式サイト 公式サイト
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第18回NHK紅白歌合戦』(だいじゅうはっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1967年昭和42年)12月31日東京宝塚劇場で行われた、通算18回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。

概要[編集]

放送時間は徐々に拡大していたが、今回以降第40回1989年)に2部制に移行するまでこの放送時間に固定されるようになる。

出演者[編集]

司会者[編集]

紅組司会については、前回担当者のペギー葉山は産休中となり、過去2回紅組司会を務めた江利チエミは、司会自体は乗り気であったものの、前回特例で認められた出場歌手との兼任が今回は認められなかったため辞退[注釈 1]。最終的に、ペギー降板後に『ファミリーショー』のホステス役を引き継いでいた九重佑三子が司会に選ばれた。選考の過程ではほかに、越路吹雪岸洋子中尾ミエ金井克子石井好子水の江瀧子南田洋子森光子松村満美子(NHKアナウンサー)、真帆志ぶき那智わたる宝塚歌劇団)らが候補に挙がっていたという[1]

出場歌手[編集]

      初出場      返り咲き

紅組 白組
曲順 歌手 曲順 歌手
1 水前寺清子 3 どうどうどっこの唄 2 舟木一夫 5 夕笛
3 園まり 5 愛は惜しみなく 4 水原弘 4 君こそわが命
5 山本リンダ こまっちゃうナ 6 山田太郎 3 あの娘が恋をつれてきた
7 日野てる子 3 南十字の星に泣く 8 布施明
9 三沢あけみ 4 お手を拝借 10 ハナ肇とクレージーキャッツ[注釈 2] 2 花は花でも何の花
11 梓みちよ 5 渚のセニョリーナ 12 三田明 4 夕子の涙
13 仲宗根美樹 5 恋しくて 14 美樹克彦 花はおそかった
15 越路吹雪 13 チャンスがほしいの 16 村田英雄 7 浪花の勝負師
17 金井克子 2 ラ・バンバ 18 ジャッキー吉川とブルーコメッツ 2 ブルー・シャトー
19 伊東ゆかり 5 小指の想い出 20 菅原洋一 知りたくないの
21 岸洋子 4 わかっているの 22 フランク永井 11 生命ある限り
23 島倉千代子 11 ほれているのに 24 橋幸夫 8 若者の子守唄
26 江利チエミ 15 ひとり泣く夜のワルツ 25 西郷輝彦 4 願い星叶い星
28 中尾ミエ 6 ただそれだけ 27 坂本九 7 エンピツが一本
30 西田佐知子 7 涙のかわくまで 29 ダークダックス 10 すばらしい明日
32 扇ひろ子 新宿ブルース 31 春日八郎 13 花かげの恋
34 弘田三枝子 5 渚のうわさ 33 バーブ佐竹 3 星が云ったよ
36 黛ジュン 霧のかなたに 35 荒木一郎 いとしのマックス
38 こまどり姉妹 7 三味線渡り鳥 37 和田弘とマヒナ・スターズ 9 男の夜曲
40 佐良直美 世界は二人のために 39 加山雄三 2 別れたあの人
42 都はるみ 3 初恋の川 41 北島三郎 5 博多の女
44 ザ・ピーナッツ 9 恋のフーガ 43 アイ・ジョージ 8 カチューシャ
46 美空ひばり 12 芸道一代 45 三波春夫 10 赤垣源蔵

選考を巡って[編集]

演奏[編集]

審査員[編集]

その他ゲスト[編集]

当日のステージ・エピソード[編集]

  • 今回の会場である東京宝塚劇場定員は2300人であったが、今回の入場券の申し込みは12万4765通であった。今回の前後しばらくは平均12万通だった。元旦の消印で年末入場券を申し込む視聴者もいたという。そのため当日は会場前にダフ屋が出る程だった。
  • 今回の先攻後攻は両組司会のジャンケンで決められ、結果紅組の先攻でスタートした。
  • 前回までバックコーラスは紅組は女性・白組は男性が受け持っていたが、この回から曲によって両方受け持つようになる。(梓みちよ「渚のセニョリーナ」はレコードでのバックコーラスが男性だったので、紅白でも男性のバックコーラスを採用)
  • ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」は演奏にティンパニを使っており、梓みちよ・中尾ミエ・園まり・伊東ゆかりがティンパニの生演奏で応援している。
  • 両組トリは通算4度目のトリの組み合わせとなる美空ひばり三波春夫。通算4度のトリでの組み合わせは第71回2020年) - 第74回2023年)のMISIA福山雅治に並び最多記録である。
  • 紅組が優勝(通算9勝9敗)。
  • 本放送はカラー放送であるが保存されていない。本放送は、放送用ビデオテープ(2インチVTR)に収録されたと言われているが、当時のビデオテープは非常に高価で大型であるため、放送終了後に消去されて他番組に使い回された。視聴者提供の白黒VTRが現存するが、映像が全体的にぶれて大変見にくく、後年の『思い出の紅白歌合戦』(BS2)での再放送時には弘田三枝子が出演する部分など一部がカットされて放映された。ただし、九重のオープニングの宣誓場面や舟木一夫が出演する部分は映像状態が良い。写真はカラー版が現存しており、全出場歌手が舞台に整列したオープニングシーン、エンディングの投票数を数えるシーン、ステージでは北島、ピーナッツ、ひばりらの歌唱シーンが存在する。
  • 今回使用したステージメインマイクホンは、司会者・歌手用共にSONY PC-2。

後日譚[編集]

  • 第13回1962年)から6年連続司会を務めてきた宮田だったが、翌年の第19回および第20回1969年)は白組司会を坂本九に譲り、自身は総合司会を担当することになったため[3]、白組司会担当は今回で一旦ストップ。宮田は第21回1970年) - 第24回1973年)に白組司会に復帰した。
  • 翌年も九重は紅組司会の候補に挙がるも、紅組司会は水前寺清子に交代となる(九重の紅組司会担当は今回1度限り)。また、前回のペギー・今回の九重は「たとえ歌手であっても司会に専念してもらう」という方針で出場歌手には非選出で司会に徹したものの、翌年の水前寺・坂本が歌手兼司会となったことでこれは解禁された。なお、九重も翌年は出場歌手として返り咲き出場を果たした。
  • 今回で開始以来続いた組司会にNHKアナウンサーが起用される体制は一旦終了となる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時は司会と歌手の兼任は原則認められていなかったが、第14回1963年)の江利は当初司会に内定していた森光子が舞台の都合で辞退したため、特例で兼任が認められていた。
  2. ^ メンバーの植木等はソロを含めて6度目。
  3. ^ 妊娠のため、活動休止中。
  4. ^ 歌手としては辞退し、司会に専念。

出典[編集]

  1. ^ 合田, p. 94.
  2. ^ 合田, pp. 94–95.
  3. ^ ここ6年間白組司会を務めた宮田と釣り合う紅組のタレント司会者の選考に苦労していたことから、宮田を総合司会とし、両組司会を「歌謡界に精通した人」「視聴者の支持を得られる人」という基準で選考を行った。その結果、水前寺清子・坂本がそれぞれ司会に選出された。

参考文献[編集]

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
  • 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年12月15日。ISBN 978-4-11-880178-0 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]