新井場徹

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新井場徹
名前
愛称 イバ
カタカナ アライバ トオル
ラテン文字 ARAIBA Toru
基本情報
国籍 日本
生年月日 1979年7月12日(30歳)
出身地 大阪府枚方市
身長 182cm
体重 74kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム 鹿島アントラーズ
ポジション DF
背番号 7
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1998-2003
2004-現 在
ガンバ大阪
鹿島アントラーズ
140 (13)
146 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

新井場徹(あらいば とおる、1979年7月12日 - )は、大阪府枚方市出身で鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。ポジションはDF

主なポジションは左サイドバック(右サイドバック)。ガンバ大阪ユース時代の同期生に稲本潤一橋本英郎がいる。出場機会を求め鹿島アントラーズへ完全移籍。元日本代表候補。

目次

[編集] プレースタイル

  • 効果的なオーバーラップから攻撃を組み立てる左サイドバック。左右両足とも同じ様に使え、高い技術を誇る。その為、チーム状況に応じて右サイドバックもこなす。
  • スピードに乗った縦への突破からサイドをえぐってのクロス、細かいステップワークからボールをコントロールしてインサイドに切れ込みシュート、右足に持ち替えてクロスボールを配給したりとプレーの幅が広いため相手チームのディフェンダーは対応のしづらい総合力の高い選手。
  • 走力、サイズ、フィジカルと恵まれた身体能力の高さはディフェンダーとしての守備にも生かされている。
  • ディフェンス陣の状況によってボランチの役割をしたこともある。
  • 得点能力、意識も高く両足のミドルレンジのシュートはもちろん、セットプレー時に長身を活かしてヘディングでのゴールも決める。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

  • 1992年 - 1994年 交野FC
  • 1995年 - 1997年 ガンバ大阪ユース

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1997 G大阪 31 J 2 0 0 0 0 0 2 0
1998 G大阪 17 J 30 0 3 0 0 0 33 0
1999 G大阪 17 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 G大阪 17 J1 24 7 4 1 1 0 29 8
2001 G大阪 17 J1 29 3 4 0 3 1 36 4
2002 G大阪 17 J1 30 1 8 1 2 0 40 2
2003 G大阪 17 J1 25 2 4 1 2 1 31 4
2004 鹿島 7 J1 28 1 7 0 3 0 38 1
2005 鹿島 7 J1 28 1 4 0 2 0 34 1
2006 鹿島 7 J1 30 2 11 0 4 0 45 2
2007 鹿島 7 J1 30 1 9 0 5 0 44 1
2008 鹿島 7 J1 30 2 2 0 2 0 34 2
2009 鹿島 7 J1
通算 日本 J1 286 20 56 3 24 2 366 25
総通算 286 20 56 3 24 2 366 25
  • 1997年はユース所属
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2008 鹿島 7 7 0
通算 AFC 7 0

[編集] 代表歴

[編集] エピソード

  • ガンバ大阪でサポーターから愛されていた選手。下部組織からの生え抜きで、低迷期を支えた。
  • 入団時の夢として「満員の万博を自分のプレーで沸かせたい」と語っていたが彼の入団後の初の満員の試合は1998年5月フランスワールドカップ直前のベルマーレ平塚戦だった。皮肉にも当日の観衆はガンバ大阪を応援するというよりも中田英寿見たさの客だったため彼のプレーに沸くことはなかった。しかもゴール裏はトラブルにより応援自粛中だった。さらに試合にも負けた。
  • 播戸竜二稲本潤一とガンバ時代の同期3名で、クラブチームFCティアモを運営(稲本、播戸は現在休止中)。
  • トルシエ日本代表監督時代の日本代表候補合宿(2001年9月24日〜25日)に招集されているが、正式な代表メンバーに選出されるには至らず、その時は候補止まりであった。しかし、それまではドリブルを中心にサイドから切れ込んでシュートで終わるというのが彼のプレースタイルだったがこの合宿以後、トルシエから指導されたサイドを持ちあがりクロスを入れるプレーを多く見せるようになった。
  • 移籍問題に揺れていた2003年12月20日の天皇杯(vsセレッソ大阪)でゴールを決め、ユニフォームのガンバエンブレムに惜別のキス。ガンバに別れを告げた。
  • ガンバ大阪時代には大事な試合になると気合が入りすぎ空回りということが多々見受けられた。また、ハーフタイム後、ピッチに登場するのは必ず一番最後であった。
  • ガンバ大阪の練習グラウンドは彼の移籍とともに完成したので移籍金で作った「新井場グラウンド」と一部サポーターの間で呼ばれていた。
  • 鹿島アントラーズに移籍後初の公式戦(2004年3月13日/J1 1st第1節)は、古巣ガンバ大阪との一戦。後半ロスタイムに同点ゴール(鹿島のリーグ戦50人目の得点者)を決め、鹿島のエンブレムにキス。ヒーローインタビュー後に、ガンバサポーターが陣取るゴール裏に向け、一礼をした。
  • チームに不可欠な主力である一方で、カシマスタジアム内のグッズショップでは既製のレプリカジャージ(7番)を買うことが出来ない選手の1人である。
  • 勝利に対する意欲が非常に強く、ゲームキャプテンを務めることもある。2008シーズンのJリーグにおいても本来のゲームキャプテンの小笠原満男が負傷離脱後にキャプテンマークを引き継ぎ、鹿島のJ1連覇に貢献した。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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