巻誠一郎

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名前
愛称 マキ、セイちゃん、ムァキ
カタカナ マキ セイイチロウ
ラテン文字 MAKI Seiichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1980年8月7日(31歳)
出身地 熊本県下益城郡小川町(現:宇城市
身長 184cm
体重 81kg
選手情報
在籍チーム 東京ヴェルディ
ポジション FW
背番号 18
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2003-2010
2010-2011
2011
2011-
日本の旗 ジェフ市原・千葉
ロシアの旗 アムカル・ペルミ
中華人民共和国の旗 深圳紅鑽足球倶楽部
日本の旗 東京ヴェルディ
220 (53)
9 (0)
4 (0)
14 (3)
代表歴 2
2005-2009 日本の旗 日本 38 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月12日現在。
2. 2009年2月4日現在。
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巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)出身のサッカー選手。J2東京ヴェルディ所属。ポジションフォワード

目次

[編集] 経歴

幼い頃は色々なスポーツに触れて育ち、小学1年生からアイスホッケー、小学5年生からサッカーを続け、高校2年生まで両スポーツを両立していた[1]。高校1年時には父親が監督を務めるアイスホッケー熊本県代表チームの選手として国体にも出場した[1]熊本県立大津高等学校では2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献。高校時代も本職はFWだったが、DFとしてプレーした際の評価のほうが高く、実際Jリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあった[2]

高校卒業後は駒澤大学へ進学し、1年目からスタメンとして出場するようになる[2]。4年次の2002年にはチームを関東大学リーグ初優勝に導き、2トップのコンビを組んだ深井正樹と同点で得点王にもなった[2]。また2001年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。

2003年、J1のジェフユナイテッド市原(後にジェフユナイテッド千葉)に入団。同年から監督に就任したイビチャ・オシムの下で指導を受ける。1年目は17試合に出場、2年目の2004年シーズンは途中出場が多かったもののリーグ戦全試合に出場した[2]。2005年シーズン以降は先発FWの主軸として定着した。2005年に自身初の二桁得点となる12ゴールを挙げ、翌年もまた12ゴールを記録した。千葉は2005年と2006年にナビスコカップを連覇した。

2005年にジーコによって日本代表に初選出され、2005年7月31日の東アジア選手権北朝鮮戦で初キャップを獲得した。2006年、ワールドカップ・ドイツ大会の日本代表に滑り込みで選出される[3]。グループリーグ最終節のブラジル戦では先発出場を果たした。イビチャ・オシムが代表監督に就任後もジーコ時代の代表メンバーが大幅に入れ替わる中で、引き続き代表選出を果たす[4]

2006年シーズン終了後、千葉から主力選手が大量に移籍する中、自身も大宮アルディージャからのオファーを受けたが、残留を選んだ[5]。2008年9月14日にJ1通算13000ゴールを挙げる。2009年5月9日(Jリーグ・第11節)、Jリーグでの通算50得点目となるゴールをヘディングで決めた。2009年はチームと自身共に不調で5得点に終わり、J2降格も経験する。また、この年を最後に岡田体制下では代表に呼ばれなくなる。

2010年は若返りを目指すクラブの方針もあり先発出場が大きく減り、また6月にはクラブの幹部から翌季の契約見送りの意志を伝えられていたという[5]ロシア・プレミアリーグアムカル・ペルミからのオファーを受け、2010年7月23日に完全移籍が発表された。退団会見では、「笑われるかもしれないが、このクラブ(ジェフユナイテッド)は僕にとってマンUバルセロナと同じ価値がある。また戻ってこられるように頑張りたい」と涙を浮かべながら述べた[6]

アムカル・ペルミ退団後、2011年3月、日本人選手獲得を公言していたフィリップ・トルシエ率いる中国スーパーリーグ深圳紅鑽球倶楽部と契約し、楽山孝志と共に入団したが[7]、右側足首痛症負傷。治療する環境が揃っていない事を理由に契約解除し退団した[8]

2011年8月17日、東京ヴェルディに加入[9]。1年ぶりにJリーグへ復帰した。

2011年12月15日、アイスホッケーチーム東北フリーブレイズのメンタルアドバイザーに就任[10]

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1998 大津高 - - - 1 0 1 0
2001 駒大 9 - - - 2 0 2 0
2002 - - 2 1 2 1
2003 市原/千葉 18 J1 17 2 4 0 3 1 24 3
2004 30 6 5 4 1 0 36 10
2005 33 12 10 4 2 1 45 17
2006 32 12 5 3 1 0 38 15
2007 34 5 6 0 1 0 41 5
2008 30 11 3 0 0 0 33 11
2009 31 5 5 1 3 1 39 7
2010 J2 13 0 - - 13 0
ロシア リーグ戦 ロシア杯 オープン杯 期間通算
2010 アムカル 9 プレミア 9 0 0 0 - 9 0
中国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2011 深圳紅鑽 18 超級 4 0 - - 4 0
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2011 東京V 41 J2 14 3 - 2 0 16 3
2012 東京V 18 J2 -
通算 日本 J1 207 53 38 12 11 3 256 68
日本 J2 27 3 - 2 0 29 3
日本 - - 5 1 5 1
ロシア プレミア 9 0 0 0 - 9 0
中国 超級 4 0 - - 4 0
総通算 247 56 38 12 18 4 303 69

その他の国際公式戦

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 38試合 8得点 (2005年-2009年)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2005 3 0
2006 14 3
2007 9 4
2008 9 1
2009 3 0
通算 38 8

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2006年2月10日 アメリカサンフランシスコ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ●2-3 親善試合
2. 2006年2月22日 日本横浜市 インドの旗 インド ○6-0 AFCアジアカップ2007 (予選)
3. 2006年5月9日 日本、大阪市 ブルガリアの旗 ブルガリア ●1-2 キリンカップサッカー2006
4. 2007年3月24日 日本、 横浜市 ペルーの旗 ペルー ○2-0 キリンチャレンジカップ2007
5. 2007年7月16日 ベトナムハノイ ベトナムの旗 ベトナム ○4-1 AFCアジアカップ2007 グループリーグ
6.
7. 2007年9月11日 オーストリアクラーゲンフルト スイスの旗 スイス ○4-3 親善試合
8. 2008年2月6日 日本、さいたま市 タイの旗 タイ ○4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選

[編集] 脚注

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  1. ^ a b WEBサッカーマガジン”. 本誌連動インタビュー「止める蹴るしゃべる」ノーカット版! 巻誠一郎(ジェフユナイテッド市原) (2004年5月26日). 2010年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d J's GOAL”. 【ワールドカップイヤー特別コラム:巻誠一郎(千葉)】ワールドカップの代表メンバー入りを実現させた『ONE FOR ALL』のプレー(06.05.31) (2006年5月31日). 2010年7月25日閲覧。
  3. ^ メンバー発表の記者会見においてジーコが23番目に「巻」と発表すると、記者からどよめきが起こった
  4. ^ オシム体制下では、常に先発出場しながら結果を残せないというその現実を憂い、川淵三郎キャプテンがメディアの前で名指しで「下手」と言われるなど各方面から批判を浴びた。
  5. ^ a b 「生涯千葉」に非情…移籍の巻クビだった”. nikkansports.com (2010年7月19日). 2010年7月25日閲覧。
  6. ^ 涙浮かべる巻「このクラブは僕にとってマンUと同じ価値がある」 スポニチ 2010年7月27日
  7. ^ 巻誠一郎がトルシエ率いる中国超級深セン入り発表
  8. ^ 巻、中国超級リーグ深セン退団していた スポーツ報知 2011年7月9日
  9. ^ 巻 誠一郎 選手 加入のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2011年8月17日
  10. ^ アジアリーグアイスホッケー”. 東北フリーブレイズ スタッフ追加登録のお知らせ (2011年12月15日). 2011年12月16日閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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