巻誠一郎
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| 巻 誠一郎 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | マキ、セイちゃん | |
| カタカナ | マキ セイイチロウ | |
| ラテン文字 | MAKI Seiichiro | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1980年8月7日(28歳) | |
| 出身地 | 熊本県下益城郡小川町(現:宇城市) | |
| 身長 | 184cm | |
| 体重 | 81kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ジェフユナイテッド市原・千葉 | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 18 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2003- | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 176 (48) |
| 代表歴2 | ||
| 2005- | 38 (8) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月20日現在。 2. 2009年2月4日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)出身のサッカー選手。ジェフユナイテッド市原・千葉所属。ポジションはフォワード(FW)。弟は名古屋グランパスエイト所属の巻佑樹、妹はハンドボール選手の巻加理奈。
目次 |
[編集] 来歴
地元の小・中学校を卒業後、熊本県立大津高等学校に入学[1]。2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献した。高校卒業後に、駒澤大学へ進学。レギュラーの座を掴むと2トップのコンビを組んだ深井正樹と共に数々の栄冠を手にした。また2001年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。
2003年、ジェフユナイテッド市原(当時)に入団。2004年シーズンまでは途中出場が多かったが、2005年シーズン以降は先発FWの主軸として定着。また、2005年に自身初の二桁得点を挙げて、2年連続12得点を記録した。
2006年、ドイツW杯本大会の日本代表に滑り込みで選出。グループリーグ最終節のブラジル戦では先発出場を果たした。イビチャ・オシムが代表監督に就任後もジーコ時代の代表メンバーが大幅に入れ替わる中で、引き続き代表選出を果たす[2]。
2007年、4月24日、元女優の北川智子と婚約した事を発表。6月25日、婚姻届を提出[3]。
2008年、1月21日、第1子(長男)が誕生。代表合宿中で出産には立ち会う事ができなかった。9月14日にJ1通算13000ゴールを挙げる。
2009年、5月9日(Jリーグ・第11節)、Jリーグでの通算50得点目となるゴールをヘディングで決めた。
[編集] プレースタイル
身長184cmの高さから繰り出すヘディングは、「利き足は頭」というほど大きな武器である。時折、腰から下の低い位置にきたボールにもヘディングで突っ込む。持ち前の「諦めない姿勢」を前面に押し出した「泥臭い」プレーが持ち味で、相手を恐れず身体を張る姿に、同僚の選手などからは「潰れ役にもなってくれる」と信頼を得ている。ただトラップなどの基本技術は得意ではないためポストプレーは不安定である。前線からの積極的な守備[4]にも目を見張るものがあり、FWの選手としては出色の運動量で攻守に活躍する。
[編集] 所属クラブ
- 2003年 - 現 在 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | 大津高 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
| 2001 | 駒大 | 9 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
| 2002 | 駒大 | 9 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||
| 2003 | 市原 | 18 | J1 | 17 | 2 | 4 | 0 | 3 | 1 | 24 | 3 |
| 2004 | 市原 | 18 | J1 | 30 | 6 | 5 | 4 | 1 | 0 | 36 | 10 |
| 2005 | 千葉 | 18 | J1 | 33 | 12 | 10 | 4 | 2 | 1 | 45 | 17 |
| 2006 | 千葉 | 18 | J1 | 32 | 12 | 5 | 3 | 1 | 0 | 38 | 15 |
| 2007 | 千葉 | 18 | J1 | 34 | 5 | 6 | 0 | 1 | 0 | 41 | 5 |
| 2008 | 千葉 | 18 | J1 | 30 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 33 | 11 |
| 2009 | 千葉 | 18 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 176 | 48 | 33 | 11 | 8 | 2 | 222 | 61 | |
| 日本 | 他 | - | - | 5 | 1 | 5 | 1 | ||||
| 総通算 | 176 | 48 | 33 | 11 | 13 | 3 | 222 | 62 | |||
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 2003年3月22日 J1 1st第1節 vs東京ヴェルディ1969戦 (市原臨海競技場)
- Jリーグ初得点 2003年8月2日 J1 1st第15節 vs浦和レッドダイヤモンズ戦 (国立霞ヶ丘競技場)
- A代表初出場 - 2005年7月31日 東アジアサッカー選手権2005 vs北朝鮮戦 (大田ワールドカップ・スタジアム)
- A代表初得点 - 2006年2月10日 国際親善試合 vsアメリカ戦 (サンフランシスコ)
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 2001年 - 2001年夏季ユニバーシアード
- 2005年 - 東アジアサッカー選手権2005
- 2006年 - ドイツW杯
- 2007年 - アジアカップ2007
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 38試合 8得点(2005年-)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2005 | 3 | 0 |
| 2006 | 14 | 3 |
| 2007 | 9 | 4 |
| 2008 | 9 | 1 |
| 2009 | 3 | 0 |
| 通算 | 38 | 8 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2006年2月10日 | アメリカ合衆国、サンフランシスコ | ●2-3 | 親善試合 | |
| 2. | 2006年2月22日 | 日本、横浜市 | ○6-0 | AFCアジアカップ2007 (予選) | |
| 3. | 2006年5月9日 | 日本、大阪市 | ●1-2 | キリンカップ 2006 | |
| 4. | 2007年3月24日 | 日本、 横浜市 | ○2-0 | 親善試合 | |
| 5. | 2007年7月16日 | ベトナム、ハノイ | ○4-1 | AFCアジアカップ2007 グループリーグ | |
| 6. | 2007年7月16日 | ベトナム、ハノイ | ○4-1 | AFCアジアカップ2007 グループリーグ | |
| 7. | 2007年9月11日 | オーストリア、クラーゲンフルト | ○4-3 | 親善試合 | |
| 8. | 2008年2月6日 | 日本、さいたま市 | ○4-1 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 |
[編集] 脚注
- ^ 高校からサッカーをはじめ高校2年生までアイスホッケーとサッカーを両立していた。
- ^ オシム体制下では、常に先発出場しながら結果を残せないというその現実を憂い、川淵三郎キャプテンがメディアの前で名指しで「下手」と言われるなど各方面から批判を浴びた。2007年3月24日のキリンチャレンジカップ、ペルー戦にてオシム体制7試合目にして初得点を挙げる。
- ^ この日はサッカー日本代表の合宿中であったが、イビチャ・オシム監督の許可を得て合宿を抜け出し、婚姻届を提出。
- ^ 高校時代も本職はFWだったが、DFとしての評価のほうが高く、実際Jリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあったほどの実力。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| J1記念ゴール | ||
| 前回 12500ゴール マルキーニョス |
13000ゴール 巻誠一郎 2008.9.14 |
次回 13500ゴール 鄭大世 |
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