前田雅文
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| 前田雅文 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | 前ちゃん | |
| カタカナ | マエダ マサフミ | |
| ラテン文字 | MAEDA Masafumi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1983年1月25日(26歳) | |
| 出身地 | 滋賀県野洲市 | |
| 身長 | 173cm | |
| 体重 | 66kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ヴァンフォーレ甲府 | |
| ポジション | MF、FW | |
| 背番号 | 13 | |
| 利き足 | 右足 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
前田雅文(まえだ まさふみ、1983年1月25日 - )は、滋賀県野洲市出身のサッカー選手。ヴァンフォーレ甲府に所属。ポジションはMFであるが、シャドーストライカーとしての役割もこなす。
目次 |
[編集] 経歴
全国高校サッカー選手権に出場し“セクシーフットボール”で一躍脚光を浴びた野洲高校の出身。 関西大学在籍時の2003年には、特別指定選手として名古屋グランパスエイトへ選手登録され、公式戦出場はなかったがサテライトリーグに出場した。
2005年にガンバ大阪に入団。5月8日のJリーグ第10節でJリーグ初ゴールを決めた。これがJ1リーグ通算10000ゴール目のメモリアルゴールであり、一躍注目された。しかし、6月8日の練習中に右膝前十字靭帯を断裂してしまい、長期戦線離脱。復帰を果たした2006年は対F・マリノス戦で決勝点を奪うなど順調に回復、それ以後は選手層の厚さから主にスーパーサブとして活躍していたが、2008年からは、ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍。
[編集] プレースタイル
ワンツーパスなどでボールを簡単に捌き、神出鬼没な飛び出しからの得点も多い。運動量が多く、直線的なスピードも速い。2006年はサイドでの起用が多かったが、このときは高評価を得るには至らず。基本的なポジションは攻撃的なMFだが、左右両サイド・センターどちらでもプレーでき、またFWとして起用されることもある。ガンバ大阪所属時は、レギュラーの加地亮不在時に右サイドバック、家長昭博不在時に左アウトサイドでも起用されるなど、ユーティリティ性も高く西野朗監督からの信頼も得ていた。また、強烈なミドルシュートを持っている。
[編集] 所属クラブ
- 野洲中学校
- セゾンFC
- 1998年 - 2000年 滋賀県立野洲高等学校
- 2001年 - 2004年 関西大学
- 2005年 - 2007年 ガンバ大阪
- 2008年 - ヴァンフォーレ甲府(期限付き移籍)
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003 | 名古屋 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 2005 | G大阪 | 28 | J1 | 6 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 10 | 2 |
| 2006 | G大阪 | 16 | J1 | 27 | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 32 | 3 |
| 2007 | G大阪 | 16 | J1 | 5 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 11 | 1 |
| 2008 | 甲府 | 13 | J2 | 16 | 1 | - | 0 | 0 | 16 | 1 | |
| 2009 | 甲府 | 13 | J2 | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 38 | 4 | 11 | 1 | 4 | 1 | 53 | 6 | |
| 日本 | J2 | 16 | 1 | - | 0 | 0 | 16 | 1 | |||
| 総通算 | 54 | 5 | 11 | 1 | 4 | 1 | 69 | 7 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2006年 | G大阪 | 16 | 5 | 2 |
| 通算 | AFC | 5 | 2 | |
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 2005年4月23日 J1リーグ第7節 vsFC東京 (万博)
- Jリーグ初得点 - 2005年5月8日 J1リーグ第11節 vs名古屋グランパスエイト (万博)J1通算10,000ゴール目)
[編集] 代表歴
[編集] エピソード
- 野洲中学校2年の時に県選抜の選考に落ち、「このままじゃアカン」とさらに高いレベルを求めクラブチームのセゾンFCへ。
- 高校2年の時、野洲高校・山本佳司監督の配慮で、2週間程ブラジルのグレミオへサッカー留学。当時のグレミオには若き日のロナウジーニョが所属しており、そのプレーを見て凄いと思ったという。
- 山本監督は「前田とか田中大輔(MIOびわこ草津)がいなかったら、野洲の歴史はない」と語る。
- 家庭の経済的な負担を軽減するため、山本監督が先頭に立って「商店街とかで募金活動した」という。また、これも経済的な負担を考え、大学へは2時間近くかけて実家から通学しつづけた。
- 関西大学卒業の際、入団したガンバ大阪以外に、特別指定されていた名古屋グランパス、ジェフ市原からもオファーを受けていた。その中からガンバを選択した理由は「関西から出たことがないから」。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| J1記念ゴール | ||
| 前回: 9500ゴール 安貞桓 |
10000ゴール 前田雅文 2005.5.8 |
次回: 10500ゴール 今野泰幸 |
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