山岸智
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| 山岸 智 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヤマ | |
| カタカナ | ヤマギシ サトル | |
| ラテン文字 | YAMAGISHI Satoru | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1983年5月3日(26歳) | |
| 出身地 | 千葉県 | |
| 身長 | 181cm | |
| 体重 | 77kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 川崎フロンターレ | |
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 8 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2002-2007 2008-現 在 |
ジェフ市原 / ジェフ千葉 川崎フロンターレ |
130 (20) 29 (0) |
| 代表歴 | ||
| 2006-2008 | 11 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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山岸 智(やまぎし さとる、1983年5月3日 - )は、日本のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、主に両サイドウイングを受け持つ。2008年シーズンよりJリーグディビジョン1 (J1) 、川崎フロンターレ所属。千葉県千葉市稲毛区出身。東京学館浦安高等学校卒業。
目次 |
[編集] 来歴
ジェフユナイテッド市原(現 市原・千葉)のジュニアユース、ユースを経てトップチームに昇格した生え抜き選手。市原ユース時代はフォワードを務め、ユースでの最後の大会となる2001年のJユースカップで大会得点王になった。2002年にトップチームに昇格してからは、クラブの育成方針でボランチやウイングといった複数のポジションを経験した。
2003年シーズンのJ1開幕戦・対東京ヴェルディ1969戦で、右ウイングの位置でプロ初先発出場の機会を得た。最初は相手左サイドに突破を許し、先制点を献上する要因となるも、後半立ち上がりに絶妙なポジショニングで崔龍洙からのクロスを受け取ると、そのまま相手ゴールに突き刺し、この試合の逆転劇を演出した。
このシーズンはシーズン終盤まで、坂本將貴と右サイドのスタメンを争う存在となり、イビチャ・オシム監督(当時)による若手起用のモデルケースとなったが、2004年シーズンから2005年シーズンの中盤にかけて出番を失っていった。特に2004年8月に行われたレアル・マドリードとのフレンドリーマッチでは、試合開始早々に足を攣ってしまい、オシムサッカーのスローガンとも言うべき「考えて走るサッカー」への適性に不安を覗かせた(このときレアル・マドリードのグティに足を伸ばしてもらったことがファンの間で語り草となっている)。
2005年シーズンは昨シーズンまで左サイドを務めていた村井慎二がチームを抜けたことから、その後釜として次第に出番を増やしていった。このシーズンの終盤では中盤の人員を厚くして攻める戦術が採られ、水野晃樹と共に右サイドを受け持った。
2006年シーズンは完全に先発メンバーに定着し、リーグ戦は全試合に出場。自己最多の6ゴールをあげ、ヤマザキナビスコカップにおいても5試合出場で4ゴールとゴールを量産、カップ戦連覇に大きく貢献した。ニューヒーロー賞の受賞こそ逃したものの、リーグ戦においてイエローカードを1枚ももらわなかったことから、フェアプレー個人賞を受賞した。さらに同年は日本代表監督に就任したオシムによってA代表に初めて選出され、2006年10月4日のガーナ戦で代表初キャップを飾った。
2008年にJ1の川崎フロンターレへ移籍した。
[編集] プレースタイル
左右両サイドを遜色なくこなし、またサイドバック・ウイングバックからフォワードまで幅広いポジションを経験しているユーティリティープレイヤー。特別身長が高いわけではないが、空中戦にも強さを見せ競り合いを恐れない。相手ディフェンスラインの裏へ飛び出すタイミングや、好機時のゴール前でのポジショニングなど、オフ・ザ・ボールの動きに優れる。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | 市原 | 26 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2003 | 市原 | 26 | J1 | 20 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 23 | 2 |
| 2004 | 市原 | 16 | J1 | 12 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 15 | 4 |
| 2005 | 千葉 | 16 | J1 | 30 | 2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 38 | 2 |
| 2006 | 千葉 | 16 | J1 | 34 | 6 | 10 | 5 | 1 | 0 | 45 | 11 |
| 2007 | 千葉 | 16 | J1 | 34 | 6 | 5 | 1 | 1 | 0 | 40 | 7 |
| 2008 | 川崎 | 8 | J1 | 29 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 32 | 0 |
| 2009 | 川崎 | 8 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 159 | 20 | 31 | 6 | 3 | 0 | 193 | 26 | |
| 総通算 | 159 | 20 | 31 | 6 | 3 | 0 | 193 | 26 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2009 | 川崎 | 8 | ||
| 通算 | AFC | |||
- デビュー戦: 2003年3月22日 J1 1stステージ第1節 vs東京ヴェルディ1969(市原臨海)
- 初ゴール: 同上
[編集] 個人タイトル
- 2001年: Jユースカップ得点王
- 2006年: Jリーグ フェアプレイ個人賞
[編集] 代表歴
- 2001 - 2003: 日本ユース代表 (U-20)
- 2006年 - : 日本A代表
- アジアカップ2007
- 国際Aマッチ: 11試合 0得点(2006 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 3 | 0 |
| 2007 | 5 | 0 |
| 2008 | 3 | 0 |
| 通算 | 11 | 0 |
[編集] 外部リンク
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