高原直泰

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高原 直泰
名前
愛称 タカ、ターク、タークハル
カタカナ タカハラ ナオヒロ
ラテン文字 TAKAHARA Naohiro
基本情報
国籍 日本
生年月日 1979年6月4日(30歳)
出身地 静岡県三島市
身長 180cm
体重 75kg
血液型 B型
選手情報
在籍チーム 浦和レッドダイヤモンズ
ポジション FW
背番号 19
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1998-2002
2001
2002-2006
2006-2008
2008-
日本の旗ジュビロ磐田
アルゼンチンの旗ボカJrs (loan)
ドイツの旗ハンブルガーSV
ドイツの旗フランクフルト
日本の旗浦和レッズ
105(58)
6(01)
97(13)
38(12)
27(06)
代表歴2
2000-2008 日本 57 (23)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月7日現在。
2. 2008年5月27日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は、静岡県三島市出身で元日本代表プロサッカー選手。ポジションはフォワード浦和レッドダイヤモンズ所属。

目次

[編集] プレースタイル

フィジカルとテクニックに優れ、ポストプレーもこなし、ヘディングも秀でていて、豊富な得点パターンを持つ日本には数少ないオールラウンダー。日本人らしい反転力と敏捷性を活かした、創造性溢れるプレーを得意とし、左右角度関係なく、どの位置からでもゴールを狙うことの出来るキック精度も持ち合わせる。

[編集] 来歴

各年代で日本代表に選出され、1994年にはU-16代表としてアジア選手権に出場。

1998年ジュビロ磐田入団し3月21日の開幕戦の京都パープルサンガ戦で途中出場し、初出場・初得点を挙げる。

1999年にはワールドユースで3得点を挙げ準優勝、シドニーオリンピックでは3得点を挙げGL突破、A代表では2000年アジアカップに出場し優勝、またベストイレブンに選ばれる。

2001年8月アルゼンチンの名門・ボカ・ジュニアーズのオファーを受けて移籍し6試合で1得点を挙げた。12月にトヨタカップでの凱旋帰国が期待されたが、直前でメンバー落ちしてしまい出場が叶わずなど、必ずしもチーム首脳から確固たる信頼を得ていたとは言えなかった。2002年初頭、アルゼンチンの経済情勢が悪化し通貨価値が1週間で半分以下になるなど情勢が混乱した事を理由にボカから契約解除となった。帰国後、磐田に復帰し2002年のJリーグ開幕を迎える。

2002年、日韓W杯直前にエコノミークラス症候群[1]を発症し落選。しかしその後復帰し、JリーグアウォーズでMVP、得点王(26得点、史上最年少)の二冠を獲得。

ドイツ・ブンデスリーガハンブルガーSVのオファーを受けて完全移籍。一年目で連続無失点記録を継続中だったオリバー・カーン擁するバイエルン・ミュンヘン相手にゴールを決めるなどしたが、レギュラーはとれなかった。しかし、トーマス・ドルが監督に就任すると、FW中最多の7得点を挙げる。翌2005-06年シーズンはリーグ戦で21試合(先発は6試合)で1得点で終えた。

2004-05年、2006年ドイツW杯アジア1次予選にFW中最多出場でシンガポール戦の1得点。最終予選はイラン戦に出場後、負傷理由により欠場し無得点に終わる。

2006年5月、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ3年契約で移籍。6月に2006年ドイツW杯のメンバーに選出される。開幕前に行われた強化試合で地元ドイツ相手に2ゴールを挙げる大活躍を見せたが、グループリーグ3試合で無得点に終わった。12月3日アレマニア・アーヘン戦で3得点を挙げブンデスリーガにおける日本人初のハットトリックを達成するなど、1ヶ月で6得点を挙げる。

2007年5月5日のホームのアーヘン戦で得点を決め自己記録更新中の同リーグシーズン通算得点を11とした。この活躍もあってフランクフルトは1部に残留を決める。この年のフランクフルトサポーターが選ぶMVPにも選出されている。3月24日キリンチャレンジカップペルー戦で代表に復帰し、オシムジャパン体制で初得点を挙げる(試合は2-0で勝利)。アジアカップ2007では合計4得点を挙げ、アジアカップにおいて日本人初の得点王に輝くが、2007-08シーズンは膝の怪我でスタートが出遅れ、またフリードヘルム・フンケル監督との起用法における対立もあり、出場機会が激減した。

代理人と話し合いをした上で、浦和レッズとコンタクトがとれるかを確認。浦和側がFWの補強を望んでいたこともあり、2008年1月11日に約6年ぶりのJリーグ復帰となる移籍が決定した。しかし、フランクフルトで試合出場機会が減ったことによるコンディション不良、また、長谷部、小野の移籍、ポンテも怪我で出遅れるなどのパサー不足という状況もあり、 2008年は合計8得点(リーグ6点、ACL1点、ナビスコ1点)に終わり、期待以上の働きをすることは出来なかった。そのことからか、2008年シーズン限りで現役を引退した内舘秀樹に志願して、2009年度から、レギュラーナンバーの背番号7から馴染みの深い背番号19に変更した[2]

[編集] 人物

  • 新人時代、ジュビロ磐田で共にプレーしていたドゥンガに言われた「調子に乗るなよ」という言葉を大切にしている。[3]
  • 人見知りするタイプではあるが、一度仲良くなるとうっとうしいくらい人懐っこい性格とのこと。[4]
  • 2005年12月に、日本人女性と結婚した。
  • 愛車は三菱トライトン
  • 2009年2月28日、さいたま市内で乗用車を運転中、信号のない交差点で自転車の男性と出合い頭に接触し、男性に全治約6週間の重傷を負わす人身事故を起こした。なお高原に怪我はなかった[5]

[編集] 経歴

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1998 磐田 19 J 20 5 6 4 2 0 28 9
1999 磐田 19 J1 21 9 1 0 3 1 25 10
2000 磐田 19 J1 24 10 2 0 0 0 26 10
2001 磐田 19 J1 13 8 2 2 - 15 10
アルゼンチン リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2001-02 ボカ 30 プリメーラ 6 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2002 磐田 32 J1 27 26 0 0 3 0 30 26
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2002-03 ハンブルガー 32 ブンデス1部 16 3
2003-04 ハンブルガー 32 ブンデス1部 29 2 1 1 4
2004-05 ハンブルガー 32 ブンデス1部 31 7 0 0 7
2005-06 ハンブルガー 32 ブンデス1部 21 1 0 0 2 1 23 2
2006-07 フランクフルト 19 ブンデス1部 30 11 0 0 4 4 34 15
2007-08 フランクフルト 19 ブンデス1部 8 1 2 0 10 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2008 浦和 7 J1 27 6 3 1 1 0 31 7
2009 浦和 19 J1
通算 日本 J1 132 64 14 9 9 1 155 72
アルゼンチン プリメーラ 6 1
ドイツ ブンデス1部 135 25
総通算 273 90
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA杯
2005-06 ハンブルガー 32 7 0
2006-07 フランクフルト 19 5 2
通算 UEFA 12 2
AFC ACL
2008 浦和 7 4 1
通算 AFC 4 1

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2000 11 8
2001 4 0
2002 4 1
2003 8 2
2004 5 1
2005 7 2
2006 5 3
2007 9 6
2008 4 0
通算 57 23

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2000年2月16日 中国 ブルネイ ○9-0 AFCアジアカップ2000・予選
2. 2000年2月16日 中国 ブルネイ ○9-0 AFCアジアカップ2000・予選
3. 2000年2月20日 中国 マカオ ○3-0 AFCアジアカップ2000・予選
4. 2000年10月14日 レバノン サウジアラビア ○4-1 AFCアジアカップ2000
5. 2000年10月17日 レバノン ウズベキスタン ○8-1 AFCアジアカップ2000
6. 2000年10月17日 レバノン ウズベキスタン ○8-1 AFCアジアカップ2000
7. 2000年10月17日 レバノン ウズベキスタン ○8-1 AFCアジアカップ2000
8. 2000年10月24日 レバノン イラク ○4-1 AFCアジアカップ2000
9. 2002年3月27日 ポーランド ポーランド ○2-0 親善試合
10. 2003年8月20日 日本 ナイジェリア ○3-0 親善試合
11. 2003年8月20日 日本 ナイジェリア ○3-0 親善試合
12. 2004年3月31日 シンガポール シンガポール ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
13. 2005年9月7日 日本 ホンジュラス ○5-4 親善試合
14. 2005年10月8日 ラトビア ラトビア △2-2 親善試合
15. 2006年2月28日 ドイツ ボスニア・ヘルツェゴビナ △2-2 親善試合
16. 2006年5月30日 ドイツ ドイツ △2-2 親善試合
17. 2006年5月30日 ドイツ ドイツ △2-2 親善試合
18. 2007年3月24日 日本 ペルー ○2-0 親善試合
19. 2007年6月1日 日本 モンテネグロ ○2-0 親善試合
20. 2007年7月9日 ベトナム カタール △1-1 AFCアジアカップ2007
21. 2007年7月13日 ベトナム アラブ首長国連邦 ○3-1 AFCアジアカップ2007
22. 2007年7月13日 ベトナム アラブ首長国連邦 ○3-1 AFCアジアカップ2007
23. 2007年7月21日 ベトナム オーストラリア △1-1 AFCアジアカップ2007

[編集] 個人タイトル

[編集] 出版

[編集] 執筆書籍

[編集] 関連書籍

[編集] 出演

[編集] CM

[編集] 脚注

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  1. ^ 後のアテネ五輪オーバーエイジ枠で出場予定だったが、再び同じ症状が発症したため辞退する。
  2. ^ 実際は験を担ぐ事が目的だが、本人曰く、「自分には一桁の番号は、似合わない」と自覚していた。
  3. ^ これは、マスコミ・ファンなどは調子が良ければ絶賛し、悪ければ批判するものなので、それに一喜一憂したりして惑わされてはいけない、という意味である。同時期に、試合中に高原のプレーが自己満足じゃないのかと指摘した際には、ドゥンガは「1人でサッカーはするものじゃない。1人でやりたいならコーナーキックも蹴ってくればいい」とコーナーキックを蹴らせたこともある。
  4. ^ 稲本潤一・談
  5. ^ 浦和レッドダイヤモンズ公式サイト (2009-03-01). "交通事故の発生について". 2009-03-02 閲覧。

[編集] 外部リンク


先代:
藤田俊哉
Jリーグ年間最優秀選手
2002
次代:
エメルソン
先代:
ウィル
Jリーグ得点王
2002
次代:
ウェズレイ