青木孝太

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青木 孝太
名前
愛称 コータ、ポンタ、カモリュウ
カタカナ アオキ コウタ
ラテン文字 AOKI Kota
基本情報
国籍 日本
生年月日 1987年4月27日(22歳)
出身地 滋賀県近江八幡市
身長 176cm
体重 67kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム ファジアーノ岡山FC
ポジション FW
背番号 48
利き足 左足
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

青木 孝太(あおき こうた、1987年4月27日 - )は、滋賀県近江八幡市出身で、J2ファジアーノ岡山FC所属のサッカー選手

ポジションは、FW

目次

[編集] プレースタイル・エピソード

テクニックに優れ、ドリブル技術も高く、決定力のあるFWである。プロサッカー選手としてジェフユナイテッド市原・千葉に入団後、既に姉崎公園サッカー場での練習中において先輩チームメイトに対しノールックパスで翻弄するなど、新加入選手の中でも一味違う輝きを見せてはいるが、チームメイトが青木のプレイスタイルをまだ理解できていないため肝心な連携ができていない。

U-20日本代表では左MFとして起用されることもあった。2006年アジアユースでは、その決定力を遺憾なく発揮し、大事な局面(後述)でゴールを決めるスーパーサブで活躍。決勝の北朝鮮戦では先発出場を果たしている。

初ゴールは2006年のアウェーのヴァンフォーレ甲府戦。この試合はリードされるも途中から出場した青木が流れを変え、まずは羽生直剛の同点ゴールをアシスト。そして、自身は終了間際に利き足とは逆の右足でゴールを決めた。なお、2007年の同カードでも終了間際に佐藤勇人(現・京都サンガF.C.)からのクロスを胸で押し込むゴールを決め、勝利に貢献。チームは残留へ大きく動いた。

迎えた2007年。U-20ワールドカップでスーパーサブとして出番を掴むも、自らのファールをきっかけにして、惜しくもチームはベスト16で敗退してしまった。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 経歴

2003年に滋賀県立野洲高校に入学。従来の高校サッカースタイルの常識を覆す南米的で個人技を重視したパスサッカーで第84回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。野洲高校を日本一に導く原動力となった。 2006年にジェフユナイテッド千葉に入団。 同年のU-19アジア選手権のメンバーに選出され、準々決勝のU-19サウジアラビア戦でU-20ワールドカップ出場権を決める決勝点を決めたり、準決勝の韓国戦の起死回生の同点ゴールをあげるなどして活躍。

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 野洲高 - - - 1 0 1 0
2006 千葉 29 J1 3 1 0 0 0 0 3 1
2007 千葉 29 J1 19 3 3 0 1 0 23 3
2008 千葉 9 J1 13 0 2 0 0 0 15 0
2009 千葉 29 J1 0 0 0 0 - 0 0
岡山 48 J2 -
通算 日本 J1 35 4 5 0 1 0 41 4
日本 J2 -
日本 - - 1 0 1 0
総通算 35 4 5 0 2 0 42 4

[編集] 個人タイトル

[編集] 出場大会

[編集] 代表歴

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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