ジョシュア・ケネディ
|
|||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 本名 | Joshua Blake Kennedy | ||||||
| 愛称 | ジーザス、キリスト | ||||||
| ラテン文字 | Kennedy | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1982年8月20日(29歳) | ||||||
| 出身地 | |||||||
| 身長 | 194cm | ||||||
| 体重 | 84kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 背番号 | 16 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
|
|||||||
| 代表歴 2 | |||||||
|
|||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2010年7月31日現在。 2. 2011年10月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
|||||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | |||||||
ジョシュア・ケネディ(Joshua Kennedy、1982年8月20日 - )は、オーストラリアの同国代表サッカー選手。オーストラリア、ビクトリア州ウォドンガ出身。Jリーグ ディビジョン1(J1)・名古屋グランパスエイト所属。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 来歴
1999年に母国オーストラリアのカールストンSCへ加入。2000年にドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクとプロ契約を結ぶ[1]。出場機会は2年間で8試合に留まり、2002年にレギオナルリーガ(ブンデスリーガの4部に相当)のシュトゥットガルター・キッカーズへ移籍。翌2003年にブンデスリーガの1.FCケルンに移籍するも、アマチュアチームでレギオナルリーガの試合に出場に留まった。
2005年になると、ツヴァイテリーガへの昇格を決めたディナモ・ドレスデンから注目を受け、移籍することとなった。チームは短期間で3部に降格となったが、ケネディは2004-05シーズンに9得点、2005-06年に7得点とクラブ得点王の活躍を見せた。ドイツでの活躍からオーストラリア代表監督のフース・ヒディンクによって、ドイツワールドカップのオーストラリア代表に抜擢される[2]。かつてU-17、U-20の各世代で代表経験はあったもののそれまでA代表経験はなく、またドイツの2部を渡り歩いていたことから世界的には無名に近かった[2]が、ベスト16進出に貢献し、以降も度々代表に招集されることとなる。
ドレスデンが3部に降格となったため、ワールドカップ終了後はトップチームでの出場を求めてブンデスリーガの1.FCニュルンベルクへ移籍。2008年1月にはブンデスリーガ残留争いの真っ只中にあったカールスルーエSCへ移籍し残留に貢献したものの、翌2008-09シーズンは不振によりツヴァイテリーガへの降格が決定した。ケネディはドイツ国内に限らずトップチームでのプレーを希望し、6月21日 Jリーグの名古屋グランパスエイトへの移籍が発表された[3]。なお、ケネディにはこの年からJリーグで採用された「AFC枠」が適用された。
グランパス合流後は数試合若手主体の練習試合に出場した後、7月18日の京都サンガF.C.戦に初出場[4]し、試合は引き分けに終わったが、ヘディングで初得点を記録[4]。15試合の出場で6得点を挙げた。
2010 FIFAワールドカップにはガーナ戦(途中出場)とセルビア戦(スタメン)の2試合に出場し無得点。名古屋では17得点を挙げてJリーグ得点王[5]に輝き、名古屋の初優勝に大きく貢献した。
[編集] 評価・プレースタイル
194cmの長身とヘディングの強さから空中戦では圧倒的な強さを誇り、ヘディングに加えて足元の技術も巧みであり高いキープ力を併せ持ち前線で攻撃をコントロールできるチャンスメーカー[6]。それらのスタイルからグラハム・アーノルド(オーストラリア代表監督、コーチを歴任。現役時代はサンフレッチェ広島でもプレー)はケネディをピーター・クラウチとイメージを重ねていたという[7]。周囲を活かすため無得点の試合でも高い評価を得ることがあり、辛口で知られるキッカー誌の平均評価も3.10の高評価であった(数字は少ないほど高評価)。
名古屋グランパスに移籍してからは単なるクロスボールのターゲット(背の高いハイボールの処理係)ではなく、ポストプレーや時にはサイドに移る動きをみせオーストラリア代表に置いても監督のホルガー・オジェックからも同じくJリーグに在籍するアレックス・ブロスケと共に「Jリーグに行ってからスキル(技術)が上がった」と唸らせた。元々、オジェックは浦和レッドダイヤモンズでも監督を経験をしており、Jリーグではテクニカルなサッカーが主体なのを知っており、Jリーグから招集する選手も多い[8]。
[編集] 人物
- ドイツワールドカップ直前の2006年5月26日、バスケットボール女子オーストラリア代表のジャシンタ・ハミルトンと結婚した[7]。夫妻の間には1男2女の3子がある[9]。
- 南アフリカワールドカップ後、愛称の由来になっていた長髪(5~6年間伸ばしていたという)を短く切って日本に戻り、周囲を驚かせた。またジョーク好きでも知られており、髪を切った際も「女房が新しい男が欲しいと言うのでガラリと変えたのさ」などと語っている[10]。その他にも2010年Jリーグ得点王の表彰の際にゴールデンブーツを貰った時も「Jリーグの関係者の皆さんに謝らなければいけません。というのは、やはり2足欲しいですから」とのコメントを残している[11]。 翌年のJリーグでは、20得点を挙げ2年連続得点王となり、Jリーグアウォーズにおいて「両足分揃ったので、来年はこれで試合に出ます」と(自身はケガで欠席したため、楢崎正剛が代読の形で)コメントした[12]。自身が持病の腰痛で不参加だった2011年アジア杯の決勝戦の予想に対しても「豪州が優勝すると思うが、日本を脅かす選手が足りない」と答え、誰の事か?と尋ねれば「俺だよ」とも語っていた[13]。
- 好きなサッカー選手は田中マルクス闘莉王[14][15]。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999-00 | カールストン | Aリーグ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2000-01 | ヴォルフスブルク | ブンデス1部 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 2001-02 | 7 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 8 | 4 | |||
| 2002-03 | シュトゥットガルト | レギオナル | 23 | 1 | - | - | 23 | 1 | |||
| 2003-04 | FCケルンII | 23 | 9 | - | - | 23 | 9 | ||||
| 2003-04 | FCケルン | 34 | ブンデス1部 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 |
| 2004-05 | ドレスデン | ブンデス2部 | 34 | 9 | - | 1 | 0 | 35 | 9 | ||
| 2005-06 | 26 | 7 | - | 1 | 0 | 27 | 7 | ||||
| 2006-07 | ニュルンベルク | 20 | ブンデス1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2007-08 | 12 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 15 | 2 | |||
| カールスルーエ | 17 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 4 | ||
| 2008-09 | 23 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 26 | 2 | |||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2009 | 名古屋 | 16 | J1 | 15 | 6 | 1 | 0 | 4 | 3 | 20 | 9 |
| 2010 | 31 | 17 | 1 | 1 | 0 | 0 | 32 | 18 | |||
| 2011 | 31 | 19 | 0 | 0 | 31 | 19 | |||||
| 通算 | オーストラリア | Aリーグ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |
| ドイツ | ブンデス1部 | 57 | 9 | 1 | 0 | 6 | 3 | 64 | 11 | ||
| ドイツ | ブンデス2部 | 60 | 16 | - | 2 | 0 | 62 | 16 | |||
| ドイツ | レギオナル | 46 | 10 | - | - | 46 | 10 | ||||
| 日本 | J1 | 77 | 42 | 2 | 1 | 4 | 3 | 73 | 41 | ||
| 総通算 | 274 | 77 | 3 | 1 | 12 | 6 | 249 | 79 | |||
※太字はリーグ最多
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2009 | 名古屋 | 16 | 4 | 3 |
| 2011 | 4 | 0 | ||
| 通算 | AFC | 8 | 3 | |
[編集] 経歴
[編集] 個人タイトル
- Jリーグ得点王:2010年、2011年
- Jリーグベストイレブン:2010年、2011年
[編集] 脚注
- ^ “ケネディ待ってたぜ! 194センチ豪代表FW 逆転Vの切り札が来た”. 中日スポーツ. (2009年6月19日) 2009年7月21日閲覧。
- ^ a b “オーストラリアに隠し玉、194センチFW”. 日刊スポーツ. (2006年5月11日) 2009年7月21日閲覧。
- ^ 名古屋グランパス (2009年6月21日). “ジョシュア・ケネディ選手、新加入のお知らせ”. 2009年7月21日閲覧。
- ^ a b “名古屋・ケネディ、初陣弾 京都と引き分け”. 中日新聞. (2009年7月19日) 2009年7月21日閲覧。
- ^ 前田遼一(ジュビロ磐田)と同得点で、2者がタイトル獲得
- ^ “ケネディ獲得 ピクシー、ポストプレー期待”. 中日スポーツ. (2009年6月22日) 2009年7月21日閲覧。
- ^ a b “ケネディ、ミリガン…サッカールーズ新星の横顔”. スポニチワールドサッカープラス. (2006年5月15日) 2009年7月21日閲覧。
- ^ “豪代表のオジェック監督「ケネディとアレックスはJで成長した」”. サッカーキング. (2011年10月8日) 2011年10月14日閲覧。
- ^ 【名古屋】ケネディ ハッピー 長男誕生 日刊スポーツ 2011.5.2付記事
- ^ http://blogola.jp/?p=4370
- ^ 【2010Jリーグアウォーズ】得点王/ケネディ選手(名古屋)コメント J's GOAL 2010.12.6付ニュースリリース
- ^ “受賞者のコメント一覧”. Jリーグ. (2011年12月5日) 2012年1月24日閲覧。
- ^ “ケネディ、腰ノープロブレム”. 中日スポーツ. (2011年1月29日) 2011年10月14日閲覧。
- ^ “選手データ(ケネディ)”. 名古屋グランパス公式サイト. 2011年7月14日閲覧。
- ^ 『2011 J1&J2選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年3月、ISBN 4910239980317、p12
[編集] 関連項目
|
|||||||||||||||||||||||||
|
|||||
|
|||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||