京都サンガF.C.
| 京都サンガF.C. | |
|---|---|
| 原語表記 | 京都サンガF.C. |
| 愛称 | サンガ |
| クラブカラー | パープル |
| 創設年 | 1922年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン2 |
| ホームタウン | 京都府京都市、城陽市、宇治市、京田辺市、長岡京市、向日市 |
| ホームスタジアム | 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 |
| 収容人数 | 20,389 |
| 運営法人 | 株式会社京都パープルサンガ |
| 代表者 | 今井浩志 |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | 京都サンガ |
| 本社所在地 | 京都市下京区四条通室町東入凾谷鉾町87 |
| 設立 | 1994年1月13日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | プロサッカークラブの運営他 |
| 代表者 | 今井浩志 |
| 資本金 | 36億0,500万円 |
| 売上高 | 23億1,100万円 (2010年12月期) |
| 営業利益 | ▲1億0,500万円 (2010年12月期) |
| 純利益 | ▲2億5,100万円 (2010年12月期) |
| 純資産 | ▲2億2,800万円 (2010年12月期) |
| 総資産 | 12億6,900万円 (2010年12月期) |
| 決算期 | 12月期 |
| 主要株主 | 京セラ 任天堂他 |
| 関係する人物 | 稲盛和夫 |
| 外部リンク | http://www.sanga-fc.jp |
京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、Kyoto Sanga FC)は、日本の京都府京都市、城陽市、宇治市、京田辺市、長岡京市、向日市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] 概要
1922年に創設された京都紫郊サッカークラブが前身となり、1993年に一般公募で京都パープルサンガ(京都紫光クラブの『パープル』と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す『samgha』と、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『SANGA』から)のクラブ名でプロ化して1996年にJリーグへ加盟。なお、2007年に現在のクラブ名となる京都サンガF.C.へ改称した。運営会社は株式会社京都パープルサンガである。
ホームタウンは長らく京都府京都市1市のみであったが、2010年8月16日のJリーグ理事会で、城陽市、宇治市、京田辺市、長岡京市、向日市の5市を新たにホームタウンに追加することが了承され「広域ホームタウン化」された。クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」としてコメントしている[1]。
ホームスタジアムは、京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場である。また、2009年まで毎年鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場でホームゲームを開催しており、2012年から同競技場での開催が復活した。練習場は「サンガタウン城陽」(京都府城陽市)である。
[編集] 歴史
[編集] 1922年 - 1995年
詳細は「京都紫光サッカークラブ」を参照
1922年創設の京都紫光サッカークラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり、2012年現在、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足。1994年1月に京セラ・任天堂を中心とした地元企業出資による運営会社「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された。
1994年7月[2]にはJリーグ準会員に承認された。1994年はジャパンフットボールリーグで5位に終わったが、1995年はリーグ2位の成績となり、1996年シーズンからのJリーグ昇格が決定した。
[編集] 1996年 - 2000年(Jリーグ)
1996年、大野俊三や佐藤慶明といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎と対戦して0-1で敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、オスカーがシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉、藤吉信次や山口貴之を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。
1997年はペドロ・ローシャを監督に迎えたが、カポネ・クレーベルの両外国人選手が振るわず、更にラモスが退団した。最下位こそ免れたが年間成績は14位に終わった。なお、この年に西田吉洋が日本代表候補に選ばれた。
1998年は、元日本代表監督のハンス・オフトを監督に迎え、さらには森保一・岩本輝雄・山田隆裕・黒崎久志といった日本代表経験者を次々と獲得したが、チームは下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦が後任となり、2ndステージは勝ち越し。横浜フリューゲルスが消滅したことでJ1参入決定戦への出場は回避した。
1999年は1stステージこそ低迷したが、元日本代表監督の加茂周を監督に迎え、元V川崎の三浦知良を獲得した2ndステージは9位と、Jリーグ昇格後初の1桁順位となった。
2000年はシーズン当初より不振で6月に加茂を更迭してゲルト・エンゲルスを監督に迎えたが、年間成績は15位に終わり、Jリーグ ディビジョン2(J2)へ降格した。
[編集] 2001年(J2)
2001年、若手主体のチーム作りに転換し、シーズンは黒部光昭・松井大輔・朴智星といった若い力が台頭しJ2で優勝して1年でのJリーグ ディビジョン1(J1)復帰を果たした。黒部はこの年に30得点を挙げ、J2得点ランキング第2位となった。
[編集] 2002年 - 2003年(J1)
2002年は、開幕直後こそ4連敗するものの、黒部、松井、朴に加えて平井直人・角田誠といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会は決勝で鹿島を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。
2003年、朴がPSVアイントホーフェンへ移籍し、韓国・水原より高宗秀を獲得した。しかし、黒部が故障、高も不発。エンゲルスそして後任のピム・ファーベークが早々に監督を解任されるなど迷走し、年間成績で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。
[編集] 2004年 - 2005年(J2)
2004年シーズンはジェフ市原から崔龍洙を獲得。西村昭宏を監督に迎え、黒部・松井も残留した。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、西村を6月で解任して柱谷幸一を監督に迎えたが5位に終わりJ1昇格はならなかった。
2005年、柱谷が監督を続投。星大輔・米田兼一郎・加藤大志といったライバルチームの主力を獲得し、パウリーニョ、アレモンの両外国人助っ人が得点を量産し、7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。なお、最終節は1-2で甲府に敗れて、2004年の川崎に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。
[編集] 2006年(J1)
2006年、J2では圧倒的な得点力と最小失点の堅守であったが、J1シーズン開幕から下位に低迷。シーズン中に角田誠・手島和希(ともに復帰)らを補強したが、10月に柱谷を監督から解任し、美濃部直彦ヘッドコーチが新監督に就任した。しかし、3バックを採用するなどのテコ入れをはかった美濃部体制でも悪い流れを変えられず、11月26日にG大阪に敗北して最下位が決まり、J2降格が決定した。
[編集] 2007年(J2)
2007年2月からクラブの正式名称を京都サンガF.C.に変更。愛称を京都サンガとした(ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。これに併せて新しいエンブレムも制定された。2006年にJ1ワーストの74失点を喫したディフェンスを立て直すため、名古屋から元日本代表DF秋田豊、清水から森岡隆三を獲得。さらに甲府から倉貫一毅を、福岡から平島崇を獲得した。主力も軒並み残留し、1年でのJ1復帰を目指すシーズンとなった。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。10月13日に美濃部を解任して、加藤久総監督が監督へ就任した。J2リーグは3位とながら、広島とのJ1・J2入れ替え戦に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤久総監督の留任も決定した。
[編集] 2008年 - 2010年(J1)
2008年、柏からGK水谷雄一、G大阪から9シーズンぶりの京都復帰となるDFシジクレイ、FC東京からレンタル移籍でDF増嶋竜也、千葉からMF佐藤勇人、鹿島からFW柳沢敦と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪からDF水本裕貴、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水からFWフェルナンジーニョを獲得した。その大型補強もあって14位となり、J1残留という最低限の目標を達成した。
2009年、名古屋から豊田陽平、東京Vからディエゴ、韓国代表の李正秀などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョも復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバーに苦しんだが、第33節(11月28日)の浦和戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。
2010年、李正秀(アル・サッド)、林丈統、佐藤勇人(千葉)、松井謙弥(C大阪)が完全移籍、豊田陽平(鳥栖)がレンタル移籍、手島和希が引退、シジクレイが退団。一方で大分から7年ぶりの復帰となる鈴木慎吾や、大宮から片岡洋介が移籍。ドゥトラ、郭泰輝、チエゴ(レンタル移籍)、ハウバート・ダン、児玉剛、福村貴幸らを獲得した。
序盤戦はJ昇格後未勝利であったヤマハスタジアムでの磐田戦に初勝利するなど上々の出だしだったが、15節終了時点でリーグ最下位に転落し、7月27日に加藤久の監督職及びチーム統括職を解任し、コーチの秋田豊が後任の監督に就任した。その後も成績が向上せず、第30節(11月14日)に浦和に敗北して、残り4試合を残してJリーグワーストの、4回目のJ2降格が決定した。
秋田とは2011年までの契約を残しており、京都のフロントは「J2に降格しても続投してもらう」方針[3]であったが、J2降格が決定後に解任された。
[編集] 2011年 -(J2)
2011年、元甲府監督の大木武が監督に就任した[4]。また、ゼネラルマネージャー(GM)として元千葉GMの祖母井秀隆を招聘した[5]。
J2降格により柳沢敦、角田誠が仙台、渡邉大剛、片岡洋介が大宮、増嶋竜也が柏、水本裕貴が広島、郭泰輝がKリーグ・蔚山現代FC、西野泰正がカマタマーレ讃岐へ移籍、平井直人が引退、中谷勇介が退団(のちに東京Vへ入団)、チエゴはレンタル移籍期間満了により退団した。また、8月にディエゴが仙台へレンタル移籍した。
かわりに、工藤浩平(千葉)、秋本倫孝(甲府)、アライール(愛媛)を完全移籍で獲得、酒井隆介、チョン・ウヨン、内藤洋平が新加入、山田俊毅、駒井善成、伊藤優汰、下畠翔吾がユースから昇格した。
リーグ戦では、戦力ダウンや戦術の未浸透や外国人選手の不振もあり開幕ダッシュに失敗。一時期19位まで順位を下げたが、後半戦は戦術の浸透や、2種登録選手ながら30試合で10得点を挙げて、チーム得点王になった高校生FW久保裕也を中心とした若手選手の成長などもあり6連勝し、J1昇格はならなかったが、最終的に順位を7位まで上げた。
天皇杯では、山形、鹿島、横浜FMとJ1勢に勝利して、第82回以来かつJ2所属チームとして相手のFC東京と共に初の決勝進出。試合は2対4で敗れ、準優勝に終わったものの、前半に先制点を挙げ、4点を失った後半に久保のゴールで意地を見せるなど、この試合でも最後まで戦いを魅せ、決勝戦を盛り上げた。
[編集] 成績
詳細は「京都サンガF.C.の年度別成績一覧」を参照
[編集] 記録
[編集] 年度別観客動員記録
- リーグ戦のみ
平均
J1
J2
| 年度 | 試合 | 総数 | 1試合 平均 |
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996 | 15 | 141,061 | 9,404 |
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| 1997 | 16 | 126,093 | 7,881 |
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| 1998 | 17 | 136,253 | 8,015 |
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| 1999 | 15 | 132,887 | 8,859 |
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| 2000 | 15 | 108,797 | 7,253 |
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| 2001 | 22 | 83,777 | 3,808 |
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| 2002 | 15 | 155,276 | 10,352 |
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| 2003 | 15 | 162,751 | 10,850 |
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| 2004 | 22 | 171,764 | 7,807 |
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| 2005 | 22 | 172,846 | 7,857 |
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| 2006 | 17 | 166,280 | 9,781 |
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| 2007 | 24 | 159,105 | 6,629 |
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| 2008 | 17 | 232,671 | 13,687 |
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| 2009 | 17 | 189,149 | 11,126 |
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| 2010 | 17 | 178,673 | 10,510 |
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| 2011 |
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[編集] 歴代記録
| 年度 | 1位 | 得点 | 2位 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 1996 | エジミウソン | 4 | 松橋力蔵 他2名 | 3 |
| 1997 | 武田修宏 | 9 | ダニエル | 7 |
| 1998 | 黒崎比差支 | 13 | エジミウソン | 12 |
| 1999 | シーラス | 6 | パウロ・マギノ | 6 |
| 2000 | 三浦知良 | 17 | 遠藤保仁、熱田眞 | 5 |
| 2001 | 黒部光昭 | 30 | 上野優作 | 10 |
| 2002 | 黒部光昭 | 13 | 朴智星、鈴木慎吾 | 7 |
| 2003 | 黒部光昭 | 10 | 町田忠道 | 4 |
| 2004 | 崔龍洙 | 20 | 黒部光昭 | 9 |
| 2005 | パウリーニョ | 22 | アレモン | 15 |
| 2006 | パウリーニョ | 14 | アンドレ、中払大介 | 3 |
| 2007 | パウリーニョ | 24 | アンドレ | 15 |
| 2008 | 柳沢敦 | 14 | 田原豊 | 5 |
| 2009 | ディエゴ | 9 | 李正秀、パウリーニョ | 5 |
| 2010 | ディエゴ | 6 | ドゥトラ | 5 |
| 順位 | 選手 | 得点 | 在籍期間 |
|---|---|---|---|
| 1 | パウリーニョ | 66 | 2005-2009 |
| 2 | 黒部光昭 | 62 | 2000-2004 |
| 3 | 田原豊 | 32 | 2002-2008 |
| 4 | 三浦知良 | 21 | 1999-2000 |
| 5 | 中払大介 | 20 | 2002-2007 |
| 崔龍洙 | 20 | 2004 | |
| 7 | アンドレ | 18 | 2006-2007 |
| 柳沢敦 | 18 | 2008-2010 | |
| 9 | アレモン | 17 | 2005-2006 |
| 10 | 黒崎比差支 | 16 | 1998-1999 |
| エジミウソン | 16 | 1996, 1998 | |
| 松井大輔 | 16 | 2000-2004 |
| 順位 | 選手 | 試合数 | 在籍期間 |
|---|---|---|---|
| 1 | 手島和希 | 242 | 1999-2005, 2006-2009 |
| 2 | 平井直人 | 208 | 1997-2010 |
| 3 | 斉藤大介 | 202 | 1999-2008 |
| 4 | 中払大介 | 183 | 2002-2007 |
| 5 | 野口裕司 | 176 | 1996-2002 |
| 6 | 角田誠 | 167 | 2000-2003, 2006-2010 |
| 7 | 鈴木和裕 | 147 | 2001-2006 |
| 8 | 田原豊 | 144 | 2002-2008 |
| 9 | 渡邉大剛 | 141 | 2003-2010 |
| 10 | 黒部光昭 | 138 | 2000-2004 |
- リーグ得点王
- J2所属
- 太字は、現所属選手
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- Jリーグ ディビジョン2:2回
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回
[編集] 個人別
- Jリーグ
[編集] ホームスタジアム
ホームスタジアムは、京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場である。なお、鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場でも毎年ホームゲームを開催(これはメインスポンサーの京セラの国分工場が霧島市=旧国分市に所在しているためで、霧島市国分陸上競技場でキャンプやプレシーズンマッチも開催している)している(但し2010~11年は開催が無かった)。
また、テクノポート福井スタジアム、石川県西部緑地公園陸上競技場、富山県総合運動公園陸上競技場、鳥取市営サッカー場、岡山県総合グラウンド陸上競技場、高知県立春野総合運動公園陸上競技場、熊本市水前寺競技場で開催経験を持つ。
ジャパンフットボールリーグ時代は京都市宝が池公園運動施設球技場や太陽が丘陸上競技場、皇子山総合運動公園陸上競技場でもホームゲームを行っていた。1996年にはガンバ大阪のホームスタジアムである万博記念競技場で1試合ホームゲームを行った(詳細はエピソード及びJリーグの試合中止例を参照)。
[編集] スタジアム建設計画
「京都スタジアム」も参照
2002 FIFAワールドカップにあわせ木津川右岸に新スタジアムを含む木津川右岸運動公園(仮称)を建設する計画が1995年から持ち上がったが、開催地選定で落選し建設計画は中止された[6]。さらに2003年1月の天皇杯優勝を受け、サッカースタジアム建設要望の署名が35万人集まり、京都府と京都市は建設を検討したが費用面で折り合いがつかず中止された。2004年に京セラの稲盛和夫名誉会長を初めとする地元経済界から建設費の一部65億円を提供するとの申し出があり、横大路運動公園での建設が自治体と経済界の間で合意されたが、費用負担をめぐり京都市議会が納得せず計画は中止された[7]。スタジアム建設を求める48万人の署名が新たに提出されたのをうけて、京都府は2010年から新球場の建設検討をはじめた[8]。2011年になり敷地の無償提供を条件に候補地を募ったところ、亀岡市[8]、城陽市[8]、京田辺市[9]、京都市[10]から立候補の申し出があった。2011年度中に選定される予定[7]。
[編集] 練習場
- 1998年、京都府城陽市にオープンした専用練習場「サンガタウン城陽(東城陽グラウンドとも)」を使用している。トップチームが使用する天然芝グラウンドが2面、育成専用の人工芝グラウンドが1面ある。3面のフットサルコートもあり、一般でも予約してコートを借りることができる。また、グッズショップも併設されている。
- 1997年までは「京セラ八日市総合グラウンド」(滋賀県東近江市)を使用していた。
[編集] 下部組織
下部組織(育成組織)としては、中学年代のU-15・高校年代のU-18が存在しており、数多くの選手を輩出している。以前は専用練習場や照明設備も無く、選手は近隣の太陽が丘などを使用していたため、当時京都の監督であった柱谷幸一がサンフレッチェ広島のユースチームと地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に熱意を持って訴えた。
その結果、産の京セラ、学の立命館、民の京都サンガが手を組み、世界に通用する優れた人材を育成する「SCHOLAR-ATHLETE PROJECT(スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された。これは、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高等学校、サッカーの練習はサンガタウン城陽にある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する。
2006年度からSAPが始まり、初めてSAP生が3年生になった2008年度はトップ昇格は無く、全員が立命館大学に進学。2009年度は東京Vや名古屋の下部組織で実績を積んだ菅澤大我をU-18の監督に迎えたが一年で退団。この年もトップ昇格は無く、全員が立命館大学に進学した。
2010年度は本田将也を監督に迎え、Manel Pons Cup決勝でスペイン・RCDエスパニョールに5-1、同じくスペインで行われたTorneo de Futbol Virgen del Pilar決勝でスペイン・FCバルセロナに3-2でそれぞれ勝利して優勝するなど国際大会でもSAPの効果が発揮されつつある。U-15もJFAプレミアカップで優勝、マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップで10位という成績をあげた。
2011年度よりユースから山田俊毅、駒井善成、伊藤優汰、下畠翔吾の4選手がSAP開始以降初となるトップチーム昇格を果たした(4選手と同学年の宮吉拓実は2008年度にプロ契約を締結)。また、久保裕也が2種登録選手でありながら主力として活躍。SAPの成果が実を結んだ年となった。
2011年より始まった高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグでは、初年度より2010年度関西プリンスリーグ2位チームとしてプレミアウエストに参加。高校生年代では西日本屈指の強豪チームの1つとなっている。
[編集] エピソード
[編集] Jリーグ初の試合中止
1996年8月14日、ナビスコカップ・対柏レイソル戦(大分市営陸上競技場=京都の主催ゲーム)が台風のため中止となった。雨天でも原則として試合が行われるJリーグにおいて、公式戦が中止となった初めてのケースである。Jリーグの試合中止例も参照。
[編集] 他クラブのホームスタジアムでホームゲーム
その柏戦の代替試合は1996年8月24日に開催されたが、本来ガンバ大阪のホームスタジアムである万博記念競技場を使用した。当時は本来のホームスタジアムである西京極が芝生の張替え工事のために使用できなかったため、やむを得ずG大阪の許可を得て万博で開催することになったものである。
同様の事例に1994年6月11日の横浜マリノスvs横浜フリューゲルス戦の横浜ダービー(平塚競技場=ベルマーレ平塚のホームスタジアム)がある。
[編集] 横浜フリューゲルスとの関係
1998年に横浜フリューゲルス(横浜F)が消滅した際、選手6人・コーチ1人・スタッフ1人が京都へ移籍している。それ以前から横浜F出身選手が3人いたため、1999年開幕時点の京都には実に11人もの横浜F出身コーチ・選手・スタッフが所属していた。なお、同時期に横浜Fから合併相手の横浜F・マリノスに移籍した選手は6人であった。
ちなみに、横浜Fは1998年10月に横浜マリノスとの合併が公になった後、その後の公式戦で全勝し、最後の公式戦である天皇杯決勝にも勝利して有終の美を飾ったが、合併が発表される直前のリーグ戦では京都と対戦しており、2-3のスコアで敗れている(1998年10月24日・鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場)。つまり、横浜Fが公式戦で最後に負けた相手が京都である。
それから4年が経過した2003年の元日、京都は天皇杯優勝という初めてのタイトルを手にした。その時に監督を務めていたのは横浜F最後の監督であり、横浜Fにとって最後の公式戦だった1999年元日の天皇杯決勝でチームを勝利に導き、天皇杯優勝という有終の美を飾ったゲルト・エンゲルスだった。
[編集] 五山送り火との兼ね合い
毎年8月16日には京都の夏の風物詩・大文字五山送り火が行われる。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市から呼びかけが行われるため、京都のホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。
- 1997年の場合
Jリーグ2ndステージ・第5節の日程が8月16日に組まれたが、京都vs横浜M戦に限っては1日早く8月15日に19時から西京極で開催された。先制するも逆転され、京都 1-4 横浜Mで敗戦。
- 2007年の場合
Jリーグディビジョン2・第34節が8月16日に開催されたが、京都vs札幌戦(西京極)では17時20分キックオフの薄暮開催となった。結果、京都 2-3 札幌とまたも逆転され敗戦。
[編集] 守備放棄事件
詳細は「大分トリニータ#守備放棄試合」を参照
[編集] エレベータークラブ
2011年現在、J1からJ2への降格を4度(2000、2003、2006、2010)J2からJ1への昇格は3度(2001、2005、2007)経験しており、降格・昇格(昇格は札幌と並び)ともにJリーグ最多記録である。 こういったことから、エレベータークラブと揶揄されることもある。
[編集] ユニフォーム
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[編集] チームカラー
- 紫色 (パープル:京紫)
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | 京セラ | 京セラ | 1994年 - | 1994年は「Kyocera」と表記 |
| 背中 | 任天堂 | 任天堂 | 1994年 - | |
| 袖 | 京都銀行 | 京都銀行 | 2007年 - | |
| パンツ | 未定 |
[編集] トレーニングウェア
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー | |
| リーグ戦 | カップ戦 | |||||
| 1994 | Kyocera | - | 任天堂 | - | PUMA | |
| 1995 | 京セラ | - | - | |||
| 1996 | Wacoal | - | PUMA | Mizuno | ||
| 1997 | - | UMBRO | ||||
| 1998 | - | |||||
| 1999 | 京都中央 信用金庫 |
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| 2000 | ||||||
| 2001 | ||||||
| 2002 | 大和証券 | |||||
| 2003 | Mizuno | |||||
| 2004 | ||||||
| 2005 | ||||||
| 2006 | ||||||
| 2007 | 京都銀行 | Wacoal (CW-X) |
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| 2008 | ||||||
| 2009 | ||||||
| 2010 | ||||||
| 2011 | ||||||
| 2012 | 未定 | |||||
[編集] チームスローガン
| 年度 | スローガン |
| 2009 | 前へ。PASSION REALITY OVATION |
| 2010 | SHI・N・KA |
| 2011 | Change |
[編集] スポンサー
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[編集] 応援番組
- KBS京都 (テレビ)
- エキサイティング!J (ホーム全試合と一部のアウェーゲームを中継)
- とことん!京のスポーツ (2004年 - 現在放送中)
- ぽじポジたまごでも京都応援コーナーがある。宮内亨アナが出演。
- KBS京都 (ラジオ)
- Sanga Today
- 伊舞なおみのみんながメダリスト (番組内で京都戦実況中継を行う場合あり)
- Jリーグ中継 (不定期に京都ローカルで京都戦を中継する場合がある)
- ニュース610 京いちにち (月曜日に「スポーツ京都版」を放送)
[編集] 脚注
- ^ 2010年8月17日Jリーグリリース
- ^ 同チームは1993年9月に準会員申請をしたが、ホームスタジアムの整備などに問題があったため、11月の実行委員会・理事会では承認されず保留扱いとなっていた。その後1994年のシーズン中に再審査を行い承認された
- ^ スポーツ報知・2010年11月2日
- ^ 公式サイト 大木武氏 監督就任のお知らせ
- ^ 祖母井秀隆 氏 ゼネラルマネージャー(GM)就任のお知らせ。 - 公式サイト2010年12月1日
- ^ http://www.pref.kyoto.jp/yamashiro/kensetu/resources/1234497901318.pdf
- ^ a b http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819890E2EBE2E6E08DE2EBE3E0E0E2E3E39E9693E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5
- ^ a b c http://kyoto-np.co.jp/top/article/20111209000019
- ^ http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20111207ddlk26010464000c.html
- ^ http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20111209-OYT8T01283.htm
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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