TKO (お笑いコンビ)

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TKO
メンバー 木本武宏
木下隆行
結成年 1991年
事務所 松竹芸能
活動時期 1991年 -
影響 ダウンタウン
出会い 中学校時代
旧コンビ名 たむろ、T・K・O
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 コント
ネタ作成者 木下隆行
現在の代表番組 爆問パニックフェイス!
奇跡ゲッター ブットバース!!
過去の代表番組 コンビニTV TKOのおきて
MBSヤングタウン
知っとこ!など
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
1994年 ABCお笑い新人グランプリ新人賞
1994年 爆笑BOOING第4代グランドチャンピオン
2008年 キングオブコント決勝進出
2009年 S-1バトル月間チャンピオン(9月)
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TKO(ティーケーオー)は松竹芸能所属のお笑いコンビである。大阪府出身。

メンバー[編集]

木本武宏(きもと たけひろ、1971年5月6日 - )
大阪府出身、A型。ツッコミ担当。
大阪府立大東高等学校(現・大阪府立緑風冠高等学校)卒。
フィリップス大学日本校中退
身長178cm、体重75kg、3サイズ:B97 W88 H96、靴サイズ:27cm
趣味・特技:釣り・サッカー・木工・PC映像制作
好物:サンマルクカフェのチョコクロ
木下隆行(きのした たかゆき、1972年1月16日 - )
大阪府出身(福岡県生まれ)、A型。ボケ担当。
大阪府立食品産業高等学校(現・大阪府立枚岡樟風高等学校)中退。
身長183cm、体重108kg(デビュー当時は70kg)、3サイズ:B107 W110 H111、靴サイズ:28.5cm
趣味・特技:サーフィン・スノーボード・インターネットゲーム・知ったかぶり

経歴[編集]

  • 2人は中学校からの友人であり、木下は別の男性と吉本興業に入ろうと約束していたが、その男性はフィリピンへ。そんな木下に木本がローラースケート場で、「その迷彩の手袋、かっこええなあ」と声をかけたところ、木下は木本とコンビを組もうと決心したという。
  • 1990年10月に松竹芸能へ入り、1990年代中期より関西を中心にライブやテレビ・ラジオ等で活躍。テレビ・ラジオでは事務所の先輩森脇健児の番組によく出演していた。KBS京都のラジオ番組「森脇健児の青春ベジタブル」でコンビ結成後、初の放送出演を果たしている。
  • 最初のコンビ名は「たむろ」(「ウッディーズ」にしようという案もあったらしい)だったが、後に、2人ともイニシャルがT.K.なので、これにボクシングT.K.O.(テクニカルノックアウト)をかけたT・K・Oにした。その後、TKOに改名。
  • 吉本ではなく松竹に入った理由は、「吉本は層が厚すぎてチャンスがなさそう」だったから。木下は、「尊敬する芸人は?」と聞かれると「吉本の芸人全員」とテレビなどでよく答えている。
  • これまで何度か東京進出を試みるも、いずれもさまざまな理由から定着することなく、ことごとく失敗を重ねてきた。2006年、特に理由はないが「今だ」と思い、勘を頼りにこれが最後のチャンスと決め5度目の東京進出を果たした。2009年に芸歴20年目ながら全国区で知られるようになる[1]。ちなみに過去の東京進出時に出演したレギュラー番組と敗因は[2]
『東京Aランチ』は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の各曜日のディレクターがお気に入りの若手芸人をプロデュースし、『いいとも!』のレギュラーに登用するという企画で、TKOも金曜レギュラーが内定し、共演者への挨拶まで済ませていたが、上記の理由でTKOのみがレギュラーが取り止めとなり、また『内村プロデュース』では、腕やキャリアの割に売れていないことのギャップが面白がられて呼ばれていたが、これも番組自体が終了するなど、不運が重なった経緯がある。
  • 2008年5月17日放送のザ・イロモネアで全ジャンルステージクリアー、100万円獲得。
  • 2008年のキングオブコント決勝進出。しかしAブロック最下位、全体でも7位という結果に終わってしまう。
  • 2009年9月度のS-1バトルで、初出場ながらも見事優勝。吉本以外では初の優勝者となった。
  • 2010年のキングオブコントに2度目の決勝進出、1本目に「葬式」というネタで「820点」を記録し、1stラウンド7位で折り返すが、2本目に「モロゾフ後藤・ディナーショー」というネタを行い「916点[3]を記録し、総合3位となる。
  • 2011年のキングオブンコントには2年連続、3回目の決勝進出、決勝進出時の年齢の最高齢記録及び決勝進出最多記録を樹立した。1stラウンドでは「マジシャンとアシスタント」というネタを披露し「757点」を記録。しかしトップのロバートとの差は「185点」と開かれてしまい、昨年同様、1stラウンド7位で折り返すこととなった。2ndラウンドでは「裏口入学」というネタを制限時間4分ギリギリまで使って披露[4]。「877点」を記録するも結果は6位だった。
    • ちなみに2010・2011ともに、事務所からの激励としてリムジンに乗ってTBSに来ていたらしいが、2011年は同局の別番組に出演するを出待ちするファンがTBS本社の入口にいたため、彼らが乗ってきたリムジンに嵐が乗ってくると思っていたファンの内の1人から「なんで?」て言われたことを、1本目のネタ後のトークで明かしている。

ネタ[編集]

コンビ[編集]

  • 主にコント。木下がとぼけた感じでボケまくる独特なコントを展開する。
  • 1つのネタを作る際に、ネタ合わせをみっちり2回行っている。
  • ネタは2人で作り始めるが、最終的には木下のみになっているらしい[5]
  • 最近では歌などで木下が木本に合わせようとする「知ったかぶり」や、漫才で木下が打ち合わせと違う言動をするネタ[6]大山ドラえもんネタをよく行っている。また、木本が1人で書いてきたという設定の全然面白くないネタ(「タクシー」「銀行強盗」など)を1回披露し、ボケ(木下)のセリフだけ変えて面白くするというネタもやっている。
    • また、キングオブコント2010で披露した「モロゾフ後藤」をベースに、2012年頃から始まった爆生レッドカーペットのコラボカーペットのコーナーにおいて、超大物歌手(山本譲二、松﨑しげる)とコラボでネタを披露するというネタもやっている。
  • ネタの合間のつなぎとして、木本が肩を交互に上下させながら「ズッツッチャッチャッ」と言い、木下が続けてDJのスクラッチの真似をしながら「チキチキチー」と言うのが恒例となっている。
  • かつてショートコントを行う際は舞台に登場した際、自己紹介をラップにして歌っていた(上記のブリッジはそれの名残)。

木下単独[編集]

後述のとおり、デビュー当時から容姿が大きく変貌しており、それを生かして事務所の先輩でもある笑福亭鶴瓶せんとくんの顔真似を持ちネタとしている。なお鶴瓶のものまねでは本人からもらった眼鏡を使用している。またせんとくんのオフィシャルサポーターも務めており、就任式でせんとくんから12個のポーズを伝授された。[7]

2012年に鶴瓶が『鶴瓶の家族に乾杯』で武井咲屋久島町立宮浦小学校を訪問した時には「TKOの木下です」と自己紹介をし、物真似される側がする側の行動を逆輸入する形となった。

逸話[編集]

コンビ[編集]

  • デビュー当時は、ふたりともハンサムで通っていた。しかし、香取慎吾に似ているという評判まであった木下は、年を重ねるにつれ次第に太りだし頭髪も薄くなってしまった。雨上がり決死隊宮迫博之曰く、「歳を重ねるごとに(木下の髪の毛が)ムケちゃった」[8]
  • 半年先輩によゐこが、1年先輩にDA-DAがいる。同学年のこの2組とは若手時代に一緒にアメリカ村で路上ライブをするなど仲がいい。特に関西でずっと一緒に活動していたDA-DAとは、タメ口で会話するほどの仲。
  • 後輩のますだおかだにライバル心があるらしく、劇場で靴を隠すといった嫌がらせをしていた。
  • 後輩にオセロもいる。オセロが地方の営業に遅刻した際に2人が泣くほど叱りつけたが、後日事務所からその事について逆にこっ酷く叱られてしまった。現在はオセロの松嶋尚美と、のイズ時代から交流のあるヒサダトシヒロの結婚式に、共通の友人として木本が出席するなど、良好な関係となっている。なお松嶋からは、後輩であるが年齢は同じという理由で「くん」付けで呼ばれている。
  • ますだおかだ、オセロだけでなく安田大サーカスにまで抜かれた時は相当悔しかったらしく、安大のクロちゃんがオチで使う紙吹雪を隠したことがある[9]
    • 安田団長は、TKOに憧れて松竹芸能に入ったこともあり、TKOの2人も団長をかわいがっていたが、安田大サーカスの方が先に売れた時は、「あんなにかわいかった団長が憎たらしくて仕方なくなった」と語っている[10]
  • 爆笑オンエアバトル」の初出演(1999年4月3日放送)は270KBながらオンエアを果たした。これはオンエア最低得点の記録であり、それから15年以上も更新されていない。なおこの時は出場12組中7組がオンエアとなるルールだった。
  • KBS京都のラジオ番組「森脇健児青春ベジタブルで、養成所時代にコンビ結成初めての放送出演を果たす。当時は「ベンチウォーマーズ」としてのイズなどと一緒に松竹芸能タレント総勢11名と一緒に出演。ラジオ・コント・ジングルなどで活躍した。因みにTKOなどベンチウォーマーズ時代の「青春ベジタブル」を制作していた福本英樹元ディレクターは、株式会社テイスティ・モーサルズを南麻布に創業し、食材のスカウト・ハンターやグルメ家として有名である。
  • 森田まさのりが『ヤングジャンプ』で掲載した読み切りの『柴犬』は、TKOのふたりをモデルにした話だが、当時は2人が無名だったので、「取材協力 松竹芸能」になった。
  • 木下曰くオリエンタルラジオのことを「オリラジ兄さん」と呼んでいる[11]
  • 長寿番組である「MBSヤングタウン」のレギュラーを3年半にわたり務めたが、彼らの降板半年後に平日枠が終了したことから、大阪では「あいつらを番組に出すと番組が終わる」と言うジンクスが広まった。これについて本人たちは「呼んだら終わるんじゃなくて(番組の)終了が決まってからヤケクソ的に呼ばれる」とコメントしている[12]
  • 木下は、学生時代に木本と付き合っていた「ゆき」と、恋愛相談に乗っていたが、その場の雰囲気と勢いでBまでしてしまった。この事件は、今でも触れてはならないコンビ間のタブーである[13]
  • 2008年10月8日放送の「ゴッドタン」の企画「地元エピソードキング」において木下は劇団ひとり肛門に指を挿入されるという不意打ちをされ、さらに驚いてひっくり返った所を品川祐品川庄司)に脚をつかまれチングリ返しのポーズを取らされて唾吐きかけの追撃を受けていた。これに木下は「指入れてめっちゃ動かしたやろ!」と生々しい感想を語り、また木本は「一回自分で臭ったらええねん」となぜか肛門に挿入したひとりの指を木下本人に嗅がせていた。
  • 二人とも中学時代から『チェッカーズ』のファンだった。現在も藤井フミヤの大ファンであると公言している。ライブ終了後の出待ちをするなど、いわゆる追っかけをしていた。コンビが徐々にテレビなどに出始めた頃、関係者を通じフミヤと対面。連絡先を交換するなど天にも昇るような気持ちになった。しかし、その後コンビは低迷期に入り、第一線で活躍し続けるフミヤのライブに足を運ぶことが「恥ずかしい」と感じて、ライブに行きたい気持ちを自制していた。再び転機が訪れ「キングオブコント」や「S-1」バトルなどで活躍。その姿を視聴したフミヤから木下の携帯に電話が掛かってきて、励ましの言葉を掛けてくれたと言う。電話を切った後も夢見心地で、携帯を手にしたまま暫く放心状態に。2010年10月13日放送の「はなまるマーケット」にゲストで出演した折、二人に向けてフミヤからのメッセージビデオが用意されていた。そのサプライズに二人は目を真っ赤にして涙ぐみ、声を詰まらせ大感激した。
  • 二人とも10代の頃から『ダウンタウン』のファンで、地元・大阪でのイベントで催された漫才を見るために徹夜で会場に並んだ経験がある[14]
  • また、現在ではダウンタウンと所属事務所こそ異なる(ダウンタウンは吉本興業)が、松竹芸能の中ではよゐこと並んで同コンビとの共演が多いタレントでもある。

木本単独[編集]

  • 既婚者である。妻とは16歳のころからの付き合い。[15]
  • DA-DA植村とのユニット「ジョンメロン」としても活動する。
  • 有吉弘行から付けられたあだ名は、「浪人生」。
  • 2005年頃から禁煙しているが、その理由は「タバコとコーヒーが大好きなせいで息がすこぶる臭かった中学の担任K先生みたいになりたくなかったから」という[16]
  • 2003年9月16日阪神百貨店前で阪神タイガース優勝記念セールに一番乗りしていたことが判明。18年ぶりリーグ制覇した前日夕方から並んでおり、一番乗りであった。関西ではマスコミ各社にタレントとして紹介されたが、当時は全国的にはまだ無名であったため、全国ニュースでは一般人扱いされていた。
  • 木工を趣味としており、カラーボックスに色を塗って、そこに蓋とキャスターを付けてお洒落な収納ケースにしたり、また、ビリヤード台を作った事もあったが、自分のアパートの4畳半の部屋に置いていたため、ビリヤード台の下で寝たこともあったという[9]
  • 実家は自動車整備&ダイハツ車販売代理店(木本自動車・ダイハツ住道)で、木本の父親が社長を、叔父が専務を務めている。弟は以前の勤めを辞め現在実家にて整備見習い中である。売れない頃は父親に随分と援助してもらっていたそうである。2006年に東京進出の際、木本は兄弟に長男なんだからと詰め寄られ、5月まで1年やって月収が50万円を超えなかったら、芸人を諦め家業を継ぐ約束をする。ぎりぎりの所でレッドカーペットのオーディションに受かり、オンエアー後、オファーが増加。増えたと言っても4月の月収は25万円であり相方に打ち明ける覚悟をした所、5月の月収が51万円となったとテレビで語っている[17]
  • 大阪のラジオ番組に及川奈央がサイン会の告知に来たので、大ファンだった木本は、次の日、京都のサイン会にファンとして参加。サイン入りの8×4プレゼントのジャンケン大会で勝ち残り、舞台上に上がり、本人から手渡された。
  • 松竹芸能の風紀委員と呼ばれており、礼儀作法には特に厳格。
  • ますだおかだがM-1グランプリ王者になったとき、本人いわく「負けを認めた」ものの、安田大サーカスの団長によると「松本さんは(最終決戦の審査で)ますだおかだには投票していない」と話したという。また、その後木本は松竹芸能の事務所に展示してあったますだおかだのM-1グランプリのトロフィーを無断で持ち帰り、真っ二つに折り道頓堀に投げ捨てた。[18]
    • ますだおかだへのライバル心は、木下よりも木本の方が強いようで、2003年に『内村プロデュース』の、コンビの相方をシャッフルするという企画に出場した際は、「父親から『今年ますだおかだを抜けなかったら芸人を辞めなさい』と言われていますので、今日は天才を探しに来ました」と発言している。
  • 初体験の相手は、「やよい」という名のヤンキーだった。また、性交渉の遍歴は「やよい」「ゆき」「久保(現在の妻)」とのこと[19]
  • 内村さまぁ〜ずでは、上記にもある木本の妻の旧姓である「久保」と呼ばれることもあり、内村やさまぁ〜ずからは「久保顔」と言われている。また、同番組では木本の持ちギャグである「すいませんの世界です」というものを多々振られる。
  • 外見からはセクシャルなイメージはないが、実は変態らしい。学生時代、木下が木本の家に行ったら木本が全裸でブリッヂをしていたという。
  • 後輩曰く「異常なキレ方をする」らしく後輩が絵文字入りのメールを送っただけで「彼女やないんやから」とキレるらしい。この事から「ラオウ」と呼ばれている。
  • 愛犬はヨークシャーテリアである。
  • Google ストリートビューの「世田谷区砧3-5-3」で偶然映り込んでいたことをブログで公表した。[20]現在は、木本の顔にもボカシが入っている。[21]
  • 趣味のPC映像制作がきっかけでJulietの「卒恋歌」のミュージック・ビデオを制作・監督を務める。

木下単独[編集]

  • 高校時代、なかなかのハンサムだったが、全くモテなかった。
  • 有吉弘行から付けられたあだ名は、「なめだるま」、「クソボケ松竹」。
  • 濱口優(よゐこ)率いる「松竹映画部」の一員。
  • 濱口等から、大のドケチであることが語られている。
  • 松竹芸能の後輩に自らを「ビッグ」と呼ばせている。しかし上記のケチエピソードから濱口曰く「どこがビッグやねん」。
  • 喫煙者であるが、濱口曰く「他人から貰ってばっかりで、木下自身が煙草を持っているのを見た事がない」とのことである。
  • ラジオ番組「ハイヤングKYOTO」の生放送中に、当時交際していた女性にプロポーズをして結婚。そして長女一人をもうけたが、5回目の東京進出の際に離婚している。長女は嫁が引き取ったため離れて暮らしており、その長女からもらった手紙を大切にしている[9]
  • 実家は関西や関東を中心に15店舗を持つ「元祖鉄板鍋きのした」グループで、現在は木下の長兄・眞行が経営者。次兄・浩行も「鉄板鍋づくし」「つけ麺屋ちっちょ」などを経営する実業家。1998年に発売された松竹芸能若手芸人のビデオ「よゐこ T・K・O ますだおかだ のイズ アメリカザリガニ DA-DA」のT・K・Oのコーナーでは木下の母が自ら出演し、よゐこと共に「きのした」のCMを制作した(ちなみに木本家の自動車販売店のCMも作られ、5秒ほどではあるが木本の両親が出演している)。また、ますだおかだのラジオ番組「どーだ!ますだおかだ」の番組スポンサーを務めていた時期もある。
    • 売れていなかった頃、長兄から「ちょっとオモロいだけの芸人より、ちょっとオモロい焼肉屋の店長の方がモテるぞ」と誘われ、芸人を辞めようかと悩んだことがあるという[22]
  • コントS錠』(関西テレビでかつて放送していたローカル番組)で知り合った放送作家東野博昭(若い頃は北野誠と漫才をしていた人物)に誘われて舞台演劇を経験したことがある。
  • フジテレビ系「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」では決勝まで進むことが多い。この番組に力を入れていると番組中で話していた。2009年1月27日に放送された同番組では4度目の決勝戦で念願の初優勝を果たした。が、それほど歌はうまくないため、この回以降、決勝までコマを進めたことはない[23]
    • 声質が桑田佳祐に似ていることもあって、桑田佳祐の声帯模写が十八番である。そのためか、前述の歌うまにおいて桑田佳祐の歌を歌って敗退したことはない(ちなみに同番組では、ものまねして歌うことは減点対象となる[24]ため、第1回オールスターで「真夏の果実」を歌った時は、似ないように歌っていた)。
  • デビュー前はダウンタウンの追っかけをしていた[25]
  • マザコンであり、中学3年生まで母の二の腕を触りながら寝ていた。本人曰く「落ち着く」[26]。バラエティ番組では共演者に「マザコン」、「反抗期のはずの中学生にもなってみっともない」とからかわれ必死に否定するのが定番になっている。さらに二の腕を触っていたのはテレビ用の発言で、実際はおっぱいを触って乳首をいじっていた事を、ゲスト出演したナインティナインのオールナイトニッポン(2011年5月5日放送)で自ら告白している。
  • 小学3年生までトイレで用を足した後、自分で尻を拭けなかった。これは「目の届かない所に手を伸ばすのが怖かったから」だという[26]
  • 小学1年生の頃に盲腸の手術をしている。しかし、手術を行なった医者がヤブ医者だった為に別の病院で再度摘出手術を行い、へその上に傷が出来る。手術の際に全身麻酔をされた事と傷が大きかった事でその時は生死の境を彷徨っている。
尚、手術前日の相方とのやりとりはGyaoジョッキー『トークも結構おおざっぱ!2009年06月03日』にて放送されている。現在はアーカイブとして残っている(本人はGyaoの外にこの話を漏らして欲しくないと語っている)。
  • 開腹手術から一週間後、今度は五時間かけて前歯四本を入れ替える手術を行った。

コンビでの出演番組[編集]

現在[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ放送[編集]

過去の出演[編集]

テレビ番組[編集]

コラボカーペットで、芋洗坂係長渡辺直美姫ちゃんCOWCOW多田健二2700山本譲二松崎しげると共演。

テレビドラマ[編集]

ラジオ放送[編集]

インターネット放送[編集]

映画[編集]

Web[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2007年6月3日ABC笑いの金メダル』より。ただし、木下が鶴瓶の顔真似芸をしてみたところ激似であったことに気づき「(今度は)行ける」と確信したことが理由であるという説が別の番組で放送された事例もある。
  2. ^ 2008年5月1日テレビ朝日『アメトーーク
  3. ^ ファーストラウンド1位通過のキングオブコメディの「908点」を上回り、その日の暫定最高得点(最終的には3位)。
  4. ^ そのためか、オチで木元が立ち去った直後に暗転し、暗転よりも先に終了のBGMが流されていた。
  5. ^ 2010年8月23日放送お笑いさぁ~んより
  6. ^ ちなみにこれには「客席に木下が遠距離恋愛してる女の子がいることが木下の心の声で明らかになる」という裏設定がある。
  7. ^ 「せんとくん」ソックリのTKO・木下、遂にオフィシャルサポーターに就任
  8. ^ 「アメトーーク」2008年3月6日放送「M2芸人」より
  9. ^ a b c 2008年10月14日放送の「はなまるマーケット はなまるカフェ」より
  10. ^ 「アメトーーク」2008年3月6日放送「M2芸人」より
  11. ^ 2008年11月放送「アドレな!ガレッジ」より
  12. ^ 2008年12月5日放送の「一攫千金!日本ルー列島3時間スペシャル」で島田紳助が発言。
  13. ^ 2010年9月1日内村さまぁ~ず #93
  14. ^ 2011年6月3日放送『Oh!どや顔サミット』より。
  15. ^ 「まだまだゴチャ・まぜっ!~集まれヤンヤン~」でたびたび発言している。
  16. ^ 自身のブログにて本人がコメント
  17. ^ 2013年1月3日 日本テレビ系『開運幸せグルメ・有名人の勝利メシ』より
  18. ^ 2009年8月2日放送「さんまのからくりTV」、2009年5月12日放送「リンカーン」より
  19. ^ 2010年9月1日内村さまぁ~ず #93
  20. ^ 感激!(KIMOLOG TKO木本のオフィシャルブログ、2011年5月28日)
  21. ^ Googleストリートビュー(2011年5月30日閲覧)
  22. ^ 2008年3月6日 『アメトーーク M2芸人』
  23. ^ 第2回オールスターでは1回戦敗退、歴代王者緊急参戦スペシャルでは準決勝敗退、イケメン歌うまでは彼よりも歌唱力が低いユージ相手に準々決勝敗退であった。
  24. ^ これはものまね番組ではなく、芸人のマジ歌を披露させることが主な番組だからである。
  25. ^ 人志松本のすべらない話」で告白
  26. ^ a b 2009年3月13日放送「情報ライブ ミヤネ屋」より、木下の母および長兄・眞行談

関連項目[編集]

外部リンク[編集]